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「秋の夜長はやはりチェリ」

Monday, September 15th 2014

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第55回

「秋の夜長はやはりチェリ」

 先日、来日したボッツィーニ四重奏団が井上郷子と演奏したフェルドマンのピアノ五重奏曲を聴きに行った。
 音色や音形などが微細に、ゆったりと変化していくのに耳をそばだてる。まるで、穿った天井から覗く空の変化をまったり楽しむジェイムズ・タレル作品のような心地。物語や構造とは無縁な、響きそのものの体験。そして、次第に自分自身が音楽の内部に取り込まれているような気さえしてきて。
 新しいシーズンの幕開けにしては少し遅れたけれど、この時期にフェルドマンの長い曲を聴くのは、夏のあいだセミの鳴き声を聞き続け、すっかりダラけきった耳を調律するようなもの。繊細な響きのシャワーを浴びて、耳を洗うようなもの。うん、これで今シーズンも楽しく音楽を聴き続けていける、といった自信がようやく漲ってくる(毎年、夏の終わり頃にフェルドマンの演奏会があったらよいのになあ)。

 家に帰ってからは、セルジュ・チェリビダッケがフランス国立放送管を指揮したライヴ録音ばかり続けざまに聴いた。アルトゥス・レーベルから立て続けにリリースされたこのシリーズ、暑い夏のあいだはさすがに手を付けていなかったし、何よりもフェルドマンの後に耳を傾けるのに、彼の繊細な演奏は誂え向きだからだ。
 これまで3回に分けて、9種類のディスクがリリース済み。さらに、今月末には第4弾として2点のディスクも予定されている(そして、チェリビダッケの新譜としては、Weitblickから出るスウェーデン放送響との《魔法使いの弟子》も期待大だ)。

 このフランス国立放送管とのシリーズの特徴は、オーケストラの自発性が手に取るように感じられることだ。チェリビダッケの晩年の演奏は、それはとてもすばらしい完成度だけど、ドイツのオーケストラはリハーサルでこの老巨匠にさんざん絞られて萎縮しているところもあるのか、ノリがいいとはいえないところもある(しかし、そのノリの悪さが、とんでもなく透明感のある美として結実しちゃっているのが面白いのではあるけれど)。その点で、壮年期のチェリビダッケとこのフランスのオーケストラによる弾力性が備わった音楽がステレオで出るのは、まこと悦ばしい限り。

 まずは、ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》。ただ、全曲ではない。わたし個人としては、喧騒のなかに突然に終わってしまう、こういった抜粋演奏のほうが好みなのだが(あの最後の恨みがましい音楽はカッコ悪いでしょ?)、冒頭の「謝肉祭の踊り」とか「ペトルーシュカの部屋」が入ってないのはちょっと残念ではある。
 とはいえ、第4場の「乳母の踊り」には、とくに度肝を抜かれた。居住まいを正されるくらいにバランスが取れている声部の重なり具合。それは、まるでバッハの管弦楽組曲を聴いている心地さえしてくるほど。もしもカール・リヒターが長生きして、ストラヴィンスキーを演奏するようになったら、こういった響きになっていたかもしれない、なんて妄想も涌き上がってくる。
 つまり、近代管弦楽ならではの「俺も俺も」といった、やかましさを感じさせない上品に整理されたペトルーシュカなのである。その上品さがさらに作品のシニカルな局面を増幅させるのもたまらない。しかもその音色のセンスは抜群(あ、でもクレンペラーの演奏同様、この音楽でバレエは踊れません)。

 もう何度も書いたけど、シュトラウス一家のワルツだのポルカだのは、退屈な音楽と思っている。ウィーンのニューイヤーコンサート中継を最後まで見たのはクライバーとアーノンクールが出た年だけ、そのアーノンクールだって、シュトラウス演奏はベルリン・フィルと組んだ交響詩みたいな演奏を評価しているくらいだ。
 そんなシュトラウスでも、チェリビダッケが振るなら是非聴いてみたいと思う。なにしろ、初めて彼の《こうもり》序曲を聴き、あまりにもの美しさに落涙してしまったことがあるからだ。このフランス国立放送管との演奏でも、同曲のロザリンデのアリアの旋律が超真剣に奏でられていて(劇中では、夫を騙すためにわざとらしく歌うシーンなのに)、胸を打つ。いや、胸を打つ前、物語との乖離に、つい笑ってしまう。
 このオペレッタの物語を知っておれば、こんな演奏はできないはず。というよりも、チェリビダッケは、物語よりもスコアに書かれた音楽を最優先しただけなのだと思う。さらに、この指揮者の手にかかると、ドタバタ喜劇のなかに、ロザリンデという女性の本当の心情が隠されているのではないか、といったことも邪推できてしまう……。いずれにせよ、音楽がいちばんの真実ってことで。
 序奏から主部までの流れの良さ、曲想の変化が構造化を促す《ウィーンの森の物語》、オーケストレーションの妙すべてを引き出し、まるでストラヴィンスキーの諧謔に達した《トリッチ・トラッチ・ポルカ》。美しいけれど曲のシニカルさも露呈してしまった《皇帝円舞曲》などもあるが、とかくウィーンらしい曖昧さとは無縁、バカ真面目に正面から取り組んだシュトラウスって、なかなかいい、ユニークな音楽になっているではないの。
 この演奏を耳にすると、こんな極端なことさえ口にしたくなる。本当はすばらしい音楽を書いたシュトラウス一家。その作品をいかにくだらなく、退屈に演奏するか、といったことを作曲家を初めとしてあえてやっているのが、いわゆるウィーンという文化なのではないか。いやはや、爛熟しきった、高踏かつマニアックな文化だこと!
 
 そして、現代曲の古典にもなっているデュティユーの《メタボール》が入っているのも実に嬉しい。若い頃は20世紀作品をたくさん演奏したチェリビダッケだが、ステレオ録音で残っている作品は数えるほど(晩年はそれこそブルックナーを中心としたドイツものばかり振っていたし)。ラヴェルやドビュッシーで、あれほどにオーケストラ音楽の精緻さを示した指揮者だけに、こうした現代曲ではそれがさらに生かされることは間違いないのだから。
 たとえば、シャルル・ミュンシュにも同じフランス国立放送管との同曲録音があるが、これは音の絶え間ない動きをクローズアップしたような演奏。他の指揮者の演奏も同様、《メタボール》とはいかにも変奏曲らしい、動的な趣向が際立った作品だと長い間わたしは認識していた。
 これがチェリビダッケの手にかかると、そうした動きはもちろんのこと、デュティユーが作り出した響きそのものの面白さが引き立つ音楽になるのだ。最終曲では、響きがホール内を過不足なく満たしていき、音にふんわり包まれている自分を感じることができる(ヘッドフォンで聴いているわたしでさえも)。
 20世紀のオーケストラ作品には、響きのユニークさ、これまで誰も聴いたことがないサウンドを創出することを目的の一つとして書かれたものが少なくない。晩年のチェリビダッケが、ブルックナーだけではなく、ミュライユとかラッヘンマンとかシェルシとか、そしてフェルドマンらの作品をたくさん振ってくれていたなら、おそらく現代音楽は「とんでもなく気持ちいい音楽」として多くの人の耳に馴染んだのでなかろーか、なんて妄想をしちゃったりする秋の夜。虫の音に包まれつつ。

(すずき あつふみ 売文業) 

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