幻のスーパーバンド、"DEBBIE'S ALLY"唯一の自主制作アルバム「夜明けのDREAMING」完全復刻決定!
2022年08月10日 (水) 18:00
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1980年頃、Jap's Gap'sのメンバーとして活動していた沖縄出身の女性シンガー”デビー"と後にpiper等に加入する凄腕スタジオミュージシャンの面々の"デビーの仲間たち"によって結成、その後都内でのライブを中心に活動していた幻のスーパーバンド、"DEBBIE'S ALLY"唯一の自主制作アルバム「夜明けのDREAMING」
その飛び抜けた内容の良さと、当時のプレス数は極少数故の希少性から、現在の中古レコード盤市場において高額取引されている本作が、高宮永徹(Flower Records)による超高音質リマスタリング、osagodard(Browse Depart)デザイン妄想帯、を完備して、ここに完全復刻!
研ぎ澄まされたオリジナル曲からソウル名曲の極上カバーや驚愕のオマージュ等、好事家をも唸らすエッジの効いた感覚、そして時代を越えて支持される普遍性を備えた極上の全9曲。
ロック、AOR、ソウル、ディスコ等様々な要素がクロスオーバーしたスタイルでの演奏上に響き渡るエモーショナルでミステリアスなデビーの歌声はリスナーの心を虜にして離さない魅力に満ち溢れている。
【商品情報】
■ARTIST:DEBBIE'S ALLY
■TITLE:夜明けのDREAMING
■LABEL:株式会社ローソンエンタテインメント(HMV record shop)
■CATNO.:HRLP269
■FORMAT:LP
■BARCODE:-
■税込定価:¥4,180
■発売日:2022年11月3日(木)
【収録曲】
Side A
1.夜明けのドリーミング
2.In The Starlight
3.なつかしいシーブリーズ
4.Lavender Trips
5.Burning Sand
Side B
1.Youth
2.Hide My Deep Desire
3.You Are The Sunshine Of My Life
4.What's At The End Of A Rainbow
デビーズアリーのあれこれ
(デビーズアリー・雑談トークより編集)
◎ベトナム戦争下の沖縄で、学生時代から“沖縄で初めての女性ロックシンガー”として沖縄中のベースキャンプや、那覇・コザのクラブ(沖縄ではライブハウスのこと)で歌っていたデビーが上京したのは1974年のことである。
◎デビーは上京してからずっと内緒にしていたが、最近ひょんなことで発覚したことがある。実は琉球大学在学中に、学園の第1回メイフラワーフェスティバルで、グランプリのミスメイフラワー賞(ミス琉球大学)を受賞している。審査方法は、本人も知らないうちに行われた男子学生達による人気投票だった。
◎デビーが上京した1970年代、東京は、ディスコ時代の真っ只中だった。上京して間もない頃、新宿歌舞伎町の、コンサートホールほどもある巨大ディスコ、プレイハウスに飛び入りで歌って以来、風林火山(グループサウンズの風林火山ではなく、その荻野達也氏の兄上がプロデュースしたディスコバンドの風林火山)のメンバーとなったデビーは、六本木や銀座のディスコにも出演し、数多くの実力派ミュージシャン達と出会う。そのようなミュージシャン仲間の推薦で、1976年に加瀬邦彦氏のロンドン録音のアルバムで歌ったのが、レコードデビュー。
◎1978年にデビーは単独で米国ロサンゼルスに渡り、ビバリーヒルズの掃除のバイトをしながら、サンタモニカ・ミュージックスクールを受講する。その夏、LA在住の沖縄出身の友人達と共に、アリゾナのアルコザンティで行われたウッドストックのような大野外コンサートを観に行ったことは、印象深い経験だった。
◎その1年間の米国留学から帰国後、当時のディスコ/クラブのバンド仲間のうち、特に仲の良かった2人、六本木のクラブで、モト冬樹氏とデュオを組んでアイドル並みの人気を博していた実力派ギタリストの矢部昭夫と、グループサウンズの北本正人氏らのバンドで、やはりアイドル並みの人気を博していたジュリエットの実力派ベーシストの大島宏と3人でバンドを作ろうという話になった。デビーズアリーの発端である。
