故・油井正一氏をして「生きていてよかった!」と言わしめ、日本全国のジャズ・ファンを悶絶させ一部紛糾させた1966年7月のジョン・コルトレーン最初で最後の来日公演。それから45年という節目のときを迎え、『John Coltrane Live in Japan』という我が国が世界に誇るコンサートの記録が、2005年に発見された「全三部の記者会見」という新たなドキュメント・コンテンツが加わった増強・拡大盤という形で再び世に出ることとなった。
ちなみに、各インタビューのランニングタイムは、「共同記者会見第一部:12分41秒」、「共同記者会見第二部:4分41秒」、「プライベート・インタビュー:16分48秒」となる。都合30分以上に及ぶコルトレーンのインタビューを収めたプロダクツというのは、公式なものにおいて世界中見渡してもおそらくこの『Live in Japan』以外には存在しないのではないだろうか? コルトレーンに対する我が国日本の敬愛の深さ、そこに一瞬たりとも手を抜くことなく強烈な熱風を吹きつけたコルトレーンの誠。今一度しっかり噛み締めたいと思う。
今回の【完全版】が登場するまで最もポピュラーだったのがこちらのCD4枚組セット。87年にワーナーからセパレートで発売されていた『ライヴ・イン・ジャパン Vol.1』、『同 Vol.2』を91年にマイケル・カスクーナの監修・編纂で合算したものとなる。TBS、ニッポン放送が所有していたマスターを採用したモノラル音源。ディスク1,2には、ツアー2日目つまり7月11日の東京サンケイホール公演から「Afro Blue」、「Peace On Earth」、「Crescent」が、ディスク3,4には、東京ステージ千秋楽となる同月22日の厚生年金会館公演から「Peace On Earth」、「Leo」、「My Favorite Things」がそれぞれ収められている。ブックレットには、写真家・宮下明義氏によるコルトレーンのポートレイトが掲載されており、またライナーノーツは、カスクーナの書き下ろしと併せて、評論家の岡崎正通氏が86年に執筆したものが再び採用されている。ほか、7月7日に宿泊先の東京プリンスホテル、コルトレーンの部屋で行なわれたインタビュー・テキストも掲載。ちなみに海外盤にも岡崎氏のノートは英語に翻訳され掲載されている。現在この4枚組、国内盤は数年前に生産が終了しており、輸入盤のみが入手可能となっている。
サン・ラー・アーケストラでの活動(『Featuring Pharoah Sanders & Black Harold』参考)などで激しい雄叫びを上げていたファラオに目を付けていたコルトレーンは、65年『Ascension』のセッションでこの若き闘士を初起用。直後に正式メンバーとして迎えられ、コルトレーンが世を去る1967年まで、レギュラー・クインテットのフロントライン ”二枚岩”の牙城で大暴れした。初リーダー録音は65年のESPだが、コルトレーン・グループ入団を受けてImpulse!に移籍。記念すべき第1弾『Tauhid』を皮切りに、『Karma』、『Thembi』、『Love In Us All』など、所謂「スピリチュアル・ジャズ」の基本概念を示した計11枚のリーダー作を吹き込み、コルトレーン亡き後の同レーベルの看板アーティストのひとりとしてジャズの”ニューシング”を牽引した。
ジョン・コルトレーンの死の翌年に、彼が残したカルテットと共に録音された作品。夫ジョンの音楽への意志を踏襲しようとするアリスの強い熱意は、コンセプトとアイディアを同時に取り入れ既存の音楽フォーマットを超えようとする試みに充ちている。結果的には彼女にしか成し得ない慈愛に満ちた天の川ハープの世界が広がっている。「Lord, Help Me To Be」、「The Sun」の2曲は『Cosmic Music』にも収録され、後者は甥のフライング・ロータス「Comet Course」の中でサンプリング使用されていることでも知られている。
