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【連載】Lamp 『遥かなる夏の残響』(第5回) Lamp 『遥かなる夏の残響』へ戻る

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2011年9月26日 (月)













        まさしく残響のシーズンとなってまいりました。
        Lamp・染谷大陽による月イチ連載コラム『遥かなる夏の残響』第5回。
        今回は個性派ブラジル3アーティストについて。    





70年代のブラジルには、欧米のポップスと違うのはもちろんのこと、それまでのブラジル国内の音楽ともまた違った、新しい音楽が沢山誕生した。
今回、ここに書くのは、そんな70年代のブラジルの中でも一際個性的な音楽を生み出したアーティストについて。


当たり前の話しだが、僕は、ブラジル音楽だったら何でも好きというわけではない。
ミルトン・ナシメントの音楽なんかは、はじめのうちは馴染めなく、好きではなかった。
しかし、他のブラジル音楽を聴いている内に、ミルトンの音楽もいつのまにか聴けるようになっていて、気付いたら凄く好きになっていた。
最近では、自分の中で、聴く頻度が一番多いアーティストになっている。

ミルトンの音楽は、「祈り」の音楽だなと思う。
良い曲かどうか、良いテイクかどうかは、どれだけこの世のものではない何か、おそらく「神」とか、僕にはわからないが、そのようなものに近づけたかどうかで判断していそうな音楽なのである。
いや、これはあくまで、僕の、何の情報にも基づいていない勝手な想像であって、つまり、ミルトンの音楽を聴いている僕がそういう風に感じているということなのである。
そして、話しが勝手に進んだままのところを続けてしまい申し訳ないが、その判断基準に気付いたとき、僕はかなり衝撃を受けた。
だから、最初、その良さに気付かなかったのか、とも思った。

彼の音楽はこれ以上ないくらい「ロック」だと思う。
穏やかな曲にもロックを感じるのだ。かなり強く。
「ロック」という言葉は、かつては、音楽的様式とその区別、はたまた、それに基づく相対的価値・評価などを表すために使われた。
今現在でも頻繁に使われる「ロック」という言葉。
その今日的な意味を考えるならば、アーティストの絶対的価値観のもとに作られた音楽に対して使われるべきであり、それは、性質上、反対の意思を生み得ない音楽を指すのではないだろうか、と思う。
そういう意味でミルトンは既に今日的なロックを70年代に完成させていたと思う。
もともと、ロックが60年代後半に生まれ70年代に続いていったものだとすると、彼はそのとき既に時代を超越していたのだ。
何かに抗う音楽は、ミルトン・ナシメントの音楽の前に平伏すしかないのである。
全てをあるがままに受け入れ、それを表現できる者こそが、最も凄い「ロック」を生み出す表現者となり得、個人的には、ミルトン・ナシメントなど70年代に活躍したミナス系のミュージシャンにそういうものを感じている。

ミルトンの70年代のアルバムはどれもお薦めだが、やはり、アメリカで作られたものよりブラジルで作られたものの方が、先に述べたところでいう「神」に近づいている感じがしていて、良い。
70年代前半なら、70年の『Milton』や72年のロー・ボルジェスとの共同名義盤『Clube Da Esquina』がお薦め。この頃の作品はどれも若く未完成・未成熟な魅力に溢れている。
『Clube Da Esquina』なんかは、長尺でとっつきにくさがあるが、一度はまれば、生涯聴き続けるであろう超名作であり、実際にこれを人生の1枚に挙げる人は多いのではないだろうか。
70年代中盤がミルトンの黄金期だと僕は思っていて、75年の『Minas』、翌年の『Geraes』、そして78年の『Clube Da Esquina 2』あたりの出来は圧巻である。
聴いているうちに、ミルトンの声がこの世に在らざる者の声に聴こえてきてしまう。
他人にミルトン・ナシメントを薦めたことはないけど、もし誰かにミルトンの音楽を気に入ってもらう目的でミルトンの楽曲だけを入れたベスト盤を作ったら、凄く楽しそう。そして、好きな曲が多すぎて、凄く迷いそうです。ちょっとそれ考えたらわくわくしてきた。
そして、出来たベスト盤は、ベスト盤のつもりで作ったはずなのに、どう選曲してもさしてポップにならないという結果に終わりそうだとも思った。
ミルトンが名盤『Minas』をリリースしたのが33歳で、それ以降にも名作を作り続けたことを考えると、僕もまだまだこれからなのかな、などと思えたりします。よし、そう思ってがんばらなくては。



