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ストーンズ紙ジャケ・ボックス第2弾

ROLLING STONES STORE

2010年5月14日 (金)


ROLLING STONES SHM-CD/紙ジャケ ボックスセット第2弾


 2008年にリリースされた“60年代編”に続く、ローリング・ストーンズのSHM-CD / 紙ジャケ・ボックス第2弾! 『Undercover』以降の初紙ジャケ化6タイトルを含む、スタジオ作品全14タイトルをセットで。英国初回盤LPを再現したシリアル・ナンバー入りレーベル・カード、“ボーナス紙ジャケ” として『スティッキー・フィンガーズ』のスペイン盤デフジャケ、『女たち』のUK盤カラー・ヴァリエーション×3種、『アンダーカヴァー』のステッカー貼付US盤をセット封入! また、日本盤LPの存在するタイトルについては、その初回盤の意匠を再現した巻き帯を付属と、コア・ファンの経絡秘孔を突きまくった至れり尽くせりぶり。 さらに、各タイトル完全初回限定生産にて単品リリースもございます。


In Studio: Greatest Albums From The 70's To 00's Vol.1 【限定版】

収録されているアルバム
(クリックでアルバム詳細へ)

Disc01. 「スティッキー・フィンガーズ」 (1971)
Disc02. 「メインストリートのならず者」 (1972)
Disc03. 「山羊の頭のスープ」 (1973)
Disc04. 「イッツ・オンリー・ロックンロール」 (1974)
Disc05. 「ブラック・アンド・ブルー」 (1976)
Disc06. 「女たち」 (1978)
Disc07. 「エモーショナル・レスキュー」 (1980)
Disc08. 「刺青の男」 (1981)
Disc09. 「アンダーカヴァー」 (1983)
Disc10. 「ダーティ・ワーク」 (1986)
Disc11. 「スティール・ホイールズ」 (1989)
Disc12. 「ヴードゥー・ラウンジ」 (1994)
Disc13. 「ブリッジズ・トゥ・バビロン」 (1997)
Disc14. 「ア・ビガー・バン」 (2005)



輸入盤は発売中!

Re-mastered Boxed Set
同じく2009年リマスタリング採用(『メインストリートのならず者』のみ2010年リマスター)となる輸入盤ボックスセット。こちらも完全限定生産につきお求めはお早めにどうぞ。

 
 
in studio: Greatest Albums from the 70's to 00's

2010年6月30日発売
UICY-91558/71 (14CDA) 38,000円(税込)

◆ 初回生産限定 紙ジャケット仕様
◆ 高音質素材 SHM-CD採用
◆ 米国制作2009年リマスター音源(『メイン・ストリートのならず者』のみ2010年リマスター音源)
◆ 英国初回盤LPを再現した紙ジャケット仕様(『女たち』のみ英国検閲初回盤LPを再現した紙ジャケット仕様)
◆ 英国初回盤LPを再現したシリアル・ナンバー入りレーベル・カード封入(『ア・ビガー・バン』除く)
◆ 日本盤LPの存在するタイトルについては、その初回盤の意匠を再現した巻き帯を付属(『エモーショナル・レスキュー』、『ダーティ・ワーク』は日本初回盤LP貼付のステッカーを再現して貼付)
◆ 解説・歌詞・対訳付

<ボックスのみの特徴>(予定)
◆ LPサイズ・ボックス(Box in Box仕様)
◆ “ボーナス紙ジャケ”として、『スティッキー・フィンガーズ』(スペイン盤デフジャケ)、『女たち』(UK盤カラー・ヴァリエーション×3種)、『アンダーカヴァー』(ステッカー貼付US盤)をセット
◆ US盤シュリンク上に貼付の告知ステッカーが存在するタイトルについては、アートワーク・ステッカー仕様にて封入








