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Review List of 一人のクラシックオールドファン 

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     2010/09/25

    私自身はシェルヘンというと主にバッハ作品演奏を通じて親しんでいました。さて、ベートーヴェン交響曲全曲をシェルヘンは1950年代半ばと1960年代半ばに二通り録音しています。前者はオーケストラをウィーン国立歌劇場管弦楽団WSO(第1番、3番、6番、7番、9番)とRPO(第2番、4番、5番、8番)に使い分けて、後者はルガノ放送響LRSOと夫々録音しており一般的には後者がシェルヘンらしいトンデモない突飛な独自な試み演奏で注目されているようです。私は前者の1954年録音(シェルヘン63歳の頃)の第4番、第5番(オーケストラはどちらもRPO)のカップリングCDを聴いていましたので少しコメントさせていただきます。先ず第4番、演奏タイムは@8’53A9’52B5’33C4’48と後述の第5番もそうなのですが特に最終楽章の疾走ぶりが特徴。第1楽章序奏から充分引き付け速めに切れよく進めアクセントはきつい感じです。第2楽章やさしくする処、堂々とする処の対比が顕著でティンパニーの直接的音色がそれを強調しているようです。第3楽章は何かスケール感を感じました、バックのティンパニーと共に前向きでもあります。最終楽章は先ほど述べた様に速めに活き活きとした生々しい運びです。全体として当時の割には現代的要素もあって結構LRSO演奏盤と比較しなくてもベートーヴェンの音楽のパワー、エネルギーがそのまま伝わってくるイメージをもってしまいました。第5番(タイム@6’56A10’14B5’29C7’32)の方ですが第1楽章、速めにスタート、やはり現代的な感じも・・・。後半中途のオーボエ・ソロは大変ゆっくり情緒目なのも面白く反って畳みかけのフィナーレは最後のタタタターンのフェルマータはかなり引っ張りますが鮮やかに〆る印象。第2楽章終わり近くはゆっくりしかし骨々しいです。第3楽章では音の立体性が意識され最終楽章では息つかせぬスピードで反復は無い?もののその速さはすごくしゃくりながらアタック強くコマ切れさせもし畳み掛けます。最後低音引きずらせやティンパニーの使い方もシェルヘンの当時からの進取気質を垣間見た思いです。指揮者の意図が好き嫌いは別にして汲み取れある意味飽きさせない演奏となりました。聴き方では後年のスリリングな演奏の前ぶりを予感させるしイギリスのオーケストラの融通性も再確認した次第です。モノラルでも聴き易かったことも付け加えておきましょう。他の交響曲は聴いておらず今述べた二曲だけで本盤を云々するわけにはいきませんのでOKランクだけは確保ということにします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/24

    あまり普段聴かれないメンデルスゾーンのチェロ・ソナタ二曲その他を2002年マイスキーが54歳の頃ベエズェラ出身の若き(ジャケット写真から外観も30歳の割には若く見える)ティエンポのピアノ伴奏で録音したものです。比較すべき演奏盤を私は知らないので何とも言えないのですがこれら地味な作品にも丁寧に打ち込んでいる様子は汲み取れ素晴らしい演奏と思います。チェロ・ソナタ第2番(タイム@7’29A5’38B5’20C6’36)は中々聴かせる佳品でメンデルスゾーンの室内楽ジャンルがぐっと身近になってきます。第1楽章は活発な活き活きとした明快さが印象的で終結部も然り!・・・手元に置いておきたい作品の動機付けになる楽章。第2楽章は少し繊細な短調気味な速い舞曲調でスタート、途中チェロはメロディをたっぷり歌います。第3楽章ピアノのコラール調とチェロのレジタティーボ調からやや情緒的なピアノ前奏後それと対照的なチェロの屈託な進行が聴き物で実に中身の濃い充実した楽章。最終楽章は大変輝かしいというかこの曲の外向性を象徴したものです。第1番の方(タイム@11’48A5’48B5’57)は若書きの面があり第1楽章・・・曖昧なスタートをしすぐしっかりしたテーマを打ち出しテンポも速く進めますが紆余曲折も多く私にはやや長く感じました。その代わりといってはなんですが第2楽章はボソボソ呟くピアノに続いてすぐチェロがおいかけ分り易い楽章となっており好きな楽章です。第3楽章はやや平凡な印象。その他マイスキー達の編曲で無言歌三曲(有名なOP62-6のタイム2’28)や人の声に近いということかチェロにより歌曲から四曲が演奏されております。その他の曲も含め堅実な(つかず離れずな)ピアノ伴奏でマイスキーは自己の演奏を丁寧にくりひろげております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/23

