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4 people agree with this review 2013/07/17
R.Egarrの思い入れが感じられる全集盤と思います。L.Couperinをまとめて聴いた経験はそう多くないですが、その作品は甥のF.Couperinと全く異なり、ルネサンス的に非常に堅固な構成を骨格としていると思います。Egarrの演奏は作曲家のその点を活かしつつ、常に柔らかな詩情を漂わせており、古典的骨格と詩情、そして時折見せる強い表現のバランスが素晴らしいと思います。CD構成も、一枚一枚、曲の性格を考慮して構成されていると思われます。往年のレオンハルトや数年前のルセに比較すると、音楽構築の厳格さの点では一歩劣る面もありますが、全体として第一級の全集であることは間違い有りません。やや価格は高いですが、古楽ファンなら揃えておく価値が充分あると思います。
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6 people agree with this review 2013/07/10
まず自分はロマン派交響曲を日常的に聴く人間でないし、Schumannの2番は過去、Sinopoli,Bernstein,Kubelikなど含め4-5種類しか聴経験が無いので、客観的に比較批評する資格を持ちません。それでも、この演奏はいままでのどの演奏とも違うように思います。実は感じるものが大き過ぎて、どこが違うかまだ冷静に書けないのですが、とにかくこの曲でこんなにも感動してしまうとは予想外でした。言い換えれば、この曲が真価を現した時に、こんなにも凄い曲であることを、恥ずかしながら初めて知りました。Abbado/Orch.Mozartの演奏、とにかく美しくない瞬間、意味のない瞬間が一瞬たりともありません。まるでこの曲の中の宝物を、どんな小さなものでも決して逃すまいとするかのように、時にはゆっくりと時には軽快に、音楽を確かめながら一歩一歩進んで行きます。そのため全体の印象として、決してスマートとか見通しが良いとかでは、ありません。ただこのように全ての細部を一つだに無駄にせず、着実に積み上げて行くことで、いつしか今まで見た事も無いような深く大きな音楽の姿が現れて行きます。とにかく、演奏者全員がこんなにも曲の全てに寄り添って、曲と、Schumannと一体となっていく姿は、自分はSchumannの管弦楽曲では(Kempff晩年のピアノ協奏曲など少数を除いて)ほとんど見た事がありません。Abbadoの、オーケストラのこの姿は、もはや「解釈」などという次元を完全に越えて、「この曲と共に生きている」としか言い様がないのではないでしょうか。第2楽章の有名な警句もここでは諧謔を越えた深い歌ですし、第3楽章のどこまでも美しい深遠への沈潜はBeethoven第9の3楽章をも凌駕しています。おそらく演奏史上でもごく稀にしか起らない、Schumannの交響曲への心の底からの共感と献身によって、初めてこの曲の深く大きい真価が明らかになったのではないでしょうか。第4楽章が終わった時は、正直、よもやこの曲でここまで自分が涙することになるとは思ってもみませんでした。どう書いてもうまくは言えませんが、もはやこの演奏はAbbadoの、Schumannの、希望と絶望、挫折と再生の人生の歌そのものなのかも知れません。Berlinを自ら去って以降のAbbadoの中で、疑いなく最も心に残る演奏の一つと思います。
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8 people agree with this review 2013/06/28
非常にきめ細やかで、美しい演奏と思います。ベームの作品集は、Leonhardt晩年の名演が耳についていますが、Leonhardtの演奏が北ドイツ楽派らしい、堅固な構築を前面に打ち出した、論理的でがっしりした性格であったのに比して、Stellaの演奏は遥に優美で繊細です。もちろん、ドイツ・バロックの巨匠の一人として、どんなに優美な楽曲においても、決して構造が曖昧になる事がないのですが、それでもこの演奏の面持ちはどこかはるか南の国への憧れを宿しているように感じられます。これは前半のチェンバロ曲において顕著ですが、後半のオルガン演奏も壮大ではあっても、どこか愛想良く人懐っこい印象が強く、ベームの音楽の性格によくマッチしていると思います。全集としてももちろん貴重ですが、それを越えた美演盤で、ルネサンス・バロック音楽に親しむ方なら手元に置いておかれて損はないのではないでしょうか。
