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『TOCHKA』 公開記念! 「TAO」 第5回 :ゲスト→松村浩行 1

Thursday, November 12th 2009

それは今でも覚えてるんですけど、朝まだ暗い、4時とか5時にゴミ置き場にゴミを持って行く時に「あ、映画やろう」って思ったんです。



---  最新作『TOCHKA』の完成、おめでとうございます。今作のお話をさせて頂く前に、まずは松村さんのプロフィールから、今までの歩みをお聞かせ頂こうと思っております。本日はよろしくお願い致します。


松村浩行(以下:松村):よろしくお願いします。


---  北海道札幌市の生まれなんですよね?


松村:はい、そうです。


---  そこから、早稲田大学第一文学部に入学されて、演劇専修に進まれたそうですが、演劇専修を選ばれた理由というのは?


松村: 僕は高校生の時、演劇部だったんです。部長だったんですけど、部員が僕を除けば一人とか二人とかしかいなくて、大会とかにも出てるような真面目な演劇青年というわけでは全くなくて、部室が使いたいがためにですね、活発じゃない演劇部に入って。先輩もはじめはいたんですけど、僕らの代にはもういなくなってしまったような状態でしたね。その頃、いろいろ物を書いたりもしていて、映画も好きだったんですけど、そこで何かに振り切れることもなく、かといって「大学に入って研究者になろう」なんていう思いもなく。早稲田は演劇研究会とか自主映画をやられている方もたくさんいるんですけど、僕はそのような気力も当時失ってたんですよね。非常に何か・・・すさんでたんですよね(笑)。その中で研究対象とか何かを向き合って考えるっていうことがないまま、それまでの17〜8年間の自分の関心がぼやっと出ているだけで、あまりそこにね、今につながるようなことさえないのかもしれなかったですね。その程度なんです。


--- その程度?


松村:その程度というか、意識的にわかってるのは、さっき言ったような、例えば自主制作とか芝居の方向とかに行けないんじゃなくて行き切れない・・・行動に心と体が結び付いてないっていうところできっと、何かその中で出来る選択だったんじゃないかなって思うんですよね。その時に例えばね、日本映画学校とか日大芸術学部とか、そちらに針を振り切ることもなく、現場に飛び込むこともなく(笑)、8ミリカメラを回すこともなく。でも何か、「そういうものとちょっとつながりを持ちたいなあ」っていう思いはきっとあったと思うんですけど、僕、その後、学校に全く行かなくなっちゃったんですよ、本当に必要最小限だけで。専門の仲間達と交流を持つとかね、そういう形をどこかで避けてるというか、人離れが非常に加速していた状況でしたね(笑)。一人で中古CD屋とか古本屋行ったりとか、ノートとかには何か書いてるんですけど、そこでこう、キャメラを持つでも芝居をするでもなくて。周りには積極的な人間はたくさんいたんですけど、どこか何かね、そっちの方にエネルギーが持てないというか熟成させられないのは、大学を卒業して23、4歳くらいまで、映画美学校に入るまではずっとそういう感じだったんですよね。


--- その当時、「表現する」ということについて直接関わることを何となく避けてはいても、「でも、やりたい」というお気持ちはやっぱりどこかにあったというのは認識されていますか?


松村:高校の頃は特にあったんですね。中学、高校生の10代の時は。本当にこわいもの知らずというか。その後、東京に出て来てからっていうのは、どこかでね、どのジャンルに自分が一番力を注げるのかっていうようなことをずっと考えてたんですよね。で、僕の中で芝居はほんのちょっとだけね、部活動としてやってたし、好きだったんだけれど、「何か違うな」って思ってたんですね。