Rolling Stones

 不幸にもメンバーひとりを60年代との訣別とともに失うこととなったローリング・ストーンズが、あらためて「ジャガー/リチャード」体制としてのインフラを整備し、兜の緒を締めて乗り出した70年代の大航海時代。入団当時弱冠21歳だったブルース小僧が控えめにテクニシャンぶりを吐き出せば、キースも負けじと6弦を外した開放弾き”ソ ”のマスターに燃え、独自のサウンドを徹底追求。おまけに各種ドラッグの効用も熱心に追及。ここでもひとつの求心力ある伝説を打ち立てる。「キースなんて血を入れ替えてるんだぜ!最高にクールだろ!」(ダフ・マッケイガン)と後のバッドボーイズを小躍りさせ、と同時に1973年の初来日公演は幻と終わる(これはミック・ジャガーの前科のせいだが)。ジュリーがいくら水素爆弾をこさえて当局を脅迫しても・・・「ローリング・ストーンズは来なかった」(西島三重子)。キースを本気にさせたミック・テイラーに加えて、ボビー・キーズ、ジム・プライス、ビリー・プレストンといった頼もしい仲間たちの助太刀もあり、新設ローリング・ストーンズ・レーベルからの船出は大成功。アルバム制作、ライヴ・パフォーマンスにおいて黄金期と呼ばれる絶対的な王者の勲章を手にした。ミック・ジャガーの劇場型パフォーマーぶりも年を追うごとに派手にしなやかになっていき、また、デビュー間もないプリンスを前座に起用するなど、その審美眼も70年代に頂点を迎えたと言ってもよいだろう。74年のミック・テイラー脱退時にも神は彼らに味方し、ロン・ウッドというこれ以上なくバンドにフィットしたキツツキ・ヘアの男を宛がわせ、実際キースの双子の弟役とバンドのムードメーカー的役割を兼任するロニーの愛すべきキャラに「世界一のロックンロール・バンド」は何度も救われた。その後、レゲエもカリブもディスコもパンクでさえもおもしろがって口にする持ち前のピュアでどん欲な音楽吸収力は、「ジャガー/リチャード」のすれ違いが表面化する79年頃まではなんの差し支えもなく増進し作品として昇華されていった。




『Sticky Fingers』('71)  (▲ボックス情報に戻る)

 チェス・レコード創設者レナード・チェスの息子、マーシャル・チェスを代表とした、ローリング・ストーンズ・レーベル記念すべき第1弾アルバム。プロデュースは、ジミー・ミラー。ツアー中に訪れたサザンソウルの都・マッスル・ショールズ詣楽曲などを含み、『Beggars Banquet』、『Let It Bleed』で探求したアメリカ南部の泥臭いブルース/R&B、スワンプ色濃いロックンロールの”花園"をいよいよ突き止めてみせた。グラム・パーソンズに捧げたと言われる「Wild Horses」や「Dead Flowers」ではカントリー・ミュージックへの憧憬が、ボビー・キーズ、ジム・プライス、ビリー・プレストンといった”地の利”を知る名脇役たちが御もてなしをする「Bitch」、「I Got The Blues」ではメンフィス・ソウルに懸ける情熱が。そんな諸々が手に取るように感じられる。「Brown Sugar」、「Can't You Hear Me Knockong」で顕著なキース必殺の5弦ギターのリフが骨となり、ミック・テイラーのマイルドでメロディアスなフレージングが肉となるという、いわゆる”70年代ストーンズ最強論”を唱えるものには聖書以上に信頼のおける極道ストーンズ・サウンドがものの見事に詰まっている。オリジナルLPでは、アンディ・ウォーホールのデザインによるジッパー付ジャケットが話題となった(インナーは、見事な白ブリーフ)。


●主なシングル曲概要
 「Brown Sugar」 w/ Bitch / Let It Rock(アルバム未収録)  英 1971年4月発売  2位
 「Brown Sugar」 w/ Bitch  米 1971年5月発売  1位
 「Wild Horses」 w/ Sway  米 1971年6月発売  28位


『Exile On Main Street』('72)  (▲ボックス情報に戻る)

 前作『Sticky Fingers』にさらに濃厚なテキサス・チリ・ソースをからめて中火の鍋にかけ、コトコトと4000時間・・・最終的にはとても一気には平らげることのできない大盛り量をうす汚いプレートに荒々しくドカッ。異様なにおいと食べる前からゲップの出そうなヴォリュームにもかかわらず、一口はこんでみると不思議なものでどんどんいけるわ、おかわりはするわで、”ならず者”とはミシュラン街道からのアウトサイダーでもあるのかと思わず合点がいく。税金ビンボーとなったストーンズが南フランスに移住し、キースのネルコート邸の地下室で作り上げたバンド初の2枚組アルバム。「Tumbling Dice」のヒットでチャート方面での面目はかろうじて保たれつつも、やはりストーンズのアメリカン・ルーツ・ミュージック探求旅行の総決算だけあり、その内容は深みにハマった長靴が完全に泥沼にもっていかれるほどかなりディープ。「Shake Your Hips」、「Casino Boogie」、「Ventilator Blues」、「Stop Breaking Down」、「彼に会いたい」、「Let It Loose」などなど、すけこまし力は皆無なれど滋養強壮力は半端ない。