至高のコルトレーン・カルテット在籍中に、エルヴィン・ジョーンズとジミー・ギャリソンがカルテットのリズム・セクションに三管フロントを組み合わせて吹き込んだ、フリージャズにも接近した先鋭的な演奏が強力な1963年作品。チャーリー・マリアーノを迎えたエルヴィンの65年リーダー作『Dear John C.』をカップリング。そちらには不参加。
[1965-1967]のコルトレーン・グループにおいては、もちろんこの4人以外にも演奏記録を残しているメンバーはいる。”至高のカルテット”を形成したマッコイ・タイナー(p)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)は、65年11月23日の『Meditations』録音後に共に退団するまで在籍。つまり65年のほぼ1年間は、主にこの「クラシック・カルテット」を軸にした編成でセッションに臨んでいる。61年、Atlantic時代最後の『Ole』セッションや、Impulse! における最初の『Africa/Brass』セッションなどで、ツインベース・サウンドが必要の際にサポーター的に参加していたアート・デイヴィスだが、この時期は65年の『Ascension』セッションに一度登場したきり。アートに代わってそのツインベース・サポーター役に重用されたのが、シカゴのハードバップ・シーンで活躍していたドナルド ”ラファエル”ギャレット。本職のベース以外にバス・クラリネットを操る芸達者ぶりで、さすが「第5のメンバー」と呼ばれていた人物だけはある。ファラオ初見参の『Live in Seattle』、『Kulu Se Mama』、『OM』に登場する。ニュー・クインテット誕生以降折に触れてパーカッション奏者が加わることもあったが、66年の『Live At The Village Vanguard Again!』に記録された「My Favorite Things」における怒涛のアフロポリ生成に一役買ったのがエマニュエル・ラヒムだ。のちに自己グループ名義でリリースした『Total Submission』(ファラオの「The Dues Prayer」と異名同曲となる「Spirit of Truth」を収録)がレアグルーヴ界隈で人気を博すラテン・パーカッション奏者、忘れじの名演。
”コルトレーン入門”の1枚として、『Blue Train』(Blue Note)、『Giant Steps』(Atlantic)、『My Favorite Things』(Atlantic)あたりの作品を推してくるというのは、今昔変わらず鉄板と言うべきか、然様なテーマでは誰がどうチョイスしてもこの3枚が外れることはまずないでしょう。巷に散乱するジャズ・ガイドブックを開いてもこのうちのいずれかは ”殿堂入り” の作品、あるいは通過儀礼的にマストなものとしておよそ大々的に紹介されているはず。また、『Ballads』、『Coltrane』(共にImpulse!)なんかを”丸投げ”しても特別問題はなかったり・・・ところが、『Live in Japan』をご本尊に据え置きながら本稿で取り上げているこの時代、つまりレコード会社在籍体系においてImpulse!の中・後期、西暦において大体1965〜67年のコルトレーン作品と不特定多数の方々にファースト・コンタクトを取っていただくにあたっては、レコメンドする側(特に一介の小売り)のより慎重且つ大胆な態度が必要になってくるのではないか、と手に汗握る日々を勝手に過ごしている昨今。とにかく語彙の豊富さと言葉自体のキレがないことには、この時期のコルトレーン・グループ特有のサウンドは巧く表現しきれない、などなど本当にヘコたれそうな今日この頃・・・
