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Review List of MISPRISIONER 

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     2011/04/16

    現在、米国のクラシック音楽シーンでは前衛音楽や実験音楽は影を潜め、クリストファー・ラウズ(Rouse, Christopher)を筆頭にネオ・ロマンティシズム(新ロマン派)が台頭してきている。ケージなどの実験音楽華やかなりし頃にも、ロマンティックな音楽が書かれなかった訳ではなかったが、決して主流になる事はなく、古典的な調性法に基づいた音楽というだけで無視するに十分な要素だった。そんな時代、米国では既に死に絶えたと決め付けられた「交響曲」を大台に乗る数(もちろんその数は”9”だ)書き続けた作曲家たちを、私は「英雄」と呼びたい。多くの人は、ウィリアム・シューマン(交響曲は10曲)やロイ・ハリス(同13曲+番号なし5曲以上)、ロジャー・セッションズ(同9曲)の名を上げるだろうが(ピストンは8曲)、私はその「英雄」としてピーター・メニン(1923-1983)の名を真っ先に上げたい。もっとも、彼らが金にならない交響曲(ソヴィエトでは書けば書くだけお金をくれたが)を作り続けることが出来たのは、アイヴズのようにちゃんとした「本職」が別にあったからで――メニンは1962年から死ぬまで、シューマンの後任としてジュリアード音楽学校の校長の職にあった――、そういう特別な境遇にいなかった他の数多の作曲家と同列に評価することは出来ないが(例えばバーンスタインは指揮活動が忙しすぎて作曲に集中できなかった)、恵まれた環境にいてもなお、誰に評価される訳でもない「交響曲」を作曲し続けた点は流石だ。本盤には、メニンが最晩年(といっても50代)に書いた最後の二つの交響曲と、2つめと3つめの交響曲の間に書かれ、彼の初期の代表作と云われる《民謡序曲》が余白に収まっている。60歳というと、マーラーでいえば交響曲第10番を書いていた頃だが、メニンの作風は初期から殆ど一貫している。緩徐楽章にはいささか小難しい箇所もあるが、アレグロやプレストはシューマン(ロベルトの方)やブラームスのように快い。メニンの音楽は、本質的にウィリアム・シューマンやセッションズのようにアカデミックで厳しいものではなく、大管弦楽の濃厚な響きを十分に堪能できる。変にジャズやブルースなど、ポピュラー音楽を取り入れたところがないのもいい。《民謡序曲》でも、民謡の主題の扱いは至極慎重で、メニンの音楽の洗練された感覚を全編に漂わせている。Nwe Worldレーベルは、政府や機関から補助金を受けながら、録音を通して実際に作品を演奏した上で米国音楽の有機的な保存に長年取り組むという、非営利な団体が元々の母体である。端から採算など度外視。普通、こういった企画は、東ヨーロッパの三流オケを安く買い叩いて行なうものだ。腐ってもコロンバス響は米国内のフルタイム・オケ。昔、ルイヴィル管が同じようなコンセプトで録音活動をしていたが、どれも酷い演奏だった(たまに良いものもあったけど)。しかしこのディスクは違う。演奏はもちろん、録音も優れている。採算については煩く言わないが、演奏と録音はしっかりしたものにする。それがこのレーベルの拘りだ。今のところ、メニンの作品集をどれか一つ持つとしたら、断然本盤。「面白いオケ曲ないか」と探している人にオススメの一枚。

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     2011/04/15

    正直、「ド・ビリーの大曲(それも、クラシック音楽史上希に見る大曲で)演奏ってどうなの?」と思ったが、完全に杞憂だった。全体的に幾分速めのテンポで臨み、細部をバランスよく仕上げているのはいつものド・ビリーで、若々しく颯爽とした雰囲気の名演だ。さすがにバーンスタインの新盤[DG]やテンシュテットと比べると物足りなさが残るが、彼は主観的な見方は避けて曲のあるべき姿を正確に見極め、輪郭のハッキリした強靭なタッチでシリアスに描出していく。オルガンもよく響いている。洗練と濃密さが一体となった美演であり、手応えは十分ある。結果として、同曲盤の中でも、揺るぎない演奏内容のディスクとなっている。録音レベルはやや低めで、普段より音量を多めにして聴くことをオススメする。