●主なシングル曲概要
 「Tumbling Dice」 w/ Sweet Black Angel  英 1972年4月発売  5位
 米 1972年4月発売  7位
 「Happy」 w/ All Down The Line  米 1972年7月発売  22位


『Goat's Head Soup』('73)  (▲ボックス情報に戻る)

 72年11月、ジャマイカの名門スタジオ、ダイナミック・サウンド・スタジオで録音されたストーンズ・レーベルの第3弾。ミックがデヴィッド・ボウイ夫人に捧げた、あるいはキースが愛娘ダンデライオンに捧げたという2つの説にそれぞれ物語を重ね合わせるバラード「Angie」の大ヒットで、ここ日本でもポピュラーな1枚として挙げられるアルバムだが、その「Angie」以外は、ジャケットのアートワーク同様ベールを覆ったような実に捉えどころのないナンバーが犇く。 「Dancing With Mr.D」、「Star Star」、「Silver Train」(ジョニー・ウィンターのカヴァーには本家も登場)といったロックンロール・チューンはまだしも、キースがリード・ヴォーカルをとる「Coming Down Again」や「Can You Hear The Music」などは、サイケで幻想的な面持ちのサウンドで、ぼやっとしていると煙に巻かれることは必至。また、ビリー・プレストンのクラヴィネットが大活躍する「Doo Doo Doo Doo Doo」や「100 Years Ago」におけるニューソウルへの接近も見逃せない。


●主なシングル曲概要
 「Angie」 w/ Silver Train  英 1973年8月発売  5位
 米 1973年8月発売  1位
 「Doo Doo Doo Doo Doo」 w/ Dancing With Mr.D  米 1973年12月発売  15位


『It's Only Rock'n Roll』('74)  (▲ボックス情報に戻る)

 74年、ミュンヘンのミュージック・ランド・スタジオで録音された、ミック・テイラー在籍期最後となる作品。ドラッグ過多となったキースが、血液を入れ替える治療をしていたという伝説もこの時期のこと。キースに多くのインスピレーションを与えたグラム・パーソンズの訃報、そしてミック・テイラーの脱退と、バンド的にはややもすれば暗礁に乗り上げそうな危機を迎えたところで、ずばりこのタイトル。三十路を迎えたキースほか、メンバーが再び原点に立ち返ろうとした表題曲のセッションには、この後に新ギタリストとして加入することになるロン・ウッドも参加。ロニーの自宅地下室でベーシック・トラックが録音されたのは有名な話(当時、ロニーの1stソロ・アルバム『俺と仲間』も並行してレコーディングされていた)。ちなみに、この年の12月にロンドンのキルバーンで行われたロニーのソロ・コンサートには、キースも参加し、ファースト・バーバリアンズ(後のニュー・バーバリアンズ)の貴重ライヴ音源として2007年公式にCD化された。「If You Really Want To Be My Friend」、「Fingerprint File」などではエレガントなソウル・ミュージックのカリテを散らす。


●主なシングル曲概要
 「It's Only Rock'n Roll」 w/ Through The Lonely Nights  英 1974年7月発売  10位
 米 1974年7月発売  16位
 「Ain't Too Proud To Beg」 w/ Dance Little Sister  米 1974年10月発売  17位


『Black And Blue』('76)  (▲ボックス情報に戻る)

 『It's Only Rock'n Roll』完成後に脱退したミック・テイラーの穴を埋めるべく行われた、新ギタリスト・オーディション(通称「グレイト・ギタリスト・ハント」)には、ウェイン・パーキンス、ハーヴィ・マンデル(「Hand Of Fate」で流麗なギター・ソロを披露)、さらには、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガーといった面々までもが名を連ねた。もちろん以前からバンドと深い交流のあったロン・ウッドがその座を射止めることとなったのだが、この柔軟なセンスを持つ男の加入によって、バンドは、より黒くルーズなグルーヴを手繰り寄せることに成功した。ファンキーなリズムに粘着質なギターが絡む「Hot Stuff」、「Hey Negrita」、本格的にレゲエに挑んだ、エリック・ドナルドソンのカヴァー「Cherry Oh Baby」など、DECCA後期とはまた異なる”ドス黒さ”に腰が揺れる。この時期彼らのツアーの前座を務めていたミーターズとの交流も大きかったのだろう。ミックが作ったベーシック部と、キース(エレピの弾き語り)のパートとを後に組み合わせた名曲「Memory Motel」も切なく、素晴らしい。