「長丁場のジャズとの対峙」を苦痛に思うかどうかはこの際置いといて、この時期のコルトレーン・グループ特有の強烈な演奏に耐え切れるかどうかがまずは第一のハードルになる、と言えば適当でしょうか。激しい呻き声を上げながら一目散に出て行ってしまった息子(ファラオ)、その後を裸足で追いかける親父(トレーン)もこれまた強烈な怒号を轟かせる。ママ(アリス)は「いつものことよ、ほっときなさい」といった様相で持ち場を離れず。ブラザーたち(リズム陣)はアフロとも何とも形容しがたい騒乱パルスですべての隙間を埋め尽くす。「悪魔のいけにえ」のソーヤー一家の狂気の団欒を想起...などとはあまり大きな声では言えませんが、どう考えても圧倒的な風景。何だったらあまり関わりたくない修羅場だと目を背けるのがおよそ一般的。『Live in Japan』や『Live At The Village Vanguard Again!』の「My Favorite Things」を聴いてるかぎり、とてもじゃないが「京都に行こう」だなんていう気にはなれない。天井知らずにしばき上げられるソプラノ/テナー・サックス、地を這うベースソロによる殺しのメロディ 、決壊し氾濫したリズムの洪水がいざなう果ては、間違いなく新幹線で2時間ほどの情緒溢れる古都ではなく、往ったきり帰ってくることができないと見込まれる魔境の僻地? そう考えるとこれ以上恐ろしくて聴き込めません! と ”トレーン・イップス” を発症したリスナーが当時続出したかどうかは判りませんが、そこには「ジャズの巨人」として総じて親しまれていた60年代前半までのコルトレーンの姿はすでになかった、と極端な解釈をせずにはいられない壮絶な音のせめぎ合いがみっちりと封じ込められています。
いかにも物騒な怪事に触れるかのような抽象テキストを並べてしまいましたが、この時期の「Naima」あるいは「Peace On Earth」などは、これに反して美しくも荘厳な銀河系の大海原へ聴き手諸共放り出してくれる無限の開放感と幸福感に満ち溢れている、そんなK点越えのスーパーアレンジ。ところどころで殺気立つファラオの咆哮にもどこか狂気と表裏の「美しさ」、轟々と命燃やすがための「儚さ」を感じずにはいられず、また90年代以降のクラブジャズ・シーンがコルトレーンの精神性のようなものに最接近し深くコミットしたという文脈の凡そは、おそらくこのあたりの楽曲からの大きなシンパシーに依るものであったと捉えることができそうです。ただやはり、65〜67年においてコルトレーン自身によって再構築された「Naima」、「Peace On Earth」などには、生半可な覚悟でおいそれと手を出すわけにはいかない、至極アンタッチャブルなムードが漂い、圧倒される・衝撃を受けるという意味でも前述の「My Favorite Things」と同列で語り継がれていって然るべき、それほど他の追随を許すまじこの世に二つとないものだということも加えておきたい次第なのです。
『Ascension』のリリースに先がけた65年9月30日、シアトルのライブ・ハウスにファラオ・サンダース(ts)とドナルド・ギャレット(bcl,b)を加えたニュー・セクステットで登場したコルトレーン。圧巻の「Evolution」に続く「Afro Blue」における新加入ファラオのソロも素晴らしい。アナログ時代は3曲しか収録されていなかったが、その「Afro Blue」をはじめ、現在では「Body and Soul」、「Tapestry In Sound」が追加収録された2枚組がスタンダードとなっている... ≫
『Ascension』でフリージャズ時代の到来に呼応したコルトレーンは、65年9月22日のセッションを最後に ”至高のカルテット” を終息させ、およそ1週間後、シアトルの「ペントハウス」でのステージには『Ascension』で共演したファラオ・サンダースを正式メンバーに迎え入れたセクステットという編成で登場しました。このときの音源が『Live in Seattle』ということになるのですが、とにかくファラオの力みまくりで燃え上がりまくりのテナーが強烈。さらにドナルド・ギャレットのベース/バス・クラリネットが入ることで厚みを増したサウンドは、『Ascension』の騒乱や混沌でさえ凌駕しそうな圧倒的なエネルギーを放射しており、その熱波にクラクラすること受けあいです。ファラオ・ファンにも当然マストでしょう。