ベスト盤を作ってもそんなにポップにならないというブラジルの有名なアーティストをもう一人。エドゥ・ロボについて。
そんな括りで紹介することもないですけどね。
彼の音楽も、最初は馴染めなかったけど、今は自分の生活になくてはならない存在になっている。
暗くて気持ち悪い曲調やメロディーが特徴である。
こんな紹介だと全然良くない音楽みたいだが、そうではない。
これが滅茶苦茶良いのです。

エドゥ・ロボは、とにかく不協和音を多用する。近い音や隣の音を平気で同時に鳴らす。
分かりやすい例で言うと、踏み切りの音。あれは、半音違いの音を同時に鳴らしている。
踏み切りの音は、危険を知らせるためにわざとああしているわけだが、近い音というのは、不安だったり不気味だったり、そういう印象を抱かせるわけです。
基本的に、普段僕らが耳にする欧米や日本のポップスには、不協和音は滅多に入ってこない。
そういう所謂普通のポップスに慣れた耳だと、エドゥ・ロボの和音や和声感覚にどうしても違和感をおぼえると思うが、何度か聴いて慣れた頃には彼の音楽の中毒になっているから不思議なのだ。

また、エドゥ・ロボの音楽は、リズム自体やリズムの取り方がすごく変わっているなと思う。リズムについての説明は、音楽をやっている人とは思えないくらい苦手なので、どこかで聞いたような説明になりますが、やはり音楽をやっていたというエドゥの父親の出身地の影響から、ブラジルの北東部のリズムが基本になっているらしいです。エルメート・パスコアルやシヴーカなんかに通じるものを感じることからも、きっとそうなんだろうな、と思って僕は聴いているわけです。

そんなエドゥ・ロボが神に接近しようとした?73年の『Edu Lobo (Missa Breve)』がかなり凄いアルバムなので紹介しておこうと思う。
このアルバム、後半はミサの組曲になっていて、不気味な教会の儀式を壁穴から覗き込んでいるような気持ちになる。
僕らの世代の日本人からすると、音楽と神はそんなにすぐに結びつくようなものではないが、もしかすると、向こうの人にとってはごく自然なことなのかも知れない。
アルバムのハイライトは、ミルトン・ナシメントが声で参加した「Oremus」という曲。
「宇宙」や「永遠」を感じる2分強のものすごい曲なんです。
多分、この世に存在するあらゆる音楽の中で「Oremus」を超えるものはないと思う。
ジャンルを超え、宇宙の果てとか時の彼方に行く感じ。
他にも、イントロが不気味過ぎて不快指数かなり高い「Kyrie」、段々と混沌とした展開になり、最後は意味不明の馬鹿スキャットに突入する「Gloria」、ラストの管弦楽器と女性コーラス・グループであるクアルテート・エン・シー等の声による不協和音の嵐がたまらない「Libera-nos」など、聴き所満載。
このアルバムには、カイミの兄弟、ノヴェリやネルソン・アンジェロ、ルビーニョ、テノーリオ・ジュニオールなどミナス関連の演奏家も多数参加していて、そこがまた良い。

こんな難解なアルバムを薦めてしまったが、エドゥ・ロボにはもう少し入りやすいアルバムがある。
彼の音楽を初めて聴くという人には、70年の『Cantiga De Longe』が良いかなと思う。
こちらは、「Zanzibar」や「Casa Forte」など、暗い曲調だが、エドゥ・ロボにしてはストレートな曲が入っている。
このアルバムのバックの演奏は、なんとクアルテート・ノーヴォ。演奏がやたらと熱く、力強いわけです。それだけでも聴く価値があるというもの。



さて、最後は、コードの魔術師とでも呼びたくなるような人、イヴァン・リンスについて。
彼は、アントニオ・カルロス・ジョビンやトニーニョ・オルタなどと並び、最も美しく、そして、複雑で緻密な曲を作るブラジルの音楽家。鍵盤系のシンガーソングライターだ。
彼の音楽の場合、とにかくその転調の妙技が最大の特徴となっている。
フレーズからフレーズへ、和音から和音へ、意外性のある展開で曲を紡いでいく。そんなイメージ。
イヴァン・リンスの曲作りの凄まじさは、二十歳そこそこの僕の感性にビビビビと来たわけでした。
僕はいつもギターで曲を作るのだが、そのせいかどうなのか、鍵盤で作られた曲に惹かれることが多いなと思う。自分にはない感覚に反応してしまうというか。