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3 people agree with this review 2013/05/30
自分は特段のMozartファンでもなく、このK622の聴経験もせいぜい6-7種類なので大きな事は言えませんが、最近のAbbadoの一連のMozart録音で、一際印象的なものに思えます。第1,3楽章は、早めのテンポで一切の感傷と無縁、むしろ急ぎ過ぎるのではと思える位に音楽が流れて行き、時折現れる劇的な部分も作為的な強調が全くなく、すべてが心からの明るい日差しの中に解決して行く。しかしながら、おそらくこの世で一番、何らかの思惑から解き放たれた音楽は、故吉田秀和でしたか、「あまりにも美しく明るい故に、その背後にある悲しみを感じさせないではいられない」という言葉を実感させる、本当に数少ない瞬間にまで自分たちを連れて行きます。ことに第3楽章の天上を走っているとしか思えない音楽は、それが故に知らず知らず抑えきれないものがこみ上がってきます。そして第2楽章Adagio、誰がやったって美しいけれど、ここに聴かれる程に(決してもたれたり感傷的でないのに)生との別れ、を実感させることは稀ではないでしょうか。ソリスト、楽器、オーケストラ、指揮者が結び合った名演と思います。他の2曲も、最上の美しさを湛えており、目立たないけれど、心からお薦め出来る盤ではないかと思われます。
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0 people agree with this review 2013/05/12
まず非常に率直な印象として、こんなに魅力的で何度も繰り返し聴きたくなる第2巻は、珍しいのではないでしょうか。一般に第2巻は、第1巻に比較して、有名な曲も少なく地味で、また比較的長い年月の間に書きためられたものをまとめたため、全体にまとまりが薄く、また軽い曲から奥深い曲まで幅があり、とっつきも悪いと言われることが多いと思います。R.Egarrの演奏でまず感じるのは、平均律に拠っていない調律法の響きの純なことで、これは今までのどんな平均律演奏と比べても際立っており、いくつかの曲はまるで違う曲に聴こえる程です。この新しい学説に基づく調律法の是非について、もちろん自分は判定する資格なぞありませんが、少なくとも素人にも分ることは、J.S.Bachのこのようなどちらかといえば抽象的な作品に属する曲集においても、響き、音色というものが、音楽の真の姿を鑑賞する上でかけがえのない要素であること。もちろん、この演奏の意義は調律法だけでないのは言うまでも無く、Egarrの演奏はあくまで歴史的なチェンバロ音楽の伝統に立脚して、各々の曲に最も相応しいテンポ、リズム、音色そして装飾を控えめにかつ確実に付与して、曲の姿を描き分けていくもの。従って、これまでいまひとつかな、と思って通り過ぎることが多かったような曲でも、思いがけない魅力を放っていて、立ち止まることが多い。この第2巻は多声音楽の聖典のような数曲を含んでいる訳で、そういった曲においては、いささか曲構造の厳格な表出に今一歩かと思われる面もないではありませんが、一方でどんな曲も残らず魅力的だという点で、ちょっとこれまでにはなかったような平均律演奏であるかも知れません。多くのBachファンに、ぜひお薦めしたい良演と思います。
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1 people agree with this review 2013/04/11
実はまともなオーディオ・システムを持たず、MP3化してiPhoneで聴いているような者に評価の資格はないのでしょうが、この盤の最大のポイントが最新学説による調律法であることは理解できます。尤も、きちんとしたアンプで聴いても純正律などの響きの価値が自分にわかるか自信は無いですが、確かに通常の平均律によるチェンバロ演奏とはかなりイメージが異なり、まず各曲の性格の違いが露骨に強調され過ぎることがありません。ピアノによる近代的な演奏ならば、盤によってはかなり悲劇的な曲、楽天的な曲、..といった多様な(落差の激しい)性格が意識されることもありますが、そういった側面は希薄で、どの曲も典雅な響きの中に微妙な性格の違いを感じ取る、といった趣です。演奏自体は、基本的にバロック・チェンバロの時代様式に則したものですが、フランス物を得意とする奏者らしく、リズムのゆれ、楽想のちょっとした誇張・装飾などを結構ふんだんに織りまぜながら、ゆったりとした世界を築き上げています。反面、J.S.Bachの厳格な音楽構造の表出は曖昧で、誰もがよく知っている有名曲が多い第1巻の演奏では、やや甘く中途半端な印象も否定できません。ただ、こういった調律法による平均律演奏は、自分の乏しい知識では決して多いものではないと思いますので貴重と思います。最高の演奏、というまでには至らないと思いますが、非常に安定感のある、味わい深い平均律演奏の一つには違いないのではないでしょうか。