●主なシングル曲概要
 「Fool To Cry」 w/ Hot Stuff  米 1976年4月発売  10位/49位(B面)
 「Fool To Cry」 w/ Crazy Mama  英 1976年4月発売  6位


『Some Girls』('78)  (▲ボックス情報に戻る)

 2枚組ライヴ盤『Love You Live』を挟んで発表された、ストーンズ流の”パンク/ニューウェイヴへの回答”アルバム。ガサ入れの末に大量のドラッグが発見され逮捕された、俗に言う”トロント裁判”真っ只中にあったキースは、「Before They Make Me Run」の中で、「地獄での務めは終わったから、天国への道を探す」と力強く歌う。「When The Whips Comes Down」、「Respectable」、「Lies」などスピード感溢れるロックンロール楽曲が目立つ中、当時のトレンドでもあったディスコ・ビートを大胆に取り入れた(楽曲のアイデア元はビリー・プレストン)「Miss You」、ロニーのペダル・スティールに酔うカントリー・ナンバー「Far Away Eyes」、シンコペーションの効いたリズムに乗せてミックが甘茶歌唱を聴かせるメロウ・ソウル「Beast Of Burden」などを挟み込む余裕のカラー・ヴァリエーション。キースとロニーのギター・アンサンブルも、本作でひとつの頂点を迎えた。


●主なシングル曲概要
 「Miss You」 w/ Faraway Eyes  英 1978年5月発売  3位
 米 1978年5月発売  1位
 「Beast Of Burden」 w/ When The Whip Comes Down  米 1978年8月発売  8位
 「Respectable」 w/ When The Whip Comes Down  英 1978年9月発売  23位
 「Shattered」 w/ Everything Is Turning To Gold  米 1978年11月発売  31位


『Emotional Rescue』('80)  (▲ボックス情報に戻る)

 前作から間髪入れずに、79年にバハマはコンパス・ポイント・スタジオとパリで録音された意欲作。ニューウェイヴ・ムーヴメントの台頭に目配せしながら、ダブ/レゲエ、カリブといったワールド・ミュージック色をも鮮やかにペイントし、さらには原点帰りのブルース、カントリー・マナーもしっかり練り込む用意周到さ。実に75曲にも及ぶレコーディング・トラックから選りすぐられた10曲は散漫ともとられがちだが、80年代を目前とした時代のミレニアムに太刀打ちするには「このぐらいの雑多性と実験精神は必要だ」とキースは直感したのか、「Dance」におけるレゲエともファンクともつかない独特なカッティングや、「She's So Cold」でのディレイをかけたリズミックなリフなどで、冴えたアイデアをバシバシ投入する。また、アニタ・パレンバーグとの別れを歌った泣きの名バラード「All About You」という佳曲も残している。ドラッグ遊戯から足を洗い、ようやく”真・音楽人”として目覚めたキースと、新恋人ジェリー・ホールに首ったけとなり、「ツアーはしない」とバカンス先から電報1本をよこすだけのミック。両者の関係は、このあたりから次第にギクシャクと・・・


●主なシングル曲概要
 「Emotional Rescue」 w/ Down In The Hole  英 1980年6月発売  9位
 米 1980年6月発売  3位
 「She's So Cold」 w/ Send It To Me  英 1980年9月発売  33位
 米 1980年9月発売  26位



