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Review List of つよしくん 

Showing 721 - 735 of 1958 items

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  • 2 people agree with this review
     2011/06/28

    バーンスタインは押しも押されぬ史上最大のマーラー指揮者であると考えるが、その精神分裂的な性格がマーラーと通底するシューマンの交響曲や協奏曲を除けば、バーンスタインの指揮する独墺系の音楽は今一つ彫の深さを感じさせる演奏が少ないと言える。とりわけ、1980年代以降のバーンスタインには、異常なスローテンポによる大仰な表情づけの演奏が増えてきたことから、マーラーやシューマンの楽曲を除いては、いささかウドの大木の誹りを免れない浅薄な凡演が多くなったと言わざるを得ない。しかしながら、本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲全集は、1977〜1979年のライヴ録音ということもあって、1980年代の演奏のような大仰さがなく、ウィーン・フィルによる名演奏も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。バーンスタインは、1961〜1964年にかけてニューヨーク・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、それはいかにもヤンキー気質丸出しのエネルギッシュな演奏であり、随所に力づくの強引な最強奏も聴かれるなど外面的な効果だけが際立った浅薄な演奏であった。本盤におさめられた演奏でも、バーンスタインの音楽に彫の深さを感じることは困難であるが、持ち前のカロリー満点の生命力に満ち溢れた演奏に、ウィーン・フィルによる極上の美演が付加されることにより、演奏全体に潤いと適度な奥行き、そして重厚さを付加することに成功している点を忘れてはならない。いずれにしても、本全集は、バーンスタインによるエネルギッシュな力感溢れる指揮に、ウィーン・フィルによる美演が加わったことにより、剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。仮に、本全集の録音に際して、バーンスタインがウィーン・フィル以外のオーケストラを起用していたとすれば、これほどの魅力的で奥行きのある演奏にはならなかったのではないかとも考えられるところだ。録音は、従来盤でも十分に満足できる良好な音質であると言えるが、第9番のみについてはマルチチャンネル付きのSACD化がなされており、当該SACD盤がベストの高音質であると言える。また、第1番〜第8番については、数年前に発売されたSHM−CD盤が現時点ではベターな音質であると言える。もっとも、バーンスタインによる記念碑的な名全集であり、今後は第9番のみならず、すべての交響曲についてマルチチャンネル付きのSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 6 people agree with this review
     2011/06/28

    バーンスタインは押しも押されぬ史上最大のマーラー指揮者であると考えるが、その精神分裂的な性格がマーラーと通底するシューマンの交響曲や協奏曲を除けば、バーンスタインの指揮する独墺系の音楽は今一つ彫の深さを感じさせる演奏が少ないと言える。とりわけ、1980年代以降のバーンスタインのには、異常なスローテンポによる大仰な表情づけの演奏が増えてきたことから、マーラーやシューマンの楽曲を除いては、いささかウドの大木の誹りを免れない浅薄な凡演が多くなったと言わざるを得ない。しかしながら、本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲全集は、1977〜1979年のライヴ録音ということもあって、1980年代の演奏のような大仰さがなく、ウィーン・フィルによる名演奏も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。バーンスタインは、1961〜1964年にかけてニューヨーク・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、それはいかにもヤンキー気質丸出しのエネルギッシュな演奏であり、随所に力づくの強引な最強奏も聴かれるなど外面的な効果だけが際立った浅薄な演奏であった。本盤におさめられた演奏でも、バーンスタインの音楽に彫の深さを感じることは困難であるが、持ち前のカロリー満点の生命力に満ち溢れた演奏に、ウィーン・フィルによる極上の美演が付加されることにより、演奏全体に潤いと適度な奥行き、そして重厚さを付加することに成功している点を忘れてはならない。いずれにしても、本全集は、バーンスタインによるエネルギッシュな力感溢れる指揮に、ウィーン・フィルによる美演が加わったことにより、剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。仮に、本全集の録音に際して、バーンスタインがウィーン・フィル以外のオーケストラを起用していたとすれば、これほどの魅力的で奥行きのある演奏にはならなかったのではないかとも考えられるところだ。録音は、従来盤でも十分に満足できる良好な音質であると言えるが、第9番のみについてはマルチチャンネル付きのSACD化がなされており、当該SACD盤がベストの高音質であると言える。また、第1番〜第8番については、数年前に発売されたSHM−CD盤が現時点ではベターな音質であると言える。もっとも、バーンスタインによる記念碑的な名全集であり、今後は第9番のみならず、すべての交響曲についてマルチチャンネル付きのSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 5 people agree with this review
     2011/06/27

