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『HORO2010』 小坂忠 インタビュー 2

Friday, March 12th 2010

interview
小坂忠 インタビュー



--- 1975年の『ほうろう』の制作当時、小坂さんやティン・パン・アレイのみなさんは、やはりソウル、ファンクといったブラック・ミュージックからの要素を特に意識的に吸収しようとしていたのでしょうか?

 まぁ、そうだね・・・スライとか・・・そのぐらいの時代って言ったら、どんなのがあったけ?

--- 『ほうろう』がリリースされた1975年前後のブラック・ミュージック・シーンですと、所謂「ニューソウル」と呼ばれるようなものに良い作品が多かった時代で、アル・グリーン『Explores Your Mind』、スティーヴィー・ワンダー『Fulfillingness' First Finale』、マーヴィン・ゲイ『I Want You』、カーティス・メイフィールド『There's No Place Like America Today』といったアルバムが発表されていますね。

 あぁ、そうだ。この時代いいよね。もちろん、僕らにはすごく刺激的でしたよ。ちなみにビル・ウィザーズだと、その時代って何を出しているの?

--- ビル・ウィザーズは、『Making Music』ですね。あとは、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ『Wake Up Everybody』、ロバータ・フラック『Feel Like Makin' Love』、アイズレー・ブラザーズ『Heat Is On』なんかもこの時期ですね。

 うんうん。いいねぇ(笑)。


(註) 文中に登場のブラック・ミュージック作品

Explores Your Mind Fulfillingness' First Finale I Want You There's No Place Like America Today
Al Green
『Explores Your Mind』
Stevie Wonder
『First Finale』
Marvin Gaye
『I Want You』
Curtis Mayfield
『There's No Place Like America Today』
未CD化につき Bill Withersの商品一覧へ Wake Up Everybody Feel Like Makin' Love The Heat Is On
Bill Withers
『Making Music』
(未CD化)
Harold Melvin
& The Blue Notes
『Wake Up Everybody』
Roberta Flack
『Feel Like Makin' Love』
Isley Brothers
『Heat Is On』


--- そうなんですよねぇ(笑)、良い作品がかなり集中していて。

 やっぱり、時代なんだよね。1975年前後っていう。

--- 小坂さんご自身のことに関しても、この当時を振り返られますと、特別な時代だったとお感じになりますか?

 う〜ん、そうだねぇ・・・僕の経験してきたことで言うと、60年代後半から学生運動なんかがすごく盛んでさ。僕が大学に入った時も学校がロックアウトされたり。それがきっかけで高校時代のメンバーと再会して、バンドをやったりなんかしてね。それでプロになったっていう。そういう時代って、けっこう爆発的なエネルギーを持っていてさ。音楽だけじゃなくて、演劇でも映画でも、新しいものにどんどん挑戦していくエネルギーに満ちていた時代だった気がするんだよね。その時代に僕は、(註) エイプリル・フールとかをやってたでしょ。それで、エイプリル・フールが終わった後に、「Hair」っていうミュージカルに出ていたんだけど、やっぱりそれもその時代を代表した文化だと思うんだけど。

  (註)エイプリル・フール・・・前身となるGSバンド、フローラルのメンバーのうち、小坂忠、柳田博義(柳田ヒロ)、菊池英二の3人が、柳田の兄のバンド、ドクターズのベーシストだった細野晴臣と、細野が当時かけ持ちで在籍していたバンド、バーンズのドラマー松本零(松本隆)を勧誘し、1969年に結成したグループ。ヴァニラ・ファッジやドアーズを習作としたアート・ロック、サイケデリック・ロック色の強いサウンドで注目を集めた。同年、アルバム『エイプリル・フール』を発表した後に解散。その後、細野と松本はバレンタイン・ブルー(後のはっぴいえんど)を結成することとなる。


 この時期、日本では今で言う「ジャパニーズ・ポップス」みたいなものってまだ確立されてなかった。その当時の音楽評論なんかをする人たちは、「日本語のフォーク」とか「日本語のロック」とか、わざわざそう表現するような感じで、レコード会社のビジネスの中でも10%にも満たない、ものすごいマイナーな存在でしかなかったのね。こういう音楽って。だから、レコード会社がほとんどビジネスとして考えていないから(笑)、アーティストはすごい自由にできたんだよね。苦しかったけど、それを聴いてくれる人たちに支えられて、ずっと転がっていけたんだよね。