Rolling Stones

 誰もが後に知って腰を抜かしたのが、「Start Me Up」をはじめとする『Tattoo You』が、過去のお蔵入り曲に手を加え完成したものだったということ。ミック、キースの軋轢がバンドに悪い影響をもたらすことは容易に想像できても、その悪影響が好転することなど誰にも想像できなかったはず。「80年代の幕開けを飾るに相応しい・・・」と方々で称賛された「Start Me Up」のイントロは実は、70年代の自らを80年代型にヴァージョン・アップするためのあくまで裏仕事的な手立てで、多少の変遷はあるものの、ストーンズのアルバム制作上においての厳密なパラダイムシフトはこの時点でほぼ存在していなかったとも察することができる。ただ、「しこりや胸のつかえはあるが最低限の仕事はしたぜ」とペロリと舌を出すところなんかは、ある意味ロゴマークに忠実なストーンズっぽさとも言えるかもしれない。しかしながら、負の要素を蓄積するだけでは何十年も転がり続けてきた王者としての威信に関わるというもので、81〜82年にかけてはバンド史上最大の動員数を記録したスタジアム・ツアーを成功させており、また何と言っても80年代最後の1年には、ミックとキースの”和解” → 新作の完成 → ワールド・ツアー → 初来日公演というあまりにもドラマチックな大どんでん返しがしっかりと用意されていた。




『Tattoo You』('81)  (▲ボックス情報に戻る)

 迷走の80年代を予期させるのには十分すぎる1枚。イントロのリフが高揚感を煽る「Start Me Up」は、純粋な新曲ではないことに誰もが驚きを隠せない(当初はレゲエ・チューン)。ミック、キースの不仲に端を発したレコーディングの遅延に頭を抱えたアソシエート・プロデューサーのクリス・キムゼイが、『山羊の頭のスープ』時代にまで遡るアウトテイクの山からマテリアルを引っ張り出してきて、それをボブ・クリアマウンテンがミックスを施す。生身のブルースやR&Bを愛してやまない彼らが、ついに編集の妙技が生んだ80年代型のプラスティック・ロックに魂を売ってしまった・・・と結論づけるのはあまりにもナンセンス。なにせボツ曲の寄せ集めなれど、これだけの水準がキープされるところが彼らのすごいところ。ソニー・ロリンズのサックスを被せた「Waiting On A Friend(友を待つ)」は、そんなお家事情を知らなければ、純粋に涙を誘うはず。ちなみに、ダウンホーム・ブルース・スタイルの「黒いリムジン」でハープを吹いているのはロン・ウッド。


●主なシングル曲概要
 「Start Me Up」 w/ No Use In Crying  英 1981年8月発売  33位
 米 1981年8月発売  2位
 「Waiting On A Friend」 w/ Little T & A  英 1981年11月発売  50位
 米 1981年11月発売  13位
 「Hang Fire」 w/ Neighbours  米 1982年3月発売  20位


『Undercover』('83)  (▲ボックス情報に戻る)

 50公演で延べ165万人を動員した81年の北米ツアーを収録したライヴ盤『Still Life』のリリースに続いて、82年10月からレコーディングを開始し制作されたアルバム。ロビー・シェイクスピア(b)らを迎え、ダブ・フィーリングを大胆に取り入れた「Feel On Baby」をはじめ、「Undercover Of The Night」、「Too Much Blood」などの革新的なビートで、トレンドに敏感な起用をみせるミック。一方で、本作リリース直後にパティ・ハンセンと結婚することになるキースは、”伝統主義者”らしく、リード・ヴォーカル・ナンバー「Wanna Hold You」などで、ルードでラフなロックンロール・サウンドを鳴らし上げる。『Emotional Resucue』から続く両者の志向の違いはいよいよ表面化し、プロモーションのためのツアーも行なわれることがなかった。デヴィッド・サンボーンのサックスをフィーチャーした「Pretty Beat Up」の作曲にはロニーが全面的に加わっており、「Hey Negrita」路線の粘っこいファンク・ビートを生み出している。


●主なシングル曲概要
 「Undercover Of The Night」 w/ All The Way Down  英 1983年11月発売  11位
 米 1983年11月発売  10位
 「She Was Hot」 w/ I Think I'm Going Mad  英 1984年1月発売  42位
 米 1984年1月発売  44位



『Dirty Work』('86)  (▲ボックス情報に戻る)