    我々の世代にとってベートーヴェン交響曲全曲を同一企画物で特定指揮者に求めるとすればトスカニーニ/NBC、ワルター/コロンビアSO、コンヴュチュニー/LGHO、クリュイタンス/BPO等々が身近なものでした。その中でワルターの演奏盤は少し甘いハリウッド・サウンドの好き嫌いは別にしてきっちりしていて且つ当たりのソフトな独特の雰囲気というかワルターの人柄も偲ばせるものとしてある普遍性を有した名盤かと思います。周知の通りワルターには一部入り繰りのあるものの主にNYPOを指揮した一回目と言われるものがありますが最晩年(ワルターはすでに80歳を優に超していました)特別プロジェクトによるステレオ録音企画のこの二回目にワルターは若干周囲に引っ張られ気味であっても自分の芸術生命を残す最後の意思を示した老境の様です。基本的なワルターのセンスは彼自身の著書「主題と変奏」に著しており我々もそれに触れることが出来ますが私は何となく次の亀井勝一郎の言葉を引き出したくなりました・・・「人間の生命とは何か、それは一念であると答えたい。即ち人間の一念が人間の生命だと言いたい」・・・。例によって各曲の録音年と演奏タイムを記しておきましょう。第1番(1959年@7’02A6’38B3’45C6’09)、第2番(1959年@10’23A14’31B3’50C6’54)、第3番(1958年@16’10A15’37B6’02C12’21)、第4番(1958年@9’41A9’53B6’13C5’50)、第5番(1958年@6’24A10’50B5’47C9’32)、第6番(1958年@9’48A11’53B5’42C3’41D9’41)、第7番(1961年@13’01A10’00B8’17C6’43)、第8番(1958年録音@7’37A4’21B5’48C8’37)、第9番(1959年@16’13A11’03B17’45C26’11)と夫々なっております。演奏自体はスケール感はともかくよく言われるワルターのベートーヴェンは偶数番がそのマイルドさにおいて勿論良く私はこれに加えるに奇数の第3番、第5番、第7番が単に他の演奏ではとかくベートーヴェンの雄々しい男性っぽさが強調される次元からは距離を置いており意外と気に入っております。私はバラで持って聴いており、とにかく全集として最高ランクにあげるに躊躇いたしません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/22

    1959年バーンスタインがNYPOを率いてのモスクワでの第5番コンサート後ショスタコービッチと握手している(数年前NYPOが北朝鮮でコンサートを開いたような米ソ冷戦当時の印象)光景のジャケット表紙のLPは懐かしくCDでも同組合せの東京ライブ盤(1979年、演奏タイム@17’43A5’23B16’01C10’18)がリリースされているにも拘わらずこの同年後日改めて演奏録音した分(バーンスタイン41歳)・・・つまり本盤と同ソース分・・・を愛聴しております。比較的初期ステレオでも第1楽章の迫力や小生小学生の頃NHKTVニュースで頻繁に使用されていた第4楽章(大阪ローカルドラマ「部長刑事」始まるテーマBGMにも使用)よりスピード感ある演奏等元気一杯の姿勢は名盤価値があり演奏タイムは@16’16A4’57B15’35C9’00となっております。このバーンスタイン/NYPOによるショスタコーヴィッチ交響曲第5番旧盤はどうしても約20年後の1979年東京ライブ演奏盤と比較してしまうこととなります。基本的にはその闘志感・勝利感までへの導きは同じ姿勢に私などには聴こえますが後の盤の方は無駄に年月を過ごしているわけではなくその演奏表現課題を更に咀嚼を加えて洗い直して来ているわけですがライブ所以の興奮一途性は私には感じられずタイム的には四つの楽章全て旧盤を上回ってライブに伴う合間はあるもののトータル一割・・約4分長くなっています(従って個人的にはこの旧録音盤が好きです)。もう以前からお馴染の最高ランクの演奏でいつもの平林氏の制作姿勢が更にバリューアップされていると期待されます。なお、バーンスタイン/NYPOのショスタコーヴィチ交響曲第5番には1945年ライブ分が既にあり更にこの年つまり1959年ザルツブルグ祭でのライブ盤も本盤と同時期出ましたね(タイム@16’31A4’47B14’52C8’42は同年演奏ですから勿論本盤分とニァリー・イーコール)。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/21

