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遠藤賢司ロング・インタビュー ≪その弐≫

2009年9月3日 (木)

interview
遠藤賢司


 前作『にゃあ!』から3年、不滅の男エンケンこと遠藤賢司の通算20枚目となる最新録音盤『君にふにゃふにゃ』が、9月9日にいよいよ登場。「ほんとだよ」でのデビューから40年、細野晴臣(b)、鈴木茂(g)、林立夫(ds)といった我が良き友らを招いて、さらに”ワッショイワッショイ”と、さらに”ふにゃふにゃ”となって描かれた悠久のエンケン絵巻にニール・ヤングもすわ防戦一方!?

    最新アルバムのことは勿論、細野晴臣さんとの出会いをはじめ、幼少期のこと、宇宙観、東京、夏目漱石、ボブ・ディラン、蝉くん、河内音頭、そしてニール・ヤングとの対決大願等々・・・デビュー40周年にも「それがどうした!」と、まだまだ続く純音楽道を真っ直ぐ見つめるエンケンさんにたっぷりとお話を伺いました。 




--- アルバムには、細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さんらが参加されています。細野さんとの出会いは、高校時代ぐらいにまでさかのぼるそうですね。

 いや、大学生ですね。俺の友達が細野晴臣と高校が一緒だったのかな?で、その友達と歩いてたら・・・俺はドノヴァンのレコードを持って、片方に大根持ってたんですよ(笑)。四畳半に下宿してたから、買い物帰りで。そうしたら、電話ボックスから「おーい」って、その友達に声かけた男がいて、それが細野晴臣で。彼が「君、ドノヴァン好きなの?」って。その時、俺はギターも持ってましたね。チェック柄のビニール製の薄いケースに入った、「古賀ギター」を持ってましたね(笑)。

--- 古賀政男さんのブロマイドが、中に貼られているっていうギターですよね?

 そうそう(笑)。ホールの中に古賀政男の写真(笑)。そこで、「ドノヴァン好きなんだぁ」って。まぁ当時珍しかったんですよ。趣味が一緒なんだなって思ったんでしょうね。で、「ウチに遊びに来なよ」って、その場からすぐに細野くん家に遊びに行って。そこから知り合いになったんですよね。俺が1つ学年が上なんですよ。だから、俺が19で彼が18ぐらいの頃だったと思いますけど・・・1967年ぐらいに会ったのかもしれないね。曲もまだ作ってなかったと思いますね。作ってたとしても1曲か2曲ぐらい。何しろそれぐらい古い付き合いですね。

 それで、細野くん家に行って、お茶飲んで、お母さんがケーキを出してくれて(笑)、それで、ドノヴァンかボブ・ディランかの歌をでっかい声で俺が歌ってたら、お母さんがガラッと戸を開けて、「静かにしなさい!」って(笑)。細野くんが「遠藤くん、静かにしなって言われたよ」って(笑)。すっごいでっかい声で歌ってたってことだよね(笑)。

--- そうして、現在に至るまで40年以上もお付き合いされてますと、運命的な強いつながりみたいなものを感じたりもしませんか?

 う〜ん、なんかありますよね。「君、ドノヴァン好きなの?」って言われた時からだからね。しばらくして、「ヤング720(セブン・ツー・オー)」っていうテレビ番組に出た時に、そこでまた、たまたま一緒になったんですよね。同じ日に出演して。「今度、アルバムを作るんだよ」って言ったら、細野くんが「君だったら何でも手伝うから、遠慮なく言ってよ」って。それで『Nyago』っていうアルバムを作って、『満足できるかな』につながっていくんだけど。でも、会わない時期もずっとあって、また最近ちょこちょこと会うようになったって感じですね。

--- 『Nyago』は最初、エンケンさんおひとりで録られていましたよね?

