トップ > 音楽CD・DVD > ロック > Yes > Live In New Haven 1974 (2CD)

Yes

CD Live In New Haven 1974 (2CD)

Live In New Haven 1974 (2CD)

商品ユーザレビュー

  • ★★★★★ 
    (1 件)
  • ★★★★☆ 
    (0 件)
  • ★★★☆☆ 
    (0 件)
  • ★★☆☆☆ 
    (0 件)
  • ★☆☆☆☆ 
    (0 件)

レビューを書いてみませんか?

レビューを書く

検索結果:1件中1件から1件まで表示

  • ★★★★★ 

    農夫  |  岡山県  |  不明  |  2021年03月09日

     『リレイヤー』(’74)までのイエスは、5名のプレイヤーが自分達の技量を思う存分発揮して見事に響き合うといった、ある意味人間関係の可能性を示唆するとでも言えそうな楽曲の創作という、「理想主義」を追求した。『海洋地形学の物語』(’73)、『リレイヤー』と、いまでこそ偉大な財産と言えるものの、楽曲が複雑性を増し、難解な傾向を見せて一般的な共感が成り立つ水準を超えていったのは致し方あるまい。それがパンク・ロック全盛という世相に圧されたか、ある種の反省があったのか、バンドの存続に関わる経済的状況に見舞われたのか事情は何も知らないが、次の『究極』(’77)では「現実主義」が表に立つという方針転換を試みる。有り得た筈の新たな大作をそこで我々は失った気がして、何とも残念である。確かに当時のプログレッシヴ・ロックにあって、歌詞では終末観や絶望感を言い立てておきながら、曲調においては音を手段化して単に叙情性を追求するといった、欺瞞的な自家撞着に堕した作品が皆無だったとは言えない。しかしながらジョン・アンダーソンの詩情はそうした観点を許容せず、イエスはそのような矛盾を抱えてはいなかっただろう。歌詞も曲も到達しようのない遥か先の目的としなければ、「表現」のとば口にも立てはしないことをイエスの面々はよく理解していた。本作は本来イエスがCD化を意図したライヴではなく、ラジオ番組のための録音に過ぎなかった。だが『究極』でリック・ウェイクマンがバンドに復帰し、『リレイヤー』の楽曲がライヴで演奏される機会はほぼ無くなったことを考えると、『リレイヤー』の3曲全てが収録された本作は実に貴重な記録と言えよう。何より素晴らしいのは全編に生命衝動とも呼ぶべき躍動感がみなぎっていることである。スタジオ録音の緻密さを再現しつつも、それ以上にスピードアップして悠々と演奏を楽しむという凄さを見せつけるのだ。何曲かについて言及する。 〇「サウンド・チェイサー」…オープニングの定番である「シベリアン・カートル」を押し退けての選曲。イエスの楽曲の中で最も難解と思われるこの楽曲を持ってくるあたりがイエスの自負心の表れとも言える。だが『リレイヤー』は『危機』(’72)と同じく3曲収録のアルバムであって、それぞれを3楽章構成の交響曲に見立てるならば、共に最終楽章として同等ではある。ベースとギターが同じメロディーを弾くパートが有り、離れてはまたペアに戻ったりを繰り返す。別の曲をコラージュしたかのような場面転換があるかと思えば、頻繁なテンポの移行がある。また、動から静へ、静から動へと揺さぶられる。スタジオ録音以上に曲の魅力が伝わる演奏である。 〇「危機」…ボーカルパートに入るまでの3分程の演奏の、怒涛のような激しさ。ベースとドラムスが牽引する。ここではギターとキーボードが短いメロディーをたたみかけ、ほぼリズム楽器と化している。曲の輪郭は維持しつつ、内側では『リレイヤー』の色に合わせたアレンジの変更。新加入のパトリック・モラーツへの配慮があるかもしれないが、表現可能性の飽くなき追求の一環と感じられる。 〇「錯乱の扉」…イエスの音楽のある面での頂点を極めた曲。とりわけボーカルパートを過ぎて「スーン」までの5〜6分のインストゥルメンタルはデモーニッシュと言っても過言ではない迫力がある。名演である。 〇「儀式」…曲の後半に元々ベースがリードを取る部分に続けてドラムスがリードを取る部分が組み込まれている。ライヴではその部分を拡張してクリス・スクワイアとアラン・ホワイトにスポットライトを当てている。単独での演奏よりもこの方が曲は表情を増して聴き応えがあり、よい工夫だと思われる。  さて、「儀式」の歌詞の一節に“WE LOVE WHEN WE PLAY”とある。一義的ではないものの単純な言葉である。イエスはこのライヴで、この一節を信念を持って実証している。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに 共感する

検索結果:1件中1件から1件まで表示