「ここのところ聴いたCD」
2007年6月18日 (月)
連載 許光俊の言いたい放題 第113回「ここのところ聴いたCD」
すっかり暑くなった。今回は、ここのところ聴いたCDについてざっと触れておこう。
ファジル・サイが弾くハイドンのピアノ・ソナタ集。予想通りと言おうか、快速な楽章は実に溌剌とした愉悦感のある演奏だ。でもおもしろいのは、以前のモーツァルト集と同じで、おそらく意図していないのに不思議なはかなさが漂うこと。それどころか、一生懸命遊べば遊ぶほど、溌剌とすればするほど、悲しみが深くなるように思われる。これがために、彼のハイドンは退屈と無縁なのだ。そして、今回気づいたのだが、旋律が高音部に移ると特に念入りに歌う癖があるようだ。だから、ある種の切なさも出てくる。その一方で、第31番第2楽章などでは、バッハのような空間性、時間性も感じられる。あらゆるハイドンのピアノ・ソナタ演奏でもっとも生き生きとした、情感豊かな、そして不思議な時間感覚のある、しみじみと聴ける演奏と呼んで間違いなかろう。
グランドスラムのフルトヴェングラー復刻盤は、シューマンとベートーヴェンの第4交響曲という渋い内容だ。しかしこれがいいのである。
シューマンの交響曲第4番は、フルトヴェングラーの得意曲だった。冒頭からして聴き手を呑み込むような巨大な響きが体験できる。第1楽章の重量感ある進行、それにも増して第3楽章の威風堂々たる歩みのすばらしいこと。そして、ぐんぐん膨れあがってフィナーレに突入。ベルリン・フィルの重厚な響きが最大限に発揮される。フルトヴェングラーの代名詞でもあったテンポの大胆な変化は、この晩年の演奏の場合、それほど行われていない。それゆえ、私などにとってはかえって抵抗感を覚えなくてすむ。むしろ、あまり変化がないだけに、若干の変化が効果的に作用しているとも言えるのではないのか。フィナーレなど聴くと、そう思う。確かに半世紀も前の録音ではある。だが、とりわけ複雑でもないこの曲の場合、音質はこれでもう十分以上だ。というより、演奏の性格をきっちりと記録した名録音と言うべきなのかもしれない。超弩級の演奏ぶりは嫌になるほど伝わってくる。
ベートーヴェンの第4番のほうは、最初の序奏が常識以上に神秘的でドラマティックだ。まるで濃い霧の中を手探りで進むよう。化け物が潜んでいそうな不気味さまで漂う。「レオノーレ」第3番みたいだと言ったらわかりやすいか。閃光がその霧を突き破り、快速な音楽へと転じる呼吸には息を呑むしかない。
重く分厚く、しかしなかなかのテンポで運ばれるフィナーレは、カルロス・クライバー風の軽やかな疾走に慣れた人にはかえって新鮮だろう。
少し前に出たスヴェトラーノフ指揮の「メロディ2」は、私がかつて「これはすごい!」と大騒ぎしていたすばらしいCDだ。「アルビノーニのアダージョ」「G線上のアリア」などが、極上の超美しい演奏で聴ける。剛毅なスヴェトラーノフしか知らない人は、彼がこんなにも柔らかく陰影がある音楽をやったのかと驚愕間違いないし、目隠しで聴かされたらスヴェトラーノフと当てられる人は誰もいまい。
最晩年の音楽家が次々に見せてくれる深遠な精神世界。すべてが自分から遠ざかっていくのを寂しく見つめているような、異常な悲しさに打たれる。ケーゲルのアルビノーニは、自己断罪するような厳しさに圧倒されたが、こちら共にに嘆き続けるタイプ。頭を垂れて聴くしかない。一方、「アリア」は包み込むような甘美なやさしさ。まさに聖母子像の愛とやさしさと悲しさにもたとえられよう。冒頭の一音だけで泣き出す人もいるのではないか。
「オーゼの死」も、最初の音ひとつだけでどんな音楽なのか、完全にわかる。暴力性はゼロ。たとえばカラヤンとベルリン・フィルの威嚇的な響きとは正反対の、柔和ですらある弦の重なり合いがえって迫ってくる。巧まずして表れる複雑なニュアンス。
ベートーヴェン「英雄」第2楽章は、超遅いテンポ。悲しみで声も出ないという様子の、足を引きずって進んでいく葬送行進曲だ。これでこそ、葬送行進曲ではないのか。この楽章だけ取り出して指揮するなんて、よほどのことでないとあり得ないが、そのよほどのことがスヴェトラーノフの内面にあったのではないかと推測される。
こんなものすごい演奏が、発表当時黙殺されたのだから、日本の評論家のレベルがわかると言うものだ。なるほど、もっと明るくて元気がいい音楽のほうが好きという人もいるだろう。それは趣味嗜好の問題である。このアルバムが大芸術家の生涯最後の到達点を記録した至宝であることは誰にも否定できないはずだ。
残念ながら、音質は初出のときよりほんの少し落ち、曇った感じになっている。再生装置によっては気づかないレベルだろうし、値段が安くなっているから、まあこれはこれでありかと思う。もしこれを聴いてものすごく気に入ったら、中古か何かで探してください。もっとクリアな澄んだ音で至純の世界をいっそう堪能できるはずだ。
「メロディ1」では、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」のピアノ版とオーケストラ版を聴き比べてみる。人前に出せないほどまずいピアノではないが、やはりスヴェトラーノフは指揮者だったことが確認できる。このオーケストラ版、ルバートをかけながらきわめて大きく甘く旋律を歌ったもので、魅力的ではあるが、「メロディ2」と比較するとやはり若い。まだまだ人生が残っている、リアルタイムで生きている人間の感傷といった趣が強い。「メロディ2」のまさに死の一歩手前の、蜃気楼のような美しさとは次元、世界が違うのだ。この印象は、アレンスキーなどでも変わらない。逆に、こういうまだ生気が残っていて艶っぽいほうが好きという意見もあるだろう。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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