◎矢部昭夫は、大学の仲間とバンドCandle Powerでディスコに出演するかたわら、60年代ロックを彷彿とさせるような英語のオリジナル曲を書いて、BIZやREASONといったバンドでライブ活動もしていた。声優の古谷徹と小山茉美や、その他のアーティストに楽曲を提供したり、バックバンドも努めていた。コーラスグループ、サーカスの後継となるラズベリーのメンバーだったこともある。
◎大島宏は、1972年、TBS東京音楽祭に参加、当時米軍キャンプオフサスクラブでビーナスの永井光男氏らと演奏活動を始めていて、ムッシュかまやつ氏、りりィ、のバンドにも参加、盟友のジョージ西沢(George Mastich)や、彼を介してCharや佐藤 準やその仲間達とも頻繁に音楽的交流があり、Charと共にジョージ西沢の追悼コンサートも行なっている。三浦友和のバンドを務めており、文化放送の「イン・ザ・ワールド」という番組にレギュラー出演し、毎月、視聴者からの詞に三浦友和が曲を付けて、録音していた。矢部昭夫もときどきそのスタジオに遊びに行き、セッションに参加した。あるときは、デビーも訪れ、そのラジオ番組の「今月の歌」を三浦友和とデュエットした。三浦友和のその番組は、いつも明るくフレンドリーな雰囲気だった。
◎デビーは「夜明けのDREAMING」録音時は、つのだ☆ひろが結成した14人編成のバンドJap's Gap'sのメンバーで、全国ツアーのほか、毎週何本ものテレビ音楽番組に出演していた。アルバム「夜明けのDREAMING」には、そのJap's Gap'sのメンバーも参加している。奇才バナナ(川島祐二さん)と、長年の盟友(親友)となる女性メンバーの3人で、つばめちゃん(杉本和世さんの当時の愛称)は、後に中島みゆきの最重要なバックヴォーカルになり、デビーも何年かその「夜会」や、ライブアルバム「歌暦」に参加している。和世ちゃんには何曲かライブ用の詞を提供している。ハッチ(平塚文子さんの当時の愛称)は松任谷由実のバックコーラスを数年間務める。ハッチとは後に作詞家仲間として、森山良子など、何枚かのアルバムで一緒に仕事をした。和世ちゃんとハッチとは、2人または3人でスタジオやツアーのコーラスの仕事をすることも多かった。
杉本和世さんと、平塚文子さん(ユーミンのコーラス出身のユニット"みみみ”)は、それぞれ現在も素晴らしいミュージシャン達と共に、頻繁にライブ活動を行なっている。
◎その頃、あるレコード会社で行われたシンガーソングライター・コンテストで、デビーズアリーはグランプリに内定したとの連絡を受けた。だが、当時Jap's Gap'sのメンバーだったデビーも、メンバー達もいろいろなレコード会社と契約があり、専属契約が条件だったその話が実現することはなかった。
◎デビーのその他の仕事としては、前述の中島みゆきや、宮前ユキ、真田広之、西田敏行、財津和夫、郷ひろみ、松田聖子、トンネルズ、おにゃん子クラブ、早見優、石川秀美、渡辺美里など数多くのバックコーラスやスタジオミュージシャン、ビーバー(吉野恵子さん)と共にピンクレディなどの前歌・仮歌。山ちゃん(山浦澄子さん)と共にミュージカルやコーラスのツアー。夜のヒットスタジオや日本レコード大賞などのテレビ番組のレギュラー・コーラスなど。そのうち早見優とのユニットでは、1年ほどテレビにレギュラー出演した。YouTube動画:https://youtu.be/zALUbcYyNtg
彩木沓の筆名で作詞家。主な作品は、森山良子、石井明美、仁藤優子、Mark Boalsなどの日・米アーティストのアルバムや、CM(トヨタ自動車、マクドナルド、NTT、JR、コーセー化粧品、三菱電機など。宝酒造のCMではパイパーの山本圭右さんに「夏のシテュエーション」の詞を提供)、アニメ・コミック、寺田十三夫氏のプロジェクトでテーマパークの音楽。
イ―リファー・コダマ(Irifer Kodama)の筆名で、米国のネオクラシカルのスーパーバンドRing Of Fire やMark Boalsのプロデューサー/マネージメント、音楽雑誌の編集・ライター、エアロスミスなど多数の洋楽アルバムの歌詞対訳がある。
