Tuesday, February 8th 2011
全4回・4週に渡りお送りしているLampの連載コラム、
『東京ユウトピア通信』の第2回目。
今週はいよいよ6枚目のアルバム
『東京ユウトピア通信』
発売です。
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Lamp
『東京ユウトピア通信』
[ 2011年02月09日 発売 / 通常価格 ¥2,500(tax in) ]
前作『ランプ幻想』では文字通り儚く幻想的な美しさと、巷にあふれるサウンドとは一線を画す質感を持った世界を作り上げ、あらたなポップスのフィールドを更新する傑作を作り上げた。2010年夏に発売された限定盤EP『八月の詩情』では、夏をテーマに季節が持つ一瞬の儚さを切り取った詩とその情景を見事に表現したサウンドが一体となり、より濃密なLampの世界を持つバンドの新たな可能性を提示した。そして待望のニュー・アルバムとなる今作『東京ユウトピア通信』は、EP『八月の詩情』と同時に平行して制作され、丁寧に1年半という時間を掛けて作り上げられた作品。そのサウンドは新生Lampとも言うべき、より強固なリズムアレンジが施され、これまでのLampサウンドを更に昇華させた独自の音楽を作り出している。冬という季節の冷たさと暖かさや誰もが一度は通り過ぎたことがある懐かしい感覚、どこかの街のある場所での男女の心象風景などこれまで同様に物事の瞬間を切り取った美しい歌詞を、新しいサウンドの乗せて編み上げた8曲の最高傑作。現在の音楽シーンにの中でも極めて独自な輝きを見せる彼らの奏でる音は、過去や現在を見渡してもLampというバンドしか描けない孤高のオリジナリティーを獲得し、新たな次元に到達している。
どこを切っても現在進行形のバンドが持つフレッシュネスに溢れている。
真っ先に"成熟"を聴きとってしまいがちな音楽性にもかかわらず、だ。
そんな人達あんまりいない--そしてそこが素敵です。
- 冨田ラボ(冨田恵一) -
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高校3年進学時に、そのまま附属となっている大学に進む進学コースと他の大学を受験する受験コースを選ぶことになった。高校での成績は芳しくなかったし、勉強に興味も失っていた僕は、附属という制度に甘える形で、大学受験はしなかった。
どういう理由だったかは知らないが、一級下の永井も進学コースを選び、一年後に、僕と同じ大学の同じ学部に入った。
大学に入り、一番初めに出会ったのが、クラスメイトの山本勇樹だった。
と言いながらも、大学時代を思い返せば、彼が最初で最後の友人だった。
彼は現在、HMVの本部に勤めている。そこでジャズを担当する傍ら、アルゼンチンやブラジルの音楽を推進していたりする。この文章の依頼が彼から来たのかどうかは知らない。
彼は僕より一つ年上。音楽について非常にマニアックな知識を持ち、田舎から出てきた僕に色んな音楽を丁寧に教えてくれた。1週間に2、3枚のペースでCDを借りていたように思う。
学校の帰りに、新宿や渋谷、神保町などのレコード店を一緒に廻ったりなんかもしていた。
僕は彼から教えてもらった音楽を夢中になって聴いたし、その中で気に入ったものなどを永井にも教えていた。
当時僕が60年代の音楽に興味があったこともあり、ソフトロックやボサノヴァあたりから入り、70年代のSSWやソウル、AOR 、MPBなど、少しずつ聴いていった。
今でも、ロジャー・ニコルスやミレニウム、サジタリアスなんかを聴くと、当時通っていた校舎の雰囲気を思い出す。
他にも60年代の欧米ものなら、ヴェルベット・アンダーグラウンドやビーチ・ボーイズ、ジョージィ・フェイムなんかをよく聴いた。
ボサノヴァなら、カエターノ&ガルの『Domingo』やジョアン・ジルベルトの『Getz/Gilberto』、その他、ケニー・ランキンの『Silver Morning』やニック・ドレイクの『Pink Moon』なんかもよく聴いた。
大学入学からの二年間は音楽を聴いてばかりで音楽活動からは遠ざかっていた。
永井とは、たまに会って、うちにあったMTR(マルチ・トラック・レコーダー)などを使い、ビートルズやオリジナル曲など、色々と録音をしていた。
どうにか良い形でバンドを組んで活動をスタートさせられないかと考えていた。
永井と二人だけではアイディアが具体化せず、もう一人誰か必要だと感じていた。
しかし、適当な人材を見つけることも出来ず、それは中々叶わなかった。
大学2年の冬、高校時代の友人の家に遊びに行く機会があった。彼とはフォークソング同好会で一緒だったし、クラスも二年間一緒だった。
その時に、最近のお気に入りの曲をその友人に聴かせるために、カセットテープに入れて行った。モッズとかフレンチポップスとか、ボサノヴァとか、60年代の音楽を詰め込んでいったのだと思う。
その日、その友人に、「趣味が近くて歌が歌える人は居ないか」などと訊いたところ、「一人居る」というので、早速その場で連絡を取ってもらい、その日のうちにそのバンドメンバー候補に会うことが出来た。それが榊原香保里(Lampのメンバー)だった。その友人と香保里さんとは、小学校からの知り合いで、仲もとても良かった。確かに話してみると、香保里さんとは趣味が合った。それに彼女の佇まいや雰囲気も良いなと思った。
その日は彼女の歌声などを聴く機会はなかったものの、永井と3人でバンドを組めば素敵なものになると直感的に思い、永井に電話でそのことを伝えた。
程なくして、3人でバンドを組むことになった。
バンドを組んでから最初の一年は、僕が作曲をして、それを軽く合わせたり録音したりする程度で、それ以外に活動らしき活動はなかった。
集まる日は、大抵が、始めに軽く歌って合わせて、あとの時間は、音楽を聴いたり、漫画や雑誌を読んだり、ご飯を一緒に食べたりするだけだったのだ。若者は得てして暢気なものである。
そんなある日、ボサノヴァのライブを告知したフライヤーを、渋谷のレコードショップで見つけ、メンバー3人でそのライブイベントに行ってみることにした。
それはオールナイトのイベントだったのだが、まだ僕らは若かったし、オールナイトというのが却って魅力的に思えた。
場所は西麻布、Magnacyというバーだった。
どういう経緯か、マスターが僕らの音源に興味を持ってくれたので、その場で作ったデモを聴いてもらった。結果、気に入ってもらえた様で、そのバーで定期的にライブとDJを交えたイベントを自主企画としてやることになった。先に紹介した大学の友人、山本勇樹にDJで加わってもらい4人で「Primavera」と題してイベントを何度か開催した。
ライブをやるにあたって何かバンドの名前が必要だということで、「Lamp」とした。
小さく狭いバーということもあったが、お客さんは毎度顔見知りの十数名程度、非常に小規模のイベントだった。
(次回へ続く)
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バックナンバー
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2/9に6枚目のアルバム『東京ユウトピア通信』を発売するLampが送る連載コラム、その名も『東京ユウトピア通信』。
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