DVD 忍ぶ川

忍ぶ川

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    ミュンシュ  |  神奈川県  |  不明  |  2013年06月08日

    この映画作品は、もちろん故三浦哲郎の芥川受賞作、短編小説「忍ぶ川」に基づいてはいる。しかし、本作品は、映画監督、熊井啓その人の「忍ぶ川」である。すなわち映画「忍ぶ川」は、三浦哲郎の短編小説「忍ぶ川」と筋書きのおおよそを辿ってはいるが、熊井啓ならではの息づかいを感じることができる。では熊井啓の吐息の本質とは何であろう。このように考えたとき、当たり前と思われがちなことを二つほど思うのである。 一つは撮影技術である。本作品がモノクロであること云々をいっているのではない。撮影陣が極めて優秀であったということを言いたいのである。換言すれば、熊井啓の映画監督としての優れた資質が、優秀な撮影陣を選んだともいってよいと思う。周知のように、この映画作品は美しい画像の連続といってよい。なかでも、よくいわれる「馬橇の場面」は小説「忍ぶ川」と同じく映画でも極めて美しい。でも、本来、文学と映画では異なった芸術である。どちらも美しいというのであれば、文学による表現方法、映画による表現方法の奥底に、どこか人に訴える交叉する点があるはずだ。そこで、映画の「馬橇の場面」をワン・ショットごとにおっていく。ここがDVDのすごいところである。そうすると、文学「忍ぶ川」と映画「忍ぶ川」が交叉したと思われるショットをDVDの映像のなかに見出すことができる。それは、雪原の彼方からやってくる馬橇をカメラが捉え、馬橇の像を次第に拡大していく、その次のシーン、すなわち“馬と、馬が跳ね上げる雪、りんりんと鳴り響く鈴とを同時にとらえているシーン”である。このシーンを静止画像でみる(DVDプレーヤーを静止モードにしてみる)。そうすると画像は物理的には静止する。でもその静止画像は、意識のなかでは動いている。動いている美を描いた絵を見ているのと同じである。動いている美を描いた絵の一枚、一枚を連続的に観ることによって、実際に美しい動を描くことができるようになる。作家も、映画監督も、共通していることは、このような絵を一枚、一枚を描きほぐしていくことであろう。違うところは、それが文章によるのか、映像によるのかというところである。小説「忍ぶ川」の映像化にあたって、熊井啓は小説「忍ぶ川」を、もちろんのこと、徹底して読んだはずである。そして、動いている美を描いた絵を一枚、一枚、スケッチしていったはずである。そしてその絵を映像にして繋げたと思うのである。 二つ目はこの映画の音楽である。具体的には、音楽を故松村禎三に依頼したことがこの作品を成功に導いていると思うのだ。松村禎三の音楽の素晴らしさは冒頭に字幕等が現れるところから分かる。まず重厚である。でも「いつくしみ」にあふれている。この音楽はしだいに編曲されて映画「忍ぶ川」の要所、要所で用いられることになる。そして、その音楽は、映画「忍ぶ川」がともすると冗長になりがちになることを防いでいるかのように、それどころか、物語に集中力を与えているかの如く響くのである。 例えば、小説「忍ぶ川」には次のような局面がでてくる−死にゆく志乃の父との面会する主人公、やがて志乃の父は死に、一家は離散し、主人公は志乃を引き取る。郷里ですぐにでも結婚するために、大晦日の晩に二人は主人公の郷里である東北に行く列車に乗る。−三浦哲郎は、この場面を淡々と語る。すなわち、文学では主人公も志乃も、この二人を取り巻く世界も、読者の想像にゆだねるかのように実に淡々と語られる。しかし、映画では、読者の想像の世界を具体的な世界にあぶりださねばならない。映画とはリアリティを与えなければならない芸術であるのだ。この局面を松村禎三の音楽−それは極めて静かな音楽であるが−は切々と、切実さをもって、しかし途切れることなく一気に奏であげる。映像も一気に進む。 撮影陣と音楽に優秀な人材をえたこと−それこそ、熊井啓の映画監督としての優秀さにつながる−が映画「忍ぶ川」を成功に導いたということを信じてやまない。文学「忍ぶ川」が名作であることはもちろんであるが。

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