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3 people agree with this review 2013/03/25
自分がJordi Savallの演奏を初めて聴いたのは、CDというものが発売され、バイト代の2ヶ月分をつぎ込んでCDプレーヤーを購入して初めて買ったHesperion XXの「ルネサンスのナポリ」で、Hesperion XXの驚異的な演奏と、故Monserat Figuerasの水晶のように透き通った声が、CDでそれこそ腰をぬかす程クリアに聴こえたものでした。以来30年、今やSavallはすっかり古楽演奏の大家であり、個人的にも現役演奏家の中で高い学識と音楽性を兼ね備えた稀有の存在であると思っています。ただ自分の乏しい知識では、J.S.Bachの声楽大曲の録音は少ないようで、Monteverdi/Vesproはあるものの、それ程目立った存在感を有する盤ではなく、この盤がどのようなものになるのか、正直若干半信半疑の想いでしたが、その想いはよい意味ではずれたと思います。これは、少し前のF.Bruggenの演奏と並んで、現代の最も高レベルのロ短調ミサの一つではないでしょうか。演奏形態は基本的に合唱使用ですが、BruggenやHereweggheと異なり、曲によってかなり使用方法は変えてあり、例えばCrucifixusやCredoの出だしなどは、完全にOVPPに準じる形の小編成で、かと思えば各曲の終結合唱やSanctusなどは、かなり器楽も含めて編成を大きくしてあるようです。ライナーノーツが手元に無いので、詳細は不明ですが、器楽の扱いも含めてSavallが、現在までのBach演奏に対する最新の研究をも、充分に取り入れた上で己の方針に基づいて、誰のまねでも無い、自分たち自身のロ短調ミサ演奏を主張しているのがよく判ります。そしてその演奏は、ライブであることも大きく影響しているでしょうが、厳格というよりは、相当にその場その場の音楽的感興の流れによって、臨機応変に生成させて行く自由なものと思います。もともとSavallという音楽家が、そのあまりに高く専門的な学識とは裏腹に、あくまで不世出の一ガンバ奏者であることを一瞬たりとも忘れさせない、非常に直感的な生きた音楽を生み出す存在であるからでしょうが、このロ短調ミサも、どこをとっても学究的な臭いがしない。もちろん、演奏の構築は入念な考察に基づいたものなのでしょうが、そこに出てきた音楽は有る意味、即興的とさえ感じられる程に隅々まで活き活きとしたものです。西洋多声音楽史上の最大の遺産であるこの大曲は、掘り下げれば掘り下げる程、その巨大な建築構造が浮かび上がってくるとてつもない作品と思いますが、Savallは一見そうした分析的アプローチとは見えなくても、長い長いルネサンス・バロック器楽の沃野を知り尽くした者だけが可能な、確かな洞察力を持って、この難曲の隅々に光を当て、適切なリズム、テンポ、フレージングそして器楽と声楽のバランスを我々に提示してくれます。その成果はまさに驚異以外の何物でもありません。多声的、構造的にこれを越えるロ短調ミサも存在するでしょうが、少なくとも自分が聴き得た限りで、ライブ録音で此れ程この曲の真の姿に迫り得た演奏は無いのではないかと思います。Jordi Savallの最も素晴らしい名演奏の一つとして、また最も優れたロ短調ミサの演奏として是非お薦めしたいですね。
8 people agree with this review 2013/03/17