 そういうのもありましたね。それを後で、はっぴいえんどとやりたいなって思って。ティム・バックリーみたいなものを聴いて「こういう音いいなぁ」って思っちゃったもんだから。その当時の事務所の人は困惑しちゃったと思うんだけど。出来上がったと思ったら、もう1回録音するって言ってるからね(笑)。そのまま使ってるやつもあるけど、2、3曲ぐらいを、結成したばっかりのはっぴいえんどと録り直したんですよ。「夜汽車のブルース」とか。だから、事務所としてはアタマきちゃったわけですよね(笑)。出来てるのに、「俺ヤダ!はっぴいえんどとやるんだ!」ってやっちゃったから(笑)。あの時は何も考えてなかったな(笑)。

 細野くんや鈴木くんにしても、一緒にやってて、「楽しくて、楽だなぁ」と思ってるだろうし。やっぱり趣味が似ているからでしょうね。ドノヴァンや何かでもそのつながりはあるんでしょうね。その次は、バッファロー・スプリングフィールドだったんだけど。松本隆くん家に遊びに行ったら、押入れの中から「これ、いいんだよ」ってバッファローのLPを出してかけてくれて。他の曲もいいんだけど、「I Am A Child」って曲が飛び抜けていいなって思ったら、歌っているのはニール・ヤングだったんだよね。どこか音楽のやり方が俺に似てるなぁとも思ったね。それで、ニール・ヤングを知って、アルバムを買ったりなんかして。

 その前まではずっと、ボブ・ディランやドノヴァンなんかね。あとは、ジミヘンとかレッド・ツェッペリンとかフーとか、何でも好きだったんですけど。ボブ・ディランのアルバム買うっていってもお金がないから、そんなにしょっちゅう買ってたわけじゃないですよ。たまにちょこちょこっと1枚買ったりして。大事な1枚だったんでしょうね、自分にとっては。お金もないから。

 ディランを最初に聴いた頃って、もう『Bringing It All Back Home』とかも出ていたような・・・でも何しろ、「Like A Rolling Stone」を聴いて、すごいなと思って。

--- ディランのあの浪曲のような歌い回しに、とにかく驚いたそうですね。

 そうですね。「聴いたことねぇなぁ」、「こんな歌い方していいのかなぁ」って、初めは腹立たしかったんですけど。

--- (笑)腹立たしかったんですね。

 「何だこいつ!?」って思って(笑)。「こんなもん歌じゃないだろ!」って思ってたけど(笑)、2回目で「ん?」って。3回目で「これはすごいぞ!」と思って。当時のFENで聴いて。「こいつは只者じゃないな」って。

   ※FEN・・・日本駐留の米軍によるラジオ/テレビ放送局。Far East Networkの略。現在はAFN(American Forces Network)に。

--- そこで、「俺も何かやらなきゃ!」って思い立ったわけですね。

 「俺も何か作ろう!」と思ったんですよ。音楽やるとは思わなかったんですよ、その時ギターも弾けなかったから。何か作ろうと思った時に、パッと浮かんだのが、彫刻だったんですけどね。

--- えっ?彫刻を彫ろうと?

 これといったカタチは何もないけど、頭の中にドーンと彫刻があって(笑)・・・彫刻か何かを作ろうと思ったんですよ。自分で作った歌なんか、全く考えたこともなかったから。プレスリーとか三橋美智也とかベンチャーズとか橋幸夫とか、本当にそういう時代だったから。自分で作って歌うっていうのは、しかもギターも弾けない、ましてやハーモニカ吹いて歌うなんて、とっても考えられなかったからね。

--- それが一転して、ハーモニカ・ホルダーを付けて、ギターを弾いて、曲を作って歌うようになるという決定的なきっかけになったのは何だったのでしょうか?