    本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲全集は、DVD作品を除けばカラヤンによる最後の全集ということになる。カラヤンは、フィルハーモニア管とともに1度、手兵であったベルリン・フィルとは本全集を含め3度に渡って全集を録音しているが、いずれも名演であると言える。最初のフィルハーモニア管との録音はモノラル録音(第8番のみステレオ録音)ではあるが、若き日のカラヤンならではの颯爽とした清新さが魅力であった。次いで、1960年代に録音されたベルリン・フィルとの最初の全集は、いまだベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の猛者が数多く在籍していた時代の演奏でもあり、全体的にはカラヤンならではの流麗なレガートが施された華麗な装いであるが、これにベルリン・フィルのドイツ風の重厚な音色が付加された独特の味わいに満ち溢れた名演に仕上がっていたと言える。また、1970年代に録音されたベルリン・フィルとの2度目の全集は、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏と言うことが出来るだろう。この当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代であり、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していると言える。カラヤンによるベートーヴェンの交響曲全集の代表盤と言えば、やはり1970年代の当該全集ということになるのではないだろうか。これに対して、1980年代に録音された本全集であるが、1970年代の全集などと比較するとカラヤンの統率力に若干の綻びが見られるのは否めない事実であると言える。1970年代に頂点を迎えたカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビも、本全集の録音が開始された1982年にはザビーネ・マイヤー事件の勃発により大きな亀裂が入り、その後も悪化の一途を辿った。本全集は、このような両者の闘争の渦中での録音ではあり、お互いにプロフェッショナルとして高水準の演奏を成し遂げてはいるが、カラヤンの健康悪化に伴う統率力の衰えについては、隠しようはなかったものと考えられる。それ故に、どの曲もカラヤンによるベストの演奏とは言い難いが、それでも第2番や第9番の緩徐楽章などにおいても見られるように、1970年代の全集までにはなかった清澄な調べも聴くことが可能であり、カラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を振り返るような趣きのある枯淡の境地とも言うべき味わい深さを含有している演奏と言うことができるのではないだろうか。したがって、本全集はカラヤン、そしてベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは言い難いが、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さと言った点においては、名全集の評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。録音は、従来盤でも比較的良好な音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤による全集がベストの音質であったと言える。もっとも、世紀の巨匠カラヤンによる遺言とも言うべき名全集でもあり、今後はSHM−CD仕様によるSACD化を図るなど更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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  • 12 people agree with this review
     2011/06/27

    カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集をDVD作品を除けば4度にわたってスタジオ録音している。このうち、フィルハーモニア管弦楽団との最初の全集を除けばすべてベルリン・フィルとの録音となっている。いずれの全集もカラヤンならではの素晴らしい名演であると考えているが、中でもカラヤンの個性が最も発揮されたのは1970年代に録音された3度目の全集ということになるのではないだろうか。昨年、FM東京から、カラヤン&ベルリン・フィルの1977年の来日時の驚くべき普門館ライヴによる全集が発売されたところだ。本全集は、さすがにあの超絶的な名演には敵わないが、それらとほぼ同じスタイルによる名演をスタジオ録音によって味わうことが可能であると言える。本全集の録音当時(1975年〜1977年)は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代であった。名うてのスタープレイヤーが数多く在籍していた当時のベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏を展開していた。カラヤンは、これに流麗なレガートを施し、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたと言える。それは本全集においても健在であり、これほどの圧倒的な音のドラマは、前述の普門館ライヴ録音は別格として、クラシック音楽演奏史上においても空前にして絶後ではないかと考えられるほどの高みに達していると言える。もちろん、カラヤンは本全集における各曲の演奏においては音のドラマの構築に徹していることから、各楽曲の精神的な深みの追及などは薬にしたくもないと言える。したがって、とある影響力の大きい音楽評論家などは、精神的な深みを徹底して追及したフルトヴェングラーの名演などを引き合いにして、本全集の精神的な内容の浅薄さを酷評しているが、本全集はかかる酷評を一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功しており、フルトヴェングラーの名演などとの優劣は容易にはつけられないものと考えている。また、各楽曲の精神的な深みの追及がないという意味においては、何色にも染まっていない演奏であると言える(もちろん、表面的な音はカラヤン色濃厚であるが)ところであり、初心者には安心してお薦めできる反面で、特に熟達した聴き手には、各曲への理解力が試される難しい演奏ということができるのかもしれない。録音は、高名なギュンター・ヘルマンスによるアナログ完成期の録音であり、従来盤でも十分に満足できる音質であるとは言えるが、1960年代の全集が全曲ハイブリッドSACD化(第3番及び第4番はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化)、そして1980年代の全集が全曲SHM−CD化されているにもかかわらず、本全集は、第9がマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD化されている以外は、何らの高音質化が図られていないのは実に不思議な気がする。カラヤン、そしてベルリン・フィルによる最も優れた歴史的な名全集でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 9 people agree with this review
     2011/06/27

    本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲全集は、カラヤンによる最初の全集である。カラヤンは、本全集の後、ベルリン・フィルとともに3度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本全集はそれらベルリン・フィルとの全集とは全くその演奏の性格を異にしていると言える。カラヤン&ベルリン・フィルによる全集は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そして雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していると言える。それは特に1970年代に録音された全集に顕著であり、1960年代に録音された全集にはフルトヴェングラー時代の残滓でもあるドイツ風の重厚な音色、1980年代に録音された全集には、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さが付加されていると言える。これらベルリン・フィルとの3つの全集に対して、本全集においては、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に腐心したカラヤンの姿を見ることができない。むしろ、当時上昇気流に乗っていた若き日のカラヤンならではの気迫が漲った生命力溢れる演奏と言うことが可能だ。その後のベルリン・フィルとの重厚な演奏とは異なり、早めのテンポによる爽快な演奏とも言えるが、いまだフルトヴェングラーやワルター、そしてクレンペラーなどが重厚な演奏を繰り広げていた時代にあって、ある意味では新時代の幕開けを予感させるような清新な演奏であったことは想像するに難くない。演奏の重厚さや円熟味などを考慮すれば、後年のベルリン・フィルとの演奏、とりわけ1970年代の全集の演奏の方がより上位にあるとも考えられるが、第6番や第8番などは、デニス・ブレインによるホルンソロの美しさなどもあって、本全集の演奏がカラヤンとしても随一の名演と言えるのではないだろうか(もっとも、ライヴ録音にまで比較の範囲を広げると、第6番や第8番についても、昨年発売された1977年の普門館ライヴの方がより上位の名演であると考えられる。)。いずれにしても本全集は、第8番以外はモノラル録音という音質面でのハンディはあるものの、若き日のカラヤンの颯爽とした才気あふれる芸術を味わうことができるという意味において、名全集として評価するのにいささかも躊躇するものではない。録音は前述のように第8番以外はモノラル録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって従来盤でも比較的満足できる音質であると言える。もっとも、カラヤンによる記念すべき名演でもあり、今後はSACD化を図るなど更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 0 people agree with this review
     2011/06/27