私たち日本人にとって、特別な想いを抱かずにいられない名匠、Wolfgang Sawallischの数多くの遺産でも、第一級に属する名盤ではないでしょうか。とにかくSchubertの合唱曲集を網羅した仕事は、自分の乏しい知識ではそう無かったし、また今後もそうそう現れるとは思えません。加えて、このSawallischの全集の質を超えるものはまず出るとは思えず、その意味で空前絶後の偉業であると思います。たいていミサ曲5,6番位で、後はほとんど顧みられていない宗教曲ですが、ここで聴いてみると、あらためてSchubertという楽聖の本来の仕事が、紛れも無く人間の声による音楽にあったことを認識させられます。ほんの作曲し始めの10代の頃の習作的なものから、決してSchubert以外ではあり得ない暖かく、美しくそして親しみやすい旋律が、少年のものとは思えない卓越した形で提示され、どの盤も美しくないものは一つもありません。学生時代に少しドイツ語を齧ったレベルでは、後半の世俗合唱曲を充分鑑賞できる能力はありませんが、確かに言える事はこれ以上無いくらいに身近で親しみやすく、しかも高貴なSchubertの世界が充分繰り広げられています。そしてこれらすべてが、考えられない位に誠実で手抜きの一切ない、上質な名演奏で刻まれている。Schubertを生涯、心に大切に抱き続ける自分たちのような者には、一生の密やかな宝物です。Sawallischに心から感謝を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
0 people agree with this review 2013/02/17
J.S.Bachの作品中でモテットは、Bachが忘れ去られていた時代も歌い継がれ、MozartによるBach発見の逸話でも有名で、歴史的には高名です。また必ずしも大編成のオケや高名な独唱者を必要としないからでしょうが、Bach声楽作品中でも屈指の新譜数を誇り、多い時では年間10を越える新譜が出るのではないでしょうか?しかしながら、作品として有名で録音数も多いにも関わらず、自分の過去数十種類の聴体験(近年のKuijken,M.Suzuki, Gardiner,Hereweggheなど含む)によれば、これはと印象に残る盤が本当に少ないように思います。そこには色々な理由があるでしょうが、まずやはり演奏団体にとって(おそらく)近寄り易い曲集にもかかわらず、実は真の姿をとらえるのが最も難しい作品に属するのではないでしょうか。しかしながら、今回のFrieder Berniusの新盤(旧盤は未聴)の演奏は、自分の知る限り過去のどの演奏とも異なる質とインパクトを備えているように思います。実は器楽の比重が多くないBachの声楽作品はこの曲集以外は稀で、それだけにこの曲集の演奏は他のBach声楽作品に無い独特の問題点があり、そこに多くの他の演奏が真の魅力を明らかに出来ない原因の一つがあると思うのですが、F.Bernius/Stuttgartの演奏はまさにその点で他と全く異なる。複数の声部の個々に、いついかなる時も対等な独立性を与え、各々が独立したメロディ・リズム・フレージングを、徹底的に磨き抜いて表現している。通常小規模で何気なしに過ぎてしまうBWV226の中間部「Der aber die Herzen forschet...」の部分など、SuzukiにしてもGardiner,Herweggheにしても、全体の大まかなリズムのなかで各声部のリズムを従属させてしまっているのに、Bernius/Stuttgartは各声部が全く独立ししかも個々の声部がそれぞれに彫琢しつくされてるために、まるで現代のポリリズムの音楽を聴いているような大きく複雑な姿に感じられる。しかもその基礎になる姿勢は、あくまで歌詞内容と音楽の結びつきを徹底して検討した結果であるのが、あまりにも明白に感じられます。従って、この盤ではどんな演奏でも印象に残るBWV225や大規模なBWV227以外の全てのモテットも、一つ一つ珠玉のような傑作であることが強烈に印象づけられます。おそらくBach/モテットの演奏史上最もその真の姿に迫り得た演奏であり、おそらくそれはBernius/Stuttgartが、あの膨大なHeinrich Schutzの名演を長年に亘って生み出してきた経験を経て初めて実現されたものなのでしょう。確かにここには、Schutzの生み出した「ドイツ語による言葉と音楽の完全な一致」が存在しており、それなくしてはこの名盤は生れなかったと思います。決して気楽に聞き流せるような音楽ではありませんが、他の全ての演奏を圧倒する徹底的な彫琢とその見事な表現の実現において、これまで稀にしか明らかにされてこなかったこの傑作集の真の魅力を明らかにした意味において、多くのBachファンに聴いてみていただきたい演奏です。
4 people agree with this review 2013/02/11
