チェリビダッケで忘我状態

2021年10月18日 (月) 18:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第293回


 早いもので、チェリビダッケが活躍していた時代からもう四半世紀、いやそれ以上が経つ。
 だが、久々に彼のブルックナー演奏をブルーレイで聴いて、見て、その四半世紀が存在しなかったかのような錯覚に陥った。ああ、これだ、これ。確かにこうだった。口をぽかんとあけて聴き惚れた。
 ベルリン・フィルを指揮した交響曲第7番冒頭の、空気がにじむような、空気がゆらゆらと揺れるようなトレモロ。艶やかで苦い、陶酔的なようで諦念が強いメランコリックな主題。その主題が、音域を高めて白銀のようなヴァイオリンで繰り返される。清浄でありながら濃密。恍惚として身を浸してしまう夢のような世界だ。時間を忘れる。音楽が鳴っている時間は特別な時間である、それを自宅で体験できるのだ。そして、この音楽が鳴っている間、そこは特別の空間となる! まさに魔法だ。まざまざと思い出した。確かにチェリビダッケがブルックナーを指揮しているとき、コンサートホールの雰囲気、空気はまったく特別なものになったのだった。
 書き手の立場からすると、ある演奏を、音がよくなったからといって再び誉めそやすのは、基本的には気が進まない。いかにもメーカーの手先になっているような気がしてくる。けれども、チェリビダッケのブルーレイ・セット、および第7番のSACDに関しては、そういう躊躇をしてはいけないだろう。まずブルーレイが出て、私はその段階ですっかり感心して、何度も聴いて、特に第6番の第2楽章がそれまで思っていたよりずっとずっとすばらしいのだなあと考えを改めた。その終わりの部分は、チェリビダッケがオーケストラに違うよとばかりに何度も指示しているのだけれど、見ながら聴く、聴きながら見ると、彼がイメージした音楽がわかる。なるほどである。
 単に懐かしい思い出めぐりということではなく、私はこのブルーレイとSACDを至福の気持ちで聴いた。弦楽器のボーイングは目に見えるようだし、オーケストラの緊張のぐあいや、息遣いがわかる。棒の動き、それに連動するオーケストラの反応ももちろん。音量が変化する際のきめの細かさ、息をひそめるような気配。それが伝わると、演奏が、百人の人間がばらばらに弾いているものではなく、ひとつの生き物のようにうねったり膨張伸縮していることがよくわかる。ベルリン・フィルとの演奏は、今ここで音楽が作られているという感じが、息苦しくなるほどの緊張感とともに、すごくする。緊張が張り詰めたベルリン・フィルと比べると、ミュンヘン・フィルはリラックスしていて、のびやかだ。同じ第7番の第2楽章、音から次の音が生まれてくる感じが強い。
 そして、このような音質になってみると、ベルリンとミュンヘンのオーケストラの響きの違いがよくわかる。また、東京近辺の愛好家ならサントリーホールでオーケストラがどう響くかはよく知っているだろうが、そのサントリーとミュンヘンやベルリンの会場の違いもよくわかる。ベルリン・フィルの場合、音が飽和するのは、現場でもそうだった。空間のすみずみまで音が埋め尽くそうな。
 ブルーレイのほうには、オリジナルとリマスターの2種類の音が入っている。これはあるいはメーカーにとっては英断だったのかもしれない。つまり一般論として、音を売るほうとしては、よくしました、と言って売りたいわけだ。他方、リマスターが信じられないという声もマニアを中心に根強く存在する。両方出せるなら両方出しちゃえ。それができるならやったほうがいいのは明らかなのだが、リマスターする側のプライドの問題もあるだろう。なんだ、高音、低音、割り増ししだけじゃないかと言われかねないし。我が家では、オリジナルのほうがホールの席で聴く感じ、リマスターがもっと楽器に近づいた感じ。自然なのは前者だが、後者のくっきりした輪郭強調がよい個所もある。むろん再生機器や環境によって変わってくる場合もあるだろう。どだい、再生装置というのはどんなものであれ、何かの方向性を持っているものだからして。SACDの音は、これ用にブルーレイとは違えてあるそうだが、問題なし。と言うか、それ以上。ブルーレイと違ってすぐに音が出てくれるのが快適でもある。
 1時間以上、音だけで頭もおなかも心もいっぱいになって、ほかのことは忘れてぼうっとなって恍惚とする。それはまさに麻薬のようなものであろう。ブルーレイ・セットの1枚が終わると、また別のをかけたくなる。そうそう、これも思い出した。昔、チェリビダッケに夢中になった人は、他の指揮者にはまったく興味をなくしてしまう人がとても多かった。チェリビダッケだけを聴いた。確かに、こんな音楽をやった人は他にいなかった。至純、夾雑物なし、人が弾いているのに人の音とは思えないような響き。
 それにしても、21世紀になってほぼ20年もしてからミュンヘン・フィルの蔵出し音源や、今回のソニー製品のようなものでチェリビダッケを生々しく再体験できるとは期待もしていなかった。時折、若い人に尋ねられる。チェリビダッケは、カルロス・クライバーはそんなにすごかったのかと。そうだ、すごかったよ、君が想像もできないくらいすごかったよ。そう答えると、若者は黙り込むしかない。のではあるけれど、このブルーレイとSACDを聴くと、そのすごさがかなり想像できるのではないか。もはや問題は、昨今の若者が貧相な圧縮音源の音質に慣れていることかもしれない。そういう耳では、たとえ生でチェリビダッケを聴いてもすごさはわからないのかもしれない。そこまで考えて悲しくなった。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
チェリビダッケ

評論家エッセイへ戻る

6件中1-6件を表示
表示順:
※表示のポイント倍率は、ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

チェックした商品をまとめて

チェックした商品をまとめて