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     2011/04/06

    DVDでも発売されている(https://www.hmv.co.jp/product/detail/3891151)トニー・パーマー監督作品『テスティモニー〜ドキュメンタリー:ショスタコーヴィチの物語』(1987年)のオリジナル・サウンドトラック。ドキュメンタリー制作時、[Virgin Classics]レーベルから出ていたCDを(コピーライトはイゾルデ・フィルム)、本家本元のTony Palmer Filmsが復刻した。オリジナル盤は音楽だけでなく、ジダーノフの演説やショスタコーヴィチとトゥハチェフスキー元帥との会話など、名場面(?)のセリフも収録されていた。今回、それらがカットされ、未収録の音源が復活したかどうかは、本レビューを書いている時点では情報不足のため不明。使用音源はスヴェトラーノフの《革命》第1楽章展開部や、コンドラシンの《1905年》第2楽章後半部の銃撃の場面、ノイマンの《レニングラード》第1楽章主部など、既存の録音が半分くらい。しかしオリジナル盤発売当時の1988年、それらは初CD化であった。CDがやっと一般層に普及し出したその頃(それでも、メジャーレーベルの殆どのタイトルはLPと同時に発売されていた)、筆者も同タイトルがCDを購入した10枚目くらいのディスクで、あまりもの音質の美しさに、CDというメディアの未来に大いに期待を持ったものである。ところが、本盤収録の既存音源が実際に全曲復刻されてみると、非常に残念な結果となっているのは、ショスタコーヴィチ・ファンなら周知の通り。そして、このドキュメンタリーの為に録り下ろしされた録音は、オーケストラ曲はいずれもバルシャイがロンドン・フィルを指揮したもの(オリジナル盤に収録されている室内楽曲は、シリンギリアン弦楽四重奏団による弦楽四重奏曲第八番の第2楽章のみ)。CD冒頭は、ティンパニのソロで始まるオペラ《ムツェンスク群のマクベス夫人》第4幕の冒頭で始まり、インパクト十分。演奏も良い(オリジナル盤は音楽に続き、「親愛なる音楽家の皆さん」とジダーノフの演説が始まる)。そして特筆すべきは、ヴァイオリン協奏曲第1番の第三楽章「パッサカリア」と交響曲第13番《バビ・ヤール》の第1楽章冒頭の演奏である。特にヴァイオリン協奏曲は、前トラックで頭の血管が切れそうに怒り狂うジダーノフの演説に続いて収録され、異様な雰囲気をかもし出している。途中からショスタコーヴィチの独白がオーバーラップしてくるが、演奏自体は極めて優れたもので、パッサカリア冒頭だけだが、間違えなく同曲盤一の出来だ。続く《バビ・ヤール》は英語で歌われるが(しかも改訂版の歌詞)、これも優れた演奏(バスはシャーリー=カーク!)。このトラックは比較的長く、最初のクライマックスの部分まで約5分ある。《バビ・ヤール》のファンなら一度聴いておいた方がいだろう。この演奏を基準にしたら、もう他の録音はあまり聴けなくなるかもしれないが・・・。

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     2011/03/17

    マーラーのディスクは出せばそれなりに売れるのだろう。それだけに、何十種もの「名盤」が存在する。その中にあって本盤は、そこに「新たな一枚」を加えるだけの価値があるとは、到底思えない。これまで、アシュケナージのマーラー、シドニー響のマーラーを誰が積極的に聴きたいと切望していただろうか? 本盤は完全に「招かれざる客」であり、この不況下にあって敢えて市場に投入する意図が全く判らない。これで演奏が空前の素晴らしさなら文句は言うまい。素直に「恐れ入りました」と負けを認めよう。しかし、本盤は演奏自体極めて凡庸で、無為に時間のみが流れていく。さっき本盤を市場に投入する意図が判らないと書いたが、ひょっとしてシドニー響のプロモーションのつもりなのだろうか。確かに、シドニー響の新録音は市場にはあまり出回っていない。だとしても、正確なだけがとり得のこのような淡白な演奏で、シドニー響のプライオリティが上がるとは全く思えない。オクタヴィアも、この様な事をやっている暇があるなら、もっと別のことをしていた方が良いのではないか? 他に有効な企画が無い訳ではなかろうに・・・。

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     2011/03/03

    いずれも既発音源の聴き所を再編集して収録。オーケストラ全体の音がいくらか距離感近めにピックアップされつつ、弦・管・打楽器に整然とした奥行き感がつけられた録音。どの曲も低音域の熱いバランス、高音楽器の豊かな色彩の清澄な美しさ、鮮やかな解像度、起伏の大きな全強奏の雄大なスケール感や力感などが素晴らしい。オーディオファイルとして最適なディスクで、これは是非、ダイレクト・カット盤でも聴いてみたい。

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     2011/01/18

    なんじゃこりゃ!! 作曲者最初の管弦楽作品との事で、頑張りすぎたのか、ストラヴィンスキーも伊福部昭もレイフスも裸足で逃げ出しそうな超バーバリズムの洪水。凄い。こういう超曲がたまに出るから、クラシックは止められないんだよなあ!!

