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Complete Symphonies : Michael Sanderling / Dresden Philharmonic (11CD)

Shostakovich

User Review :4.5
(2)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
19075872462
Number of Discs
:
11
Format
:
CD
Other
:
Limited,Import

Product Description


ドレスデン・フィルに空前の黄金時代をもたらした
ミヒャエル・ザンデルリング渾身のショスタコーヴィチ全集、遂に完結。


古典派までは対抗配置の軽快かつ透明なピリオド・スタイル、ロマン派以降は通常配置の重厚なロマン派様式と、演奏する作品によってオーケストラの配置も含めた演奏スタイルを根本的に変化させ、作品に最も適した表現を持ち込む・・・これがドイツの名指揮者クルト・ザンデルリングの三男で、現在ヨーロッパで最も熱い注目を集める指揮者ミヒャエル・ザンデルリングがドレスデン・フィルで確立した方法論といえましょう。
 その成果はこのコンビが2015年から始動したベートーヴェンとショスタコーヴィチの交響曲全曲録音プロジェクトに存分に盛り込まれています。「ベートーヴェンは西洋音楽の根幹の一つである交響曲を完成させた作曲家であり、一方ショスタコーヴィチは交響曲というジャンルの締めくくりを宣言した作曲家である」というザンデルリング独自の視点をもとに進められてきたこの録音プロジェクトは、これまで「第6番『田園』と第6番」、「第3番『英雄』と第10番」、「第1番と第1番」、「第5番と第5番」、「第9番『合唱』と第13番『バビ・ヤール』」という独自のカップリングによる5組のアルバムが発売され、両方の作曲家が共有する魅力的な側面を明らかにしてきました。そして2018年9月には一足先にベートーヴェンの交響曲9曲が全集としてまとめられ、さらに今回、彼の退任に合わせてリリースされるのが、これまで未発売だった10曲の交響曲を含むこの「ショスタコーヴィチ:交響曲全集」です。一人の指揮者が同一オーケストラとこれほどの短期間にベートーヴェンとショスタコーヴィチの交響曲全曲を録音したことはおそらく過去に例がなく、その意味でもM.ザンデルリング入魂のプロジェクトといえるでしょう。
 ミヒャエル・ザンデルリングの父クルトは、ソ連時代から生前のショスタコーヴィチと深い親交があり、東ドイツに移ってからもショスタコーヴィチの作品を積極的に演奏し続けた(録音も第1・5・6・8・9・10・15番が残されています)。ミヒャエルの生まれた1967年の時点でショスタコーヴィチはすでに交響曲第13番までを書き上げていたことになります。ミヒャエルにとっては自分の成長とともに歩んできた音楽であり、他の音楽家には成し得ない独自の関わりを保ってきた作品でもあるのです。
 ピリオド演奏スタイルを徹底的に貫き、早めのテンポと軽めの響きで、各声部が織りなす綾を透明に浮かび上がらせたベートーヴェンとは異なり、ドレスデン・フィルのいぶし銀の響きを極限まで生かし、「重厚」と「諧謔」の対比を見事に描いています。そこにはファシズムと戦争の影が背後にある環境の中で作曲された「悲歌」や「孤独」が隠されており、そうした秘密のメッセージを浮かび上がらせる独自の解釈は、ショスタコーヴィチ演奏の可能性をさらに拡げるものといえましょう。優れた音響効果で定評のあるルカ教会とリノヴェーションされて最新鋭のコンサートホールとして生まれ変わったクルトゥーアパラストの2か所でセッションをメインに収録されており、緻密に仕上げられている点もこの新たなショスタコーヴィチ全集の魅力の一つです。

