洟をたらした神

吉野せい

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784167341015
ISBN 10 : 4167341018
フォーマット
出版社
発行年月
1984年04月
日本
追加情報
:
230p;16

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読書メーターレビュー

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  • 新地学@児童書病発動中 さん

    読み飛ばすことができないような緻密で美しい文章で綴られる昭和の農民の生き様。貧しくて救いようのない生活の中にある詩情を吸い上げようとする作者の姿勢に心を打たれた。特に我が子の死を描いた「梨花」は辛い内容で読んでいて涙がこぼれた。医療が発達していなかった昔の日本ではこのようにして死んでいった子供がたくさんいたに違いない。そんな子供たちのための鎮魂の記だという気がした。「鉛の旅」も貴重な時代の証言で、大切な働き手を戦争に取られる悲しみが描かれている。

  • 佐々陽太朗(K.Tsubota) さん

    「序」として詩人の串田孫一氏が文章を寄せていらっしゃる。吉野せい氏の文章を「一度ですぱっと木を割ったような、狂いのない切れ味」と評された。しかし、私にこの文章は合わない。最初に収められた短編『春』の書き出しはこれだ。「春ときくだけで、すぐ明るい軽いうす桃色を連想するのは、閉ざされた長い冬の間のくすぶった灰色に飽き飽きして、のどにつまった重い空気をどっと吐き出してほっと目をひらく、すぐに飛び込んで欲しい反射の色です。」 これを読んだ瞬間、あぁ、これはダメだと直感した。社会主義思想のにおいも好みじゃない。

  • やんこ さん

    「老いて」-年齢がかもす当然の諦観ではないかと大方は淡くしろっぽくわらうだろう。老いぼれのつまらぬ意地さと、老いることを知らぬ青春は鼻に不適の皺をよせるだろう。それも真実、これも真実、その何れにも私は湖面のようなしずけさで過ぎたいと切に希う- 引用したい文章がたくさんあった。大地と共に生きた強く逞しい女性の生涯。人生の断片が、細やかに、そして鮮やかに、時として憂いをおびて描かれている。出会えて嬉しい作品。

  • rapo さん

    中学の国語の教科書に載っていて、当時は難しい文章だと思った。貧しい生活の中で逞しく生きる我が子を見守る母親としての目線だったが今また全体を読み直すと、開拓農民として詩人の妻として、そして母親として力強く生きた女性の人生が浮かび上がる。辛さの中にも自分の選択した生き方に幸せを感じていたのだと思う。自然の厳しさや美しさの描写はそこで暮らしたからこそ。赤ん坊だった娘の死には心が痛んだ。老後は家族と共に穏やかに暮らしたことを願わずにはいられない。

  • うにこ。 さん

    詩や小説をものし、詩人の夫と結婚し、福島の開拓農民として半生を生きた女性の書いた小説。荒地でひたすら土と汗にまみれて働く日々のひとこまひとこまが丹念に綴られます。戦前、戦時下の農民の生々しい日常に触れられる興味深さ、そこに生きることの辛さとささやかな幸福、それを見過ごさず拾い上げる感受性と何十年経ってもそれを覚えていて小説として文字に綴る記憶力。どれも目を見張るものがあります。末娘の梨花にまつわるお話がとても印象深く、抑えた筆致だというのに強く胸を衝いてきます。

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人物・団体紹介

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吉野せい

1899年(明治32年)、福島県小名浜(現いわき市小名浜)生まれ。高等小学校卒業後、検定で教員資格を取得し小学校教員を務める。1921年(大正10年)吉野義也(詩人、三野混沌)と結婚し農業に従事。70歳をすぎてから筆をとり、75年(昭和50年)『洟をたらした神』で第六回大宅壮一ノンフィクション賞、第

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