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TOP > My page > Review List of うーつん
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0 people agree with this review 2025/10/26
円熟と軽みは非なるものでなく表裏一体なものなのだろう。 ゲルハーへルとフーバーのコンビによる当盤を聴くとそのように感じる。 レビュー曰く「ブラームスの歌曲の持つ豊かな響きを表現するには、声の円熟が必要なんです」というゲルハーヘルの意見もごもっとも、と思うくらいにこのブラームスはじっくりと仕上がっていると感じる。 思うに、ブラームスの歌曲は歌手にとって、表現するのが難しいのではないのだろうか。 声の質もあろうが、ただ上手く歌えればよいのではなく、渋いだけでも美しいだけでもドラマチックなだけでもノスタルジックなだけでもダメなのだろう。選ばれた詞と、そこに当てはめられた音楽にひそんだ「味わい」の加減がほかの作曲家と比べても難しいように思う。 この盤で聴かれる二人の音楽は、そんなブラームスにじっくりと取り組んでいる様子が感じられる。民謡に材をとった歌曲から始まり、様々な詩人からの作品を丁寧に採りあげてくれている。声は程よく艶が落とされた落ち着いたビロードの様で、ピアノは決して前に出てこない(でも十分に心に沁みてくる)。 ゲルハーヘルとフーバーが、ブラームスへの尊敬と作品への愛着を込めて歌ったライブ盤をぜひ手に取ってみていただきたい。おすすめです。
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0 people agree with this review 2025/10/16
奇をてらうことのない、王道のようなドイツ歌曲の夕べ。派手さはなく、慎ましやかにシューベルト、ワーグナー、マーラー、そしてR.シュトラウスといった歌の花が集まり花束に仕上がっていく。舞台一面に咲き誇るというよりは静かに花たちがたたずんでいるかのよう。どの花も凛として毅然と咲いている。藤村実穂子の歌にはそんな雰囲気があるように思う。彼女の歌は、たぶん一度聴いてすぐに虜になる、というよりも聴きこむことでその歌の美しさや雰囲気がじんわりと届いてくる…。ピアノの伴奏も、その花たちを自然に活かすような滋味深い静かな雰囲気で、藤村実穂子の歌にぴったりと寄り添っているように思う。 彼女による歌曲のアルバムは2025年の現在もリリースが続いているが、当盤はその端緒のディスクといっていいのだろうか。私自身が詳しいわけではないので偉そうには言えないが、歌曲の世界へ、とりわけドイツ歌曲の世界に足を踏み入れてみたい方にお薦めの一枚だ。
1 people agree with this review 2025/10/12
豊かな創意工夫とそれを裏付ける技術、そこへ駆り立てる作品への敬意を感じる。 ガット弦を柔らかく、時に毅然と駆使する佐藤俊介のヴァイオリン、1800年(10番のみ1820年)製作の響き豊かなフォルテピアノで支えつつ表情豊かに奏するスーアン・チャイのコンビ。全体通してことさらベートーヴェンに挑み果敢に火花を散らすというイメージはない(冷めているというのではなく、無駄にアツくなりすぎないという意味)。お互いが楽譜を弾きこんだ上で、そこに何か付け加えていった演奏と思う。さながらベートーヴェンに対する「私達ならこういう音楽であなたのメッセージに応えてみたい」という回答なのかもしれない。 ヴァイオリンの、音と音が続くような奏法は人によっては多少好みがあるかもしれない(私は「フォルテピアノのアルペジオ的処理と呼応するように、音を個々に考えず流れとして繋げている感じで面白いな」と思った)。(現代ピアノと比べて)フォルテピアノが強く音を発しない分、ヴァイオリンも強く演奏せずに済み、むしろヴァイオリンが自然にでる声量で歌っているように思える。テンポは中庸、激しく両者が対して演奏を物すことはない。とって平凡な演奏にならず、室内楽の愉しみとベートーヴェンの作品への新たな光の当て方を提供してくれていると思う。 余談を少しだけ。 この全集と同じ曲目の演奏会が先日、浜離宮朝日ホールで行われた(2025年10月)。 私が行ったのは最終日(第7、8&10番)だった。