僕が最初に聴いたのは、77年の『Somos Todos Iguais Nesta Noite(今宵楽しく)』という黄色いアルバムだった。
このアルバムの特に中盤、「Choro Das Aguas」や「Maos De Afeto」、「Aparecida」など、どこまでも美しい曲が彼の真骨頂と言えるだろう。
僕は、イヴァン・リンスを聴いたりして、今、巷に溢れているようなポップスとはもっと別のポップスが作り得るんじゃないか、などと思ったりしたものだった。

イヴァン・リンスの傑作をもう1枚挙げるならば、74年の『Modo Livre』になる。
1970年頃のミルトン・ナシメントのバック・バンド、ソン・イマジナリオから3人のメンバーが参加しており、そこも、このアルバムの魅力となっている。
このアルバムでもゆったりとした綺麗な曲に耳が行く。
特に、「Espero」や「Avarandado」などで聴けるヴァグネル・チゾのオルガン・プレイは個性的で、且つ魅力的である。
また、「Abre Alas」や「Espero」のイントロなんかは、ヴァグネルのアイディアかと思うような、いかにもミナスな響きをしている。
個人的には、上述の「Espero」や「Avarandado」、それに「Tens」などのスローな曲に惹かれるが、このアルバムは、「Essa Mare」や「Deixa Eu Dizer」、「Abre Alas」などの力強いナンバーも人気がある。
このアルバムは、前述の『Somos Todos Iguais Nesta Noite』以上にポップな楽曲が並び、最初の1枚としては、こちらの方が良いのかも知れない。

この2枚でイヴァンの音楽にはまった人は、しっとりとした仕上がりの79年の『A Noite(ある夜)』を聴いてみると良いだろう。こちらも美しい名曲だらけの傑作盤である。


(文/Lamp 染谷大陽)


Lamp プロフィール

Lamp

染谷大陽、永井祐介、榊原香保里によって結成。永井と榊原の奏でる美しい切ないハーモニーと耳に残る心地よいメロディーが徐々に浸透し話題を呼ぶことに。定評あるメロディーセンスは、ボサノバなどが持つ柔らかいコード感や、ソウルやシティポップスの持つ洗練されたサウンドをベースにし、二人の甘い声と、独特な緊張感が絡み合い、思わず胸を締めつけられるような雰囲気を作り出している。 日本特有の湿度や匂いを感じさせるどこかせつない歌詞と、さまざまな良質な音楽的エッセンスを飲み込みつくられた楽曲は高い評価を得ている。これまでに6枚のアルバム(韓国盤を含む)をリリース。

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Lamp染谷大陽 推薦盤
商品ページへ
『Clube Da Esquina 2』
(1978年)
※廃盤

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『Edu Lobo (Missa Breve)』
(1973年)
※廃盤

商品ページへ
『Modo Livre』
(1974年)



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商品ページへ   Lamp  『東京ユウトピア通信』
    [ 2011年02月09日 発売 / 通常価格 ¥2,500(tax in) ]     

どこを切っても現在進行形のバンドが持つフレッシュネスに溢れている。
真っ先に"成熟"を聴きとってしまいがちな音楽性にもかかわらず、だ。
そんな人達あんまりいない--そしてそこが素敵です。

- 冨田ラボ(冨田恵一) -
前作『ランプ幻想』では文字通り儚く幻想的な美しさと、巷にあふれるサウンドとは一線を画す質感を持った世界を作り上げ、あらたなポップスのフィールドを更新する傑作を作り上げた。2010年夏に発売された限定盤EP『八月の詩情』では、夏をテーマに季節が持つ一瞬の儚さを切り取った詩とその情景を見事に表現したサウンドが一体となり、より濃密なLampの世界を持つバンドの新たな可能性を提示した。そして待望のニュー・アルバムとなる今作『東京ユウトピア通信』は、EP『八月の詩情』と同時に並行して制作され、丁寧に1年半という時間を掛けて作り上げられた作品。そのサウンドは新生Lampとも言うべき、より強固なリズムアレンジが施され、これまでのLampサウンドを更に昇華させた独自の音楽を作り出している。冬という季節の冷たさと暖かさや誰もが一度は通り過ぎたことがある懐かしい感覚、どこかの街のある場所での男女の心象風景などこれまで同様に物事の瞬間を切り取った美しい歌詞を、新しいサウンドの乗せて編み上げた8曲の最高傑作。現在の音楽シーンにの中でも極めて独自な輝きを見せる彼らの奏でる音は、過去や現在を見渡してもLampというバンドしか描けない孤高のオリジナリティーを獲得し、新たな次元に到達している。



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※次回に続く(10/20更新予定)




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