10年近く前のライブをなぜ新録音として発売したのか、だいぶ気になるところですが、ライブ録音であることを酌量するとしても、Gardinerの録音として、名誉あるものとは思い難いものです。指揮者の力量、モンテヴェルディ合唱団の力量が、基本的にもともとそこらの団体とは段違いなので、たとえスタイル的に前向きな所が皆無でも、全体として手慣れていてまとまりは上々、非常に安定しています。ただ、いまや第一人者となった福音史家のPadmoreはじめとしたソリスト含め、そこかしこに粗い所が散見され、局所的には盛り上がる所はあっても、全体としてどうも緊張感が見受けられません。Gardinerの演奏理念としても、宗教的にテキストに深く切り込んで他の奏者にない確固とした主張を打ち出すわけでもなければ、音楽的・歴史的に曲構造の分析・再現に沈潜していくわけでもなく、どうみても無難なまとまりを第一にしているとしか思えないものです。一昨年のブランデンブルグに聞くように、若い頃のGardinerの非常に前のめりなリズムの強調は影を潜め、誰が聴いても外見上美しい姿に曲をまとめてはいますが、昨今個性的な名演が目白押しのヨハネ受難曲の中で、存在感を主張できるものとは、どう考えても言えないのではないでしょうか。高齢にして教会カンタータ全曲録音という立派な仕事を進行させているために、受難曲に余計に取組む余裕はないのでしょうが、ならばこのような価値の高くないライブを敢えて発売しないといけないのか、少々疑問です。
1 people agree with this review 2013/01/31
現在S.Kuijken/La Petite BandeのJ.S.Bach演奏の日本発売が無い事は、日本の多くのBachファンにとって不幸なことではないでしょうか...。Bachの作品は、そのリズム、テンポ、音色、フレージングに至るまで、全ての要素が有るべきバランスの上にはめ込まれた時に初めて真の魅力を発すると思いますが、そのバランスを実現するのはとてつもなく難しい。S.Kuijkenは、前のマタイ・ヨハネ両受難曲の名演奏において、歴史上、晩年のLeonhardtのみがなし得ていた、Bach声楽演奏における理想的なバランスのレベルに近づきつつあることが伺われましたが、このカンタータ集の最新盤も、目立たないながらそれをはっきり確認するものとなっています。有名無名が入り混じるカンタータ各曲において、どの瞬間においても至適なテンポ・リズム・声楽と器楽の理想的なバランスがとられ、どんな些細な響きをとってもこれ以外にあり得ない、無駄を一切そぎ落とした、簡素でありながら充分な音空間が実現している。当然OVPPによっていますが、このぎりぎりの編成もS.Kuijkenのこの理想的な音空間を実現するのに、必須とは言わないまでも、大いに貢献している。特筆すべきはこのような全ての要素がバランスをとれた空間においては、おそらく若手中心でスター不在の演奏者であっても演奏の輝きに何ら不足を感じず、よく言われるようなアルトが不満だとか、テノールが今一歩だ、などを感じさせる瞬間は一切ありません。ただしLa Petite Bandeはこの盤においても、おそらく現在進行中あるいは過去のBachカンタータプロジェクトの器楽演奏全てと比較しても、圧倒的に群を抜いた演奏をみせているのも確かです。CDのラストに置かれた140番の想像を絶する美しさは、過去現在のあらゆる他の演奏ともレベルを異にする素晴らしいもので、正直あまりの純な美しさに感動して涙を抑えられませんでした。J.S.Bach教会カンタータの真正な魅力を明らかにする、歴史上稀に見るプロジェクト.....どうか一曲でも多く、録音して欲しいと切に願います。
3 people agree with this review 2013/01/26
ことBeatlesのラストレコーディングとなると、わずかでも思い入れのある人間ならば、何か特別なものを期待せずにはいられないのが人間であり、この傑作に対しての受け取り方に温度差が出るとすれば、それは提示された音楽以外の背景に対する聴く者の受け止め方の影響が大きいでしょう。過去、自分も時折そうでした。ただ、今回数十年ぶりにBeatles全作品を聞き通した上で、どんな事情があれ、絶対的・客観的に言えることは二つ。第一は人間的・グループ的・社会的・音楽的あらゆる意味で崩壊していたGet backセッション(アルバム「Let it be」)の後で、いかなる人間であれグループであれ、こんな作品を作ることが可能であったのは、奇跡を通り越して音楽上の謎としか言いようがないこと....それが起り得た事自体が、The Beatlesという存在が音楽そのものの力によって、ポピュラー音楽とアートの境界の概念を打ち壊し、20世紀社会に新たな価値基準を開いた唯一無二の存在であったことの証明。