基本的な演り方はCDと同様だが、時折CDとも違ったアプローチで聴かせてもらい、CDでは味わえない生の音楽体験に浸れたことに感謝したい。スーアン・チャイにより迸る音の泉を響かせる美しい木目のフォルムをまとったローゼンベルガー(1830年製作)のフォルテピアノ、ヴァイオリンに柔らかく弓をのせて音楽を創り出している佐藤俊介の柔軟でごく自然な手首と肘の動きを見ながら聴けるのはやはりライブならでは。 表現として適切か微妙ながら…、7番は両演奏者による対決のような厳しい曲に感じていたが、この2人の演奏で聴くと余計な飾りが自然に消え去り、幽玄な何やら情念(それほどどんよりしない程度の)の葛藤も含んだ能を観ているかのよう。8番は一転して快活な狂言。上品で節度を保ったユーモアとおしゃべりを駆使した狂言を観るかのよう。能と狂言が同時に演じられるのと同様、作品30のこの2つ(6番も作品30のひとつだが、ここではそれは置いといて…)がセットで奏されるのは能と狂言と同じだな、と思い立った。 そして最後の10番はそれらを見終わって外に出た時の青空を仰ぎ見るような爽快で満たされた雰囲気。ヴァイオリンもピアノもそして音楽も外に出て、青空に羽ばたいて行くかのような自由さと解放感に似た精神の飛翔……。そんな感想をもったのも付け加えさせてもらいたい。 生で鑑賞するのとCDで聴くのでは違いはあれど、そんなにいつも聴きに行けない身としてはこのCDで彼らの音楽を体験して心に栄養を与えていきたい。ぜひ皆さんにも聴いてみていただきたい。おすすめです。
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0 people agree with this review 2025/10/07
オリジナルのリリースと同じ曲目で再販。D958&959はともに切り離して考えにくい、つながりと関連を持っていると思う。それを最も深い情感で表現しているのが内田光子の当盤だと思う。深刻で深くて、重いのに曲の流れはスムーズ。 ベートーヴェンに近づこうと創られたと思われるD958はなるほど、ベートーヴェンのエッセンスと切羽詰まったようなシューベルトの闘いを聴ける。D959ではもはやベートーヴェンを乗り越えてシューベルトにしかできない形で表された新しい境地が表れている。しかし彼に残された時間はもう残っていないのを後世の私たちは知っている。そんなシューベルトの心境をヒリヒリとした真剣さと同一化をもって内田はこのディスクに刻んでいる。ウィーンで録音され、収録当時はまだ健在だった、あのレーベルらしい落ち着いたピアノの音も良い。 私が入手したのははるか昔。この再リリースの盤ではないが、音楽の良さを他の方にも少しでも知っていただければと思い、今更ながらお薦めします。
0 people agree with this review 2025/10/03
どの曲も夜に穏やかな心持ちにさせてくれる小曲を集めてくれているのが嬉しい。ピアノの音が幾分近めでくっきり明るいので眠りに落ちるために聴くというのは少し難しいかなと思う。レビューにある「音に包まれる」感覚もあるが私の印象としては「音が耳に飛び込んでくる」感覚の方が近いだろうか? 私の中では音量を上げずに眠りの前準備として心に深呼吸できるゆとりを作るような使い方になっている。普段あまり手を付けない作曲家のふとした優しい一面に触れられるような曲をちりばめてあり、眠りに結び付けなくともなかなか面白い曲目構成でもあるのでぜひ聴いてみていただきたい。
0 people agree with this review 2025/09/29
夢うつつの中でふと優しく懐かしい歌を聴いた…何となくそんな感想を持ってしまう。プレガルディエンのその優しく美しい歌いぶりはそんな気持ちにさせてくれる安心感がある。そうはいっても外見的な優しさや表面的な美しさではない、真摯な歌がいつもそこに在る。他の盤(それは確かボストリッジだったか)でも書いた記憶があるが、美しい声(当盤のプレガルディエンやボストリッジなど)で歌われるとその美しさゆえに余計に詩・曲の中に滲んだ痛みや苦しみが切実に心に入ってくるような気になる。私の感傷かもしれないが、ここでもその痛みや苦しみがじんわりと伝わってくる。それこそが詩を歌にのせて「歌曲」に仕上げていく意味なのかもしれない。 シューマンの叙情と詩へのアプローチの面白さを紹介しつつ、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集でロマン派が到達する地平線の果てまで見通すようなプログラムは新鮮。ピアノの伴奏がいまいち前に聴こえすぎる録り方?が少し気になるがそこを置いておき、このコンビならではの息の合った掛け合いも含めてじっくりと向き合う価値がある。おすすめです。