 そのうち70年代に入ってから、音楽自体がビジネスとして産業化されていく流れの中で、純粋性みたいなものが少しずつ形を変えていって・・・例えば、ミュージシャンとの関係、つまりヴォーカリストとバックのミュージシャンとの立場の違いなんかが浮き彫りになってきたというか、そういうのはあったよね。

 『ほうろう』を出した時っていうのは、ようやくこういった音楽をレコード会社がちゃんとしたビジネスとして展開し始めた、ほんとうに最初の頃だったんじゃないかな。『ほうろう』の後に、ティン・パン・アレイと「ファースト&ラスト・コンサート・ツアー」っていうツアーをやってね。30何ヶ所回ってさ。それが「全国ツアー」の先がけっていうか、地方のイベント・ネットワークみたいなものができたきっかけになったんだよね。       

--- 当時、音楽の興行で30ヶ所を回ること自体、前例がなかったことだったんですね。

 そうなんだよね。本当に大変だった。

--- そのツアーで小坂さんは心身ともに疲れきってしまったと・・・

 たしかに疲れた部分はあったよね。ヴォーカリストとバックのプレイヤーとの関係に・・・その頃ってやっぱり、外国から入ってくるサウンドもすごい刺激的で、また変化も激しくて、そういうものに向かって、プレイヤーはどんどん進んで行こうとするじゃない? でも、ヴォーカリストってさ、そんなに激しい変化に付いていくっていう意識になかなかなれないんだよね。

(小坂さんの奥様で、ミクタムレコードの代表も務められている高叡華さん) 歌がサウンドの一部に吸収されてきているっていう感覚はあったかもしれないですね。

そういうところで、プレイヤーとの意志の疎通っていうものが段々とね・・・お互いに距離がでてきちゃったっていうか。そういう時代はありましたよね。

--- そうしたことも引き金になって、音楽というかショービジネスの世界から徐々に距離を置かれるようになってしまったんですね。

 僕自身は、そういったショービジネスの世界に対する嫌なイメージは全然持ってなくて、ただ、それを巧く利用してやろうと集まる人の心が嫌なの。ショービジネスというもの自体は、すごい大事だと思うんですよね。音楽が発展していったりする上で、なくてはならないものだと思うんだけど。本当に音楽を愛して、そこに対しての夢を育てていくとかね。でも、中にはそうじゃない人もいっぱいいて、ただの手段でしかなかったりとか、そういうのを感じるのが嫌なんだよね。当時もそういう風潮はあったからね。

--- 60年代、70年代がひとくちに“いい時代だった”ということではないんですね・・・

 僕は、ツアーをやった後に、所謂一般の音楽世界からは遠ざかっちゃったでしょ。その後、音楽シーンは膨らんでいって、80年代ぐらいにはかなり大きいものになっているわけじゃない? でも、それを知らないのよ。いい目を全然味わってない(笑)。

--- 1978年には、すでにクリスチャンの洗礼を受けられて、ゴスペル専門レーベルのミクタムレコードを設立される一方で、ポップス作品のプロデュースやテレビ番組の主題歌などを手掛けられていたりもしますよね。 その当初は、ゴスペルとポップス・シーンでの仕事を両立してやっていこうと思われていたのでしょうか?

 そうですね、当初は。僕は76年にクリスチャンになったんだけれども、それまでは、教会音楽の世界って全然知らなかったんですよ。それまでのイメージとしては、何と言うか・・・教会の中にパイプ・オルガンみたいなものが、こうあって・・・

--- 厳粛なムードで聖歌隊が歌い出して。

 そうそう。まさにそんなイメージしかなかったんだけれども。でも、アメリカの西海岸なんかでは、60年代後半からヒッピーたちがどんどんクリスチャンになって、「Jesus Revolution」っていうちょっとしたムーヴメントが起こっていたんだよね。68年ぐらいかな。教会にそういったヒッピーが集まって、既成の教会とは違う新しい自分たちの文化を咲かせて、そこで伝統的な教会音楽じゃない、新しいクリスチャン・ミュージックが生まれてきた。だけど、日本ではなかなかそういったことがなかったんだよね。