【ミヒャエル・ザンデルリングによるコメント】
『ショスタコーヴィチの音楽は、演奏家としての私の人生に最も根本的なやり方で影響を及ぼしてきた。私が若いチェロ奏者で室内楽奏者だった頃、私はこの音楽と親密な関係を結ぶことができた。それからオーケストラの奏者となり、のちに指揮者になると、私はたびたびその虜となり、幾度となくその強力な催眠術的パワーを実感した。私がショスタコーヴィチの音楽と初めて出会うきっかけを作ったのは私の父だった。昔を振り返って考えてみると、父はよくショスタコーヴィチの楽譜を家に持ち帰ってきたが、そのことがショスタコーヴィチの音楽を私たち家族の中に根づかせる上で大きな役割を果たしたように思う。
 父がショスタコーヴィチの作品のリハーサルを行う時にはいつも、その作品の真の意味に父が近づき過ぎてしまうという危険がつきまとっていた。父が作品の背景を過剰とも言えるほどの明晰さで説明すると、いつも必ず誰かがそれを採り上げて、その筋の人間に伝えていたからだ。われらが密告者(仮に「ジョン」と呼んでおこう)は、私たち一家がヴォルコフ一派と通じているのではないかと疑っていた。ヴォルコフ一派とは、ソロモン・ヴォルコフが編纂したショスタコーヴィチの回想録が基本的に信頼の置けるものだと信じ、それに従ってショスタコーヴィチの音楽を解釈した人々のことである。ショスタコーヴィチの音楽はいろいろな方法で暗号化されて〜例えば引用という手法によって、あるいはわざと誤解を招くように記されたメトロノーム記号や楽章タイトルによって〜いるのだが、ヴォルコフの本はそのような音楽の内容を暴く手助けとなっていた。だがジョンにしてみればそれはまさに「反ソヴィエト主義、反共産主義が表れたとりわけ危険な例」であり、「社会主義システムに向けられたあからさまに大衆煽動的なプロパガンダ」そのものだった。』(輸入元情報)

【収録情報】
ショスタコーヴィチ:交響曲全集


Disc1
● 交響曲第1番ヘ短調 Op.10
● 交響曲第2番ロ長調 Op.14『十月革命に捧ぐ』
● 交響曲第3番変ホ長調 Op.20『メーデー』

Disc2
● 交響曲第4番ハ短調 Op.43

Disc3
● 交響曲第5番ニ短調 Op.47『革命』
● 交響曲第6番ロ短調 Op.54

Disc4
● 交響曲第7番ハ長調 Op.60『レニングラード』

Disc5
● 交響曲第8番ハ短調 Op.65

Disc6
● 交響曲第9番変ホ長調 Op.70
● 交響曲第12番ニ短調 Op.112『1917年』

Disc7
● 交響曲第10番ホ短調 Op.93

Disc8
● 交響曲第11番ト短調 Op.103『1905年』

Disc9
● 交響曲第13番変ロ短調 Op.113『バービイ・ヤール』

Disc10
● 交響曲第14番ト短調 Op.135『死者の歌』

Disc11
● 交響曲第15番変ホ短調 Op.144

 ミハイル・ペトレンコ(バス:第13番)
 ポリーナ・パスティルチャク(ソプラノ:第14番)
 ディミトリー・イヴァシュチェンコ(バス:第14番)
 MDR合唱団(第2番、第3番)
 エストニア国立男声合唱団(第13番)

 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
 ミヒャエル・ザンデルリング(指揮)

 録音時期:
 2015年3月16,17日(第6番)、2016年8月23-26日(第8番)、2015年9月8-10日(第10番)、
 2017年2月14-16日(第7番)、2017年3月23,24日(第1番・第2番)、2017年5月26-29日(第12番)、
 2017年10月9-11日(第5番)、2018年2月10-14日(第13番)、2018年6月29日〜7月3日(第11番)、
 2018年10月6-8日(第9番)、2019年2月12-15日(第15番)、 2019年1月12-18日(第3番・第4番・第14番)

 録音場所:ドレスデン、ルカ教会(第1,2,6,7,8,10番) クルトゥーアパラスト(第3,4,5,9,11-15番)
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


