タランティーノ『デス・プルーフ in グラインドハウス』を熱く語る!!
Friday, August 24th 2007
―まず基本的な質問からですが、どうやってこのプロジェクトが生まれ、ロバート・ロドリゲスとチームを組むことになったのでしょうか?
クエンティン・タランティーノ(以下QT):これはロバートのアイデアなんだ。アメリカ以外の国では、そんな風に公開してないけど、元々のアイデアとしてはアメリカで公開されたように2本立てを作りたいと思っていた。そこが出発点で、エクスプロイテーションの要素をいろいろ盛り込んだものにしようと思い立った。ロバートが僕に話をもちかけ、僕はそのチャンスに飛びついたんだ。この企画で本当にエキサイティングだったことと言えば、『レザボア・ドッグス』以降は、僕は常に慎重に考え抜いて映画を作ってきたんだ。『パルプ・フィクション』の構想にはかなり時間をかけて、脚本の執筆には8ヶ月かかった。『ジャッキー・ブラウン』では1年、『キル・ビル』では1年半かけて脚本を完成させた。こんな風に、僕はいつも、脳味噌の中のアイデア培養器に入っている様々な素材を膨らましてじっくり成長させながら作ってきた。だから、こんなにパッとアイデアが浮かんで、「すごくいいアイデアだ!」と思えたのは『レザボア・ドッグス』以来初めてで、ただ椅子に座って書き始めればよかった。全然気難しく考えずに、アイデアをこねくり回したりしないで、単にやるだけだった。おかげで、この作品には生命力が溢れている。いろんな作品の脚本を書いているうちに、昔のやり方を忘れてしまっていたんだ。映画の中に活力が漲っているのは凄くエキサイティングなことだし、この作品を本当に気に入っている理由のひとつでもあるんだ。この映画は、どうやって脚本を書けばいいのかを思い出し、再確認させてくれた。僕も興奮しながら作品を作れたし、映画の中にもその興奮が表れていると思うよ。
―この映画にはあなたのエクスプロイテーション映画への愛が溢れています。この世界への扉を開くきっかけとなった作品はありますか?
QT:男性でも女性でも、映画を撮ろうと思うきっかけは、人によって様々だと思うんだ。いろんなタイプの人がいて、どうやってこの地に来たかは人それぞれなんだ。でも僕も含めてこの地にたどり着いた人々に共通しているのは、映画が彼らにとって宗教だってことだ。みんな映画を愛している。子供の頃から映画が大好きで、いつかその中の一員になりたいと思っていた人たちなんだ。子供の頃何がきっかけになっていたとしても、たいていの場合は、大人になって自分が描きたいイメージやスリルが具体的に出てきた時には、映画にどっぶり浸かるように祝福されるか呪われてしまっている。スピルバーグやルーカスにとっては、きっかけは30年代や40年代のシリーズものだし、僕は、エクスプロイテーション映画を見ながら育ったことがきっかけとなっている。いろんなタイプの映画が好きだけど、このジャンルの映画こそが僕にとってはリアリティがあるんだ。ゾクゾクさせて、みだらで、世間一般からはみ出ているような映画がね。
―あなたのヒーロー、アンチ・ヒーローであり、相棒の主演カート・ラッセルについてですが、何故彼を起用したのですか?