そんなハードなギグの翌日にも彼らはスタジオ入りし、ヒンズー教で「上帝」を意味する『OM』というタイトルの組曲を吹き込みました。呪術的で長尺に及ぶ演奏。ファラオの発狂にも近い怒涛のソロは、ジョー・ブラジルのフルートを加えたセプテットによるマッシヴなインタープレイと相俟って何度もレッドゾーンに突入。「あのブヒブヒ騒いでるヤツは誰だ!?」と訝しげな伝統主義者の牽制もおかまいなしにとにかく何度も振り切れる。これにはコルトレーンもいたくご満悦の様子。尚このアルバムのライナーには「Om Mani Padme Hum」と記されており、その言葉は「聖なる蓮の華(仏陀)に帰依する」を意味。コルトレーンのインド哲学ひいてはこの年に対面を果たしたラヴィ・シャンカールへの深い傾倒ぶりを示しています。ラーガのいろはから、その意味や精神性、インプロヴァイズの仕方、背景のドローンなど、シャンカールから教え伝えられた(音楽を介した)インド哲学は、この『OM』という作品を通してコルトレーンの中で誠実に昇華されていきました。「君の音楽にはやすらぎや平和がない。人々が聴いただけで幸せになれるような要素がない」とシャンカールにダメを出されたことに音楽観を180度ひっくり返されそうなショックを受けるも、そこは生真面目で勤勉なコルトレーンらしく素直にその言葉を受け入れ、ある種の覚醒された感覚の中で編み上げた『OM』。そこには、コルトレーン流の幸福論が抽象的ではありますが随所にたっぷりと含まれている作品と感受してもらってもよいかもしれません。2週間後の10月14日には、西海岸はL.A.楽旅のすがら、フランク・バトラー(ds,per)、ジュノ・ルイス(per,vo)を加えたオクテット編成にてアフロポリ・ナンバー「Kulu Se Mama」、静かに燃ゆる「Selflessness」の2曲を吹き込みました。11月下旬には、セカンド・ドラマーとしてラシッド・アリを正式にメンバーに迎え入れ、その年の9月に行なわれた『First Meditations』セッションの一部マテリアル(+新曲)を再度吹き込むことを決意。パワフルなポリリズム、ファラオの咆哮テナー、新たなエレメンツが加わることでテンションが極限にまで高められたこのセッションは『Meditations』というカタチで世に出ることとなりました。「First」と冠されてはいるものの後出となった『First Meditations』と聴き比べていただければ、そのパワーやダイナミズムの差には歴然としたものがあると言えるでしょう。肉体は病魔に蝕まれつつあったものの、理想的な音の創造へ着々と脇固めをしながらいよいよ前人未到の境地へと向かわんとする、そんなコルトレーンの晩期の充実ぶりがこれらどの作品にもしっかり刻まれています。
残りの「Lord Help Me To Be」、「The Sun」は、コルトレーンの死後にファラオとアリスが中心となって作られた楽曲で、後者はアリスの初リーダー・アルバム『Monastic Trio』にも収録されています。また、この2月の初セッションで録音された晩年の名曲「Peace On Earth」、「Leo」は、死後にアリスが改悪(要するにストリングスやハープなどを被せまくっている)を施したものが『Infinity』や『Jupiter Variation』といった未発表編集盤に収録され、ファンから「な、何を無神経な!」と大ブーイングを買ったことでも有名です。
同じく2月には、N.Y.のフィルハーモニック・ホールで遂にアルバート・アイラーとの共演が実現。コルトレーン、ファラオ、アイラー兄弟、カルロス・ウォード(as)が揃い踏んだ「My Favorite Things」も演奏されたそうで、音の洪水がものすごい勢いで渦を巻いているのを想像しただけでも鳥肌が立つってもの。当夜の音源、将来的には発掘されてほしいものですが・・・と乞うしてもラチがあかないので、このニュー・クインテットによる素晴らしくも定番な実況録を。同年5月28日のヴィレッジ・ヴァンガード公演を収めた『Live At The Village Vanguard Again!』は、ファンがそのニュー・クインテットの演奏を初めて作品として耳にすることができた記録、つまり”お披露目盤”となるものです。