映画に関してもね、実は本当に自分が始めるちょっと前くらいまでは、「映画でもないんだろう」って思ってたんですね。で、残ってるのって物を書くことだったんですね。物を書くことのレンジの広さっていうのはやっぱり、いわゆる映像だったりお芝居だったりっていうのとはまたちょっと違う、とてつもない広がりがありますよね。新聞だって文字だし、詞だって文字だし・・・何でもいいんだけれど、そこの中でそういう「言葉の雑多な広がりみたいなものに自分も加われたらな」っていう思いがすごくあって。だから、「物書きになりたいな」っていう風に思ってたんです。


--- 「物書きになりたい」と。


松村:そうですね。「アウトプットするなら言葉だろう」という気持ちはあったんです。自分が触れて、考えて、何かをつかんでっていう作業は全部、「最終的には言葉に落とし込まれていくんじゃないかな」っていう風に思ってましたね。


--- その時に影響を受けた作品や人物を教えて頂けますか?


松村:アメリカの南部でずっと小説を書き続けて死んでいったアメリカの作家で、(ウィリアム・)フォークナーが大好きだったんですよね。フォークナーの作品がものすごく高みにあって、日本の作家の方だと中上健次さんとかはやっぱり、フォークナーに莫大な影響を受けてますよね。フランスだとこの間亡くなったクロード・シモンとかああいう新しい小説を書き始めた人・・・常に先行者としてフォークナーみたいな人がいて、アメリカ南部っていう狭いところにずっとこだわってこられた方なので、そういう姿勢みたいなものを持ってるのはたぶん、今映画で言えば青山真治さんとかにも明らかに影響があるし、きっと何か、僕らよりももっと若い人がジャンルを超えて影響があるような気がしますね。フォークナーの作品を最近はあまり読み返してないんですけど、まとめて時間があったら、元本と和訳を本当に何も考えずにそれだけ読みたいなっていう感じがありますね。


--- 映画でしたら?


松村:映画の場合は、小さい頃は『ロードショー』とか『スクリーン』とかを本当にたのしみに買ってて、思春期くらいまでは映画館のチラシを集めてたりするような少年だったんですけど、高校生くらいになると急にそれが止まり始めて(笑)。僕らがいた時は特に、札幌って映画を観る場所がそんなになかったんですね。今は「シアターキノ」とか「蠍座」っていう映画館があるようなんですけど、僕らがいた高校生くらいの時は「ジャブ70ホール」っていう小さい映画館があったんですよね。東京でいうとユーロスペースとかね、そういうミニシアター系の映画館が80年代にお客さんを集めてた時期のたぶん、札幌版。バブルとともに生まれてきて。そういう映画館が僕が通ってた高校の1つ横にあったんですね。「中島公園」っていう駅の地下なんですけど。当時そこでかかってた映画っていうのが、例えば、ジム・ジャームッシュとかアキ・カウリスマキとかもうちょっと古いものだと、ヌーヴェルヴァーグもそうだし、セルゲイ・パラジャーノフとか寺山修司さんとかね、ああいうアートフィルムよりのものが観れたんですね。観れたというかそこでしか観れなかった。で、そこは古本屋さんとかも兼ねてるんで、ロビーに古本が並んでて、映画のポスターとかスチール写真とかが売ってたりして。だから、そこはすごく居心地がよくて、よく行って、ずーっと観てましたね、お金もないのに。20歳過ぎぐらい、大学生くらいの時まではそういう関心の持ち方ですよね。どっちかっていうと作家寄りっていうんでしょうかね。もちろん、ハリウッド映画も観るんだけど、何か「大切なことはこっちにあるんじゃないか」っていう寄り方。アメリカの作家でもどちらかと言うとヨーロッパ寄りの人の方が好きだったりとか。

