ショパン (1810-1849)

CD 【中古:盤質A】 練習曲集 ポリーニ(1960)

【中古:盤質A】 練習曲集 ポリーニ(1960)

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  • ★★★★☆ 

    せごびあ  |  愛知県  |  不明  |  2018年11月24日

    決して悪いと言う類ものではありませんが、あの衝撃的名盤にどうつながったのか?と思わされる記録です。

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  • ★★★★★ 

    eroicka  |  不明  |  不明  |  2012年02月07日

    瞠目すべき秘蔵音源の発掘であり、この壮挙を成し遂げたTestament社には感謝したい。一度お蔵入りになったものだけに、完璧主義者ポリーニからよく発売許可を得たものだ。あくまでも理知的なポリーニのスタイルはもうこの18歳当時には確立されており、ポリーニを愛するものはOP10−1の最初の数秒聴いただけでだれの演奏か分かるだろう。それほどまでにスタイルの基本は変わらず、素人に聴かせれば同じレコードとすら思うかも知れないものだが、両者を聴き比べれば72年録音のDG盤までの軌跡を感じずにいられない。この60年盤は72年盤に比べ若々しい叙情性と直情的な情熱、解釈の自然さが前面に出ている代わり、72年盤のような音色の多彩な変化や巧緻な解釈、隙の無い技巧といった点では一歩譲るように思う。録音も含めて、ファンの間で新旧いずれが良いかと、好みは分かれるかもしれない。私は気分によって両者を使い分けて聴いていこうと思う。両者ともポリーニの若き日を代表する名盤として広く親しまれることを希望したい。

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  • ★★★☆☆ 

    おっさん  |  神奈川県  |  不明  |  2011年12月25日

     どうしてもDG録音との比較となるが、本質的にはそう違わない。第1曲の冒頭でもうポリーニだとわかる演奏だ。すべてをDG盤と比較してみる気にはなれなかった。私にとってはその程度のものでしかない。録音当時を考えれば、瞠目すべき演奏だったことだろうが、こういう演奏にはもう驚かなくなってしまった。

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  • ★★★★☆ 

    M  |  愛知県  |  不明  |  2011年12月17日

    DG録音との比較になるが、あの録音の一音一音エッジのかかったような衝撃的なピアニズムはここにはまだ無い。であればコンクール後ステージから遠ざかった意味合いの一つも推測できる。DG盤発売当時はライバル盤アシュケナージに勝利したという大方の世評であった。しかしアシュケナージ敗北の原因は技巧の優劣というより、わざとらしい音楽作りにあったように思う。ところで当録音年代でもアシュケナージのメロディア録音がまたしても比較の対象になる。私的にはしなやかな音色を基盤とした感覚的精緻のあるアシュケナージの方がはるかに魅力的である。又技術的にも作品25の10のような重音が連続した曲ではアシュケナージの方が闊達である。あと当盤で気付いたのは作品25の1の演奏で、明らかにコルトーの影響が見られる。DG 盤よりはるかに感動的である。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2011年12月04日

    ポリーニによるショパンの練習曲集として有名なのは1972年のスタジオ録音(DG)であるというのは論を待たないところだ。もっとも、有名ではあるが、当該演奏については評価が大きく分かれると言える。確かに、技量という意味においては卓越したものがあると言えるところであり、おそらくはあらゆるピアニストの中でも最も完璧にショパンの練習曲集を音化するのに成功した演奏とさえ言えるのではないだろうか。もっとも、聴きようによってはメカニックな機械じかけの演奏のようにも感じられるところであり、同練習曲集に込められた詩情や豊かな情感が犠牲になっているという批判も、あながち根拠がないものとは言えないところである。ポリーニによるショパンの楽曲の演奏については、その後に登場したバラード集やスケルツォ集、前奏曲集、ノクターン集などにおいても同様のことが言えるところであり、技量においては完璧、しかしながら、その内容においてはいささか疑問符を付ける者も多く存在していると言わざるを得ないところだ。このように、ポリーニのショパン演奏については、賛否両論が渦巻いているとも言えるところであるが、ショパン国際コンクール優勝直後にスタジオ録音された本演奏は素晴らしい。もちろん、卓越した技量を披露している点においては、後年の演奏と変わりがないところであり、その抜群のテクニックの凄さには唖然とさせられるほどであると言える。しかしながら、本演奏はそれだけにはとどまっていない。本演奏には、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が全体に漲っていると言えるところであり、音楽をひたすら前進させていこうという鬼気迫るような強靭な生命力に満ち溢れていると言える。かかる強靭な迫力は聴いていて手に汗を握るほどであり、ショパン国際コンクールにおいて満場一致で優勝したのは当然のことであると思われるところだ。さすがのポリーニも、本演奏のような気迫や生命力を、その後の演奏においても引き続き持ち続けるのは困難であったとも言えるところであり、その後は約10年にわたって対外的な演奏活動を休止したのは周知のとおりである。ここ数年のポリーニには、バッハの平均律クラヴィーア曲集(第1巻)の名演(2008〜2009年)などにも見られるように、技術偏重には陥らず、円熟の境地とも言うべき味わい深い演奏の数々を聴かせてくれるようになってきたところであり、仮に、現時点でポリーニがショパンの練習曲集を録音した場合には、余人には及びもつかない素晴らしい円熟の名演を成し遂げるのではないかと大いに期待が持てるところだ。もっとも、ポリーニも最近では録音により一層慎重になってきており、望み薄であるとは言えるが、可能であれば、ショパンの練習曲集や前奏曲集、スケルツォ集、バラード集などの再録音を大いに望んでおきたいと考える。音質は、1960年のスタジオ録音であるが、ステレオ収録ということもあって、十分に満足できる水準であると高く評価したい。

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  • ★★★★★ 

    martin  |  神奈川県  |  不明  |  2011年11月20日

    この録音はすでに半世紀も前のものだ。 ポリーニの出現によって世界のピアニストの演奏様式が大きく変化したということがこの録音で証明できるような気がする。 すでにテクニック的には70年代からのポリーニの完成系が出来上がっていることは確かに言えよう。 この後ミケランジェリの強い影響を受け、一つの楽曲を極め完璧を求める求道者のような演奏家に変貌していったのではないだろうか。 その最も強い影響を受けた最初期の録音が何テイクも録音されたと推測される72年DG盤なのではないか? 60年盤の魅力は別れの曲やop.10-6での清々しいリリシズムは後の演奏では失われてしまったものであるように感じるし、またDG盤では異常なまでのテンションで演奏されているop.10-4,8 op.25-12等は自然で細かなニュアンスを持って美しく演奏されている。 ポリーニの原点を知る上で興味深い録音。

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  • ★★★★★ 

    s.k.  |  東京都  |  不明  |  2011年11月19日

    18歳にして既に完成している。恐るべし。

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  • ★★★★★ 

    超玄人な批評家  |  UNITED KINGDOM  |  不明  |  2011年10月31日

    これは期待できる DGでのエチュードは、録音による録音のための編集であった・・・・ もちろん、当時でも、そして、一部は、現代でも絶対的に完璧であるのだが・・・・ しかし、演奏のデジタル化を推進してしまった功罪は大きい そして、それはすでに過去の遺物となっている この録音は、ポリーニの本質が収められている 本来の音楽的な密度の結集であり、アヴァンギャルドな逆説が存在する ポリーニの技巧の、ひとつの頂点である・・・・・

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