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前田日明インタビュー 〜不良達ヨ、覚醒セヨ!!〜 part2

Tuesday, July 14th 2009

前田日明インタビュー 第2弾


前田日明 (Akira Maeda)
1959年1月24日生まれ    リングス代表       ジ・アウトサイダー プロデューサー       2009年3月30日 第1回大会を開催



THE OUTSIDER 第7戦
2009/8/9(SUN)  15:00〜    ディファ有明


ジ・アウトサイダー

「ジ・アウトサイダー」は、競技制のみを追求した普通のアマチュア大会とは異なり、 日本中から「暴走族、チーマー、ギャングのリーダー、腕自慢」を集め、 いわゆる「不良」の若者に格闘技を通じた更正の道を用意し、 優秀な選手をDREAMやUFCといったメジャー団体を含めた大会にプロデュースさせることを目標にしている。
モデルとなったのは前田が北九州で見た、 「天下一武道会」という不良や街の喧嘩屋によるアマチュア大会。 「彼らの個性のぶつかり合いから、華やカリスマ性を感じた」と語る前田自身も、 かつて大阪での学生時代、路上のケンカで腕を鳴らしていた。


アマチュア組織や選手の発掘作業を自分達の手でやる

−プロの格闘技会の現状に関して、どのように感じていらっしゃいますか?

まだ、アマチュア組織や選手の発掘作業を自分達の手でやっていないですよね。
海外の選手は、海外のスポーツマネージメントを通して、そこからリングにあげていますよ。
日本は、アマチュア大会みたいな、そういう組織作りを一向にやらないでしょ。
土台の無いものは弱いから、勘違いしてるんですよ。早く気が付いて、なんとかやって欲しいですね。
K-1は、K-1甲子園ってのをやっているんですけど、その後にも、例えば、関東六大学と関西六大学に援助して、
K-1部なのか、格闘技部なのか、名称は分からないけど、そういうものを作ってから関東六大学、関西六大学というようなリーグができていくじゃないですか。
で、東西があるから、そこから全国大会ができるんですよ。
そんな子たちが卒業していくと、また、あちらこちらに支部ができるじゃないですか。K-1甲子園から、次のステップにね。
いきなりポーンと入って、上へ行けるかって言ったら、無理なんですよ。だからねぇ、なんかヘンな技術を磨こうとしても、ステップの足掛かりになる。
「アマチュアで大会を開いたって、大変なだけじゃないか」と、言う人達がいるんですけど、アウトサイダーだって、たった一年で両国でやったわけでしょ?
だから、やり方ですよ、やり方。


アドリブでやると、試合が尖ったものになる

−TV放送が終わり厳しい状況にある、現在のプロレス界に関して、思う事は、ありますか?

プロレスは、もうダメですね...はっきり言って。
プロレスはね、なんて言うか、行ってはいけないところへ行ってしまいましたよ。
飛び降りちゃいましたよ。自滅したんですよ、プロレスは。


−そのような状況は、どの時代から感じられていましたか?

予兆は、「UWFやろうかな」と、思った頃からありましたね。
その頃、色んな事を言ったんですけど、プロレス絶頂の頃だったので、皆気が付ついていませんでしたね。


−第一次UWFが終わった時に考えられた事はありますか?

まだあの頃はプロレス全盛だったからね。で、新日本プロレスと業務提携して、あの頃から、ちょっとなんか...ねぇ。
あと、前座の試合の仕方を見ていると、前座から決め事があるんだよね。
自分たちは、全部アドリブでやってたんだけど。
アドリブでやると、試合が尖ったものになるのね。尖ったというのは、投げようとして、投げさせてくれない。
じゃあ、「無理にでも投げてやろう」という事になってくるんですよ。そうすると、主導権の取り合いになるんですよ。
簡単に下がってしまうのか、最後まで主導権の取り合いで競って、キツイ試合になるのか。
一方で、決め事が試合に入って来ると、主導権とか関係ないし、キツイ試合にもならないし、観てるほうにも緊張感っていうのが伝わらないんですよね。
で、若い選手なんかは、前座の頃からそいういう中で進んできたので、どんどんダメになっていきましたね。


「こんな奴、自分がやったら勝てるのにな」って、真剣にそう思っていた

−プロレスの流れからお聞きしたいんですが、アンドレ選手との試合と、カレリン選手との試合では、どのような違いを感じましたか?

力の質が違いますよ。
アンドレは、生まれながらの力ですよね。
カレリンは、なんていうんですかね...。なんて言ったらいいのかなぁ...。巨大な超合金ロボットみたいなんですよ。
アンドレは、どこかのマウンテンゴリラみたい。マウンテンゴリラの親分みたいな。
カレリンは、超合金!

アンドレにも、カレリンにも、ダブルのタックルをやったんですよ。
アンドレの時は、出来ないかな?と思いながらやりましたが、やっぱり1回目は、つぶされて。2回目、バン!と掴んだんですよ。
その時、すごい自信があったんですよね。アンドレは、260kg位ありましたが、タックルで倒して。
カレリンと試合した時は、最高のタイミングで、ガッチリ掴んだんですよ。いざ、倒そうと思ったら、倒れないんですね。
いきなり、体に力が入って、逆に交通事故にあったような衝撃がありましたよ。こういう力があるんだなぁ...と、ビックリしましたね。


−格闘技会やプロレス界に入るにあたり、どのようなきっかけがあったのですか?

きっかけは、高校時代から、本当はアメリカへ移住して、空手の道場でもやって暮らしたいな...と、思っていたんですよ。
その為には、高校を卒業して、マグロ漁船で2年間くらい航海して...。当時は、1航海で1500万〜2000万とかもらえたんですよ。
そのお金を貯めて、アメリカへ行こうと思っていた時に、たまたま新間さんと会う事があって、チラっと、「プロレスどう?」って言われたから、「とんでもないです」と断りました。
自分の中で、プロレスはパワーではなく、神童とか怪童と言われている人がやるものだ、と思っていましたからね。
そうしたら、新間さんが「アメリカ行きたいんだろ?じゃあ、モハメド・アリのジムに入れてやろう。
「ボクシングでも、何でも、アメリカへ行くまでは、新日本プロレスで練習したら?そうしたら、どちらにしても役に立つだろう」
と、言ってきたんです。
「自分は、どのような御返しをしたらいいんでしょうか?」と聞いたら、「日本へ戻ってきた時に、何戦か試合してくれたらいいよ」と言われました。
その頃、アメリカ帰りのゴング斉藤というヘビー級のボクサーが試合をやっていて、木曜スペシャルとかの特番でね。結構、視聴率を稼いでいたんですよ。
当時は、それを見ながら、「こんな奴、自分がやったら勝てるのにな」って、真剣にそう思っていましたよ。


インタビュー第3弾へ続きます。次回公開をお楽しみに。
インタビュー第1段は、こちら


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