【ショスタコーヴィチの交響曲について】
■交響曲第1番
交響曲第1番は、レニングラード音楽院作曲科の卒業制作曲であり、当時「現代のモーツァルト」とまで讃えられたという作品。ストラヴィンスキーやアルバン・ベルク、シェーンベルクの影響のほか、ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスの引用もおこなわれ、全体は機知に富む仕上がりを見せています。
■交響曲第2番『十月革命に捧ぐ』
ソ連政府による規制がまだおこなわれていなかった1927年に書かれた作品で、若きショスタコーヴィチの斬新なアイデアや前衛的な手法が盛り込まれた、演奏時間18分ほどの小規模な交響曲。長年に渡ってロマノフ朝に苦しめられてきた民衆と、その蜂起、勝利を描いたもので、合唱も交えながら最後にはレーニンを賛美して締めくくるという構成で、27声のフガートや無調部分、サイレン音など聴きどころの多い作品です。
■交響曲第3番『メーデー』
ショスタコーヴィチ23歳のときの作品。第2番と同じく前衛的な雰囲気もありますが、曲の終わりには農村を賛美する合唱が付くという体制寄りの要素もあり、平和的な雰囲気を表現したと作曲家自身が述べています。緊張感の持続と、合唱を伴う最終部のはじけっぷりが印象的。
■交響曲第4番
作曲者自身が「自分の書いた最高傑作、第8番よりももっと良い出来」と語るこの作品は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも特異な経緯を持ついわくつきの音楽。30歳の時に完成した画期的な交響曲であり、リハーサルの途中で作曲者みずから発表を中止。紆余曲折を経て、実に25年後の1961年、〈雪解け〉といわれる状況の中、コンドラシンの指揮でようやく初演が行なわれたというものです。
その後の成功予定作(?)の第5番と較べると、この第4番は余りにも斬新かつ凶暴であり、前年に当局に批判されたポポフの交響曲第1番や、自身の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の二の舞になることをショスタコーヴィチが恐れたのも無理からぬことだったのでしょう。
確かに、この問題作から感じられる異様なまでの激しさ、力強さ、残虐さは比類のないものであり、それらに戦争や圧政の影を結びつけて考えるのも自然なことかもしれませんし、また、並存する諧謔的な表現についても、複雑なアイロニーの発露と考えれば納得も行きます。
とはいえ、そうした時代背景への認識を抜きにしても、マーラーの2番や7番、1番、マイスタージンガーの引用(パロディ)を経た大音響地獄の果てに、最後は美しく静かなコーダに収斂されてゆくという重層的な構図は、交響曲好きにはたまらないところです。
■交響曲第5番
ショスタコーヴィチの交響曲の中で最も人気のある作品。天候不順と農政失策が引き起こした大飢饉によるソ連国民の餓死者500万人以上ともいわれる1930年代、スターリン派の政治家が対抗勢力に暗殺されたことに激怒したスターリンが政治的な大粛清を開始、その犠牲者もほどなく数百万人規模に達し、第二次世界大戦前ながら、すでにソ連国内の社会不安は極点に達していました。
 この時期、ショスタコーヴィチは自信作ながら問題作でもある交響曲第4番をすでに完成させていましたが、最悪の場合の拒否反応を想定して初演をとりやめ、社会不安に打ち克とうとするかのような交響曲第5番を新たに作曲、社会主義リアリズム的な明解さをも表現して大成功を収めています。
■交響曲第6番
1939年に書かれた交響曲第6番は、通常の交響曲スタイルでの第1楽章にあたる部分が無く、いきなりラルゴの緩徐楽章で開始され、その後、アレグロのスケルツォ→プレストのフィナーレと速度を上げて行きます。身近に迫った戦争への不安を描いたかのような緩徐楽章に続き、そうした不安を払拭するような楽しげなスケルツォと、やたらに快活でどこかカラ元気の気配もあるフィナーレが演奏される作品。
■交響曲第7番『レニングラード』
第8番と並び迫力ある戦争交響曲として人気を博す第7番『レニングラード』はショスタコーヴィチの書いた交響曲の中では最も規模の大きな作品でもあります。レニングラードがドイツ軍に包囲されたのは1941年9月のことで、以後、1944年1月まで包囲戦は続き、67万人とも100万人以上とも言われる市民が飢餓や砲撃、爆撃によって犠牲になっています。ショスタコーヴィチは包囲戦開始の少し前に作曲を開始して約4カ月で完成、翌年、初演前に作品はスターリン賞1席を受賞し、続々と海外でも演奏されるようになり、1943年3月、ショスタコーヴィチはモスクワ音楽院教授に就任しています。防衛戦のなまなましい光景に強い印象を受けて作曲されただけに、当初は各楽章に「戦争」「回想」「祖国の大地」「勝利」という副題が付され、プロパガンダ交響曲の様相も呈していましたが、のちに副題は撤回されています。