    本盤には、小澤がベルリン・フィルとともに1989年から1992年の4年間をかけてスタジオ録音を行ったプロフィエフの交響曲全集から抜粋した有名曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。小澤は、カラヤンを師匠として敬愛していたこともあり、ベルリン・フィルと数々の演奏・録音を行ってきているが、現時点において最も優れた録音は、このプロコフィエフの交響曲全集ということになるのではないだろうか。小澤は、もともとプロコフィエフを得意中の得意としており、ここでも持ち前の豊かな音楽性を活かしつつ、軽快でリズミカルなアプローチによるセンス満点の明瞭な演奏を行っているのが素晴らしい。交響曲第1番についてはかかるアプローチに対して異論はないだろうが、交響曲第5番については、カラヤン、バーンスタインなどによる重厚な名演が目白押しであり、それに慣れた耳からすると本演奏はいささか軽快に過ぎるきらいがないわけではない。しかしながら、とかく重々しくなりがちなプロコフィエフの演奏に清新さを与えるのに成功している点については、私としては高く評価したいと考える。組曲「キージェ中尉」も同様のアプローチによる名演であるが、ここでは第2曲「ロマンス」と第4曲「トロイカ」に声楽を含むバージョンで演奏されており、これは希少価値があると言える。さらに、これらの演奏で素晴らしいのは、ベルリン・フィルによる卓越した技量であると考える。この当時のベルリン・フィルは、芸術監督がカラヤンからアバドに代替わりする難しい時期でもあったと言えるが、ここでは鉄壁のアンサンブルとパワフルなサウンド、各管楽器の卓越したテクニックが健在である。組曲「キージェ中尉」におけるアンドレアス・シュミットも素晴らしい歌唱を披露していると言える。録音は、従来盤でも高音質で知られてはいたが、今般のSHM−CD化によって、音質はさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。小澤&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/06/26

    本盤におさめられたバッハのゴルトベルク変奏曲は、鬼才とも称されたグールドによる最後のスタジオ録音である。グールドは、かなり以前から公の場での一切のコンサートを拒否してきたことから、本演奏はグールドによる生涯における最後の演奏ということにもなるのかもしれない。グールドは1955年に、ゴルトベルク変奏曲のスタジオ録音によって衝撃的なデビューを遂げたことから、偶然であったのか、それとも意図してのことであったのかは不明であるが、デビュー時と同じ曲の演奏によってその生涯を閉じたと言えるところであり、これはいかにも鬼才グールドならではの宿命のようなものを感じさせるとも言える。実際に新旧両盤を聴き比べてみるとかなりの点で違いがあり、この間の26年間の年月はグールドにとっても非常に長い道のりであったことがよくわかる。そもそも本演奏は、1955年盤と比較すると相当にゆったりとしたテンポになっており、演奏全体に込められた情感の豊かさや彫の深さにおいてもはるかに凌駕していると言える。斬新な解釈が売りであった1955年盤に対して、本演奏は、もちろん十分に個性的ではあるが、むしろかかる斬新さや個性を超越した普遍的な価値を有する演奏との評価が可能ではないかと考えられる。いずれにしても本演奏は、バッハの演奏に心血を注いできたグールドが人生の終わりに際して漸く達成し得た至高・至純の境地にあると言えるところであり、本演奏の持つ深遠さは神々しいとさえ言えるほどだ。正に、本演奏こそはグールドのバッハ演奏の集大成とも言うべき高峰の高みに聳える至高の超名演と高く評価したい。これほどの歴史的な超名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきているが、ベストの音質はシングルレイヤーによるSACD盤である。グールドの鼻歌までが鮮明に再現される本SACD盤こそ、グールドの至高の芸術を最も鮮明に再現しているものとして大いに歓迎したい。