0 people agree with this review 2025/09/23
ディスク全体通して「玲瓏な美」を感じる演奏だ。静かに聴いていると3人による室内楽の妙に浸ることができる。ここに入る曲たちは、それぞれ名曲とか大曲というカテゴリから少し身を引いた処に位置すると思われるが、そこにもバッハのエッセンスが含まれ、家族との関係も垣間見える意味で聴く価値はあろう。 ヴァイオリンの音がスーッと天に伸びていき、チェロの響きがそれを支えていく。チェンバロはその間を埋めるように広がり、かくしてこのディスクの音世界が構成されているような気持になる。思うにこのディスクではヴァイオリン(私なりの考えでは、天)とチェロ(同じく地を表す通奏低音)がメインで、そこにチェンバロ(天と地の間にあるもの、または人?)が加わった三様の合奏と感じることができた。 どの演奏者もとびぬけることはない。引いているわけでもない。ただ楽譜に書かれている世界に浸っていて、だからこそ私たちもその世界に旅することができる。イザベル・ファウスト、クリスティアン・ベザイデンホウト、クリスティン・フォン・デア・ゴルツの3人が演奏するという価値は当然あるが、それよりもこのバッハの佳曲たちを前述の3人が奏でてくれたという見方の方がしっくりくる。じっくり永く聴いていく価値のあるディスク、おすすめです。
0 people agree with this review 2025/08/23
柔らかい羽毛のような音色で奏でるショパンを堪能できる一枚。1839年製プレイレルのアップライトピアノはとげとげしくなく、よく歌っていると感じた。ショパンにもゆかりの深い楽器で、さらに関連が深い前奏曲 Op.28を軸にしているのが嬉しいところ。全曲を順番に・・・ではなく、テイラー扮するショパンが前奏曲を思いつくままに奏で、合間に違う作品を織り交ぜていく音風景がたおやかに流れては消えていく。他のショパンの演奏で時々耳にするような甘ったるい感じはなく、かと言って孤独な感じでもない。私の中の印象では、独りで心の中の自分と対話したり、旋律を呟くように口ずさんでみたり、オペラのアリアの一節をそっと歌いながら愉しんでいるショパンを思い浮かべてしまう。 曲を、というよりは音楽のランダムな繋がりから醸される意外な変化を愉しんでいるような印象。ショパンが愛したベッリーニのアリアの編曲も、そして有名すぎて普通に聴くと食傷気味のノクターン Op.9-2も滋味深いヴァリアントに仕立ててあり、興に乗ったショパンが独りマヨルカ島の一室で少し微笑みながら慈しむように弾いている風景を連想する。 ここに聴ける演奏は、コンサートで満員の聴衆をねじ伏せるような力業は一切ない。ディスクのタイトルのごとくショパンの、そしてJ.テイラーの、そっと親密な会話。そんな会話に、瞑目しつつ耳をそばだててほしい。おすすめ。
0 people agree with this review 2025/07/26
品の良いコジェナーのメゾ・ソプラノの声質はフランス系にも十分に合い、スーッと耳の中に沁み込んでいく。フランス語の発音がどのくらい正確なのかは私には判らないが、ドビュッシーとそしてメシアンの持つ「フランス語の歌曲の雰囲気」が存分に薫り立ってくる盤に感じる。たおやかで柔らかく、しかし詞の芯はしっかりしていて、時々そっとアイロニーの毒が隠されているのが感じられる穏やかな声の芸術・・・。ドビュッシーの歌曲をそんなに聴く私ではないが、おそらく歌う人を選ぶ、難しい曲が多いのではないだろうか。詩の意味を吟味でき、声を張り上げずにしっかり歌えて、薫りや空気も感じさせなければいけないのではないだろうか。コジェナーは個人的にそこにうまくハマれる歌手なのではないだろうか。 そしてその声を支える内田光子のピアノ伴奏がまたたおやかで柔らかく、でも芯がしっかりと立っていると感じた。主にドイツ語圏の音楽が中心と思われる内田のドビュッシーはエチュードのディスクくらいしかもっていないが、しっかりと歌手のサポートにまわりつつも、ドビュッシー(とメシアン)の曲に必要な音作りのきめ細やかさと繊細さに感動してしまった。