明治人の教養 文春新書

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784166602933
ISBN 10 : 4166602934
フォーマット
出版社
発行年月
2002年12月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
18cm,198p

内容詳細

日本的「教養」とはいかなるものであったのか。近代日本の教養形成の担い手となった知識人たち、森外三郎、狩野亨吉、西田幾多郎らを、日記・書簡・随筆などを通してたどり、新たな教養構築の可能性を探る。

【著者紹介】
竹田篤司 : 1934年、愛知県生まれ。東京教育大学哲学科卒。同大学院博士課程(仏語仏文学専攻)中退。愛知県立大学助教授を経て、現在、明治大学教授。専攻はフランス哲学、近代日本思想。他に、スペイン思想史に関心を持つ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • バカボンのパパ さん

    昔の人、明治生まれの人は、教養の深さと懐の深さが、現代人と較べて格段に違うように感じました。

  • それん君 さん

    "なまじ知的であるが故に「無知の知」へ現代人は至ることができない"この一節がグサッときました。僕の解釈があっているのかわかりませんが、思うに、自分と反対の意見であれば相手が間違っているって人間は思いがちだったりするのかなと。自分が学んでいるから相手より知識や見識が高くて当然であるかのように振る舞ってしまう。それを止めて自分をある程度疑うことも必要だという解釈でいいのかな?加えて、"禁欲によって精神の飢餓感を保持することが重要"も感心しました。例えば断食をすることで食の有り難みを感受することができるなぁと。

  • うえ さん

    「男爵・九鬼隆一の四男・周造と天野貞祐は、一高時代、無二の親友だった…天野と倫理学。人と学との取り合わせの妙を、これほど見事にしめしているものは又とあるまい。カント『実践理性批判』の中の名高い命題「汝なし能う、汝なすべきがゆえに」ほど、天野の人柄に似つかわしいものはない。…九鬼にとって、そのような打ってつけの分野は何であったろうか。九鬼の中の「九匹の鬼」が、九鬼の豊穣多彩な才能と可能性を、それぞれ伸長させると同時に、深い混迷にみちびいた。そしていわばカオスのまま、少なくとも模索のまま、早過ぎた死を迎えた」

  • スズツキ さん

    著者のありきたりな情報化社会と日本語についての見解はありがちで脱力したが、本題は面白い。教養とは「人間の精神と営為に対し高度な秩序をもたらすに至る無形の知的エッセンス」という定義もなかなか。西田幾多郎の「悉く書を信ずるは書無きに如かず」はジーンとくるが、これも後半のドン・キホーテの例に表されるようなことがあってからよね。

  • RYU さん

    近代日本の知識人(森外三郎、狩野亮吉、西田幾多郎、河上肇、安倍能成、九鬼周造ら)の人格形成の過程を辿る。教養とは、矛盾や切れ目を見せることなく、新と旧、洋と和、西と東を融合し、抜群の知性、観察力、読書力によって、新しい日本文化の基礎を築きあげさせた、柔軟かつ強靭な統一的センス。

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