美しく澄み切ったトーンで先陣を切るコルトレーンのテナー、バトンを受けたファラオのソロにも荒々しいが神秘めいた美しさが潜む。先妻の名を冠した「Naima」という曲をアリスはどういった気持ちで奏でていたんだろう? といった下世話な詮索をする余地すら与えない、完璧で究極なる美が両雄息吹きのアバターとして目の前を舞う。ギャリソンの6分に及ぶベースソロに導かれて堰を切る「My Favorite Things」は、もはや初演の表情を残していません。挽歌のようなメロディをソプラノのディープなトーンで吹き上げれば誰もが、その第三の眼が開眼されたかのような主役の顔つきにドキドキしながらもある種のカタルシスを得る。あっという間に天空に舞い上がりはじけて消えたアドリブは、そのままファラオの激情を扇動しながら、はるか彼方の聖地(ゴール)に向かって突き進む。それにしてもすさまじいのがギャリソン=アリがその背後で蠢き錬り出すパルスでポリなリズム群。エルヴィンやマッコイが堪りかねて脱退した理由も何となく見えてきそうな、そんな嘗てない多層的なリズムのうねりが隙間という隙間を埋め尽くしています。またこの度 Impulse! からワールドリリースされることとなったDCPRG『Alter War In Tokyo』ですが、彼らが十余年来推進し続けるアフロポリ、そのひとつのロールモデルともなった演奏がここに記録されているという点で、電化マイルスだけでなくImpulse!期のコルトレーン・マナーにもDCPRGは追随していることを(遅ればせながらではありますが)推察することができるかもしれません。
激越なるヴィレッジ・ヴァンガード公演から1ヶ月半程を経た7月11日、全日本トレーン信教組合および全てのジャズ狂連に特大のインパクトを与えた歴史的な来日公演が、東京サンケイホールを初日として幕を開けました。17日間の滞在中16公演を行なうという超タイトなスケジュール、さらには体調不良も伝えられていたにもかかわらず、コルトレーンはそんなことを微塵も感じさせない熱演を連日繰り広げました。ある者は衝撃に打ちのめされ感動と興奮の坩堝へ、またある者は「なぜ、さくっと『ブルートレイン』を演らない!?」と苛立ち頭を抱える、ジャズの”ニューシング”なる事件に出くわし対峙し百出まとまらないムードが日本中を包み込んだか否か、しかし確実にその革命期が押し寄せていることをコルトレーン一行は強烈に体現/可視化しました。奇しくもビートルズ狂騒曲が日本列島を縦断した年(しかもたった2週間前に!)に行なわれた、コルトレーン初にして唯一の来日公演。その降臨はビートルズより局地的であったかもしれないにせよ、日本ジャズ史においては最大級の衝撃度を残したと言っても過言ではないでしょう。今回、その当時の記者会見三部を収録し【完全版】としてリリースされる『Live in Japan』で是非そのあたりを追体験しながらご確認していただければと思います。ちなみに、東京での最終日となった7月22日の厚生年金会館のステージでは、来日最中にヤマハからプレゼントされたというアルト・サックスを使って、コルトレーン、ファラオ(これがアルト初体験)の両者が素晴らしき ”アルト・バトル” を「Leo」の中で繰り広げています。その「Leo」のエンディングでは、音の洪水をかき分けながら「それではここで花束の贈呈を...」と司会の団しん也がくすぐったく登場してきて多分にズッコケを禁じえないのですが、まぁそれもこの時代ならではのご愛嬌ということで。