メシアンは彼女の現代音楽のレパートリーの中でクルターグやヴィトマンなどと並ぶ柱の一つであるが、一音一音がのびのびとしていてあいまいな点がなく、面白く聴けた。 ドビュッシーのみやショーソン、フォーレと合わせるのでなく、ドビュッシー&メシアンで組み合わせるあたりにコジェナーと内田のコンビらしさがあり、フランス語圏の音楽の流れの進化を感じさせてくれるのが嬉しいところで、勉強になった。 最後に・・・このディスクがリリースされたのは毎日新記録が更新されているかのような猛暑のさなか(2025年7月)。気のせいだろうか、あの暑さの中でこのディスクを聴くと、少し風がそよ吹くような清涼な気持ちになる。暑い夏とドビュッシー、こんな組み合わせもアリなのかなと個人的には思う。よろしければ試してみていただきたい。おすすめです。
1 people agree with this review 2025/06/28
去年だったか、サントリーホールでの公演で「二人静」がプログラムにのぼっていたが残念ながら行けずにいたので「ようやく聴ける」と喜んでいる。 音楽作品としては「セレモニー」の方が近作となる。フルートとオケが互いによりつ離れつしながらフルートが歌と祈りを奏でオケがそれを包み込むようなイメージで聴いている。細川作品では初期のころからフルートの曲が多いように思うが、楽器の使い方や音の味付けはより多彩になり面白く、そして心に澄み渡るように響きが入ってくる。 「二人静」は能にインスピレーションを得ている。これは細川作品では定番といえるが、ここでのテーマは静御前(の霊)と難民の女性二人の邂逅。それぞれが運命で引き寄せられるように出会い、ひとつに重なって、おそらくやがて離れていく。そこに残るのは心の繋がり。どのようなストーリーかは聴いてみていただきたいが、おそらく聴く人それぞれに違った心象風景が現れると思う。私個人の感想としては音楽を聴くというより二人の女性の言葉の掛け合いがまずあり、そこに音楽が付随するような作品と捉えている。ここに使われている言葉がシンプルな分、いろいろな思考が往き来する、「言葉の呼吸」のような作品のように思う。できれば映像作品として舞台上演で観たいところではあるがそれはリクエストとして。また、「班女」「松風」のリリースも待ちたいし、さらに今年(2025年)8月にお披露目されるオペラ「ナターシャ」も楽しみ。今後も細川俊夫の作品を楽しみにしている。
0 people agree with this review 2025/06/20
「現代音楽版の徒然草」とでも表現したらいいか・・・。今や長老格となったクルターグが長年月かけて綴った「心の遊び」とでも言うべき小さなエッセーの集まり。当盤では、音楽的な技術とか技法という考え方は不要なのかもしれない。逆に作曲家たる者が子供がでたらめに鍵盤をたたくような音の詰め合わせを音楽という枠組みにして楽譜におこす方が難しいのだろうかと思ってしまった。詳しくは判らないが一見でたらめのような音の並びにも緻密な技法が詰まっているのだろうか?(詳しい方がいらっしゃったらレビューで教えていただきたいです) タイトルだけ見ると誰か(何か)に対するオマージュだったり、大切な友人たちの誕生日をささやかに祝ってみたり、日常生活の中に当たり前にある事柄やしぐさに目が向けられたり。別に大上段に構えて理屈ぶらなくても音楽を楽しむことはできるのだろう。「徒然草」の有名な冒頭の文(私自身、恥ずかしながらその後はとんと知らないが)「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ・・・」もしもクルターグご本人にこの言葉を伝えたら、おそらくニッコリ微笑むのではないだろうか。 音楽作品の出来とか内容をどうこう言うよりも、綴られた音遊びにわが心を遊ばせてみる・・・。それが当盤にいちばん合った聴き方なのかもしれない。心がすり減り、遊び(余裕)が無くなってきた私の心にちょうど良い「遊び」をいただけたことに感謝したい。みなさんにもお勧めしたい。
0 people agree with this review 2025/06/19
