HMVインタビュー:ELECTRIC SUMMER 2

2009年7月8日 (水)

interview

ELECTRIC SUMMER

今思えば、あの時シーンを作っていったんだと思います。僕らのヘッドライナーとかでソウルドアウトしたりして。

---海外で結成され活動していたということですが、海外ではどんな活動をしてました?

YUDA:ライブハウス壊しまくってたな。

Shinke:DESCENDENTSのドラムBill Stevensonが経営してるブラスティング・ルームで、ELECTRIC SUMMERが1stアルバムを録った時に、Bill Stevensonっていったら、もう神みたいな人なんですけど、YUDAはただのおじさんだと間違えて、コーラを買いに行かせたんでしょ。

---コーラは買ってきてもらえたんですか?

YUDA:すぐ買ってきてくれました。

(一同笑)

YUDA:アメリカで活動始めた時、最初は学校だけでやってたんですよ。でも、それだけじゃつまんないってことで、5曲入りくらいのデモテープと歌詞を書いて送ったら、ブルーバードシアターっていう4,500人くらい入るところがすぐにやってくれっていうんで、やったんですよ。そこから、どんどん出演の話が来るようになって、大きなバンドともやるようになったし、Bill Stevensonも観にきたり。日本人がやってるんで、話題が話題を呼んでね。

Shinke:その時、どういうバンドとやっとったの?

YUDA:最初は、Nobodysとか、Pinhead Circus。

Mikey:コロラドのバンドですね。で、ツアーでは、UNION 13とか、At The Drive-Inとか、Criminalsとか・・・。

YUDA:CDを出すっていう話をもらって、さっき言ってた、Nobodys、Pinhead Circusとかとよく一緒にやるようになって、今思えば、あの時シーンを作っていったんだと思います。僕らのヘッドライナーとかでソウルドアウトしたりして。人がすごい入ったよね。

Mikey:地方のローカルのバンドで、そういうシーンの中にいた感じです。コロラドで一番のバンド。

Shinke:聞いた話によると、その時、ベストパンクバンド賞みたいのを頂いたらしいです。

YUDA:毎回毎回、お酒も飲んでないんですけど、なんかしたくて、みんなで壊しまくってね、壁とかね。

Mikey:みんなじゃないね。YUDAだね(笑)。

YUDA:新しいものを見せたいっていうのがあって、すんごい暴れまくってて、それが良かったんですかね。これ、日本に帰ったら売れるんじゃないかって、ここで勘違いしました。で、帰ってきてみたら、SHELTERのブッキングで落ちました。

ELECTRIC SUMMER

---日本に帰ってきてからの活動は順調じゃなかったんですか。

YUDA:帰ってきたものの、やりかたが分からず・・・。

Shinke:アメリカで KEMURIと交流持って帰ってきたんだよね?日本に帰ってからはSHELTERは落ちるし、どうにもならなくなっていた時に、KEMURIのライブを観に行ったんだよね、たしか。

YUDA:あと、Thug Murderも。

RYOSUKE:Thug Murderっていう、LAST TARGETのボーカルの女の子がやってた日本の3人組の女の子のバンドがいて、やっぱり海外と日本を行き来しているようなバンドで、立場が似てるから一緒につるむようになって。

YUDA:Thug Murderが爆発的に売れたんですよ。そのちょっと売れる前くらいから、俺らELECTRIC SUMMERと、Shinkeの前のThe Fishermans、そしてThug Murderでよく一緒にやるようになって、これからみんなで行こう!って時にThug Murderが解散しちゃった。

Shinke:そこから、Thug Murderは終わっちゃったし、うちらはうちらで地道にやっていくみたいな。

YUDA:とりあえず、もがいてました。日本に帰ってきて、誰にも知られてなくて。唯一俺らのことを知ってたのが、今のベースNAOKI。アメリカとのギャップにびっくりして。全然伝わらないし、こんなはずじゃないって。ただただもがいてました。

Mikey:日本に帰ってきてから、今のSTEP UP RECORDSに入るまでのことはあまり思い出したくないです。リーダーだったドラムがやめて、新しいドラムを入れて再スタートを切る時に、自分達でやるしかないと思って、新たに企画から始めたんですよ。1年くらいずっと企画をやっていって、FUCK YOU HEROESがアルバムを出した時に、ツアー全箇所にELECTRIC SUMMERが呼ばれたんですよ。そこが日本に帰ってきてからの2回目の転機です。1回目は自分達で最初の企画を始めてアルバム出すまで。まぁ、出して駄目だったけど、2回目の転機で、FUCK YOU HEROESに誘ってもらって再生しました。そこからは、いいサポートをしてくれるんで、メンバー交代や新しく入ったりもありましたけど、自分達が成長出来てきているなって思います。

Yoshi:僕入る前は、ELECTRIC SUMMERっていろんなうわさを聞いていて、喧嘩が多いとか。でも実際入ってみたらそうでもなくて。

RYOSUKE:昔は、 FUCK YOU HEROESのツアーに行ったときも、ツアー中に喧嘩しょっちゅうしていたな。まとめる人がいなかったんだよね。それは良くないよとか、それはそうだよとか言えるShinkeが入って、同じくYoshiも入ってやっとバンドっぽくなったね。昔は何かしようよっていう話をふっても返事は来ないし、集ったら喧嘩は始まっちゃうし。今は2人が入って流暢に流れて行ったものが僕に入ってくるから、今は、バンド的に状態がいいし、それぞれを尊重しあえるような感じになってるんじゃないかな。

Mikey:もう1本ギター入れるって話が出た時に、俺が誰を入れるって言ってもOK出さなかったんですよ。ただShinkeの名前が挙がったときに、Shinkeだったらいいよって。でみんながShinke入れよう入れようって。Yoshiはすごいパンクなドラムなんですよ。それが、すごい、僕らも気持ちよかったし、それ以外の英語的な歌詞作りの面とか、性格もいいし、免許も持ってるし(笑)。人間的にもホント、いいんで。よくYUDAとも話すんですけどね。ShinkeとYoshiが入って良かったねって。

YUDA:良かった!

profile

1996年アメリカコロラドにて結成しDESCENDENTS,ALLのドラムであるBill Stevensonのプロデュース(近年はNOFX,MxPxなど)により1st.ALBUMを完成させ、 アメリカ西海岸ツアーをAT THE DRIVE IN(現Mars Volta)とまわり、その後もAFI、Strung Out,Blue MeaniesとTOURを行い、華々しく日本に逆輸入するも 「文化の違いに戸惑う」→「行き先を見失う」→「腐りかける」という負の循環にどっぷりはまる。しかし!盟友NO HITTERとのSPLIT"CUT THE CHEESE"を 発売した2006年より見違えるほどの行動力を見せ(恒例の自主企画「THREAT BY EXAMPLE」は毎回大盛況!)、活動の幅から動員まで飛躍的に進 化していき、メンバーの士気も最高潮に達したこの夏に、POPセンス抜群な13曲を詰め込んだFULL ALBUM”NEVER MIND,LAH"を完成させた! ライブハウスが好きで、バンドが好きで、音楽が好きでたまらない各メンバーの持つ多大なバックボーンが入り混じる唯一無二のELECTRIC SUMMERの楽曲 は、Bill Stevensonも納得の前のめりに回転する土臭いビートに、POPでFUNな青臭いボーカルが乗る、人間臭さ満載の不純物一切無しの極上メロディ ックパンクである。専門店でレコードをあさる肥えたリスナーから、外資系にしか足を運ばない一般層まで幅広く納得してもらえる数少ないバンド「ELECTRIC SUMMER」がこの国に受け入れられる日が遂に来た!!