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     2011/06/26

    本盤におさめられたロストロポーヴィチによるショスタコーヴィチの交響曲第5番についいては、かつてLPで聴いた時のことを鮮明に記憶している。本演奏の録音は1982年であるが、この当時は、現在では偽書とされている「ショスタコーヴィチの証言」が一世を風靡していた時期に相当し、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチとの生前における親交から、本演奏は証言の内容を反映した最初の演奏などともてはやされたものであった。当時、まだ高校生であった私も、証言をむさぼり読むとともに本演奏をおさめたLPを聴いたものの、若かったせいもあるとは思うのであるが、今一つ心に響くものがなかったと記憶している。その後、社会人になってCDを購入して聴いたが、その印象は全く変わることがなかった。そして、今般SHM−CD化されたのを契機に、久々に本演奏を聴いたが、やはり心に響いてくるものがなかったと言わざるを得ない。確かに、巷間言われるように本演奏には楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような緊迫感や生命力溢れる力強さなどが漲っているが、手兵のワシントン・ナショナル交響楽団をうまく統率し切れずに、いささか空回りしているような気がしてならないのだ。やや雑然とした演奏に聴こえるのもおそらくはそのせいであり、ロストロポーヴィチによる同曲の演奏であれば、いささか大人しくはなったと言えるが、後年の2つの録音、(ワシントン・ナショナル交響楽団との1994年盤(テルデック)又はロンドン交響楽団との2004年盤(LSO))の方がより出来がいいと言えるのではないだろうか。他方、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」からの抜粋については、ロシア風の民族色に満ち溢れた名演と高く評価したい。録音は、従来盤でもかつてのLPと同様に十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がやや鮮明になるとともに、音場が若干幅広くなったことについては評価したい。全体の評価としては、「ロメオとジュリエット」の名演と若干の高音質化を加味して★3つの評価とさせていただくこととする。

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  • 4 people agree with this review
     2011/06/26

    本盤は、リストの最高傑作の一つであるピアノ・ソナタロ短調を軸として、いつくかの有名な小品等で構成されている。我が国を代表するピアニストである清水和音がデビュー30周年を記念(そしてリスト・イヤーを記念)して本年1月に演奏を行ったスタジオ録音であるが、いずれの楽曲もその実力を存分に発揮した素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。ピアノ・ソナタロ短調は超絶的な技量と卓越した表現力を要する難曲であり、古今東西の様々な有名ピアニストがその高峰の高みに向けて登頂を挑んできた。各ピアニストが自らの実力の威信をかけて演奏を行っているだけに、数多くの個性的な名演が目白押しであり、そのような海千山千の名演の中で存在感を発揮するのは並大抵の演奏ではかなわないとも言える。ところが、清水和音による本演奏は、これまでの過去の名演にも必ずしも引けを取らない存在価値を十分に発揮していると言える。というのも、本演奏は、その超絶的な技量よりもリストの音楽そのものの美しさが伝わってくるからである。もちろん、清水和音の技量が劣っているというわけではない。それどころか清水和音は、超絶的な技量を持って曲想を描き出しているとさえ言えるほどであるが、清水和音は持ち前の技量を、リストの音楽をいかに美しく響かせるのかという点に奉仕させているように思えるのだ。例えば、同曲は一つの主題が数々の変奏を繰り返していくが、その描き分けが実に巧妙になされている。そして、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱、そして大胆な表情づけを駆使して、変化に富む曲想を多彩とも言うべき表現力で豊穣に描き出している。また、強靭な打鍵にも圧倒的な力感がこもっているが、いささかも音が割れたりすることがなく、常に透明感溢れる美しい音色で満たされているのも本演奏の見事な点であると言える。いずれにしても、本演奏は、同曲の美しさに主眼を置いた稀有の名演として高く評価したいと考える。併録の巡礼の年第2年「イタリア」からの抜粋であるペトラルカのソネットやコンソレーション「慰め」も、ピアノ・ソナタと同様のアプローチによる名演である。ここでも技量よりは楽曲の持つ美しさを際立たせているのが見事であり、こうした点にデビュー30周年を迎えた清水和音の円熟を感じることが可能であるとも言えるだろう。そして、本盤で素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音であると言える。オクタヴィアによるピアノ録音で一般的な富山北アルプス文化センターでの録音ではないが、会場(埼玉県の三芳町文化会館(コピスみよし))の残響を的確に活かした見事な音質に仕上がっており、清水和音の楽曲の美しさを全面に打ち出した本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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  • 5 people agree with this review
     2011/06/26

    フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲第7番の演奏の録音は数多く遺されているが、一般的には1943年盤と1950年盤が双璧の名演とされている。いずれも数年前にオーパスが素晴らしい復刻を行ったことから、両名演の優劣をつけるのが極めて困難な状況が続いていたところである。しかしながら、本年1月、EMIが1950年盤をSACD化したことによって、きわめて鮮明な音質に生まれ変わったことから、おそらくは現在では1950年盤をより上位に置く聴き手の方が多数派を占めていると言えるのではないだろうか。このような2強の一角を脅かす存在になりそうなのが、今般シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化という、現在望み得る最高の高音質化が図られた、本盤におさめられた1953年のライヴ録音ということになる。本演奏については、従来盤(DG)の音質はデッドで音場が全く広がらないという問題外の音質であったが、数年前にスペクトラムレーベルが比較的満足し得る復刻を行ったところだ。しかしながら、ユニバーサルによる今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、これまでとは次元が異なる高音質に生まれ変わったと言えるところであり、漸く本演奏の真価を味わうことが可能となるに至ったと言えるだろう。冒頭の和音からして崇高さを湛えており、その後は濃厚さの極みとも言うべき重厚な音楽が連続していくが、彫の深さといい、情感の豊かさといい、これ以上の演奏は考えられないほどの高みに達した神々しさを湛えている。終楽章の終結部に向けてのアッチェレランドを駆使した畳み掛けていくような力強さは、圧倒的な迫力を誇っていると言える。私としては、本SACD盤が登場しても、なお1950年盤の方をより上位に置きたいと考えてはいるが、本SACD盤は1950年盤に肉薄する超名演と評価するのにいささかも躊躇しない。他方、交響曲第8番については、ストックホルム・フィルとの演奏(1948年)がEMIによって既にSACD化されているが、必ずしも音質改善が図られたとは言えなかっただけに、本盤の演奏の方が、音質面においても、そしてオーケストラ(ウィーン・フィル)の質においても、より上位を占めるに至ったと言っても過言ではあるまい。第8番は、フルトヴェングラーが必ずしも得意とした交響曲ではなかったとされているが、このような高音質で聴くと、むしろ同曲を自己薬籠中のものとしていたのではないかとさえ思われるような熟達した名演を繰り広げていることがよく理解できるところだ。いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤という現在最高のパッケージメディアで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/06/26