■交響曲第8番
かつて『スターリングラード交響曲』とも呼ばれていたこの作品は、戦争の酷さや悲しみ、虚無感を投影したものとして、壮大・激烈な音響にさえ独特のペシミズムやパロディ感覚、アフォリズムの精神が備わるという含みのある重層的な性格を持っているのが特徴。
■交響曲第9番
1945年に書かれた第9番は、第7番、第8番と同じく戦争交響曲と呼ばれる作品ながらも、ずっとコンパクトでシニカルなイメージの強い音楽。戦勝記念を期待した当局に対する皮肉ともとられたこの第9番は、それゆえに強い批判に晒されショスタコーヴィチの立場を危ういものに追い込みました。
■交響曲第10番
スターリンの死の直後に発表されたこの第10番は、第1楽章にリストの『ファウスト交響曲』、第2楽章にムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』、第3楽章にマーラーの『大地の歌』の引用を含む意味深な作品。第2楽章スケルツォの迫力あるけたたましい音楽によっても有名で、中間部に傍若無人な行進曲を含むその音楽はスターリンを描いたものとも言われています。
■交響曲第11番『1905年』
1958年にレーニン賞を授与された標題音楽。ロシア革命前夜、「血の日曜日」と呼ばれる軍隊による民衆虐殺の場面でも知られる作品で、ショスタコーヴィチの描写力が冴え渡っています。
■交響曲第12番『1917年』
1961年に完成した交響曲第12番は『1917年』というタイトルを持つ作品。共産党大会の祝賀行事の一環として初演されたこの『1917年』は、1917年10月のロシア革命とレーニンに関するものとされています。作曲当時のソ連は、フルシチョフ書記長のスターリン批判のもたらした「雪解け」ムードの中、領空侵犯してきたアメリカ軍のU2偵察機の撃墜&パイロットの裁判により、米ソ関係が緊張を迎えることになった時期でもあります。
交響曲第2番『十月革命に捧げる』と共通の素材も用いられるこの作品は、レーニンにより実現した、ロマノフ王朝の圧政に対する蜂起と革命理念を描いたもので、その後、レーニンの死により、スターリンに踏みにじられることとなった実際のソ連を考えれば皮肉な作品とも言えますが、楽曲中には革命歌の引用などもおこなわれており、革命当初の姿を歴史的視点から捉えるという意味合いでは、真実味の感じられる音楽でもあります。
■交響曲第13番『バビ・ヤール』
ショスタコーヴィチの13番目の交響曲は、その歌詞内容を巡って初演当初から大きな反響をよんだ作品です。膨大な打楽器群を伴う大編成のオーケストラに男声合唱、バス独唱を要し、1時間にも及ぶこの問題作の焦点は、第1楽章のテキストであり、作品全体のタイトルともなっている詩「バビ・ヤ-ル(バービイ・ヤール)」にあります。
 エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・エフトゥシェンコ[1933-]の手になる詩「バービイ・ヤール」は、1961年9月19日に「文学新聞」紙上で発表されました。当時28歳、新進気鋭の若手詩人によるこの詩は、第2次大戦中、ナチス・ドイツによってキエフ郊外のこの地でおこなわれた周辺ユダヤ人の大虐殺(2日間で33,771人)を直接のテーマとしながら、ロシアで帝政時代から根深く続いていた、そして当時のソヴィエトにあっては事実上蔓延していたとされる、反ユダヤ主義の告発を主眼とする、いわば、ソヴィエトの恥部を暴くような内容だったのでした。
 このような詩が、公式筋からの猛烈な批判を浴びつつも熱狂的な支持を生んだ背景には当時のソヴィエト政府が「雪どけ」といわれる緩和政策のさなかにあったことが第1に挙げられます。スターリンの死後、「思想から経済へ」と踏み出し、西側諸国との平和共存をうたった共産党政権の転換は、ヴァン・クライバーンのチャイコフスキー・コンクール制覇や、オイストラフ、リヒテル、ギレリスらの渡米公演など、多くの文化的な功績も残しましたが、一方で、そうした自由な空気の流入は国内言論の緩和という形であらわれ、自由な論説を展開する「雪どけ派」といわれる知的言論人を生み出してもいたのでした。エフトゥシェンコは、そうした言論人の急先鋒でした。