 自分がクリスチャンになるってことは想像が付かなかったけれど、でも、(アメリカ西海岸の)そうした世界を見て、クリスチャンになったことには意味があるんだと思ったわけ。教会音楽の世界にもっと新しい風を吹かせるとか、そのために自分はいるんだっていう使命感みたいなものを感じて(笑)、そこから本格的に教会音楽でのはたらきをするようになったの。それって結局、片手間でできるようなことじゃないんですよね。

--- 本腰入れてどっぷり浸からないと・・・

 本当にイチから開拓していかなきゃならない状況だったから、自ずとその世界だけにどっぷり浸かるようになって。76年にクリスチャンになってからミクタムレコードを立ち上げるまで、その2年間だけは今と同じように仕事はしてたけど、段々と教会音楽に携わる仕事の割合が増えていったっていう感じかな。

 最近になってまた、こういったポピュラー音楽の活動をするようになったけど、ほとんどの人にとっては、そこから約25年間(クリスチャンとしての洗礼を受けた1976年から、ティンパンとの再共演やアルバム『People』を発表した2001年まで)の僕の活動が抜けているわけ。

--- 「空白の25年間」と言われている期間ですね。

 そう言われるんだけど(笑)、せっかくね、そういう風に興味を持ってくれる人がいるんだったら、「空白の25年間」と言われてる僕のアーティストとしての表現をやっぱり知ってほしいなってこともあって、『Chu’s Gospel』を出すことになったんですよ。ゴスペルといっても、AORっぽい音もあったりするんだよね。

--- 小坂さんのゴスペル作品には、今様なR&Bっぽいエッセンスもかなり詰まってますし、何でもありなんだという感じはありますね。

(高さん) ゴスペルって、日本ではブラック・ゴスペルのイメージが強いけれども、もっとコンテンポラリーな感覚なんですよね。

--- 例えば、カーク・フランクリンやフレッド・ハモンドのように、アメリカでは、コンテンポラリーR&Bとほぼ同一線上で活動している人たちが大勢いますが、日本では、そうしたR&B文脈の中をさかのぼって本格的なゴスペルへ行き着く、というようなリスナーが多い気もしていたのですが。

 というような感じでもないみたいね、日本は。日本でもゴスペル・ムーヴメントがあって、色々なゴスペル・クワイアが生まれたりもしたけど、きっかけは、『天使にラヴソングを』 。 

--- ウーピー・ゴールドバーグ。

 そう。あれを観て憧れた人が多いらしいんですよ。

--- お嬢さんのAsiah(エイジア)さんも、『天使にラヴソングを』を観たのがきっかけでゴスペル・シンガーに?

 いやぁ、そうじゃなかったと思うなぁ。

(高さん) ヒップホップやR&Bが元々は好きでしたね。

--- その辺の入り口は、世代的な違いなのかもしれないですね。

(高さん) 『ほうろう』のツアーの時にはまだ赤ちゃんで、いつも一緒に楽屋にいたんですよ。

 楽屋で育った感じですよ(笑)。

--- クリスチャンになられてからは、それ以前と比べて、ヴォーカリストとしてや音楽の作り手として、大きな変化などはありましたか?

 音楽がより大事になった、と言えると思いますよ。それまでも軽く思っていたわけじゃないけど、より大事になった。さっきも言ったように片手間でやるものじゃなくて、もっと全身全霊で立ち向かっていかなきゃならない、そういう存在ですよね。

 教会の中で歌うのもそうだけど、クリスチャンになった当初は、刑務所、少年院、病院、ホスピスのようなところへよく歌いに行ったんですよ。普段、人の目や関心があまり向かない、そういったところにいる人たちに、「忘れてないよ」っていう気持ちを届けたかったし。何より、僕が出会った神様が「見捨ててないんだよ」っていうメッセージを伝えたかったんですね。