    ブラームスの4つの交響曲の中で最もフルトヴェングラーの芸風に合致するのは、衆目の一致するところ第1番ということになるのではないだろうか。フルトヴェングラーはベートーヴェンの交響曲を十八番としていただけに、ブラームスの交響曲の中でも最もベートーヴェンの交響曲に近い性格を有している第1番において、その実力を如何なく発揮することは自明の理と言えるからである。実際のところ、私も正確に数えたことはないが、フルトヴェングラー指揮のブラームスの交響曲第1番の録音は、かなりの点数が遺されている。しかしながら、録音状態はいずれも芳しいとは言えないところであり、フルトヴェングラーならではの至芸を味わうにはきわめて心もとない状況に置かれてきたと言わざるを得ない。そのような長年の渇きを癒すことになったのが、本年1月、EMIから発売された、1952年(本演奏の2週間前)にウィーン・フィルと行った演奏のライヴ録音のSACD盤であった。当該SACD盤の登場によって、既発CDとは次元の異なる高音質に生まれ変わったところであり、これによってフルトヴェングラーによるブラームスの交響曲第1番の決定盤としての地位を獲得したと考えてきたところである。そのような中で、今般、ユニバーサルによって1952年のベルリン・フィルとのライヴ録音がSACD化されたというのは、前述のEMIによるSACD盤の登場と並ぶ快挙と言えるだろう。本演奏については、数年前にターラ盤が発売され、それなりに満足し得る音質改善は図られてはいたが、音質の抜本的な改善には繋がっているとは必ずしも言えず、フルトヴェングラーの彫の深い芸術を味わうのはきわめて困難な状況に置かれていた。ところが、今般のSACD化によって、見違えるような良好な音質に生まれ変わるとともに音場もかなり広くなったところであり、フルトヴェングラーの深みのある至芸を堪能することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。演奏は、前述のEMI盤と同様に冒頭から重厚にして濃厚なフルトヴェングラー節が全開。終楽章の圧倒的なクライマックスに向けて夢中になって畳み掛けていく力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言える。また、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、その深沈とした奥行きや彫の深さは、正に神々しいばかりの崇高さを湛えていると言える。いずれにしても本盤の演奏は、今般のSACD化によって前述のEMI盤と並ぶ至高の超名演と高く評価し得るに至ったと言えるだろう(これによって、いまだSACD化されていない北ドイツ放送響盤(1951年)は、演奏自体は優れてはいるが、音質面を含め前述のEMI盤及び本ユニバーサル盤に対して一格下ということになったのではないかと考えられる。)。併録のグリックの歌劇「アルチェステ」序曲も、いかにもフルトヴェングラーならではの濃厚な味わいの名演だ。いずれにしても、このようなフルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高のパッケージメディアであるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/06/26

    私は他の演奏のレビューでもこれまでよく記してきたところであるが、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の演奏は極めて難しいと言える。それは、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいて、著名な音楽評論家が選出する同曲の名演の順位が割れるのが常であることからも伺い知ることができるところである。このことは、シューベルトをどう捉えるのかについて定まった考え方がないことに起因すると言えるのではないかとも考えられる。フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演として、本演奏以外に一般的に最もよく知られているのは、録音自体は極めて劣悪ではあるが、本盤と同じくベルリン・フィルを指揮した1942年盤(ライヴ録音)ということになるのではないだろうか。当該演奏におけるフルトヴェングラーの表現はドラマティックそのもの。あたかもベートーヴェンの交響曲のエロイカや第5番、第7番を指揮する時のように、楽曲の頂点に向けて遮二無二突き進んでいく燃焼度の高い演奏に仕上がっている。このような劇的な性格の演奏に鑑みれば、フルトヴェングラーはシューベルトをベートーヴェンの後継者と考えていたと推測することも可能であると言える。しかしながら、本盤におさめられた演奏は、1942年盤とは全く異なる性格のものだ。ここでのフルトヴェングラーは、荘重な悠揚迫らぬインテンポで決して急がずに曲想を進めている。シューベルトの楽曲に特有の寂寥感の描出にもいささかの不足もなく、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さには尋常ならざるものがあると言える。本演奏は、あたかもブルックナーの交響曲のような崇高さを湛えていると言えるところであり、本演奏だけに限ってみると、フルトヴェングラーがシューベルトをブルックナーの先達であるとの考えにあらためたとすることさえも可能であると言える。実際のところは、フルトヴェングラーがシューベルトを、そして交響曲第9番「ザ・グレイト」をどう捉えていたのかは定かではないが、あまりにも対照的な歴史的な超名演をわずか10年足らずの間に成し遂げたという点からして、フルトヴェングラーがいかに表現力の幅が極めて広い懐の深い大指揮者であったのかがよく理解できるところだ。ただ、本演奏の弱点は、音質が必ずしも良好とは言えなかったところであり、従来盤ではフルトヴェングラーの彫の深い表現を堪能することが困難であったと言わざるを得ない。しかしながら、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって見違えるような素晴らしい音質に生まれ変わった。第1楽章冒頭のホルンの音色はいささか古臭いが、第2楽章の豊穣な弦楽合奏の音色、第3楽章の低弦の唸るような重厚な響きなど、ここまで鮮度の高い音質に蘇るとは殆ど驚異的ですらある。これによって、フルトヴェングラーの彫の深い表現を十分に満足できる音質で堪能できるようになった意義は極めて大きいと考える。ハイドンの交響曲第88番も、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」と同様のアプローチによるスケール雄大で彫の深い名演であり、第1楽章の弦楽合奏の豊穣で艶やかな響きなど、音質向上効果にもきわめて目覚ましいものがある。いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、このような高音質のSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/06/25