鉄腕アトム世代の生来のオタクであり、ゲームや科学関係のオタク趣味もあるデビーは、音楽の他に、ゲーム関連や、国際特許管理士・翻訳士の仕事も楽しんでいる。
◎矢部昭夫、大島宏、デビーの3人で結成したバンドは、ドラマーが決まらないまま、サイゾウさん、ジャッチャカ、茨城のチビちゃんなど、毎回いろいろなドラマーを招んで、スタジオでセッションをしたり、都内のライブハウスに出演するようになった。キーボードはそのつど、いたりいなかったりだった。その頃、後にジャズピアニストとして活躍するやすさん(山口泰一郎氏)が、当時はある企業に勤めながら、デビーズアリーのライブに頻繁に参加する仲間だった。やすさんは、1974年に米国のバークリー音楽院のサマースクールでジャズの講座を受講しており、そのとき、デビーズアリーのキーボード、嶋村隆も共に同講座を受講した。
後に、山下達郎、中島みゆき、MISIAなどのバンドや、SMAP、Kinki Kidsなどの作曲家・編曲家・スタジオミュージシャンとして活躍するTohruちゃん(重実徹氏)も、当時は慶応大学の学生で、ときどきデビーズアリーのライブに参加する仲間だった。
◎キーボーディストの嶋村隆がデビーズアリーに加入するきっかけは、前述の三浦友和のラジオ番組である。大島宏の紹介で、その番組のバンドに嶋村隆が新しいキーボーディストとして加入したとき、大島宏に誘われ、やすさんの推薦もあり、デビーズアリーにも加入することになった。
◎嶋村隆は中央大学法学部出身であり、デビーズアリーの頼れる知恵袋的存在。パイパーの他に、角松敏生のバンド、「空と海と風と」にも参加し、それぞれオリジナル・アルバムを録音している。また、杏里、阿川泰子、しばたはつみ、ジュディ・オング、サーカス、岩崎宏美や、シティポップ・ブームの火付け役、松原みきなどのバックバンドを務め、阿川泰子ではテレビ番組「おしゃれ3030」に出演、杏里ではLAの録音にも参加している。後に、鈴木祐二氏の「愛があれば大丈夫」に所属し、作曲家・編曲家としても活躍する。
◎「愛があれば大丈夫」は、作曲家・編曲家・ギタリストの幾見雅博氏も所属していた音楽事務所で、神宮前にあったお洒落な白い2階建ての洋館風の事務所だった。偶然だが、後にデビー(彩木沓として)も、作詞の仕事でお世話になった。幾見雅博氏の数多くのCM楽曲で作詞を担当させてもらった。そのCM 曲集は、プロジェクトのバンド名OG'sで何枚かリリースされている。
◎その後、大島宏は、山本圭右さんのバンド、パイパー(PIPER)に参加するのだが、嶋村隆も一緒に加入した。そのつながりで、アルバム「夜明けのDREAMING」には、パイパーの山本圭右さんが、コーラスで参加してくれている。コーラスといえば、「夜明けのDREAMING」のコーラス陣は豪華だ。デビーズアリーのメンバーとメンバー同然の松下淳一さんの他に、前述の山本圭右さん、Jap's Jap's のシンガー達、そして平塚文子さんの立教大サークルからのバンドの、美声のギター・ヴォーカル、近藤剛さんも参加してくれた。
また、アルバム「夜明けのDREAMING」は、大島宏と矢部昭夫の友人で、カメラマンの横尾親二さんと、キングレコードからの橋本正さん(両者とも美術関係らしく、すらりと素敵な雰囲気の方々)が素晴らしいアートワークを提供してくれた。
パイパーには、大島宏、嶋村隆の次に、北海道出身の若いドラマー柳勝啓(柳勝啓は後にペドロ&カプリシャスのメンバーにもなる才能溢れるドラマー)が加入し、同時にデビーズアリーにも加入することになった。これでアルバムのデビーズアリーの5人が揃う。
◎そこで、5人揃ったメンバーでライブ活動を行うにあたり、バンド名を考えるのだが、嶋村隆の提案で、「デビー何とか」にしようということになり、皆で案を出し合った。だが、なかなか決まらず、皆飽きてきたころ誰かが「もう“デビーの仲間達”でいいんでない?」と言い出して決まったのが、デビーズアリーである。その名は図らずもバンドの有り様にぴったりだった。