 曲を作ろうと思ったのは、「ギター弾けないんだったら俺が教えてやる」って、友達の能登川信二くんが、新宿御苑とかで教えてくれて。御苑は、昔はまだ庭園内でギターとか弾けたんですよ。ドノヴァンやその他の曲も弾いて教えてくれて。で、俺もギター好きだったんでしょうね。

--- 本能的な部分で・・・

 うん。本当に本能的に、ものすごい好きだったんだと思う。かっこいいなあって。それで、DとCとGと、EかEmなんかのコードを教えてもらって、ドノヴァンとボブ・ディランを弾いてたら・・・「あ!自分のことは、自分の歌で歌った方が早いや」って思って(笑)、それで自分の曲を作るようになったっていうね。だからきっかけは、ギターの音が相当好きだったっていうところからだと思うんですよね。

--- エレキ・ギターは、その後すぐには買われていなかったんですよね?

 買ってないですね。自分の曲を作った後に、日比谷の野音で、“ファースト・エンケン・バンド”って、その能登川くんと茅野くんと3人でデビューした時に・・・その1回しかやってないですけどね、その時に、エレキでやってたりしてましたね。誰かが貸してくれて。「あ!エレキだぁ!」って(笑)、生と同じようにただ弾いてるだけなんですけど(笑)。自分の中でエレキも生も差がないから。もちろん、弾いてる時に指板の幅の違いとかは感じるんだけど。でも、「あ〜気持ちいいなぁ」みたいな感じで(笑)。それはピアノでも何でもそうですよね。あまり違いはないですよ。弾いてて気持ちよければいいやみたいな。




遠藤賢司


--- エンケンさんが小学生になるかならないかぐらいの頃に、どこかの学校の校舎に忍び込んで、勝手にオルガンを弾いていたっていうお話を聞いたことがあるんですけど(笑)。

 あぁっ!あれが初めてのライヴでしたね(笑)!多分5歳ぐらいかなぁ・・・小学校に入る前でしたね。昼間、近所にある夏休みで誰もいない小学校に入っていったら、いつも校庭から背伸びして覗いてたあこがれのね、昔の足踏み式のオルガンがあって。それを異状に興奮しながらパタパタやって弾いてたら、ちょうどカミナリがピカピカ来て・・・そうしたらお袋が、俺がずっと帰ってこないから、「どこいったんだ?あのバカは」って探し回ってて(笑)、カミナリを背中に髪の毛を逆立てて教室に入ってきましたね。「賢司っ!ここいたかぁ!」って(笑)。

 あっちこっちよく行ったんだよね、俺。お祭りがあるとついて行っちゃって、両親は大騒ぎしてたらしいんだよね(笑)。あと、列車の音がすごい好きで、線路際まで歩いていって、ずーっと見てたりとか。

--- 音にかなり敏感な子供だったんでしょうか?

 敏感というか・・・好きだったんでしょうね。一番初めにいい音だなぁって思ったのは、雨もりの音でしたね。ボロ屋だったから、天井から雨もりがして、バケツとか鍋とか茶碗とかありったけの家財道具を並べて。まだ歩けない頃だとは思うんだけど、憶えてるんですよ。座ってその雨もりを見てると、やかんとか鍋に「ポツーン、ポツーン」っていい音がして。音程もちょっと付いたりするでしょ?「あぁ、いい音だなぁ」って思ったのは多分それが最初かもしれないです。今聴いても多分いい音だと思うんですけど。

 その次はお祭りでしたね。だから、今やってることと全く変わらないような(笑)。「ピ〜ヒャラ、ピ〜ヒャラ」あると、お祭りの後をちょこちょこついていっちゃって、隣の町まで行っちゃったんですよね。それも小学校に入る前だったから、相当小さかったと思うんですけど。気がついたら、やっぱり親父とお袋が半狂乱になってて(笑)。で、親父の自転車の荷台に乗せられて、お袋は隣を走ってるんだけど、裸足だったんですよね(笑)。「あ〜心配かけちゃったかなぁ」なんて思って(笑)。

