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『TOCHKA』 公開記念! 「TAO」 第5回 :ゲスト→松村浩行 2

Thursday, November 12th 2009

僕は、表現っていうのは「人間を見ること」だと思うんですよね。



---  『TOCHKA』を拝見させて頂いて、「作家性が強い映画だな」と思ったのですが、”作家性”というのは松村さんにとって大事なことですか?


松村: 特に映画の分野では”作家性”ということが・・・たぶんヌーベルヴァーグとかから後っていうのは、持ち上げられたり蹴落とされたりいろいろあると思うんですけど、他のジャンルにはちょっとないような動きがあったと思うんですね、歴史的にね。で、僕が映画美学校とかに入学した頃っていうのは、”作家性”が非常に否定的に捉えられていたんですよ。実際、「物を作ってお金をもらう」っていうような場にいる人が教えてるわけですよね。そういう人達からすると、”作家性”を持ち出されると一番やりにくいんじゃないかなって。

例えば、お金を持ってる人が「君の作家性を出してくれ」っていうことを言ってきたとすると、逆に何かそこで止まってしまう・・・つまり、自分の内側だけに何か表現が限定されてしまう。個人の”作家性”なんていうものよりも映画はもっと大きいはずだっていう思いがあるから、安易に”作家性”を持ち出してしまうと、常にそちらが顕要されてしまって、「映画そのものの力を殺いでしまうんじゃないか」っていう思いがあったと思うんですね。それは、高橋洋さんとか黒沢清さんとか、ああいう方達が美学校の先生として一番知られている方だったんだけれど、そういうような物の考え方があって、僕はそのことを非常にわかるんですよ。で、ある意味当たってると思う。例えば、僕が地元で映画を観てた頃っていうのは、非常に”作家性”の強いものばっかりを観ていた。でも、その人達が観ていたもう一個先に遡ると、ゴダールであれ、カウリスマキであれ、彼らが観てたものっていうのは、商業的な通俗映画なんですよね。で、そういうものを汲み取って、映画っていうものにアプローチしていく中で、”作家性”っていうものはあとから出て来たものであって、決して自分のスタイルっていう・・・自分で企画して、プレゼンテーションしているわけでは全くないんですけど、それが正しいやり方で、結果として非常に”作家性”の強い、こだわりの強い映画だって思われることは光栄でもあるし。

僕は表現っていうのは「人間を見ること」だと思うので、その人間という意味での”作家性”なら僕は非常にいいことだと思うし、それは普遍的なことだと思うんだけれど、きっと、映画を企画して、何かを作ろうと思った時に最初に自分の”作家性”っていうものを他の世界、社会から守ろうとするときっと、何かよからぬことが起こるような気も一方でするんですよね。だから、そこはあんまり考えないようにしてます。


--- 「映画やろう」と思われてからすぐに、映画美学校第二期フィクション科で映画制作を学ぼうと?


松村:ちょうどその頃出来たんですよ。一期生を募集している時は僕はお金がなかったんで入れなかったんですけど、技術を学びたいと思ってたんですよね。今と違ってデジタルで映画を撮るってことがあくまでフィルムの代替手段でしかなかったんですね。わずか10年ちょっと前なんですけど。でも、今は全く状況が違っているけれど、あの頃はまず、フィルムで撮るっていうことがやっぱり、理屈抜きの価値としてみんなが共有してたような気がしますね、まだ。だから、16ミリの操作技術を学ぼうと思ってましたね。それだけ学ぼうと思ってましたね、むしろね。あとは一人でというか、「学校とかじゃないだろう」って。「どんどん作ろう」って思ってたんですよね。