    以前同演奏別盤に書き込んだレビューを繰り返します、なお、本盤は仕様変更され音色が期待されますね。・・・昔、「オーケストラの少女」(1937年製作)や「ファンタジア」(1940年製作)という音楽映画でストコフスキーがPPOを振っていた頃前後に録音されたバッハ・トランスクリプション盤から何種類も同企画物がリリースされ、最近ではストコフスキーの編曲品という処に目をつけて別の演奏家がバッハ/ストコフスキー作品ということで演奏録音しているのも有るようです。ストコフスキー本人の演奏物では私は本盤以外に1972年CPOとのライブ録音を聴いております。さて、本盤は有名なBWV565(演奏タイム9’36)とシュメッリ歌曲よりのBWV487(5’02)が1958年収録、その他お馴染のBWV578(同3’54),BWV582(同14’41)等9曲が1959年収録ということで1882年生まれでも比較的まだ先ほどの往年の色香が残っている頃の演奏盤であります。1974年のLSOとの録音はまだ聴いてはいないのですがその二年前の1972年CPOライブ盤でのBWV565が10’22、BWV582が15’02とやや弛緩気味?・・・これはこれで引っ張り具合が心地良いと私は思っています・・・なのに比すると演奏ってことバッハ・トランスクリプションに限定してもストコフスキーの芸術の到達点は何れなのか面白いものがありますね。私は本盤でシュメッリ歌曲よりのBWV487「甘き死よ来たれ」がソプラノ歌唱よりも恍惚感を伴っていたことや結構他の小品でも単に力技だけではやっていないストコフスキー芸術を感じました。なにはともあれ今の時代では聴けなくなった粘っこい・・・それもある普遍性を含んだ演奏がこれらにはありそこに価値を見出すのであります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2010/09/21

    過去にこの演奏について書いたレビューをほぼ転記することとしました。本盤、私が聴いていたLP時代のシベリウス交響曲第2番のジャケット表紙でカラヤンの精悍な顔をした写真のデザインが懐かしく思い出されました。第5番とともに1960年カラヤン(52歳)のフィルハーモニアOを振ってのシベリウス録音盤は多分既に他のCDにも書き込まれた各レビューの様に北欧への想いを託した永く名盤に位置付けられるものと思います。後のDG時代以降の妙に権威的な面もなく音楽へのまだ壮年期の素直さというか(上手く言えませんが)これからのジャンプの意気込みが見られます。第2番(演奏タイム@9’57A14’27B6’11C15’22)は終楽章に向かってストーリー性を明確につつ運んでカラヤンらしいクライマックスを迎えます。似たようなことが第5番(演奏タイム@13’22A8’09B9’03)にも言えますが各楽章の終結直後の無音という音楽、終楽章は弦のイラつかせるような執拗な繰り返しの後の弦を主・金管楽器音をサンドイッチに最後は圧倒的金管楽器の咆哮、終結分断パッセージとどこをサンプリングしてもカラヤンの上手さ、聞かせ上手満杯。何とシベリウスの上手い指揮者なのだろう、カラヤンっていう指揮者は!勿論この頃は厚化粧ではなく素顔美人としての彼の語り上手と分かりよさが堪能出来る「最高」盤です。仕様も改良され更に期待されますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/20

