エンリーケ・ビラ=マタス

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パリに終わりはこない

エンリーケ・ビラ=マタス

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784309207315
ISBN 10 : 4309207316
フォーマット
出版社
発行年月
2017年08月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
301p;20

内容詳細

世界は崩壊するだろう、しかし、私の青春に、パリに終わりはけっしてこない―フィッツジェラルド、ベケット、ジョイス、デュシャン、ペレック、ゴダール、ボルヘス、カフカ、ヴァルザー、ネルヴァル、ドゥボール、ランボー、マラルメ…etc.作家の修行時代をめぐる、世界文学地図=小説、ついに邦訳!

【著者紹介】
木村榮一 : 1943年、大阪市生まれ。神戸市外国語大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • YO))) さん

    若き日のパリにおける青春の蹉跌を客体化して語ろうとしたが上手くいかない自己をさらに客体化して語ろうとするもそれすら危ういがデュラスやヘミングウェイやボルヘスにいろいろ託しまくったのでOK的なしかしそれもどこまでマジなのか分からん的な端的に言って非常にラブリィな一冊。メタ+アイロニーな読み口はジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」を少しだけ思わせる。

  • 三柴ゆよし さん

    読み、書くという営為について、そして「私」という意識のあり方について、かくも深く切り込んでいる作家が、果たしていま世界にどれだけいるだろうか。読者たる私は本書を読んでいるあいだ、私にとってのパリはどこにあるのだろうという問いを反復し続けることになり、そうすると今度は、無辺際のパリに存在する無数の私という悪夢的なヴィジョンに囚われてしまったが、むろん、私はパリに行ったことなど一度もない。目を凝らして、頁の隅から隅まで、ゆっくりと、氷山の全体を見る者(ヘミングウェイ!)の細心さで、読んでごらんなさい。

  • スミス市松 さん

    最近、結局のところ多くの良質な小説が指し示しているのは「人生は続く」ということではあるまいかと考えはじめている。私は本書を読み、「小説におけるアイロニー」について思い巡らすこととなった。アイロニー、つまり「対象に没入しつつ、そこから一歩引いて対象を客体化し、醒めた目で見つめるという方法で、しかもその対象に自分自身も含まれている」(木村榮一の適確な記述には頭が下がる)。私の場合、「世界中の文学作品を読みたい、文学を通じて世界を知りたい」という気持ちはない。比喩的に言えば文学よりお金の方が大事だと思っている。

  • ふるい さん

    ヘミングウェイのような偉大な作家に憧れるスペイン人の青年がパリで書きあぐねる話。漠然とした憧れを実現させるのはなかなか大変なことだ。みんな何者にもなれずに死んでいって、なれたとしても何かしら絶望を抱えて死んでいく。確かなものはどこにもない、パリにも、世界中どこにも。"しかし、私の青春に、パリに終わりはけっしてこないだろう。"

  • きゅー さん

    エンリーケが文学修行のためにパリに滞在していた若き頃の思い出。彼の憧れの作家はヘミングウェイ。彼のようになりたくて、姿格好から似せようとするけど、失笑をかうばかり。『ポータブル文学小史』等、彼の作品には著名な作家が多数登場してきては、フィクションとノンフィクションのあわいを堪能できる。本作も同様に、彼と同じ時期にパリで暮していた著名な芸術家がここぞとばかりに登場する。しかし彼の持ち味は、雑多なうんちくを小気味よく、あるいは「ポータブル」に開陳するところにあると思う。

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