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「我らがSWR響を粛々と追悼する」 鈴木淳史のクラシック妄聴記へ戻る

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2016年8月18日 (木)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第65回


 世間はSMAP解散の報道で賑やかだけれど、いささかマイナー趣味のわたくしとしては、やはりバーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)の消滅によるショックから立ち直れぬ日々が続く。
 このオーケストラは、同じSWR(南西ドイツ放送)の傘下にある、シュトゥットガルトSWR交響楽団(シュトゥットガルト放送交響楽団)に来期より吸収合併される。今後は本拠地はシュトゥットガルトに置かれることもあり、ユニークな存在であったこのオーケストラが無くなってしまったという感は強い。オーケストラの消滅とは、一つの文化の死。
 なんといっても、現代音楽の演奏、新作初演に強いオーケストラだった。とくに、わたしのように、現代曲からクラシック音楽に入るコースをたどった人間であれば、ベルリンやウィーンの楽団よりも自ずと馴染みも深くなろうもの。東海道新幹線の車窓から、健康ランド「バーデン・バーデン」という看板を見るだけで心拍数が上がってしまうくらいだ(浜松を代表するこのレジャー施設も、2013年に閉館したそうである)。

 7月17日に本拠地フライブルクの聖地、ロルフ・ベーム・ザールで最後の演奏会が行われた。指揮は、最後の常任指揮者となったフランソワ=クサヴィエ・ロト。本来ならば現地に駆けつけ、この一大セレモニーに参加せねばならぬくらいの恩恵を受けているはずなのだが、「これが最後なんて信じたくないもんね」という厨二病的な現実逃避を続け、この日を迎えてしまったのだった。ちょうどネットで生中継されていたので、せめてもと心のなかで正座しつつ拝聴した。この実況録音は2017年1月17日までSWRのアーカイヴスで聴くことができる。
 当日、会場に入るまで公表されなかったプログラムからは、まさしく「最後」を飾るにふさわしいメッセージが伝わってくる。書き写すだけで目頭が熱くなっちゃうくらいに。

マーラー:葬礼
マルク・アンドレ:ユーバー(クラリネット独奏/イェルク・ヴィトマン)
(休憩)
リゲティ:アトモスフェール
シューベルト:交響曲第7番《未完成》
ブーレーズ:ノタシオンI-IV-III-II
(休憩)
アイヴス:答のない質問
ストラヴィンスキー:春の祭典

 「生きるために死ななければならぬ」の《復活》、その第1楽章に転用されたマーラー作品に始まり、トレードマークの現代曲(しかも、古典から最新作まで)を散りばめ、シューベルトの《未完成》など、「俺たちはまだ続けたい!」という意志が透徹したプログラムである。《答のない質問》は、まさにこの合併騒ぎへの批判としてのニュアンスもあろう。最後の《春の祭典》は指揮者ロトの得意曲だが、その最後の音が悲鳴のようにホールに響いたあとの一瞬の静寂は忘れられない。まさに、踊って倒れて死んだ!

 バーデン=バーデン・フライブルクSWR響は、1946年の創設以来、一貫した常任指揮者を選んできた。現代曲のスペシャリストという路線があったからだろう。もちろん、それぞれの指揮者に個性はあるが、ここまでデコボコがない常任指揮者を揃えたオーケストラは珍しい。それだけカラーが明確なオーケストラだった。彼らが残した録音を聴きながら、このオーケストラを偲んでみることにしよう。

 まずは、初代常任指揮者となったハンス・ロスバウト。モノラル録音が多いロスバウトだが、ストラヴィンスキーの《アゴン》は、貴重なステレオ録音だ。めっぽうドライな解釈ながら、ノーブルな雰囲気を損なわないのがいい。一つひとつの音はエッジが立っているのに、不思議と落ち着いた音色。このコンビには、ブルックナーの交響曲第7番という、同系統のスタイルによる名演もある。20世紀の新即物主義を体現した指揮者が、生まれたてのオーケストラを力ませずに率いる様子が瑞々しい。先駆的なことをやっているドキドキ感もたまらない。

 ピエール・ブーレーズが本格的に指揮者としてデビューしたのは、このオーケストラだ。病気のロスバウトの代役だった。しかし、オーケストラはロスバウトの後継者として、ブーレーズではなく、現代曲が得意なフランス人という共通項をもつエルネスト・ブールを選ぶ(ブーレーズが渡米したことも大きいだろうが)。ブールは、若きブーレーズのケンカ腰になりがちなスタイルではなく、キレの鋭さは保ちつつも、その表情はどこか穏やかで、クールかつ事細やかに音楽を作っていくタイプ。その達観めいた音楽が、オーケストラの方向性とも一致したのかもしれない。
 古典派から最新の作品まで、誇張のない細密画のような演奏を残したブール。晩年に残したラヴェルの管弦楽曲集は、そんなブールの集大成といっていい。ただ心地良く流れるだけのラヴェルではなく、作品に潜む現代的なエッセンスまで掘り返す精緻さ。リゲティやリームなど、現代曲のスタンダードとなった録音を数多く残した理由もよくわかる。先駆的なものに洗練が加わった。