でも何かね、一つそこでぽこっと変わったんですよ。それは自分が映画を始めようと思ったちょっと前に僕が大学を出た後くらいだったかな?「(東京国立近代美術館)フィルムセンター」でジャン・ルノワールの全作品を上映したんですよ。それが1996年から97年くらいですね。だから何か「これは観なきゃいけないな」って思って通いつめたんですよ。すごい人でチケットを持ってても入れないっていう状態で階段にずーっとね、人がパンとか食べながら並んでるっていう状態。そこに僕も時間だけはあったんで、毎日行って作品をずーっと観てたんですけど、ルノワールの作品っていうのは一番映画らしい映画を撮る人なんだけれども、同時に一番映画っぽくないんですよ。さっきの活字の世界のお話じゃないですけど、活字の持ってるレンジの広さ、収まりの付かない雑多な感じというのを僕はルノワールの映画に感じたんです。ルノワールっていう人はきっと、職人的な仕事ももちろん出来るんだけれど、ものすごく過激な人なんですよね。映画の壁をバカバカ壊すし、ひょっとしたら映画すら信じてないのかもしれない。「映画がなくなったら死んでしまう」というようなタイプの人ではたぶんなかったと思う。表現者だったと思うんです、本当の意味で。彼にとってはルノワールの方が映画よりもデカかったかもしれないって僕は思うんですけど、その時にどこかで「映画に踏み込めなかった」っていうのはおそらく、「出来ることと出来ないことがジャンルを選択した時点で生まれてしまうんじゃないか」って思ったんですよね。映画の中にもアートフィルムがあったり、実験映画があったり、劇映画があったり、ドキュメンタリーがあったりっていう便宜的なジャンルがあるけれど、ルノワールの作品はそれを全部包摂してるし、なおかつ、全部超えているっていうような感覚を持ったんです。

「あ、これなら映画でいいんだ」っていうことがわかったんですよね。それで「あ、映画やろう」って思ったんですよ。それは今でも覚えてるんですけど、僕はその時まだ江戸川区に住んでたんですけど(笑)、朝まだ暗い、4時とか5時にゴミ置き場にゴミを持って行く時だったんですけど、「あ!」って思って。「映画だよ!」って思ったんです。で、(強調して)すっごい楽になったんですよ、その瞬間に。


--- もやもやしていたものがすとんと腑に落ちるというような?


松村:そうそうそうそう。そこまで何年かかってんだっていう話なんですけどね。それが97〜8年だったので、その前の高校生ぐらいからずっといろいろとやっぱりね、7〜8年の時間っていうのは、何か自分の中であって。で、そこから後っていうのは、違う苦しみはあっても質が全然違いますよね。別の疲労であったり、悩みはあるんだけれど、やっぱり、映画の中で「自分が何かやれることをやりたい」っていう思いなので、今もね、こうやってチラシを1000枚持って都内を駆けずり回ってる時の苦しみとはその時に比べたら苦しみですらないですね。これで「いい判断をしたな」って思ってますね。


--- ルノワールをその時に観ていなかったら、もしかしたら今も映画を撮られていなかったのかもしれないんですね。


松村:ないかもしれないですね。あるいは全く違う形、違うスタンスで臨んでたのかもしれない。きっと、今のような関わり方ではなかったかもしれないですよね。


---  「表現したい」というお気持ちだけは絶対だったんですよね?


松村:そうですね。きっと、何かを作って、それが何か霧が晴れて少しずつ見えてくる時のあの快感、おもしろさっていうのはたぶん他では変えられないと思うので。それは今でもそうなんですけど、結果とかじゃなくてプロセスですよね。結果はもうその都度の限界があるじゃないですか?僕の限界もあれば周りの限界もあるし。でも、プロセスはもう絶対的ですよね、その時間っていうのは。誰にも譲れないというか、譲りようもないんだけれども。共有も出来ないかもしれないですよね。それぞれの思いがあるんでね、僕が思ってるような「作る経験」っていうのは僕だけのものだし、他の人には他の人のものがあるし。形としてはそれがクロスするんだけれど、キャメラマンとかね、その人なりの興奮があるはずなんですよ。それはまた僕の興奮とは違うし、もっと深いものなのかもしれないし、違う角度から入ってるのかもしれないし。やっぱり、それがあるからやりたいって思うし、頭で考えて・・・っていうことではないですよね。






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