◎こうして集まった5人は、都内の「クロコダイル」「SING SING SING」「ガソリンアレイ」などのライブハウスに定期的に出演する。途中、大島宏がパイパーに専念するため一時デビーズアリーを脱け、代わりに、当時スタジオやバックバンドで売れっ子のベーシスト、イケメンで楽しいキャラの山っちゃん(山津雅之氏(大島宏のいたジュリエットのメンバー、山津トオルさんの兄)が加入した。
◎いずれにしろ、とにかく仲の良いバンドで、デビーの世田谷のマンションには、毎日のようにメンバーが集まって、音楽作りをしたり、飲んだり食べたりゲームをしたり、大騒ぎで過ごした。まるで家族のような楽しいバンドだった。デビーズアリーのメンバーだけではなく、大島宏と矢部昭夫の昔からのバンド仲間であるシンガーのまっちゃん(松下淳一さん)や、古谷徹のバンドからパーカッションのおくのくん(奥野正博さん)、それにデビーのコーラス仲間のノリさん(松本憲子さん)も毎回のようにライブに参加し、デビー家の宴会にも参加した。その他、各メンバーのミュージシャン仲間、ときにはタレントさん本人、家族や友人も集まり、ほぼ毎日、大勢が遊びに来た。まさに「デビーの仲間達(デビーズアリー)」である。
◎さて、アルバム「夜明けのDREAMING」は、エンジニアの笹森英樹さんと岡本誠司さんが、以前からライブハウスなどでデビーズアリーと交流があり、当時二人が勤めていた朝日サウンドスタジオでの録音全般を無償で提供してくれて、アルバム作りを勧めてくれた。ただ、スタジオの使える日と、エンジニアとメンバーのスケジュールの兼ね合いから、レコーディングにかけられる日数は3日だけだった。だから、このアルバムは、録音からトラックダウンまで、たった3日で制作されたアルバムである。全パートが“セーノ”で一斉に演奏し、ほとんど1発録りに近い録音だった。各ソロやコーラスを入れても、多くて3テイクという超スピード録音。ほとんどライブと同じである。デビーズアリーは昔ながらのロックのライブバンドであり(レッド・ツェッペリンなどの60年代ロックバンドがスタジオでもライブのような“セーノ”の録音をしたように)、それが良い緊張感を生んだと言えるかもしれない。
◎そして、キングレコードにて数ヵ月後にアルバムが出来上がった頃は、まるで一個のライブが終わったかのように、皆アルバムのことを忘れてしまっていた。事務所もマネージャーもないロックのバンドマン達には、自分達でアルバムを売る作業は手に余るものだったのだろう。インターネットもまだそう普及していない時代、誰も宣伝や販売の方法を知らず、ただ都内のレコード店に数十枚のレコードを置いてもらっただけだった。そうして、店頭に並んだわずか数十枚のアルバムが、長い時を経て、奇跡的に一部の人の目(耳)に留まり、42年後に再発されることになった。その一部の人の中に、再発版の立役者である敏腕発掘プロデューサーと、大手レコード会社の敏腕A&Rがいたのは、宝くじに当たる確率ぐらいの幸運だった。
◎この新しいアルバムではさらに多くの友人達のサポートがあった。例えば、前述のデビーズアリーの仲間であるノリさん(松本憲子さん)の身内で、長く米国留学をしたSakiko Tamaki さんと、米国在住のFumi Kongさんが、デビーが歌詞対訳をする際にいろいろ貴重な助言をしてくれた。
◎このように、デビーズアリーの「夜明けのDREAMING」は、仲間達のおかげで出来たアルバムです。ここにお名前を載せさせていただいた方々はもちろん、当時から今まで支えてくれた全ての方々、前回のアルバムをお手に取って聴いてくださった方々、早速今回のアルバムを予約された方々、どうも有り難うございます!
◎最後に、前回のキングレコード制作の素晴らしい音源やアートワークを復元するにあたり、今回、素晴らしく優秀なエンジニアやデザイナーの方々が完全に再現してくれました。また、今回は42年前とは異なり、制作から宣伝・販売まで一貫して、レコード会社の熟練したスタッフがサポートしてくれています。デビーズアリーにとっては、まさに降って湧いたような幸運です。スタッフの方々の有り難さを身にしみて感じつつ、感謝と共に、このアルバムができるだけ多くの方に聴いていただけるよう、また、聴かれた方にこのアルバムを好きになっていただけたらと、願ってやみません。
デビーズアリーへのメール:debbiesally@herb.ocn.ne.jp