 次の常任指揮者カジミエシュ・コルトは、オーケストラとの相性がさほど良くなかったらしい。6年間在籍したが、これといった録音も思いつかない。この唯一の黒歴史ともいえるポーランド人指揮者からタクトを受け継いだのが、ミヒャエル・ギーレンだった。13年間の在籍のあと、常任をカンブルランに譲ってからも首席客演指揮者として長くオーケストラに関った指揮者だ。

 ギーレンは、もともとロマンティックな音楽観を持ちながら、それを覆い隠すようにひどく冷たい、素っ気ない音楽を志向した。たとえば、チャイコフスキーなどロマン派名曲を演奏すると、笑っちゃうくらいに速く、素っ気なく、キチキチになってしまう(どちらかというと、「怒っちゃう」聴き手のほうが多そう)。その行きすぎ感のある感情排除、あるいはロマン的欠乏感が、「この人はここまでしないと、感情を廃することができないんだ!」などといった情感を聴き手の心に去来させ、逆にしっぽりとしたロマンティシズムがぬくぬくと胸に涌き上がらせるというわけである。手の込んだ美学だが、わたしのようなヒネクレ者に妙にしっくりくる、人間くさい音楽でもあった。「人間の顔をした即物主義」とでもいってしまおうか。

 このオーケストラは、一筋縄でいかぬギーレンの音楽を忠実なまでに表現していた。ひどく冷淡な質感は他のオーケストラでも味わえるものの、この冷たさの奥に隠されたものまでチラリと覗かせる技量があったのは南西ドイツ放送響だけだったのではないか。
 分裂的なマーラーの交響曲には、適任なコンビだった。音楽の構造をしっかりと示しつつも、そこに様々な喜怒哀楽をさらりと埋め込む。悲鳴と愉悦が交差し、ときには颯爽と、あるときには重量感をもって表す。交響曲全集に発展したマーラーだが、そのなかでもキャリア最終期の第5番と第10番の演奏が印象的だ。この頃のギーレンは本来のロマンティックさをあまり隠さないスタイルに転じていたが、表現の広がりが魅力になった。
 また、ギーレンとの演奏では、録音数は少ないが、ハイドンの交響曲が品があってすばらしい。精密な構築感のなかに、遊び心が可愛らしく交じるスタイル。

 次の常任指揮者、シルヴァン・カンブルランは、豊富な色彩感をオーケストラにもらたした。これまでモノクロームの美学をとことん極めた常任指揮者ばかりだったオーケストラにとって、これは大きな転換点でもあった。ベルリオーズの大曲やブルックナーの交響曲など、決して力まず、サウンド全体を徹底して設計、音と音が繊細に重なり合い、それが開放的な広がりをもって提示される。そして、カンブルランといえば、やはりメシアン。《彼方の閃光》は、ゆったりとしたテンポから、色彩華やかに、作品そのものの豊饒さを見事に引き出す。極楽極楽。

 常任指揮者以外で忘れていけないのは、カンブルラン時代に首席客演指揮者に就いていたハンス・ツェンダーだろう。ブールの細密なスタイルから、さらに肩の力をすっぽり抜いた彼の音楽は、もはや解脱系といってもいい。メンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》の、やはりいささかも物語性を感じさせぬ、サラサラと淀みなく戯れ続ける響きの面白さ。
 また、レオポルド・ストコフスキーやジョン・バルビローリといった、オーケストラのカラーとあまり合わなさそうな指揮者との共演もなかなか面白い。
 ストコフスキーのチャイコフスキーの交響曲第5番は、ケレン味たっぷりのストコ節をこのオーケストラは大真面目な顔で奏でているし、バルビローリが振るベルリオーズの幻想交響曲は、指揮者のスタイルに忠実に、やはり超絶濃厚に歌う(でも、どこか醒めていて、そこがまた濃厚さを引き立てる。甘味における塩効果だ)。

 そして、最後の常任指揮者になってしまったフランソワ=グサヴィエ・ロト。古楽から現代まで幅広いレパートリーを何の気負いもなく、軽々とこなすポスト・ピリオド世代であり、これからもっとも注目されていく指揮者であることは間違いない。
 ロトとこのオーケストラは、R.シュトラウスの管弦楽曲集のチクルスを録音している。ロスバウトやブールの時代から伝わる精密さや洗練、ギーレンならではのアクティヴさ、カンブルラン時代で培った色彩感が豪勢に加わったオーケストラ。ロトはその蓄積を生かし、すばらしい統率力とグルーヴ感により、具体的な描写力に頼らない新しいシュトラウス像を打ち立てた。
 もっとも新しい録音である《アルプス交響曲》も、山の散策などといった手っ取り早い描写性とは無縁。そこには、生と死についての深い洞察が横たわっているかのよう。どちらかというと、ベートーヴェンの《田園》交響曲を巨大編成で聴いたかのような心地さえるする。作曲家自身がニーチェ哲学(アンチ・キリスト)をモチーフにした作品から、ここまで忠実に生の肯定感を引き出した演奏があったとは。巨大にして、涙があふれるほどに美しい(一方、併録の《ドン・ファン》は、震えるような悲哀に満ちている)。
 すべてが滑らかに流れるのだけど、一つひとつのエピソードが濃厚だ。このオーケストラの歴史が走馬燈のように流れるようだ、なんてつい思ってしまったのは、自分の強い思い入れだけではないような気もして。
 人生は、そしてオーケストラの歴史も、アルプスより高くそびえ立ち、巨大だ。

(すずき あつふみ 売文業) 

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