 そういった場所で歌うってことは、それまでの僕の音楽活動と全然違うんですよ。ようするに、僕のファンがいるわけじゃないわけ。僕のファンの人たちがお金を払って聴きに来てくれるっていう形しか知らなかったんですよね、それまでは。僕のことを知らないのはもちろん、積極的に聴こうと思ってそこに座っているわけじゃない。そういう人たちに1時間から1時間半の間、歌を聴いてもらうっていうのはものすごい大変なことだったの。

 それまでの僕は、自分の音楽を判る人だけが聴いてくれればいいんだって、それぐらい消極的だったわけ。だけど、そんなこと思っていたら成り立たないんですよね。だから、昔はサービス精神なんて“かけら”もなかったんだけど(笑)、そこでは、何とかしてここにいる人たちに関心を持ってもらおうとか、楽しんでもらおうとかを考えて、冗談も言ったりするようになってね。だから、楽しくなった。自分が楽しめるようになったんだよね。

--- 色々な部分で精神的にタフになったというのもそうですが、小坂さんご自身が楽しめるようになったというのは何よりですよね。

 人が楽しんでくれている姿を見たらさ、絶対自分も楽しいよね。いくら僕の音楽が好きだって言われても、しかめっ面で聴かれたら、「オレはこんなしかめっ面しか作れないのか・・・」って思うしね(笑)。それよりも、僕の音楽が好きか嫌いか判らないけど、その場は楽しい表情に変わったりしたら、「この表情を少しでも作ることができたんだ」って、そっちの方がやっぱりうれしいよね。



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     HORO2010 (500枚限定LP)

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profile

小坂忠 (こさか ちゅう)

 1948年東京生まれ。本名・小坂正行。68年、モンキーズ・ファン・クラブの公募オーディションから生まれたGSグループ、ザ・フローラルの一員として日本コロムビアよりデビュー。その後、細野晴臣、松本隆らとエイプリルフールを結成。日本のロック黎明期において例を見ない本格的なサイケデリック・ロック・サウンドで注目を集めるが、アルバム1枚(『エイプリル・フール』)を発表したと同時に解散。その後は、ロック・ミュージカル「HAIR」に出演。71年には、川添象郎、村井邦彦、ミッキー・カーチス、内田裕也が設立した日本最初のロック・レーベル「マッシュルーム」の立ち上げに参加し、同年、初のソロ・アルバム『ありがとう』を発表。72年には、フォー・ジョー・ハーフ(林立夫、松任谷正隆、後藤次利、駒沢裕城)とのライヴ録音盤『もっともっと』、73年に『はずかしそうに』をリリース。75年、細野晴臣を軸とするティン・パン・アレイ・ファミリーの全面的なサポートを得て完成させたアルバム『HORO』は、それまでのカントリー〜S.S.W. フレイヴァ溢れる作風から一転、本格的なソウル・ミュージックのエッセンスを取り込み、小坂忠の現在までのヴォーカル・スタイルを確立した点においてもターニングポイントとなる1枚になった。和製R&B、ソウルのバイブル的名盤として、今なお多くのミュージシャンに影響を与え続けている。 76年、クリスチャンとなり、78年、日本初のゴスペル・レーベル「ミクタムレコード」を設立し、キリスト教音楽に新風を吹き込む。91年に牧師就任。「Singer&Pastor」として世界を舞台に精力的にゴスペルを歌い、語り続けている。2000年よりティンパンとの活動を再開。2001年には25年ぶりのポピュラー・アルバムとなる『People』を細野晴臣のプロデュースで制作。その音楽性と歌の力に多方面からの注目を集めた。2004年にデビュー35年を記念したアルバム『き・み・は・す・ば・ら・し・い』をリリース。デビュー40周年を迎えた2009年には、佐橋佳幸をプロデューサーに招聘したアルバム『Connected』、さらに、ソロ・キャリアを集大成したボックス・セット『Chu's Garden』(8CD+2DVD)をリリース。2010年3月、35年前の『ほうろう』の16chマルチトラックのマスターテープが発見されたことを機に、新たにヴォーカルのみを録り直した『HORO2010』(アナログ盤LPも同時発売)、2009年春のビルボード東京公演を収録したDVD+CD『Soul Party 2009』、クリスチャンの洗礼を受けた76年以降のゴスペル・シーンでの活動を纏めた2枚組ベスト『Chu's Gospel』を同時リリースする。

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