QT:僕は昔からカート・ラッセルの大ファンなんだ。 一度会ったことがあったんだけど、その時はそこまで親しくならなかった。でも この映画を通じて、僕らはあっという間に仲間になった。こんな風に彼と一緒に仕事が出来て素晴らしかったし、僕は常に彼を俳優として尊敬している。僕は彼の映画を見ながら育ったんだ。彼の出演しているTV番組や、子役として出演してるもの、ディズニー映画など全部見ている。でも僕みたいに若いときに『ニューヨーク1997』や『ゴースト・ハンターズ』をリアルタイムで見た人にとっては、カートはスネーク・プリスケンであり、マクレディであり、ジャック・バートンなんだ。ここ5年は、決して悪いことではないんだけど、彼は昔のようなカッコイイ役をそんなに演じてこなかった。心温まるような作品ばかりでね。だから、僕は彼にスネーク・プリスケンのルーツに立ち返ってもらいたかった。スタントマン・マイクは、これまで彼が演じてきたゴロツキの男のレパートリーに加わるような役どころなんだ。一方で、もの凄く大事なことなんだけど、実際のカート・ラッセルはスタントマン・マイクの年代よりは5歳ぐらい若いんだ。カートが12歳のとき、スタントマン・マイクは17歳。でもそうは言っても、カートは小さい頃から子役として活躍していたから、12歳になった時には、チャールズ・ブロンソンと一緒に西部劇の人気TVシリーズ『The Travels of Jaimie McPheeters』に出演していた。僕にとって重要なのは、カートが、スタントマン・マイクを生んだ同じハリウッドから出てきたということ。彼は、スタントマン・マイクと同じタイプの人間なんだ。つまり、彼は ひねくれたり、気がふれたりしてないけど、少しだけそういう要素も持っている。でもマイクほど極端ではない。二人は、同じタイプの男たちなんだ。カートは、小さい頃からアメリカのタフなカウボーイ俳優や、スタントマンたちを身近に知っていたし、彼の父も実際に西部劇で俳優をやっていて『ボナンザ』の準レギュラーだった。彼は常にそんなタイプの男たちに囲まれて生きてきたんだ。大人たちの仕事ぶりもよく知っている。 有名でも、無名でもカートは昔のありとあらゆる俳優たちと仕事をしてきた。それに、スタントマン・マイクが出ていたTV番組には、実際にカートが出演していたんだ。『Virginian』『High Chaparral』『ナポレオン・ソロ』とかね。
―トレイシー・トムズ(キム役)やゾーイ・ベル(ゾーイ役)などタフな女性たちのガールズ・パワーは、このグラインドハウス映画で、どれほど欠かせない要素だったのでしょうか?
QT:それにはちょっと誤解があるんだけど、「グラインドハウスに女性のパワーの要素を加えた」という指摘は、正確には間違いなんだ。だって日本のグラインドハウス映画には、女性の力が強調されている。いつでもそうだったわけじゃないけど、女性の復讐者、戦士、防衛者たちが登場するのは昔からの伝統で、実際に世界中の映画の歴史を紐解いてみると、A級のハリウッド映画を除いて、この傾向はどこにでもみられるものなんだ。60年代や70年代には、ハリウッドでは女性が主人公だったり、復讐したり、戦ったりする映画はなかったけれど、かわりにドライブイン・シアターではそんな映画が上映されていた。刑務所を舞台にした強い女たちの話、例えばパム・グリアが出ているブラック・エクスプロイテーション映画とかね。でも、香港や、日本でも同じようなことをやっていた。スラッシャー映画でも同じことで、僕は、第三幕は不屈の精神を持ったファイナル・ガールが登場するという構造的なパターンにのっとって今回の作品を作った。彼女は、唯一悪い奴をやっつけることができる人間で、それを成し遂げるんだ。だから、他の映画では刺激的で男を感じさせるような特徴が描かれているけれど、多くのグラインドハウス映画では女性が代わりにその役を担っているんだ。
―いつも映画で使われる音楽が素晴らしくて話題となりますが、『デス・プルーフ』での曲で特に気に入っているものはありますか?
QT:難しいな!好きな曲がいっぱいあって、どれか一つって選べないけど、オープニング・クレジットの「ザ・ラスト・レース」、それに最後の「チック・ハビット」も好きだな。この曲は僕のCDプレイヤーの中でも一番聴いた曲だと思う。劇中での曲の入り方も気に入ってるんだ。エンドクレジットでの曲の始まり方といったら、打ちのめされるほどカッコイイ。大好きな曲だよ。
―読んでいる皆さん一言を
QT:ハロー、ジャパン!クエンティン・タランティーノです。新作の『デス・プルーフ』という映画があって、とっても興奮しています。ファンのみんなが映画を見て応援してくれるといな。すごいカーチェイスのシーンもあるんだ。気に入ってくれるといいな。
-おわり-