    ワルターはベートーヴェン交響曲全集としては二回録音しているようでその内第九「合唱」は二回目のコロンビアSOを振って1959年(ワルター当時83歳、演奏タイム@16’13A11’03B17’45C26’11)に収録されたものであります。全体としては所謂超名演とされているような劇的なものではなくやや義務的な感じもあるもののワルターの穏当な表現が支配されております。なお、一回目のものはオーケストラがNYPOで 1949年(@15’25A10’01B16’27C23’42)録音されたものですけれど最終楽章が1953年録り直し(オーケストラはコロンビアSO、独唱陣ではバリトンのみが録り直し前と同じで他はチェンジ)されたものらしいです。なお、録り直し前のもので編集されたオリジナル一回目?盤も全集版に含め別に販売されております。さて、本盤二回目のもの・・・第1楽章、少し飛び跳ねるような感じでスタート、しなやかな感じでちらつく第1テーマも角立てず・・・最後のクロージングもギクシャクせずソフトランディングにさえ思えます。第2楽章はティンパニー協奏曲とも言える楽章、ティンパニーはエコー気味にきつくなく積重ねて行く様なパッセージが印象的。中間部のホルンも夢心地、とにかく少しゆったり目に進めた楽章。第3楽章は最終楽章への橋渡し的な楽章でワルターがその天国雰囲気を彼らしさで展開、結びは大きく続く楽章への展望をソフトに導きます。いよいよ最終楽章、初めきっちり物語るように低音弦からスタート。例の歓喜のテーマはすべり出しは安らぎに満ちて・・・そしてピークではゆったり大きく枠一杯にアクセントをつけて型通りに(やや時代的?)。さて声部に入りバリトンは一応無難に第一声、合唱も初めの方は全体力まずおっとり。そしてテノール独唱に入る前のその合唱の括りは至って簡潔、マーチ序奏との「間」を設けテノールが少し野生気味な宣誓をあげます。歓喜の大合唱も先のオーケストラによる歓喜と同じで健康的です。健康的であるとともに楷書的でもありますが中ダレを少し感じました・・・そう「勢い」が抑制され〆の合唱も引き摺りません。話し戻ってソプラノの元気さも独唱陣の特徴。本演奏、残念ながら通常我々が第九に求める説得性から満点とは行かないようです。一方第8番(1958年録音@7’37A4’21B5’48C8’37)は偶数番というわけではありませんがワルターの手の内で多少通常軽く扱われるこの曲を特に第3,4楽章をゆったり目に運ぶ事でその曲の価値が挽回されるような最高ランクの出来上がり。・・・第1楽章での典雅さとダイナミックさのミクスチュアそしてテーマの転調による繰り返し投入はきっちり運んでいます。軽妙ウィーン風の第2楽章もしっかりしており又第3楽章のトリオにおけるホルン旋律が素朴で前後のメヌエットとの対照感を増しています。得てしてモタモタしいろんな楽想が錯綜する最終楽章も前述の様に慌てずきっちりしている感じです。なお、全集版一回目での第8番はNYPOを振って1942年録音されたそうです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/19

    ワルターはベートーヴェン交響曲全集としては二回録音しているようでその内本盤第九「合唱」は二回目のコロンビアSOを振って1959年(ワルター当時83歳、演奏タイム@16’13A11’03B17’45C26’11)に収録されたものであります。全体としては所謂超名演とされているような劇的なものではなくやや義務的な感じもあるもののワルターの穏当な表現が支配されております。なお、一回目のものはオーケストラがNYPOで 1949年(@15’25A10’01B16’27C23’42)録音されたものですけれど最終楽章が1953年録り直し(オーケストラはコロンビアSO、独唱陣ではバリトンのみが録り直し前と同じで他はチェンジ)されたものらしいです。なお、録り直し前のもので編集されたオリジナル一回目?盤も全集版に含め別に販売されております。さて、本盤二回目のもの・・・第1楽章、少し飛び跳ねるような感じでスタート、しなやかな感じでちらつく第1テーマも角立てず・・・最後のクロージングもギクシャクせずソフトランディングにさえ思えます。第2楽章はティンパニー協奏曲とも言える楽章、ティンパニーはエコー気味にきつくなく積重ねて行く様なパッセージが印象的。中間部のホルンも夢心地、とにかく少しゆったり目に進めた楽章。第3楽章は最終楽章への橋渡し的な楽章でワルターがその天国雰囲気を彼らしさで展開、結びは大きく続く楽章への展望をソフトに導きます。いよいよ最終楽章、初めきっちり物語るように低音弦からスタート。例の歓喜のテーマはすべり出しは安らぎに満ちて・・・そしてピークではゆったり大きく枠一杯にアクセントをつけて型通りに(やや時代的?)。さて声部に入りバリトンは一応無難に第一声、合唱も初めの方は全体力まずおっとり。そしてテノール独唱に入る前のその合唱の括りは至って簡潔、マーチ序奏との「間」を設けテノールが少し野生気味な宣誓をあげます。歓喜の大合唱も先のオーケストラによる歓喜と同じで健康的です。健康的であるとともに楷書的でもありますが中ダレを少し感じました・・・そう「勢い」が抑制され〆の合唱も引き摺りません。話し戻ってソプラノの元気さも独唱陣の特徴。本演奏、残念ながら通常我々が第九に求める説得性から満点とは行かないようです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/18

