「秋のピアノ」

Saturday, October 6th 2007

「秋のピアノ」

　関東地方は突然秋めいてきた。秋といえば、しっとりしたピアノが心地よい季節だ。
　世の中にはシューマン好きか結構いるが、実は私はこの作曲家がちょっと苦手である。特に彼が本領を発揮したとされるピアノ作品は、逆に本領が発揮されている分、あまり好きではない。突如として超ナイーヴになったり、ドロドロしてみたり、ひたすら自分の内面や精神を吐露しているのがうっとうしく感じられることがままある。
　そんな私にとって、最近出たペルルミュテールの「クライスレリアーナ」は非常に好ましかった。洗練された上品な美しさが素直に楽しめるのだ。重ったるくならない。じめじめしない。音がよくコントロールされている。リズムも軽やかで、ドイツ風に四股を踏むようなダサさがない。だから、「幻想曲」も爽やかに響く。同じメーカーからペルルミュテールのモーツァルト集も出ていたけれど、私はこちらのシューマンほうが断然魅力的だと思った。録音は古いが、鑑賞には特に差し支えはない。

　好ましいショパンも２点出ている。
　アダム・ハラシェヴィッチのノクターンは、端正だが、きっちりしすぎて堅物なわけではない。特に強い個性があるわけではないけれど、十分美しい。最近私はこうした感じの控えめなショパンが好きになってきた。
　意外なのは、左手が時に無防備というか素朴に弾いてしまうのが、かえって曲の奇妙さを表してしまうときがあること。たとえば、作品５５の２。流麗な主旋律の裏側で鳴っている不思議な音たち。この２枚組を聴いていると、ついつい主旋律ではなく、伴奏のほうに耳が行ってしまうのである。
　このセットには、「２４の前奏曲」も入っているが、ここ２，３０年の快速調演奏に慣れた耳で聴くと、なんとものどかでくつろげる。

　ベラ・ダヴィドヴィチは、もっと情感豊か。というか、続けて聴くと、ピアニストとしてハラシェヴィッチより上のレベルにいる人だということが嫌でもわかる。日本ではアルゲリッチやポリーニの登場以来、ああいう豪快に弾きまくるショパン演奏が人気を独占してきた。ブーニンにしたって、その路線である。むろんそれらに独特の魅力があるのは事実。しかし、それだけがショパン演奏ではない。たとえば、このダヴィドヴィチは、バラードなどで微妙に、あるいは大きくテンポを伸び縮みさせながら、また強弱をつけながら嘆き節を歌う。波のように退いては押し寄せる感情の高まり。いざとなると旋律をふくらませるが、こうした柄の大きな歌は、最近のピアニストでは得難い。こういう言い方は、性差を強調するようで自分でも抵抗感がなくはないが、感情がとても強く表れてくる様子は、いかにも女流っぽい。いずれにしてもすっかり曲を自分のものにしてしまっていて、堂々とした貫禄があるのは確かだ。
　ハラシェヴィッチと同じ前奏曲集も収録されている。こちらは、バラードほどには奔放ではなく、抑えが効いている分、万人向きか。といっても中途半端な感じがするわけではない。有名な第７番、第１５番など、しみじみした情感がしみわたる。

（きょみつとし　音楽評論家、慶応大学教授）