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赤沢英二

本 雪村周継 多年雪舟に学ぶといへども ミネルヴァ日本評伝選

雪村周継 多年雪舟に学ぶといへども ミネルヴァ日本評伝選

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    金山寺味噌  |  愛知県  |  不明  |  2016年02月13日

    戦国時代、関東・東北を拠点に活動した画僧、雪村周継の評伝。きわめて個性的でダイナミックな画風で知られているが、その生涯については謎が多く生没年も今だに確定していないが、著者赤澤氏は1492年頃に生まれ1573年頃に82歳で亡くなったという説を唱えている。雪村は関東の名門佐竹家の一族の生まれだが幼くして仏門に入って画僧としての修行を積んだと考えられているが前半生については不明な点が多く推測の域を出ない状態である。ただ分かっているのは雪村が若い頃から精力的に絵を描いていたこと、絵の修行のため関東・東北の各地を巡歴していた、ということである。雪村の作品は現在でも比較的多く残されていてその内容などから彼の足取りの大まかなところはつかめるようである。 雪村が活躍していた時期の関東及び東北南部はまさに群雄割拠の乱世であった。彼の生家佐竹のみならず北条・上杉・田村・武田・芦名など有力大名たちが時に手を結び時に争うといった状態を繰り返していた。雪村は故郷常陸を出て芦名氏の本拠会津を訪問(45p〜 )、その後北条氏の本拠地小田原や古都鎌倉で画業の醸成に努め(65p〜 )、会津を再訪した頃にはその画業は完成の域に到達していた。晩年は田村氏の本拠三春に移住、隠棲しつつも創作意欲は衰えず多くの作品を残したが自らの死期を悟って故郷常陸に戻り亡くなったと考えられている(135p〜 )。 雪村は画僧の大先輩である雪舟等楊を尊敬しその画風を研究したが彼自身の画風は雪舟とは違った方向性を持った。緻密で端整、堅実な画風の雪舟に対し雪村はダイナミックで大胆なデフォルメも厭わない極めて特徴的・個性的な画風を確立した。雪村は『説門弟資云』という書物において「多年雪舟に学ぶといへども画風の懸絶せるを見よ」(92p)と豪語している。著者赤澤氏はこの言葉について「雪舟を師と捉えながらも、自らの画風を追究した、雪村の自信みなぎる言葉であろう」と指摘している。

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