 ショスタコーヴィチが、いつこの詩を自らの題材に選んだのかは明らかではありませんが、1955年にバービィ・ヤールを実際に訪れたことがあったという彼が、この若い詩人の作品に心を惹かれなかったはずもなく、詩が発表されて約半年後の1962年3月には、後に第1楽章となる『バービイ・ヤール』が完成、当初は合唱付きの交響詩として完結する考えだったようですが、持病の右手神経症治療で入院中(同年7月21日まで)に、エフトゥシェンコの詩集「両手をふりあげ」から素材を探し、最終的に全五楽章の大作へと発展したのでした。異なる素材を選び出し、有機的に関連付けていったショスタコーヴィチの文学的センスは、この頃にはショスタコーヴィチと親しくなっていたエフトゥシェンコ本人をも驚嘆させたそうですが、さらに驚かされるのは、第一楽章以外の四章がすべて入院中に完成されたことで、記録によると、最終楽章「出世」が完成したのは退院の前日、7月20日とされています。
 この年の秋、ショスタコーヴィチは友人数人を自宅に招き、その13番目の交響曲を披露しています。持病のため以前のようには達者とはいかなかったようですが、ショスタコーヴィチは声楽の主要な旋律を歌いながら全5楽章をピアノ演奏、それぞれの楽章の前にはエフトゥシェンコが詩を朗読したそうです。限られた招待客には、作曲家仲間のハチャトゥリアンとヴァインベルク、歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤ、そして、この作品の初演を担うこととなるキリル・コンドラシンの姿があったとされています。
 初演は1962年の12月18日、コンドラシン指揮のモスクワ・フィルその他によっておこなわれましたが、ただちに当局の非難にさらされます。国家のタブーに触れた詩作、それを用いて新作を書いた国際的にも著名な作曲家という取り合わせは、いかに「雪どけ」のソヴィエトにあっても見過ごされることはなかった、というべきでしょうか。この頃には「雪どけ」の行き過ぎた緩和政策を見直す気運が共産党政権内で次第に高まっており、同年10月に終結をみた“キューバ危機"を「アメリカに対する政治的敗北」とする意見の台頭もあり、自由な気風は急速に去りつつあったようです。初演当日のバス歌手のエスケイプや、当初、初演の指揮をレニングラードでおこなうはずだったエフゲニー・ムラヴィンスキーが不可解な理由から指揮を断った背景に、政治的な圧力をみる意見もあります。そしてそのことは、ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの長年にわたる友情に最終的な終結をもたらしたともいわれています。
 初演後、第13交響曲は共産党政権から歌詞の一部改定を指示され、1963年2月に改訂歌版で再演、その後1965年にも同じく改訂歌詞で演奏されますが、その後は長く封印されてしまいます。初のレコーディングは、初演、再演とも指揮を務めたコンドラシンによって1967年におこなわれますが、原典歌詞の復活を求めた関係者の努力もむなしく、改訂歌詞での録音となりました。ソ連におけるこの原典歌詞による録音の解禁は、1985年のロジェストヴェンスキー盤まで待たねばなりませんでした。ソヴィエト以外では、当然ながら、1970年1月のオーマンディ指揮によるソ連国外初演&初録音から一貫して原典歌詞が用いられています。  
■交響曲第14番『死者の歌』
弦楽合奏と打楽器群によって演奏されるこの交響曲第14番は、死にまつわる11のテキストに付曲した作品。グレゴリオ聖歌が引用されガルシア・ロルカの色彩豊かな光景を彷彿とさせる死者への祈りの詩を用いた第1楽章「深き淵より」から、コサックが「おまえの母ちゃんでべそ」的な悪口をスルタンにまくしたてる第8楽章のような音楽にいたるまで実に幅広い死のイメージを内包しており、ショスタコーヴィチが単なる静謐で美しい死のイメージといったようなものではなく、もっと複雑で現実的な痛みや苦み、恐れといったものまで表現しようとしていたことは明らかです。
■交響曲第15番
ショスタコーヴィチ最後の交響曲で死の前年に書かれています。晩年のショスタコーヴィチは、勲章授与などさまざまな栄誉に浴し、なおかつ要職にも任ぜられるなど社会的には厚遇の中にありましたが、一方で右足の骨折や、二度の心筋梗塞などによる健康面での不安に苛まれてもいました。交響曲第15番では、ロッシーニ、ワーグナー、ハイドンの作品のほか、自作の交響曲第1番、第2番、第4番、第7番からの引用がおこなわれ、パロディ作品としての側面が強くなっている一方、第2楽章アダージョでは、晩年ならではの独特の暗い美しさを示しているのが印象的。(HMV)