まずOp.39の第1曲「異郷で」から聴いた。いくぶんゆっくり、そして静かに弾かれたピアノの流れに乗ってボストリッジの柔らかな声が広がっていく。詩の情感を余すところなく歌い上げているように感じた。歌い方が優しく美しいからこそ、一層痛切な孤独が沁み込んでくる。このアルバムで一番聴きたかったこの曲の、この雰囲気だけでも満足な気分になった。 先にレビューを書かれている村井 翔氏とほぼ同じ感想になってしまうが、シューベルトの3つの歌曲集とは違った情感の込め方と先走らない落ち着いた歌に感じ入ってしまう。ボストリッジの歌だから(?)表現が激しくなる処もあるがこのアルバムではそれもしっくり合っている気がする。美声は変わらず、極端な勢いに任せずに、詩の、そして音楽の情感を伴奏者とともに作り上げている。 明るさが薄く残っているのか、闇がまだ訪れてこないのか・・・繊細な、そして危うさも併せ持つような黄昏のほんのひと時のように微妙な雰囲気がアルバム全体を包み込んでいる。それはまるでシューマンの心の裡を見るかのよう。ぜひ聴いてみていただきたい。
0 people agree with this review 2025/05/10
軽やかに、そしてしなやかなミサ曲と感じた。私がこの曲に抱いていたイメージ「荘厳で重々しい、聖堂の限られた光の中に流れる音楽」をきれいに覆してくれた。ピションとピグマリオンのコンビがこの度リリースしたディスクは荘厳な情感というより、感謝の念をワクワクするような喜びで表現しているように思った。神妙になるような個所もあくまで軽やかに(軽い、ではない)奏でられ歌われていく。曲の印象も、聖堂の中に隅々まで光が届いて今まで気づかなかった景色が見えてくる。今まで聴いてきた他のディスクと取って代わることはない。それでも新しい体験がここでは愉しめる。 ピションがやるからもっと劇的に変わるのかと思ったが、そこまで「改変」している印象はない。しかし私が持っていた「J.S.バッハのミサ曲ロ短調」の印象にもうひとつの変化を教えてもらえた。 そしてもう一つ思ったのは、このコンビがヨハネ受難曲をやったらさぞ面白くなりそうだな、ということ。すでに発表されているマタイでは若きイエスのドラマが表されている。今回のミサ曲にも新しい光が差し込んできた。私個人はヨハネをかなり劇的な作品と捉えているが、「劇的」ならピション&ピグマリオンの「好物」で相性が良い気がする。 当盤にどのような光が差し込んでいるのか、ぜひ聴いてみていただきたい。おすすめします。
0 people agree with this review 2025/05/04
シューベルティアーデならぬクルターグの周りに集まった人々が織り成す作品集。アップルが敬愛するというこの作曲家の、詩への鋭く豊かな視点をロマン派の作品や自作を通して眺める構成なのだろうか。アップルの歌声は柔らかく潤いを持っていると感じた。シューベルトなどの作品では情感を大切にし、同時にクルターグの作品でも詩(言葉)への敬意を感じる。「それぞれの天職」これは詩人、作曲家そして歌手、演奏者の邂逅を意味しているのか、真意は判らないが各時代に生きた(クルターグやアップル達は「生きている」だが)彼らへのオマージュとして私は聴いている。
0 people agree with this review 2025/04/29
季節の移ろいと人の心の移ろいに心を寄せた一枚。 当盤の季節は冬から始まる。このあたりにサンプソン達のプログラミングの柱があるように思う。 寒々しい冬の風の中で独りじっとしずかに春の訪れをこい願う。冬の孤独をかみしめ、やがて来るであろう喜びの季節に思いをはせる。 春は自然の芽吹きを目にし、出会いを連想させる季節だが、過ぎし日に思いを寄せる季節でもなのかもしれない。 自然のあらゆるものが夏を謳歌する中に仄かな滅びの兆しが忍びこむ。 秋の収穫は喜びであると同時に喪失への諦観を感じさせる。 上のように変に考え込まずとも、純粋にサンプソンの清楚な歌声を愉しみ季節ごとの歌に親しむのがまず第一だろう。耳にも心地よい名曲がちりばめられ楽しい歌曲集として編まれている。 私が聴いていて一番気に入っているのは「夏の夜 D.289b」から 「秋 D.945」へ季節が変わっていく歌の選曲。夏の夜の静かな風の余韻から秋の風が吹きすさんでくる表現の妙。「夏の夜 D.289b」では静かに晩夏の風が頬を撫でるような雰囲気がピアノで表現されるのが美しい。そこから続く「秋 D.945」の伴奏が前曲から一転、寂しく冷たさを感じさせる風を表し、詩が過ぎ去ったものへの痛みを語っていく。 サンプソンとミドルトンのコンビで歌われた季節の移ろいを皆さんにも感じていただきたい。おすすめします。
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