 この時期、ミックはソロ・アルバム制作に没頭。さらには、ストーンズ第6のメンバーとも言えるピアニスト、イアン・スチュワートの死により、バンド内に流れる不穏な空気(とどのつまりミックとキースの人間関係)を一層表面化させてしまったアルバム。スタジオにやって来ないミックの代わりに、キースがイニシアチヴを執り録音が進められ、ボビー・ウォマック、ジミー・ペイジ、トム・ウェイツ、ドン・コヴェイ、ジミー・クリフら豪華なゲスト陣がフォローに回っての制作となった。ジミー・クリフが参加したレゲエ・ナンバー「Too Rude」(出典は、ハーフ・パイント「Winsome」)、トム・ウェイツのピアノをフィーチャーした「Sleep Tonight」(ドラムはロン・ウッド)といったキース・ナンバーにはさすがの冴えをみせ、また、念願かなってカヴァーが実現したボブ&アールの「Harlem Shuffle」など、実質的に”キースのアルバム”と呼ばれる所以がよく分かる。共同プロデューサーには、U2、シンプル・マインズ作品などで名を上げていたスティーヴ・リリーホワイトが登用された。アルバムの最後にはイアン・スチュワートによる30秒ほどのピアノ・ソロが収められ、在りし日のスチュを偲んでいる。


●主なシングル曲概要
 「Harlem Shuffle」 w/ Had It With You  英 1986年2月発売  3位
 米 1986年2月発売  5位
 「One Hit」 w/ Fight  英 1986年5月発売  80位
 米 1986年5月発売  28位


『Steel Wheels』('89)  (▲ボックス情報に戻る)

 89年1月、ミックとキースはバルバドス島でミーティングを行うことを決めた。束の間の怒鳴り合いの後、2人は酒を酌み交わし、新曲のレコーディングを開始。およそ5週間で本作を録り上げた。歴史的な”和解”をファンに示す手段でもあるソリッドなストーンズ・サウンドの復活という点では、「Mixed Emotion」、「Rock And A Hard Place」が突出して素晴らしく、往年のファンも諸手を挙げて喜ぶことが出来る仕上がり。キースのエモーショナルなヴォーカルに胸を締め付けられるソウル・バラード「Slipping Away」、モダンなR&Bテイストを練り込んだ「Almost Hear You Sign」など、ストーンズの90年代がいかに充実したものになるかを予見し物語っているかのような充実曲が並んでいる。アルバム・リリース後には、実に7年ぶりとなるワールド・ツアーもスタート。そして90年2月、幻となった来日公演から27年、遂に彼らは日本の地に降り立つこととなった。そういった意味でも、日本人にとって最も思い出深い1枚なのではないだろうか?


●主なシングル曲概要
 「Mixed Emotions」 w/ Fancyman Blues  英 1989年8月発売  31位
 米 1989年8月発売  5位
 「Rock And A Hard Place」 w/ Cook Cook Blues  英 1989年11月発売  63位
 米 1989年10月発売  23位
 「Almost Hear You Sign」 w/ Break The Spell  米 1990年1月発売  50位



Rolling Stones

 日本のストーンズ・ファンにとっては、ここからの20年の方がむしろリアルだ。年は取っても何度目かの頂上制覇に向かって上昇しようとする真の”ロック・クライマー”ぶりを肉眼で目撃することができたわけなのだから、アドレナリンの分泌量も人生最大に決まっている。ビル・ワイマンの脱落は痛くも痒くもないよ、と決めかかってしまえば本人に失礼だが、実際ビリー・プレストン以来の黒人レギュラー・サポーター(コーラス陣を除いて)となるダリル・ジョーンズを迎える落ち着き払った態度にもホレ直す。2000年問題、北朝鮮核開発、リーマン・ショックに世の中が翻弄された現在も、病的なまでの節制の日々が生んだミックの若々しい有酸素パフォーマンス、世界中の人間の泣き節をしかと心得たキースの演歌(ソウル)バラード、そのキースに常に見張られているチャーリーのバスドラ、そして今やバンド一の問題児と化したロニーの酔いどれブギーは、我関せずと転がり続けている。すでに40年以上も前に浮世離れしてしまった4人が世界とつながっていることができる唯一の時間、それは彼らがローリング・ストーンズの一員としてひたむきにプレイしている瞬間にほかならない。さて、来年あたりそろそろ・・・




『Voodoo Lounge』('94)  (▲ボックス情報に戻る)