第二は、このアルバムに詰め込まれた音楽内容が、どこをどうみても、過去の全Beatles作品と比較しても群を抜いて素晴らしいこと。Come together~Becauseの8曲は、John, Paul, George, Ringoの4人の紛れも無い生涯の最高傑作に属する名曲ばかりだし(ロンドン五輪閉会式の壮大な音楽劇が、Because~Here comes the sunで始まったのは記憶に新しい!)、それ以降のメドレーおよび終結に至る音楽の内容・構成はただただ圧倒的。特筆すべきはPlease please meから始まったBeatlesのRock/Pops音楽の常識を覆す作業は、このアルバムでも一瞬の緩みも無く続いているにも関わらず(様々な新技術・楽器の導入・演奏概念の改革等々)、ここにはいささかの実験臭もなく、全てがまるで自然から何の意図も無く生み出されたような、透明な高貴さを湛えている。あらゆるBeatles作品で、そしておそらくあらゆるポピュラー音楽中でも、このラストレコーディングほどに高い品格と高貴な存在感を感じられるものはないのではないでしょうか。たとえ背景にどんな人間・グループ・社会があるにせよ、The Beatlesという奇跡の存在が、Sgt.Peppers→The Beatles→Abbey Roadと上昇し続けていた....そして現在に至るまでの音楽界は、このAbbey Roadの開けた扉を通って未来に歩んでいる......。掛け値なしの20世紀最高の音楽遺産の一つです。
3 people agree with this review 2013/01/20
ラジオのエアチェックが唯一の音楽入手手段であった、子どもの頃の自分にとってこのアルバムは、(2枚組のため)全曲放送されることがまず無いため、後期Beatlesの中で最も触れる事ができない作品でした(これ以外の後期LPは大抵全曲放送してもらえた)。大学生になり都会に出てやっと全貌に触れることが出来たために、後々まで最も馴染が薄かったのが正直な所です。ただ、今回Remasterをまとめて購入し、久しぶりに聞き通して改めて圧倒されました。Revolver以降の、Sgt.Peppers, 本作, Abbey Roadの4作は、その質と完成度において、あらゆる20世紀の音楽中の最高峰であり、どれが最高傑作かという議論は、所詮個人の好みでしかないと思うのですが、非常に非常に客観的にみて、Sgt.Peppersと本作が頂点であるのは、認めざるを得ないのではないでしょうか。こんな貧弱な文でこの大作の巨大な意義の、千分の一、万分の一でも明らかには出来ないのはもちろんですが、Revolver~Sgt.Peppersのサイケデリックをベースとし、当時の録音技術を駆使した電子音楽とさえ言える工芸品と本作は、全く制作の姿勢が変わっています。アコースティックを多用し、ほぼ全編にわたってポピュラー音楽として生演奏に立った、当たり前のものしか使用していない。そのようなどちらかといえば、シンプルで切り詰めた演奏形態によっているにも関わらず、出てくる音楽はSgt.Peppersで実現されていたものと全く同等の、おそらくポピュラー音楽史上かって無かったぎりぎりの密度の表現が見事に実現されている。題材とされた音楽がこれまた、当時そして今にいたる20世紀音楽の多種多様なジャンルから選ばれているのも象徴的ですが、そういった博物館的題材をThe Beatlesの最高の音楽を通して、全く一期一会の機会として提供してくれる。しかも、Sgt.Peppersのような明らかなるストーリーを持ったものでは無くとも、このWhite albumは冒頭の航空機の音から、最後のハリウッド風の人工甘味料的音楽のフェイドアウトまで、すべての部分が一つの大作の欠くべからざる要素として見事にはまっている意味で、音楽的にSgt.Peppersをすら超えるトータルアルバムである。Wild honey pie, Why don’t we do it in the roadなどの小曲、さまざまな間奏部、そしてメンバーの叫び、つぶやき、雑音にいたるまで、無駄な部分が何一つ無いまでに完成されているのは、真に恐るべき作品と思います(Beethovenの後期弦楽四重奏曲の、各部分を思い出します...)。このWhite albumの完成と成功は、この当時そしてその後現在にいたるまでのポピュラー音楽界を、Sgt.Peppersとはまた異なる方向で決定づけたと言えるでしょう。この作品が無ければ20世紀音楽の意義付けは違ったものであったかも知れない....。それくらいの大きくそして、清濁併せ持った深い作品として、末長く聴き続けられて行くと思います。