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     2011/01/18

    まだ誰もレビューを書いていないので、A・デイヴィス指揮による本シリーズ第二段の発売が決まったのを記念して、本盤を購入しようか否か考えあぐねている英国音楽ファンのために、一言二言進言したいと思う。結論から申し上げれば、これは実に素晴らしいホルスト・アルバム(コンセプトは、いちおう、「バレエ音楽集」という括りではあるらしいが)である。この録音を聴くと、ヒコックスが《惑星》の再録音を果たせなかったのは極めて残念だ。しかし、ヒコックスの《惑星》既発盤(1987年)は、ロンドン響による1973年のプレヴィン盤以来14年ぶりの同曲録音と云うことで注目されたが、箸にも棒にも引っかからないというわけではないのだけれど、なんとも評判が悪く(なんと、同じオーケストラ――G・サイモン指揮――による同年録音盤もあり、そちらの方が優れた演奏だ)、《カルミナ・ブラーナ》の如く、もし再録音が実現していたとしても、10ダース近くある《惑星》録音のNo.1になることが保証されている訳ではない。もちろん、それが《惑星》の「世紀の大名盤」であってくれれば一番いいのだが、創作というものは、「たられば(可能性)」の世界で焦がれられるのが一番幸せと云うものだ。「立鳥跡を濁さず」。結果論ではあるけれど、本盤のような優れたディスクが最後の録音の一つであって本当に良かった。バレエ音楽《どこまでも馬鹿な男》は、「バレエ音楽」といっても単独のバレエのために書かれた音楽ではなく、1923年に初演された全一幕の同名のオペラのオープニングで演奏されるナンバー。オペラ自体は失敗に終わったが(同じオペラでも《居酒屋ボアーズヘッドにて》や《さまよう学者》が録音されているのに、この曲が後日再演されたり録音されたりしていないのはそのため?)、このバレエ音楽は大人気となり、オペラから独立させられ、すぐに単独のコンサート・ピーストして演奏されるようになった。これに先立って人気を勝ち得た《惑星》、中でも特に「土星」と同じような動機も随所で聴かれるが(変拍子が多用される点でも)、「土星」を作曲するに当たってインスパイアを得たというデュカスの《魔法使いの弟子》にも酷似している。この曲は《惑星》と同時期に録音されたプレヴィン指揮ロンドン響盤を聴いて以来ずっとわたしのお気に入りで、一時期《惑星》以上に入れ込んでいたくらい。しかし、なかなか良い演奏にめぐり合えず、結局プレヴィン盤(この録音はEMI 6278982として最近復刻された)をヘヴィーローテーションするしかなかった。しかし、それとて表現が大味すぎて万全とは言えなかった。ヒコックスの演奏も派手な部分は思いっきりオケを鳴らすのだが、細部は精緻に彫琢され、音色感覚を極めてデリケートに駆使して、スコアは穴が開くほど見ているはずなのに、この曲にこんなにもあったのかと思うほどの複雑な妙味を掘り起こしている。作品番号を同一とするグリム童話原作の《黄金のがちょう》と《一年の春》は合唱バレエ。合唱の付くバレエと云うと、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》が思い出されるが(そういえば、惑星での合唱の使い方はダフニスに似ている)、これらは合唱をもっと積極的につかっている。ライナーノーツにリブレットも付いているが、場面説明が全て合唱でなされるので、どこがバレエ音楽なの?と突っ込みたくなる。したがって、「ホルスト:管弦楽曲集」と題されたこのアルバムに、これらの曲が収録されているのが場違いな感すら覚えるが、合唱指揮者としてキャリアをスタートしたヒコックスの指揮でこれらの曲を聴けるというのは、なんたる幸せ(ヒコックスのホルスト・ラスト・レコーディングが惑星でなくて本当に良かった)。英国民謡調、東洋的な響きも随所で聴かれ、《ブルック・グリーン組曲》や《セント・ポール組曲》を髣髴とさせる。もちろん演奏は実に優れたもので、「これを聴いて『惑星以外のホルストはどうも・・・』なんて事を言わせないぞ!」という凄みが内包されている。《誘惑》はオーケストラのみの作品で、このアルバムで唯一の純粋なバレエ音楽だ。十分ほどの実に短い楽曲だが、内容は濃い。ほとんどミクロス・ロージャかレスピーギとでもいいたくなるようなスペクタクルなモチーフも随所に顔を出す、極めて印象深い佳作だ。もちろん、ただ単に大騒ぎするだけでなく、落ち着いたテンポと悠然たる運びによる巨大なスケールの中に、強弱の見事な遠近感がある。いずれの作品も実に懐が深い演奏で、ヒコックスの本領が遺憾なく発揮されたホルスト・アルバムといえる。