やがて春が訪れ、4月23日ハーレムにあるオラトゥンジ・アフリカ文化センターで開催された「アフリカの起源」コンサートに出演し、「至上の愛パート1:承認」、「My Favorite Things」などを演奏したコルトレーン・クインテット。アルジー・ディウィットとユマのパーカッションを加えたセプテット編成によるその演奏は、2001年に初めて公式に音盤化(『Olatunji Concert -The Last Live Recording』)され、”本当に最期のコルトレーンの記録”としてジャズ・ファンを驚愕させました。この時期の解釈としてすでにおなじみとなったギャリソンのベースソロからの「My Favorite Things」は、これまでになく破壊的。これは、コルトレーンの体力低下によりファラオのソロパートがより長く採用されるようになったことが一因なのかもしれません。61年にヴィレッジ・ゲイトで共演(ステージは共にしていない)して以来、ナイジェリアのパーカッション奏者ババトゥンデ・オラトゥンジが叩き出す強烈なアフリカン・ビートに心酔していたコルトレーン。彼に捧げた「Tunji」という曲があるぐらいその入れ込みようは激しいものでした。またこの時期、自身の身体を自らでコントロールできないほど健康状態が悪化していたコルトレーンですが、「オラトゥンジのためなら...」と最後の力を振り絞るかのようにこの日のステージに立ったそうです。5月にアリス抜きのピアノレス・クインテットでボルティモアにおける生涯最後のライブ演奏を行なったコルトレーンは、7月15日N.Y.ロングアイランドの自宅で吐血。翌16日に病院に搬送されたものの、17日午前4時、遂に帰らぬ人となりました。死因は肝臓がん。享年40歳。最晩年は、オラトゥンジらと先頭に立って黒人音楽の地位向上やその文化を発展させることに意欲を燃やしていただけに、志ざし半ばで”聖者”となってしまったことにはさぞかし大きな悔恨が・・・・・
と、中盤以降はその音楽キャリアを包括的に振り返っただけで、「結局何が入門としてオススメなんだい?」という声があちこちから聞こえてきそうな感じですが。極論すれば本稿で掲載したほぼ全ての作品がそのテーマに対して打ってつけなわけでして、そこにこの時期のコルトレーンをレコメンドする難しさがあります、と開き直りと自虐の白旗状態。とは言え、今回の『Live in Japan』【完全版】を筆頭に、『至上の愛』、『Ascension』、『Live At The Village Vanguard Again!』、『Expression』という5枚セットを入手して順繰りに聴いていくのがまずは順道妥当かなと。ハードコアなトレーン・フリークからの薫陶はその後のおたのしみにとっておいて...それでもこの5枚からは、理屈抜きに、ジョン・コルトレーンという、天賦の才を持ちながらほかの誰よりも真面目で努力家で、さらに真面目であるがゆえの決壊性分にも人々を強く惹きつけるパワーを持つ、そんな唯一無二の音楽家のソウルを感じ取っていただけるのではないかなと思っております。
『Live in Seattle』、『Concert in Japan』という後期クインテット屈指のライブ盤に、『Transition』、『Sun Ship』という『至上の愛』セッションにも通ずる”組曲”を擁する死後にリリースされた名編集盤、さらにはこちらも編集盤となる『Infinity』の5タイトルを収録したボックスセット。
ファラオ、アリスらを加えたニューグループの初レコーディング『Cosmic Music』、その新生クインテットのお披露目盤ともなった『Live at the Village Vanguard Again!』、ラヴィ・シャンカールとの親交から創造された『OM』、63年のニューポート・ジャズ・フェス音源に、65年10月のスタジオ・セッションを加えた『Selflessness feat. My Favorite Things』、67年の遺作となった『Expression』の5作品を収録。
マッコイ、エルヴィン、ギャリソンを擁した「クラシック・カルテット」音源を収録した8枚組ボックス。『With Duke Ellington』、『With Johnny Hartman』といったところから選曲がなされていないため中途半端さは否めないが、ディスク8にのみ「Crescent」や「Song of Praise」のファースト・ヴァージョンなど貴重な音源が纏められており聴き応えはある。またその豪華な外観の装丁と、100ページに亘って稀少フォトやトレーン本人のインタビューを挿入した解説が掲載されているブックレットもファンには嬉しいところ。