    ワルターがコロンビアSOを指揮しての全集(全集版としては二回目)からの抜粋でこの第7番は1961年録音(ワルター85歳の頃)と比較的この全集録音でも時期の遅い方です(全集版としては一回目に含まれているNYPOを振っての第7番は丁度この10年前の1951年に録音されております)。さて、本盤第7番、演奏タイムとしては@13’01A10’00B8’17C6’43で心持最終楽章は短いかもしれませんが特に過不足はありません。全体としてベートーヴェン交響曲偶数番の似合うワルターにあって奇数番といえどこの第7番に余裕というか情感が味わえる最高ランクの演奏であり他演奏家にあるとかく勢い・迫力だけで進めがちになって私たちも「のだめカンタビーレ」ではありませんがその切り口での満足度を云々する次元とは異なっている様に思われました。第1楽章、そんなにゴツくない序奏からリズム楽想が交錯する楽章・・・絶妙な緩急をつけ、聴く側には強要される恐れを感じさせずクライマックスでは息まかない良さがあります。有名な第2楽章・・・セーブ気味にとろけるようなアプローチでワルターの綾の織り成しが素敵です。過度な感情移入もありません。バッカス舞踏の最終楽章は弾みが活き活きとついてリズム面で結構メリハリをつけてワルターは対応します。高齢であってもワルターの指揮感覚の維持力には感動を覚えますね。サウンドがハリウッド的に甘い処は好き嫌いがあるかもしれませんがいつもの範囲でそんなに気にすることはないでしょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/17

    ワルターの指揮するベートーヴェン交響曲第1番、第2番の録音盤は少ないのですね。本盤は各々二回目ということらしく一回目はNYPOを振って第1番は1947年に、第2番が1952年に録音が各々されております。本盤は1959年コロンビアSOを振って録音(ワルター83歳の頃)されたものでこのオーケストラとの共演での録音の特徴なのか若干甘いサウンド・・・一頃の映画のBGMハリウッド的響きが少し気になる方があるかもしれませんが演奏そのものはワルターのきっちり基本が徹底された素敵なものであります。ワルターのベートーヴェンは偶数番が良いとされており私も心あたりがあるのですが奇数番のこの第1番(演奏タイム@7’02A6’38B3’45C6’09)も中々立派な演奏で第1楽章出だしから馥郁たる香りが放たれ各セクションの働きも明確、テンポも心持ち緩やかに触って「溜め」も作ります。第2楽章独特のアクセントが優雅・・・現代の感触からすれば違和感も?・・・この楽章結びは大きく波に乗せ変化球を投げます。きっちりとした後半楽章、特に最終楽章はしなやかさと生命力が溢れ〆のファンファーレ的扱いも効果的です。第2番(タイム@10’23A14’31B3’50C6’54)は偶数番曲、第1楽章様々なニュアンスを抱えた序奏は少しテンポ速く経過し展開部は活き活きとスケール感も適度にあり特に後段詰めのこの曲の畳み掛けの醍醐味を充分伝えます。〆はゆっくり引っ張って終わります。さて、第2楽章、バランスからすると長い楽章なのですが演奏のテンポ感と強弱感の絶妙さと言うのでしょうか過度な情緒に陥らずその長さを意識させません。やはり活き活きした最終楽章では時に大きく息継ぎしゆり動かしながらフィナーレへ、最後はサッと引き上げます。この両曲得てしてイン・テンポで一様な乾燥的演奏が多いそうなのですがワルターのきっちり基本の情感溢れた湿質的演奏は最高ランクにあげておきたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/16

