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「アーノンクール、すごすぎ」

Monday, April 13th 2009

連載 許光俊の言いたい放題 第162回

「アーノンクール、すごすぎ」

 3月は花粉を避けるためもあって、あちこちを放浪していた。まったく、花粉アレルギーは原因がハッキリしているにもかかわらず、まだまだ解決されそうにない。いったいマスクをしないと外に出られないなんて、そんな国が他にあるか? 政治家がその気になれば、来年、再来年とは言わないが、十年後には相当改善されるはずなのだ。患者もおとなしい。個々人が薬やらマスクやらを使って我慢したり、あげくには鼻の奥を焼いて凌ごうとする。「さわやかな春を返せ!」とデモやストくらいやったっていいじゃないか(あ、外に出てデモなんかやれないか)。
 それはともかく、あれこれ聴いた中でもっともおもしろかったのは、ウィーンにおけるアーノンクールとコンツェントゥス・ムジクスの演奏会、バーゼルでのビエイト演出「ルル」、グラーツでのコンヴィチュニー演出「リア王」(これは演劇)だった。ここではアーノンクールについて述べよう。
 ちょうどハイドンの年ということで、あちこちでハイドン関係のコンサートが開かれているが、この日も例外ではなく、まずは交響曲をひとつやったあとで、「戦争ミサ」だ。このミサ、正直言って、つまらない曲だと思っていた。そもそも私はハイドンがあまり好きではないのである。音楽史的意味や重要性はよくわかっているつもりだけれど、音楽そのものが、モーツァルトやシューベルトを知ってしまった耳にとっては物足りないのである。
 しかし、アーノンクールは異常な熱意をもってこの曲に取り組んでいたのだ。さあこれから演奏が始まるという瞬間、突然指揮台の上でくるりと聴衆のほうを向き、「われわれは知るべきことのほんの少ししか知らないのです! たとえばこの曲は・・・」と説明を始めたのには驚いた。その語りがあまりにも超真剣だったがゆえに、私などは一喝された気がし、まさに心を入れ替えて、歌詞を見ながら細心の注意で聴かねばならないぞと思わされた。
 残念なことに、アーノンクールの超真剣な語りかけに対し、少なからぬ人が笑い声をあげた。だが、彼がしようとしたのは、気が利いた、ユーモラスなスピーチなどではない。直球勝負で、「おまえら、もっと真剣に聴けよ。作曲者は本気なんだぞ」と言ったのである。そうしたこともわからない人が多数いるということは、今更とは言え、不愉快だった。
 その日の指揮ぶりも異様としか言いようがないものだった。指揮台の上でこんなに暴れた人は他に見たことがない。バーンスタインがおとなしく見えるほどだ。
 実際、アーノンクールがわざわざ注意を促したのも当然だった。ハイドンはこの曲において歌詞を実に生々しく音化している。表情、感情、状況の描き分けは、まるでオペラかというほどだ。アーノンクールはそうした部分をきわめて明確に示していく。
ナポレオン軍 このミサでは戦争を示す箇所が出てくるが、アーノンクールはそうした部分をことに暗鬱に奏した。ハイドンの音楽にこれほどまでの闇があったとは。戦いが近づいているのではないかという状況で作曲されたがゆえに、ハイドンとしても特別の色を帯びた音楽になったのだろうが、それにしても異常に生々しい。モーツァルトの「レクイエム」をあちこちで思い出させられた。
 最後のアニュス・デイは、まさに平和を求める祈りとなった。「われらの罪を許したまえ、われらに平安を与えたまえ」という歌詞は単に個人の祈りではなく、互いに傷つけあう愚かな人類全体にふさわしい、痛切な音楽になった。これには圧倒された。ここ何年か、アーノンクールの音楽は静けさを増し、いかにも晩年らしい美しさを持つようになってきていた。だが、この日はそうではなかった。この世界の悪に腹を立て、何かを言わねば気が済まない人間があげた、強い声だった。もし私がこのコンサートに行かなかったら、アーノンクールという音楽家のある大事な一面を知らずに終わるところだったようだ。
 彼は約十年前にこの曲の録音も行っている。すぐにこれを取り寄せて聴いてみた。やはりいい演奏だ。やりたいことが明確に伝わってくる。特に終曲はすばらしい。

 今度の6月。アーノンクールは自らがイニシアティヴを取るシュティリアルテ音楽祭で、なんとガーシュインの「ポーギーとベス」を取り上げる! いったいどんな演奏になるのか。音楽祭のテーマは「人間の尊厳」だ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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