--- 技術を学ぶ場所であると同時に、映画を作る環境が整っている場所ですよね。


松村:そういう捉え方で入学しましたね。でもね、やっぱり、入らないと分からないこともあって。学校っていうのはカリキュラムっていうものがあるんですけど、結局そこであるのは、例えば、文字にして企画を出すとかね、今はカリキュラムが変わってるかもしれないけど、やっぱりどこかで作家としてのふるいにかけていくというか、何かを・・・自分自身を見極めなきゃいけないというか、教えてる人達もそれを観たいっていう形で。「いや、俺は技術だけやりたいよ」っていうわけにはなかなかいかないものなので、僕もそこで改めて、「じゃあ、どういうものが作りたいのかな」っていうようなことを拙いなりにも考え始めたって感じですね。でも結局おもしろいというか皮肉なもので、技術は未だに全くわからないんですけど(笑)、もっと適正のある人がたくさんいたというか、役割り的にそちらに付かなかったんですよね、演出部の方に行ってしまったので。撮影をやる人は本当にキャメラに触ってる時間が長い人っていうのは別にいたので、結局、最初の目標とは違う方に転んでしまって。「こんなもんか」って思いますけど(笑)。


--- 初監督『よろこび』(1999年/16mm/32分)が映画美学校製作短編集『Four Fresh! 99』のひとつとしてユーロスペースでレイトショー公開された後、2000年フランス・エクサンプロヴァンス短編映画祭、2001年ドイツ・オーバーハウゼン国際短編映画祭など、海外映画祭コンペティション部門に招待されて、オーバーハウゼン国際短編映画祭では、国際批評家連盟賞を受賞とあって、海外で高く評価されていますが、どのような作品だったんですか?


松村:『TOCHKA』をご覧になられていると、全く違う作品なので驚かれると思うんですけど、僕が当時考えていたのが「“寓話的”な感覚のものを撮りたいな」と思ってたんですね。一人の女の子が主人公なんですけど、彼女が自分でも自覚出来ていないまま、あやしい組織に身を置いてるんです。その組織というのは、そこにいる人達も自分らが何をやってるのかちょっとわからない。その一方でお金をそこで得ているわけです。そういう何かあやしげな組織にいる女の子が徐々に他の人との関わりを通じて、社会性に目覚めていくという・・・(笑)。最終的にはそこを飛び出していくんですけれども。話だけすると青春ものみたいに感じられるかもしれませんが、もっと無邪気なというか、多少子供っぽい道具立てで映画にしていったような作品で、今よりももっと遊んでる映画ですね。


--- その後、ブレヒトの教育劇に基づく実験作『YESMAN NOMAN MORE YESMAN』(2002年/DV/70分)を発表されて、こちらは2003年京都国際学生映画祭で準グランプリを受賞とあります。実験作だったんですか?


松村:一応そういう風には書いてるんですけど、もちろん、実験をしようと思って撮ったわけではなくて、ただ、周りの目はそういう風に見てたっていうことなんですけど、これは最初の作品とは違ってテクストがあるんですけど、ブレストが30年代に書いた教育劇の中の一編で、それを映画にしたいと思って。ほぼ、戯曲の構成通りに撮った作品ですね。


--- 実際の内容というのは?


松村:戯曲としてもものすごく小さいものなんですね。ブレヒトの大作と呼ばれるようなああいう賑やかさはなくて、教育劇の頃のブレヒトというのはもっと非常にミニマルな作風なんですけど、ある流行している疫病に苦しむ村があるんですね。その村で誰かが隣の村まで薬をもらいに行かなければ自分の村が滅んでしまうという。そこの村の先生と呼ばれる指導者的な役割りの人間と弟子みたいな人間が3人いるんですけど、彼らが危険を冒して隣の村まで村越えするという。その時に一人の男の子が「僕も付いて行く」と。「彼らと一緒になって隣の村まで行って、薬をもらってみんなを救いたい」と。で、実際に行くんですけど途中で病気になっちゃうんですよ。病気になってしまうとものすごく足手まといなんですね。村越えの舞台の中でこの子供を連れて行くとおそらく、「向こう側まで行けないだろう」と。では、この彼を「我々はどうするべきなんだ」っていうことを議論するんですね。そこが一番主眼なんですけど、それによってブレヒトは違う結末を用意してるんですよ。彼らがある時には、ある決断の場で「YES」と言って、ある結末では「NO」っていうことを言って。わかりやすくいうと“マルチエンディング”みたいなものなんですけど。そういうお話ですね。それを映画化した作品です。


--- 70分とほぼ長編と言っていいくらいの・・・。


松村:ええ。その中の連作なんですよね。1本がだいたい20何分とかなんですけど、それが全部合わさると70分で、合わさらないと意味がない内容なんですよね。


--- 2作品とも機会がありましたら拝見させて頂きますね。松村さんは俳優としても映画に出演されたことがあるんですよね?