    ワルターの指揮するベートーヴェン交響曲第1番、第2番の録音盤は少ないのですね。本盤は各々二回目ということらしく一回目はNYPOを振って第1番は1947年に、第2番が1952年に録音が各々されております。本盤は1959年コロンビアSOを振って録音(ワルター83歳の頃)されたものでこのオーケストラとの共演での録音の特徴なのか若干甘いサウンド・・・一頃の映画のBGMハリウッド的響きが少し気になる方があるかもしれませんが演奏そのものはワルターのきっちり基本が徹底された素敵なものであります。ワルターのベートーヴェンは偶数番が良いとされており私も心あたりがあるのですが奇数番のこの第1番(演奏タイム@7’02A6’38B3’45C6’09)も中々立派な演奏で第1楽章出だしから馥郁たる香りが放たれ各セクションの働きも明確、テンポも心持ち緩やかに触って「溜め」も作ります。第2楽章独特のアクセントが優雅・・・現代の感触からすれば違和感も?・・・この楽章結びは大きく波に乗せ変化球を投げます。きっちりとした後半楽章、特に最終楽章はしなやかさと生命力が溢れ〆のファンファーレ的扱いも効果的です。第2番(タイム@10’23A14’31B3’50C6’54)は偶数番曲、第1楽章様々なニュアンスを抱えた序奏は少しテンポ速く経過し展開部は活き活きとスケール感も適度にあり特に後段詰めのこの曲の畳み掛けの醍醐味を充分伝えます。〆はゆっくり引っ張って終わります。さて、第2楽章、バランスからすると長い楽章なのですが演奏のテンポ感と強弱感の絶妙さと言うのでしょうか過度な情緒に陥らずその長さを意識させません。やはり活き活きした最終楽章では時に大きく息継ぎしゆり動かしながらフィナーレへ、最後はサッと引き上げます。この両曲得てしてイン・テンポで一様な乾燥的演奏が多いそうなのですがワルターのきっちり基本の情感溢れた湿質的演奏は最高ランクにあげておきたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/15

    ベームのベートーヴェン交響曲第7番と言えば私などは1958年録音のBPOを振ってのDG盤(演奏タイム@12’58A10’11B8’24C7’19) がベーム64歳の絶頂期?を示すものであったと記憶しています。当時第5番「運命」のモノラル分とセットでこの第7番もモノラルであったり初期ではあってもステレオであったりいろいろ盤もあったようです。本盤はVPOとの交響曲全集からの分売で1972年の録音(@12’22A9’57B8’29C7’06)のものであります。ベームのレパートリーはHMVカタログで見る限りモーツァルトが圧倒的で続くのがベートーヴェン。ベーム芸術は本来ワルターの流れを引いてはいるのですがその重厚・武骨さを核とする造形美がモーツァルトという一聴ゴツくはない諸作品に投影することで一つの効果を上げていることに尽きると思います。ベートーヴェン交響曲でもその辺りはほぼ同じで果たして第7交響曲でどこまでその芸術が反映するのかが興味のある処。第1楽章序奏から展開まではゆっくり経過、剛直でVPOサウンドがシャープさを軽減しています。第2楽章葬送曲風の楽章はセーブ気味・・・退屈さも・・・、もうひとつ私には響いて来ないのが気になりはしました。第3楽章大きくストロークを取って力技のところも出だし・・・最終楽章での管楽器群でようやく興奮・・ベーム芸術も本格的・・・が伴ってきました。結局私にはこの第7交響曲がベームにピッタリ フィツトしたものかまだ結論を得ていないのが正直な処です。比較的VPOとの共演盤が多く古くは1957年のザルツブルグ祭のライブのものから 1972年ライブ盤(@12’40A9’40B8’24C7’12)、 1975年日本ライブ盤(@13’02A9’39B8’32C7’28)、 1980年同じく日本ライブ盤(@13’55A10’34B9’26C7’49)その他映像盤もチラホラ。人間は当然の如く老化により感覚も鈍って来ますが果たしてこれらの一連の演奏は何を物語ってくれるのでしょうか。他の収録曲を聴いておりませんので素晴らしいランクまでとしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/15

    ベームのベートーヴェン交響曲第7番と言えば私などは1958年録音のBPOを振ってのDG盤(演奏タイム@12’58A10’11B8’24C7’19) がベーム64歳の絶頂期?を示すものであったと記憶しています。当時第5番「運命」のモノラル分とセットでこの第7番もモノラルであったり初期ではあってもステレオであったりいろいろ盤もあったようです。本盤はVPOとの交響曲全集からの分売で1972年の録音(@12’22A9’57B8’29C7’06)のものであります。ベームのレパートリーはHMVカタログで見る限りモーツァルトが圧倒的で続くのがベートーヴェン。ベーム芸術は本来ワルターの流れを引いてはいるのですがその重厚・武骨さを核とする造形美がモーツァルトという一聴ゴツくはない諸作品に投影することで一つの効果を上げていることに尽きると思います。ベートーヴェン交響曲でもその辺りはほぼ同じで果たして第7交響曲でどこまでその芸術が反映するのかが興味のある処。第1楽章序奏から展開まではゆっくり経過、剛直でVPOサウンドがシャープさを軽減しています。第2楽章葬送曲風の楽章はセーブ気味・・・退屈さも・・・、もうひとつ私には響いて来ないのが気になりはしました。第3楽章大きくストロークを取って力技のところも出だし・・・最終楽章での管楽器群でようやく興奮・・ベーム芸術も本格的・・・が伴ってきました。結局私にはこの第7交響曲がベームにピッタリ フィツトしたものかまだ結論を得ていないのが正直な処です。比較的VPOとの共演盤が多く古くは1957年のザルツブルグ祭のライブのものから 1972年ライブ盤(@12’40A9’40B8’24C7’12)、 1975年日本ライブ盤(@13’02A9’39B8’32C7’28)、 1980年同じく日本ライブ盤(@13’55A10’34B9’26C7’49)その他映像盤もチラホラ。人間は当然の如く老化により感覚も鈍って来ますが果たしてこれらの一連の演奏は何を物語ってくれるのでしょうか。他の収録曲を聴いておりませんので素晴らしいランクまでとしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/14