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     2011/01/16

    M・アーノルドの楽曲の録音がこんなにも多く行なわれるなど、つい十数年前までは想像も出来なかった(逆に、《オークニー諸島の婚礼と日の出》であれだけブレイクしまくったP・M=デイヴィスの名を聞く事は殆どなくなってしまったが)。注目作であるはずの交響曲第9番(1986年)でさえ、1990年前後の秘曲初録音ブームにも無視され、録音までに作曲から約十年を要したのだから(6番は作曲から26年無視された!)、現在のように、既に忘れられた曲の初録音が、クオリティの高い演奏・録音で毎年のようにリバイバルされているのは、数少ない録音を何度も繰り返し聴いていた古参ファンには夢のような状況だ。これまで、様々な興味深いディスクを聴いてきたが、中でも、この、アーノルドのバレエ音楽を有名無名織り交ぜて年代順に収録(アーノルドのバレエはこの他に《ソリティア》と未完成の《三銃士》がある)した本盤は、近年希に見るスマッシュ・ヒットといえる。もちろんそれは、今回が世界初録音となる、完成されたアーノルド最後のバレエ《エレクトラ》の所為である。この曲が第一目的で本盤を買ったと言ってもいいくらいなのだから、そうでなくてはいけない。”The Life and Music of Sir Malcolm Arnold: The Brilliant and the Dark”[P.W.R. Jackson/Pub.Ashgate]によると、「このバレエは、これまでアーノルドが書いたことのないような暴力的、耳障りでダークな音楽。その激しさは交響曲第7番に匹敵する」(72ページ)とある。まあ、《大々的序曲》や《タモ・シャンター》(《ピータールー》は1968年の作品)より激しいことはないにしても(だったら何故今まで録音されなかった?)、タモやピーターを最初に聴いた時の衝撃は追体験できるだろうし、そう言われれば期待するなという方が無理というもの。しかし、実際に聴いた音は、その期待以上のものであった。冒頭から、強烈な音の塊が炸裂する。金管は咆哮し、弦はダウンボウで痙攣のようなデタッシュを繰り返す。打楽器も大活躍だ。ここまでオケをへヴィで悲痛に、ド派手に鳴らしたアーノルド作品は、録音されたものだけでしか判断できないが、確かに前例が無い。その意味で前掲書は正しかった。しかし、前掲書は間違ってもいた。恐らくこれは、後にも先にも、アーノルドが書いた「最も」暴力的な音楽ではないか、ということ。とはいえ、アーノルドの作品リストの中で、この曲だけが特異な存在という訳ではない。和声進行や終止形も、アーノルドの他の作品でよく使われるパタンが随所で聴ける。また、私は長年、「アーノルドはなぜ《ピータールー》のあの中間部のような音楽を書いたんだろう?」と不思議だったが、この曲を聴いて答えが出たような気がした。この曲があったからこそ、《ピータールー》があったのではないか、という訳。そして、ほぼ曲全体において激しいアタックで叩きまくっているトム・トムは、この3年前の交響曲第4番(アーノルドがそういったアフリカ系打楽器を使うようになった大元はウォルトンの《ヨハネスブルク祝祭序曲》[56年]といわれている)を踏襲している。だが、アーノルドが、R・シュトラウスも真っ青のここまで盛り狂ったオーケストラ書法の使い手だったとは、思いもよらなかった。初録音万歳である。尚、カップリングの(というか普通の人にはそっちがメインなんだろうなぁ・・・)《女王への忠誠》《リナルドとアルミーダ》(これも濃厚なオケの響きが堪能できる)《スウィーニー・トッド》も水準を超えた出来。