2 people agree with this review 2013/01/09
一年に一回もショパンとか聴かないこともあって、I.Mejouevaについては初めてで全く予備知識なく、不純ながらほとんどジャケットの美しさにつられて購入したようなものですが、いい意味で予想を裏切られました。まず冒頭に置かれたFrench suite Nr.5は、非常な美音ながら歴史的背景を充分に踏まえた訳でもなければ、音楽構造を徹底的に分解して独自の解釈を出す訳でも無く、やや中途半端な演奏。続く半音階的幻想曲は、未だ曲の構造把握が確立していないのか、テンポと強弱のぶれが強く、特にフーガは全く多声構造が見えず混乱しているので、ここまで来てやはりまだまだの若手なのかな、と思っていました。ところが、本題のGoldberg、演奏はGouldが新旧2種の録音で完全に打ち立てた、モダン・ピアノ演奏伝統からほとんど逸脱せずそのままで、特に何ら新しい事はどこにも見られないのに、非常に印象が新鮮です。おそらく自分等より20才位若い、I.Mejouevaの世代にとっては、もはやG.Gouldは直接的な影響でなく、教育などを通じて間接的にその伝統が伝えられてるのでしょうが、演奏の外形はGouldと変わらなくとも、模倣とかコピーとかの印象は微塵も感じません。音楽の細部が(ミスの無い完璧なものでは無くとも)、完全にI.Mejouevaその人の表現に完結されており、そこにはGouldの影も、また反対に西洋古典派〜ロマン派のピアノ演奏伝統の影も(皆無ではないにしても)希薄です。おそらく彼女の世代なら、幼少時ベームやカラヤン、バーンスタインなどよりも、Rock,Popsなどに包まれて育っているのは想像に難くなく、その西洋クラシック音楽の軛からある程度自由に育った音楽背景が、このGoldbergの各変奏、テンポ、とりわけリズムなどに随所に表れては消えるように聴こえる。少し下の世代のBacchetti程自由ではなく、またJ.MacGregor程に広大な背景を感じさせる演奏ではないですが、彼女の辿ってきた音楽背景が素直に反映されている意味で、Goldberg変奏曲という唯一無二の傑作の巨大な包容力を改めて感じます。また逆にこの名作に、己の音楽背景を投入し、自己表現を実現する充分な能力を持った、Mejouevaという演奏家の非凡さも感じられました。決して決定盤と言うほどではなく評価は甘いかも知れませんが、非常に新鮮でこれからが楽しみなGoldbergの好演盤の一つとして、多くのBachファンに一度聴いてみて頂きたいです。ちなみにライブにもかかわらず、この大曲を殆どミス無く弾きこなす能力と体力は、凄いものだとも思いました。
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8 people agree with this review 2013/01/05
自分はWispelweyの最初の無伴奏を未聴ですが、14年前の2回目の録音は、バロック・チェロを使用した演奏としては、当代随一といえるくらい、透き通った美しい演奏でありました。今回の3回目の無伴奏はバロックチェロながら楽器が変わり、ピッチもケーテン宮廷の時代に合わせてさらに低くなり、まるで別の奏者のように音色が変わっています。2回目がまるで水晶を思わせるような透明な音色であったのに比較して、低音を強調しヴィブラートを目立たせ、演奏内容にもよりますが、くすんだまるでいぶし銀の如き演奏です。演奏も前回が客観的でクールであったのに比して、今回は必要ならテンポと強弱をかなり大胆に変化させ、自分の表現したい内容に合わせて行きます。基本的にはWispelwey特有の誠実で控えめな演奏なのですが、それでも年輪を経たのでしょうか。第6番におけるテンポの伸縮と全体の遅さは、この演奏の正確を端的に表しています。ただ、Wispelweyの今回の演奏解釈があくまでBach音楽の文脈を解析して、Bach音楽構造を表現するためのみに行われたものか、それとも己の感じるものをBach音楽に託して代弁させるために行われた恣意的なものなのか、が曖昧になる瞬間を所々で感じます。だいぶ昔、Bylsmaの再録音に接した時にも強く感じたことであり、この点が無伴奏チェロ組曲の再録音における最も難しい所かもしれません。ともあれ、現代の一級品の演奏の一つには違いないと思います。
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