TOP > Music CD・DVD > News > Japanese Pop > 明日から使える邦楽豆知識 - 第三章

明日から使える邦楽豆知識 - 第三章

Monday, December 29th 2003

関西フォーク〜フォークの流行(1966〜1975)

関西フォークを語る上ではずせない男・それは高石友也
66年ごろから関西ではカレッジフォークの枠を超えたフォークの動きが起こってました。その中心にいたのが彼といえるでしょう。彼のまわりには加藤和彦北山修らによって結成されたフォーククルセダーズや、岡林信康五つの赤い風船高田渡中川五郎などが集まっていました。そして関西独特のフォーク・スクールや、フォーク・キャンプ、中津川フォーク・ジャンボリー、アンダーグラウンド・レコード・クラブという自主製作レコ−ドの通信販売組織などにより、関西フォークが注目を集めました。また遠藤賢司早川義夫の存在も忘れてはいけない存在でしょう。

当初、東京のレコード会社と契約をしていたのは、高石友也フォークルの2組だけ。そこでアンダーグラウンド・レコード・クラブは「2月から隔月で5回、5枚のLPと10枚のシングルを1回あたり2000円の会費で販売」することをめざして、各アーティストのレコードを次々に製作。この販売組織は半年後に、頭文字をとって...そうです、あの『URC』となるのです。

関西フォークの最盛期は、学生運動の最盛期と重なっていました。一方、東京では新宿駅西口公園地下広場で、ベトナム反戦運動のかたわら反戦フォークが歌われ始めました。この毎週土曜日のフォーク集会は、多いときには野次馬を含めて7,000人規模で行なわれましたが、歴史の教科書通り機動隊によって中止させられています。

実に意外なことに、ここで疎外感をもった東京のフォーク・ゲリラは、なぜか関西フォークに刃を向けたのです。それはマスコミに出始めていた高石岡林に商業主義の刻印を押し、ライブでは主催者の意思に反し討論会へと変更を余儀なくされていきました。そこで岡林はコンサートの心労もたまり「人間には静かに自分自身を見つめ直す時が必要だと思います」の置き手紙を残して一時蒸発してしまうのでした...

しかしながら、72年以降、再びフォークもしくはフォーク的なものがレコードの売上面で主流に流れ込んでくるのでした。それを支えたのが吉田拓郎や、その後に登場する井上陽水。そしてかの有名な『フォークジャンボリー』も大きな架け橋となっていきました。また拓郎が提供した森進一の「襟裳岬」などにより、商業主義を嫌ったフォークも思わぬ形でフォーク的なるもので歌謡曲の最前線に立ち始めるのでした。拓郎の”テレビ出ない宣言”も、30年近く経つと時効といったところか。そしてかぐや姫グレープなど、70年代には商業的に成功するフォーク系のアーティストが登場してくるのでした。

ニューロック(1969〜1973)

ビートルズ以降、ロンドンやサンフランシスコ、ニューヨークなどで生まれたニューロック。要はレッド・ツェッペリンクリームグランド・ファンク・レイルロードなどですが、やはり日本の若者も、その新たな波にもろに影響を受けました。

そりゃ、今聞いても衝撃を受けるロック・サウンドが海の向こうで生み出されたとなると、日本のバンドも黙っていられず、こぞってカバーをはじめました。その動きに油を注いだのは69年8月のウッドストックであり、それに続けとばかりに東京を中心にロックコンサートが開催され、ロック専門誌『ニューミュージックマガジン』も創刊されます。

当時日本では、GSバンドとして現在は認識されることもありますが、ジャックスをはじめ、ゴールデンカップス、フラワーズ、モップスなど実力あるバンドが、よりロック的なるものに接近を試みていました。また内田裕也フラワー・トラヴェリンバンドをはじめ、高中正義もいたフライドエッグフードブレインブルースクリエイション頭脳警察、そして村八分などが勢力的に活動していました。

当時の日本のロックは、自覚的なミュージシャンと自覚的なファンによる一種の運動のような性格が強く、誰もが楽しめるフリーな音楽というものではありませんでした。沢田研二萩原健一などGSバンドの生え抜きから結成されたPYGも存在そのものが商業的すぎると批判されたり、微妙〜な結束ができていました。

「また日本語でロックは可能か?」という命題に、内田裕也ら英語推進派(理由は海外デビューもしやすいから!)と、のりにくくても日本語で挑戦すべきだという日本語ロック派に分裂していました。当時頭脳警察や村八分など日本語でうたうグループはいたのですが、日本語派の代表のような位置に立たされたのが、関西フォークからの流れを受けたはっぴいえんど

言わずもがな日本語ロックのパイオニアと後に呼ばれる彼らは、70年の蒸発からめでたく復帰した岡林信康のバックバンドをつとめ、関西フォークの歌手のレコーディングに提供することで、ロックとフォークの交流を促しました。
何が彼らをここまで大きくしたかと?というと一概には言えませんが、サウンドのみのインパクトで勝負する英語派、そして歌の重さで内的衝動を表現しようとしていた日本語派、この2つをうまく結び付け、些細で繊細な心象風景を幅広い彼らの洋楽知識を総動員したサウンドにのせ、職人的な律儀さで編曲やアレンジ、レコ−ディング技術を追求していったところにあるように思われます。そして時代はテレビを中心としたニューミュージックの時代へ。

 戦後のジャズ 〜 ウエスタンからロカビリー
 GSからカレッジフォーク・エレキ
 関西フォークからニューロックの夜明け
 ニューミュージックからニューウェーヴ・テクノ
 アイドルからバンドブームまで激動の80年代
 パンクとヒップホップ
 ミリオンセラーの時代から多様化する現在の音楽シーン

Latest Items / Tickets Information

* Point ratios listed below are the case
for Bronze / Gold / Platinum Stage.  

関西フォーク〜ニューロック

Buy 2 J-POP & K-POP Titles Get Up to 30% Off Items with this icon is eligble for Buy 2 J-POP & K-POP Titles Get Up to 30% Off