    比較的短命にその生涯を閉じたフェリアーは1947年同じワルターとの共演(テノールはピアーズだった)で最後まで歌えなかったらしく本曲に対して何か直感的なものを個人的事情の中で捉えていたのではないでしょうか。確かにこの曲は李白等による厭世的ロマン性を帯びた詩に基づいて作曲されたものですが唯一作曲者直伝弟子であるワルターが捉えることが可能とも思われる心理の世界でもあるかのようです。本盤のテノール担当のパツァークもその寂寥感を上手く表現しております。タイム的には@8’36A9’12B2’58C6’43D4’22E28’21となっておりVPOとのショッキングな登場での私の好きな後年同じVPOを振ったバーンスタイン盤と比べて見ると各楽章概ね短めとなっています。1952年このワルター(当時76歳の頃)、フェリアー、パツァーク、VPOによる「大地の歌」は本盤録音の数日後ライブ盤(タイム@8’33A9’30B3’06C6’31D4’19E29’50)でも残されており機会があれば聴いてみたいですね。なお、ワルター指揮の「大地の歌」はさすがいろいろ出ておりさっーと拾っても1935年フォレスター、ルイス、NYPO・・1936年トルボルク、クルマン、VPO・・1948年フェリアー、スヴァンホルム、NYPO・・1953年ニコライ、スヴァルホルム、NYPO・・1960年ミラー、ヘフリガー、NYPO・・等マニアには興味の尽きないワルター「大地の歌」です。このようなレベルの演奏となればモノラルもクソもありませんね、同ソースから数多くの版が制作されてもおり本盤(平林氏の制作姿勢が更にバリューアップされていると期待されます。)もその内の一つ・・・長く聴かれるべき最高のものでしょう。解説資料も貴重なものと推察されます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2010/09/13

    比較的短命にその生涯を閉じたフェリアーは1947年同じワルターとの共演(テノールはピアーズだった)で最後まで歌えなかったらしく本曲に対して何か直感的なものを個人的事情の中で捉えていたのではないでしょうか。確かにこの曲は李白等による厭世的ロマン性を帯びた詩に基づいて作曲されたものですが唯一作曲者直伝弟子であるワルターが捉えることが可能とも思われる心理の世界でもあるかのようです。本盤のテノール担当のパツァークもその寂寥感を上手く表現しております。タイム的には@8’36A9’12B2’58C6’43D4’22E28’21となっておりVPOとのショッキングな登場での私の好きな後年同じVPOを振ったバーンスタイン盤と比べて見ると各楽章概ね短めとなっています。1952年このワルター(当時76歳の頃)、フェリアー、パツァーク、VPOによる「大地の歌」は本盤録音の数日後ライブ盤(タイム@8’33A9’30B3’06C6’31D4’19E29’50)でも残されており機会があれば聴いてみたいですね。なお、ワルター指揮の「大地の歌」はさすがいろいろ出ておりさっーと拾っても1935年フォレスター、ルイス、NYPO・・1936年トルボルク、クルマン、VPO・・1948年フェリアー、スヴァンホルム、NYPO・・1953年ニコライ、スヴァルホルム、NYPO・・1960年ミラー、ヘフリガー、NYPO・・等マニアには興味の尽きないワルター「大地の歌」です。リュッケルト歌曲も同じようにわが子を亡くしたマーラーのストイックな面が出ているように聴きました。本盤全体としてこのようなレベルの演奏となればモノラルもクソもありませんね、同ソースから数多くの版が制作されてもおり長く聴かれるべき最高のものでしょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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