北アルプス この百年 文春新書

菊地俊朗

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784166603473
ISBN 10 : 4166603477
フォーマット
出版社
発行年月
2003年10月
日本
追加情報
:
18cm,242p

内容詳細

ウェストンが山麓でまず頼ったのは誰か。近代の登山史を、幕藩体制の時代から山々を否応なく生業の場とし、近年では遭難時に救助態勢を組まざるを得ない“地元”の苦闘の視点から捉え直した画期的な北ア史。

【著者紹介】
菊地俊朗 : 1935年、東京生まれ。早大卒。信濃毎日新聞入社。社会部長、常務取締役松本本社代表などを歴任、現在、監査役。記者時代より山岳遭難、山岳環境問題を追求。この間、64年、長野県山岳連盟を中心とするヒマラヤ・ギャチュンカン登山隊に隊員として参加。その遠征報道で日本新聞協会賞(編集部門)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • けんとまん1007 さん

    以前は、よく山に登っていた。特に、北アルプスの一部。立山、薬師岳、穂高岳あたりを中心に登っていたので、ここに出てくる山小屋や新道も馴染のものが多い。確かに、それを作る大変さ、維持することの大変さは、想像してはいたが、その歴史を読むと、また新たな思いが湧き上がってくる。先駆者の動きだけでなく、意外に泥臭い部分もあるんだとわかった。そして、山小屋であれば、経営するという視点の重要性もだ。まあ、当たり前のことではあるのだが。また、山小屋へ行きたくなってきた。

  • キムチ さん

    偏見承知で言えば、やっぱ北アルプス!・・の私。 表・裏銀座、後立山、この夏の栂海の美しい事。 しかし、遭難100年史とも言うべき、記載の内容には首を垂れる。 でも、今秋も、来夏も予定は北アルプス。 内容は殆ど山小屋間の連携交渉。山小屋といえ経済問題社会問題に背を向けられぬ事で、地元ならではのメリハリの効く筆致。 随所に名前の挙がる上人(播隆等多彩)が行う登山→開山が興味深い。百瀬、松沢一族はつとに有名だが、他にも山荘経営者の苦労をざっと解説している。 佐々成政のアルプス針の木越えは何やら悲壮なロマンが漂う

  • toshio さん

    以前、住んでいた安曇野市。家から車で5分の距離に牧地区があった。何度か行ったことがあったが、本当にさびれた地区で、よそ者としては、なぜ山裾にこんな大きな町があるのか不思議でならなかった。中房、常念との位置関係から、確かに常念山脈の玄関口であることが頷ける。また、穂高神社の由来が常念岳の古い呼び名のひとつ【秀高岳】からきている説にも大賛成である。安曇野穂高神社が穂高連邦の鎮守の神社であることは、地形的に考えて絶対におかしいと思う。

  • Shoichi Kambe さん

    *松沢貞逸→白馬山小屋*百瀬慎太郎→対山館、針ノ木谷「大沢小屋」*赤沼千尋(ちひろ)慎太郎の弟分→燕山荘→学校登山昭和40年前後が一番多かった。一夏に50〜60校、8000人からの生徒が泊まった。 *上高地周辺の宿泊施設 島々を中心に村内の人が創業したもの…嘉門次小屋、徳沢園、西糸屋山荘、清水屋ホテル、明神館 温泉と観光を見込んで明治、大正期から村外の人が創業したもの…上高地温泉ホテル、五千尺ホテル、五千尺ロッジ、山のひだや 上高地一帯での業務の関わりから村外の人が創業したもの…ホテル白樺荘、大正池ホテル

  • Ucchy さん

    読書メーター 北アルプスの登山の歴史。特に山小屋経営に関する記述が手厚い。槍ヶ岳登山は今は上高地からが普通だが昭和初期までは中房温泉から燕岳に登り南に縦走するのがメジャーだったとは興味深い。「山と高原地図」〈槍ヶ岳・穂高岳、白馬岳〉を拡げながら読めば面白いこと請け合い。先月涸沢に行ってきたが今度は槍ヶ岳、燕岳、白馬岳にも行ってみたい。著者も認めているとおり記述は長野側に片寄っており立山、黒部など富山側は記述が薄い。

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