 カキ氷の音もすごい好きで、「食べる?」って言われても、「いらない」って言って、ずっと「シャッ、シャッ、シャッ」っていう音を聞いてて。それから電車ですね。電車っていっても、機関車だから。機関車の操作所に見に行って、自分の頭より高い車輪が目の前を行ったり来たりするんですよ。修理のために入ってきた機関車の。そうすると、蒸気が「シューッ」ってこっちに来たりして。それをずっと見てたから、やっぱり音が好きだったんでしょうね。

--- そういった自然音をずっと聞いてると、不思議にリズムみたいなものになって聞こえてきたりする面白さもありますよね。

 自然音いいですよね。NHKの番組で、ただ歩いている人とか、酒屋さんが酒をかき回しているところとか、お祭りのシーンだとかをただ録音して、流している番組があるんですよ。時々お風呂入ってる時に流れてて、聞いたりするんですけど、やっぱりいいですよね、ああいう自然の音はね。

--- そうしますと、ここのMIDIさんの事務所は、エンケンさんのお話を伺うには、本当に絶好のロケーションですよね。蝉の音もあって。(軽井沢の避暑地に来ているかのような、緑に囲まれた閑静なマンションの地下の一室にて)

 蝉の音もいいですよね。蝉には昔からお世話になったよなあ。

--- 一同:(笑)。

 ライヴ盤(『第4回フォーク・キャンプ・コンサート』LP)にも入ってるんだけど、京都の円山公園でコンサートやった時に、「外は雨だよ」か何かを弾いてると、ずーっと蝉が大合唱してるんだよね(笑)。「夜の〜♪」とか歌ってると、「ミィーン、ミィーン」って(笑)。あれは好きですよ。蝉くん、かわいいですよね(笑)。一生懸命生きてて、かわいい。夜中によく家の庭で、野良猫が地中から出たての蝉を捕まえて、「ミギャーン、ミギャアー」っていう断末魔の声が庭中を駆けずり廻ってね。「あれ?何の音だろう」って見てみると、土中からやっと登場したばかりの蝉を、猫が口にくわえて庭中を得意気に走り廻ってるんだよね(笑)。蝉くんには申し訳なさすぎるけど、まさにあまりにも一方的な生命の叫びというか・・・なにしろ凄い光景なんだよね(笑)。

--- 子供の頃に祭り囃子がお好きだったのは、後の「夜汽車のブルース」にも表われているように感じます。あの曲は、エンケンさんにとって河内音頭であり、さらに、ジェイムズ・ブラウンでもあるそうですね。

 そうですね。あと、「夢よ叫べ」を歌うときも、北島三郎とジェイムズ・ブラウンだなって思ったんですけど。それは根本だなと思って。例えば、ジェイムズ・ブラウンが「Sex Machine」を歌う時でも、立ち居地がハッキリしてますもんね。だから、いい音楽だと思うんですけど。そこで自分が何をやるかっていうことをちゃんと分かってるから。よくアメリカの音楽に目覚めたとかっていう人がいるけど、河内音頭のリズムをないがしろにしてるんだったら、それは「情けねぇなぁ」と思って。昔から思ってるんだけど、河内音頭とかを飛び越して、何でアメリカやアフリカの音楽のリズムに目覚めちゃったりするんだろう?って。不思議だなぁと思って。もちろん、向こうの音楽にだっていいリズムはあるし、大地に根差したものとして皆が叩いているリズムだからこそ今に残っているんだとは思うけど。河内音頭も八木節も、同じように並べていいのになって思うんだけど。

 今はそんな人も減ってきたけど、少し前は「河内音頭ですかぁ?」って言われてたから。小学生の頃、鉄砲光三郎っていう河内音頭の音頭取りの人がいて。テレビの黎明期の頃に、「鉄砲光三郎劇場」っていうのがあったんですよ。それをいつも隣のおばあちゃん家のテレビに覗きに行ってて(笑)。「また来たのかこの子は。煎餅食べる?」、「いらない」って言って、ずっとそれを観てて(笑)。好きだったんですね。鉄砲光三郎ってすごいなって思ってたんでしょうね。