 90年代初頭、ミック、キース、さらには、ロニー、チャーリー共にバンドを活性化させるひとつの術として、ソロ活動に勤しんだ。ストーンズのサイレント・マン=ビル・ワイマンの脱退も、こうしたソロ活動で得ることができた人脈をフル活用して、その穴を補った。マイルス・デイヴィスをはじめ、数々の大物ミュージシャンとの活動経験がある黒人ベーシスト、ダリル・ジョーンズが、本作、そしてツアーを好サポート。前作『Steel Wheels』から5年ぶりという過去最長のインターバルを経て、名プロデューサー、ドン・ウォズ指揮のもとストーンズは90年代における最高傑作を作り上げた。「Love Is Strong」から、さらに味わい深くなったキースの歌に痺れる「Thru And Thru」まで緩急自在。さらには、70年代初期にあったラフな手触りを当時代風にアップデートをもしてみせ、新旧ファンともに手を取り歓び合えるような”古きよき現在進行形”アルバムとなった。


●主なシングル曲概要
 「Love Is Strong」 w/ So Young他  英 1994年7月発売  14位
 「You Got Me Rocking」 w/ Jump On Top Of Me  米 1994年9月発売  14位
 「Out Of Tears」 w/ I'm Gonna Drive他  米 1994年10月発売  60位
 「Out Of Tears」 w/ I'm Gonna Drive  英 1994年11月発売  36位
 「I Go Wild」 w/ I Go Wild(Live)他  英 1995年7月発売  29位


『Bridges To Babylon』('97)  (▲ボックス情報に戻る)

 軋轢期とは異なる”ミックvsキース”の図式が見え隠れする本作は、ダスト・ブラザーズらにプロデュースを委ねたミック楽曲と、アルバム史上最多となる3曲のリード・ヴォーカル・ナンバーを含むキース楽曲と、各々の志向が良い意味で完全分裂し鎬を削っているものとなった。「You Don't Have To Mean It」、「Theif In The Night」、「How Can I Stop」ともに、サウンド自体の手触りは異なるものの、キースの歌はそんな次元を超えてもはや名人芸の域に。リアル・ボディ・ミュージックに符割りなど存在しないんだ、小僧ども。一方、ミックも自身のソロ・レコーディングから派生した「Saint Of Me」といった”らしさ”全開のコンテンポラリー・ロック・チューンでスピットしまくる。「Anybody Seen My Baby?」では宝塚スター顔負けの劇場型バラディアぶりも。『Voodoo Lounge』がバンドの一体感を再確認した1枚ならば、こちらは「ミックとキースの永遠の”差異”から生まれるものこそが、ローリング・ストーンズの財産」という巷の議論に、本人自ら答えを突きつけてみせた1枚。


●主なシングル曲概要
 「Anybody Seen My Baby?」 w/ Anybody Seen〜(Remix)他  英 1997年9月発売  22位
 「Saint Of Me」 w/ Anyway You Look At It  米 1998年1月発売  94位
 「Out Of Control」 w/ Out Of Control(Remix)他  英 1998年8月発売  51位


『Bigger Bang』('05)  (▲ボックス情報に戻る)

 「ブリッジ・トゥ・バビロン・ツアー」からレア曲をふんだんに収録し裏ベスト的な内容となった『No Security』('98)、「フォーティー・リックス・ツアー」の模様を収録した『Live Licks』('04)という2枚のフル・ヴォリューム・ライヴ盤を発表した後、満を持してリリースされた最新スタジオ・アルバム。前作『Bridge To Babylon』から8年を経たインターバルは、バンドにおける最長記録を更新。世界中のロック・ファンに、宇宙一のライヴ・バンドとして2000年代もしぶとく生き残っていることを知らしめる彼らのプレイは、本作にもソリッドでタフなグルーヴとしてしっかりとカタチになって現れている。オープニングの「Rough Justice」から「It Won't Take Long」は、まさに”ストーンズ節健在”を咆哮するに値千金。ミキシングはおろかそれ以前の録音段階で極力ストーンズ4人(+ベース)の出音だけに集中させようとしている意図から、サウンドはかなりロウでゴツッとしている。ゆえにメンバーの平均年齢がめでたく還暦越えをはたした、その皺の深みなどが生々しく映し出されている。レコーディング中、ミックの家に何ヶ月も泊まりこみ楽曲を制作したというキースのソロ・ナンバーは、バラードの「This Place Is Empty」と、妖しい浮遊感に引き込まれる「Infamy」の2曲を収録している。


●主なシングル曲概要
 「Streets Of Love」 w/ Rough Justice       2005年8月発売
 「Rain Fall Down」 w/ Rain Fall Down(Remix)  英 2005年9月発売  33位
 「Biggest Mistake」 w/ Before They Make Me Run(Live)他  英 2006年8月発売  51位



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