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あまり期待せずに聴き始めた部分もあります...

投稿日:2019/10/12 (土)

あまり期待せずに聴き始めた部分もありますが、全曲を聞き終えた今は大きな満足感に包まれています。勢いに任せたり、大袈裟な表現をすることは全くなく、作品への共感に満ちた充実した演奏が繰り広げられています。特に第9番は軽薄さの欠片もない素晴らしい出来だと思います。敢えて物足りない点を挙げれば、第8番の第1楽章に一層の緊張感が欲しかったことと、第13番の独唱に深みが欠けていることくらいでしょうか。通常のCDですが録音も良好で、お勧めできます。

好事家 さん | 千葉県 | 不明

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ベートーヴェンとの組み合わせで出た最初の...

投稿日:2019/09/15 (日)

ベートーヴェンとの組み合わせで出た最初の何曲か、特に第5番/6番/10番の不甲斐なさに見限りたくなった全集だったが、全部出てみれば、そんなに悪くない演奏も含まれている。少なくとも今世紀に入ってからの全集ではヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィル、目下録音進行中のネルソンス/ボストン響の次ぐらいには位置しそうな出来ばえ。番号順に気に入った曲を列挙すると、まず第4番。欲を言えば、もっと尖鋭さが欲しいが、構えの大きな演奏で、曲の破格のスケールはちゃんと感じ取れる。第7番「レニングラード」は皮相などんちゃん騒ぎに終わりがちな曲だが、地に足のついた着実な解釈は好ましい。第8番も両端楽章など非常に丁寧な演奏、後はここぞという所での爆発力があれば。第9番第1楽章では故意にひっかかるようなフレージングで、単なる擬古典交響曲ではない、屈折した作品であることを分からせてくれる。 そして最後の3曲がとても良いのが、この全集の取り柄。第13番ではエストニア国立男声合唱団が見事だし、ミハイル・ペトレンコの独唱も理想的。陰鬱な曲だが、こういう所ではこの指揮者、とてもうまい。次の第14番もいい。元チェリストだった指揮者だけに弦楽合奏の扱いに慣れているようだし、パスティルチャクのヴァルネラブル(被虐的)な歌い方は「自殺」などで大いに映える。イヴァシュチェンコも少し粗いが、立派な声だ。お父さんの得意曲だった第15番も細やかな神経のかよった素晴らしい出来。これが全集最後の録音だけにオケもすっかりショスタコの書法に馴染んでいる。

村井 翔 さん | 愛知県 | 不明

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