--- エンケンさんが常に言われている、リズムと言葉の一致=「言音一致(運動)」というのは、そこが出発点になっているのかもしれませんね。

 根本にあるリズムが編み出す音と言葉が一緒にならないと、音楽じゃないと俺は思っているんですけど。言葉とメロディ、どっちが勝っても負けても成立しないから。この2つがちゃんと一緒になったものが本当の音楽で、その根本の真っ芯にあるものがリズム。それが音楽にあるかどうかが一番重要だなって思ってるんですけど。それが「言音一致」であり、「純音楽」っていうことですね。




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「第二回 エンケン純音楽祭り」のおしらせ


第二回 エンケン純音楽祭り@渋谷クラブクアトロ
  >渋谷クラブクアトロ 
9月19日(土)
18:00開場/19:00開演
出演:遠藤賢司/泉谷しげる/曽我部恵一
前売:3,800円
当日:4,300円
(税込/整理番号付/ドリンク別)
2日間通し券:6,900円
(税込/整理番号付/ドリンク別)


> 渋谷クラブクアトロ 
9月20日(日)
18:00開場/19:00開演
出演:遠藤賢司(湯川トーベン、石塚俊明)/頭脳警察(PANTA,TOSHI&菊池琢己)/ZAZEN BOYS
前売:3,800円
当日:4,300円
(税込/整理番号付/ドリンク別)
2日間通し券:6,900円
(税込/整理番号付/ドリンク別)


  (問い合わせ)渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750
※チケットは各プレイガイドにてお求めください。
profile

遠藤賢司
(えんどう・けんじ)

 1947年1月13日、茨城県勝田市(現ひたちなか市)生まれ。大学時代にFENでボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」を聴いて、自作の歌を歌うことに目覚める。数々のフォークの集いにて自作の歌を歌っているうちに、折からの60年代後半のフォーク・シーンにおいて徐々にその頭角を現すようになる。69年2月にシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」でデビュー。70年4月には、デビュー前のはっぴいえんど(大滝詠一を除く)が参加した1stアルバム『niyago』を発表。デビュー作にして早くも現在にまで通ずるエンケンの音楽の魅力を濃縮に詰め込んでいた。72年、三島由紀夫の割腹自殺の日のことを日常のいち風景として歌った「カレーライス」が大ヒット。その後も『東京ワッショイ』(78年)、『宇宙防衛軍』(80年)といった傑作を発表。また、82年にはその2作品に影響を受けたという長嶺高文監督の映画『ヘリウッド』に主演。音楽以外にも活動の幅を広げた。83年に細野晴臣、越美晴が参加したEP『オムライス』を発表後は、活動の場をライブ中心へと移し、ひとりでエレキ・ギターとマーシャル・アンプで豪快なライブを展開。88年にスリーピースのロック・バンド「遠藤賢司バンド」(エンケンバンド)を結成。91年にはベースに元・子供バンドの湯川トーベン、ドラムスに頭脳警察のトシが加入して、現在のラインナップに至る。96年、実に16年振りとなるスタジオ・フル・アルバム『夢よ叫べ』を発表したのを皮切りに、デビュー30周年となった99年には、生ギター1本によるセルフ・カヴァー・ベスト『エンケンの四畳半ロック』、デビュー33周年・55歳のゾロ目となった2002年に『幾つになっても甘かあネェ!』を発表し、再びアルバム・レコーディングを活発化させる。2005年には、日本武道館に於ける無観客ライブ『エンケン対日本武道館』を自らが監督・主演・音楽を務め映画化。翌年のアルバム『にゃあ!』に続き、還暦を迎えた2007年にはシングル『惚れた!惚れた!』を発表。そして、デビュー40周年を迎えた2009年、通算20枚目となるニュー・アルバム『君にふにゃふにゃ』をリリースする。