松村:ええ、そうなんです(笑)。


--- 高橋洋監督の『ソドムの市』や『狂気の海』などに出演されたそうですが、先ほどのお話にもあった、映画美学校の講師と生徒の関係で知り合われたことがきっかけで?


松村:そうです。その作品の前にもう1本『アメリカ刑事』っていう・・・。


--- 『アメリカ刑事』・・・(笑)。


松村:昔、「刑事シリーズ」・・・「刑事祭」みたいなのが流行りましたよね?あれの中の1本で『アメリカ刑事』っていう作品を撮られていて。英会話学校みたいなところの設定なんですけど、非常にデタラメな日本語英語を教えてるっていう謎の組織があるんですけど、何かの陰謀かもしれないんですけど、そこに「そんなデタラメな和製英語を教えてちゃいかん」ということで、いきなりこう・・・テロリストのような男が来て機関銃をぶっ放すという。僕はその生徒役だったんですけど、弾着って言うんですかね、あれを仕込まれて殺されたんですけど(笑)。


--- 殺された・・・(笑)。


松村:弾着の火薬の量がちょっと多くて、青アザになってしまって。もうちょっとその量が多かったら今こうしていないと思うんですけど(笑)。そういう非常に危険な現場も体験しましたね。


--- ご無事で何よりです(笑)。


松村:(笑)。抜かりがないんですね、高橋さんはアクションについては。アクション映画で育って来たような方なので。「サム・ペキンパーの映画で人が撃たれた時の飛び方みたいにして飛んでくれ」って言われたりして。後ろには鉄条網とかがあるんですけど、怖いですよね。僕、ジャパンアクションエンタープライズでもないし(笑)。


--- そうですよねえ(笑)。


松村:そんなところでアクションを培ってきた人間ではないのでね(笑)。


--- いきなり求められても・・・。


松村:そうそう。カメラの前でリハーサルもなく、「じゃあ、やってくれ」って言われてもね。で、その流れで『ソドムの市』が出来たという経緯があるんですよね。『狂気の海』もその後に出来た美学校の実習作品で。


--- 映画には高橋監督から出演オファーがあったんですよね?


松村:そうですね。いきなり電話がかかってきて、「お金は出るから」と。「ちょっと何日かくれ」と言って。


--- 美学校では監督が生徒さんをそういう形で急に映画に出演させたりしていたんですか?


松村:そうですね。高橋さんの前にも黒沢清さんとか、塩田明彦さんとか、いろんな方が撮られていたんですけど、映画には人数が必要なので、「こいつを出させておけばおもしろいんじゃないか」みたいな感覚だったのかなって思いますね。でも、高橋さんの使い方は他の監督さんの起用の仕方とは大きく違うと思います。なぜかと言うと、僕は『ソドムの市』で精神科医「ドクトル松村」という役名で本名で出ているので、何かの間に合わせというよりは完全に当て書きしているという(笑)、非常に特殊なケースだと思います。


--- 松村さんが映画に出演されたのは、大学で演劇専修を学ばれていたこともあってのことだったのかなって思ったんですよね。


松村:全く違いますね。たぶん、何も考えてないと思います、高橋さんは(笑)。何かおもしろいって思ったんじゃないでしょうかね、きっとね。でも全く応えられなかったですけどね、高橋さんの期待にはね。他にもあるんですけど、出演してる作品のリストを増やすと作った映画よりそっちの方が多くなっていくので(笑)。自主制作ですけど時代劇とかもありましたからね、高杉晋作役で。


--- そうですか(笑)。


松村:ええ。ものすごいセリフとか言ってますけど(笑)。







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