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     2011/01/14

    評判が良いので買ってみたけど、この録音で判断する限り、ネルソンスの音楽は大味で、大音量で聴き手をねじ伏せるタイプの指揮者である。その意味では、ヤンソンスよりゲルギエフに近いタイプか。暑苦しい曲を、力任せに暑苦しく演奏してどうする!という印象しか残らない。ゲルギエフが《英雄の生涯》を指揮したら、こうなるのでは? 特に《バラの騎士》組曲冒頭や「戦場の英雄」は、旋律もオブリガートも伴奏も和声も、全ての音がごちゃっとした塊で出て来て(音が歪むわけではないが)、五月蝿すぎる。ロジェストヴェンスキーやキタエンコ、スヴェトラーノフの同曲盤でさえ、こうではなかった。ゲルギエフと絡めてそう思うのではないが、旋律の歌わせ方や音の処理など、どことなくシノポリやレヴァイン、ムーティを思わせるところもあって、この指揮者はコンサート指揮者よりも、オペラの指揮に向いていそう。もちろん、オケのソノリティは本盤の方が洗練されているが、アマオケじゃないんだから、フォルテッシモと書いてあるから何でも音を出せばいいというものではない。目的意識を持って出すところと抑えるところを見極め、マス・サウンドをきっちりとコントロールするのが、知的な指揮というもの。スコアを見れば、フォルテやフォルテッシモ、フォルテシシモの中でにも、クロマティックで細かに動いたり、八分音符で刻んでいる箇所はあって、意外にそういう箇所が重要だったりする。この演奏では、そういう所がみんな抑えるべき響きにマスクされてしまっている。まあ、それは録音エンジニアも大いに共犯というべきで、実演は割りとすっきりしているのかもしれない・・・。純粋に演奏としてのクオリティは決して低くはなく、同曲盤の中でも決して質が低いわけではない(筆者は《英雄の生涯》の録音はほとんど揃えている)ので、評価は星4つ。

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     2011/01/14

    個人的な事情により、昨年11月に発売されたゲルギエフ盤と同時期に購入
    したので、今更レビューするハメになってしまった(まだ誰もレビューしていないのだから許されたし)。ゲルギエフの同曲録音は、PMF管盤(PMF管自主制作による正規盤。因みに筆者は《1905》年が大好きで、店頭で市販されている同曲盤はCD-Rも含めて殆ど全て所有しているが、Von-Zから出ているキーロフ歌劇場管とされているCD-RもPMF管盤と同じ演奏)で聴いていたので、ゲルギエフ盤の方が良いだろうと思って聴き比べてみたが、意外や意外、内容は演奏・録音とも本盤に軍配が上がった(音質についてはあまり言及したくないが、ゲルギエフ盤は、全体的にスピーカにベールが一枚被さったような、1&15番のディスクで認められなかった曇った音をしており、DSD編集していないのか、ミキシング――11番のレコーディング・エンジニアは1&15番と同一だが、編集とミキシング担当者が異なる――で音質劣化を起こしているように思われる)。マーク・ウィグルスワース(MW)の演奏は、ヤンソンスのように基本的にはオーソドックスだが、時折オーヴァーキル(やり過ぎ)な表現が見られるタイプ。それが成功している時もあれば失敗している時もあり、争点となることも少なくなかったが、本盤ではストレートな表現で一貫している。一方、オランダ放送フィルは、デ・ワールト時代には何の採り得の無い二流オケという印象だったが、ズヴェーデンの時代になって、コンセルトヘボウ管もかくやと思わせる演奏を聴かせることも少なくなくなって、BBCウェールズ・オブ・ナショナル管からオーケストラがスウィッチされて、”全集”としての一貫性は失われたが(この、非ロシア人指揮者によるショスタコーヴィチの交響曲全集は、奇しくも、その枠組みとしては初であったハイティンク盤以来となった)、プロダクト的には良い結果をもたらした。本盤の演奏クオリティも、どこを切っても一流オケのそれで、マッシヴで密度の濃い響きは、MWの奇を衒わないストレートな表現を支え、いささかの弛緩も感じさせない。特に、様々な革命歌から引用された本曲の素材の一つひとつが、まるで交響曲の動機として始めから用意されていたかの如くシンフォニックに響くのは、明らかにオーケストラの功績といえよう。中でもプリンシパル・トランペットとスネアのラディカルで斬新なサウンドは、特筆に値する。豪放な迫力と繊細な表情の交差は、ただただ見事という外ない。MWの、非常に信頼すべき、ドラマティックに盛り上げられた音楽の知的な読みは、ロジェストヴェンスキーの同曲盤を思い出させる。この録音を聴いた後でゲルギエフ盤を聴くと、このモスクワ出身のオセット系ロシア人指揮者が、「演奏とは、先ずは何よりも聴き手を力技でねじ伏せることである」と理解しているのかが、よく判る(彼にそうされたいマゾヒスティックな聴き手は、満足だろうけど)。尚、本盤の録音は、前盤の第4番と半年しか収録日が離れていないが、機材(マイクとデジタル・ミキサー)が刷新されており、音の傾向はやや違っているように思える。とはいえ、他のBISレーベルのSACD同様、低音の充実した大型の装置で、――例の如く録音レベルが少し(5dbほど)低めなので――音量を目いっぱい上げて聴くことをお薦めしたい。

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