    ワルターはマーラーの交響曲第9番の初演者である。もっとも、初演者であるからと言って演奏が素晴らしいというわけではなく、晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音(1961年)は決して凡演とは言えないものの、バーンスタインなどの他の指揮者による名演に比肩し得る演奏とは言い難いものであった。しかしながら、本盤におさめられた1938年のウィーン・フィルとのライブ録音は素晴らしい名演だ。それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、バーンスタイン&COA盤(1985年)とともにトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。私としては、もちろんワルターの実力について疑うつもりは毛頭ないが、本演奏が超名演になった要因は、多分に当時の時代背景によるところが大きいのではないかと考えている。本演奏が行われたのは第二次大戦前夜、正にナチスドイツによるウィーン侵攻が開始される直前のものである。ユダヤ人であることからドイツを追われ、ウィーンに拠点を移して活動をしていたワルターとしても、身近に忍び寄りつつあるナチスの脅威を十分に感じていたはずであり、おそらくは同曲演奏史上最速のテンポが、そうしたワルターの心底に潜む焦燥感をあらわしているとも言える。同曲の本質は死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬であるが、当時の死と隣り合わせであった世相や、その中でのワルター、そしてウィーン・フィル、更には当日のコンサート会場における聴衆までもが同曲の本質を敏感に感じ取り、我々聴き手の肺腑を打つ至高の超名演を成し遂げることに繋がったのではないかとも考えられる。正に、本演奏は時代の象徴とさえ言える。また、当時のウィーン・フィルの音色の美しさには抗し難い魅力があり、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。本演奏は奇跡的に金属原盤が残っていたが、当初発売の国内EMI盤は良好な音質とは言えず、ARTリマスタリングが施された本輸入盤も必ずしも万全とは言い難い音質であると言える。Dutton盤やナクソス盤なども、比較的良好な音質の復刻盤と言えるが、やはり決定的とも言える復刻盤はオーパス盤ではないだろうか。針音を削除しなかっただけあって、音の生々しさには出色のものがあり、ワルター&ウィーン・フィルによる奇跡的な超名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという聴き手にはオーパス盤の購入をおすすめしたい。

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     2011/06/25

    ワルターはマーラーの交響曲第9番の初演者である。もっとも、初演者であるからと言って演奏が素晴らしいというわけではなく、晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音(1961年)は決して凡演とは言えないものの、バーンスタインなどの他の指揮者による名演に比肩し得る演奏とは言い難いものであった。しかしながら、本盤におさめられた1938年のウィーン・フィルとのライブ録音は素晴らしい名演だ。それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、バーンスタイン&COA盤(1985年)とともにトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。私としては、もちろんワルターの実力について疑うつもりは毛頭ないが、本演奏が超名演になった要因は、多分に当時の時代背景によるところが大きいのではないかと考えている。本演奏が行われたのは第二次大戦前夜、正にナチスドイツによるウィーン侵攻が開始される直前のものである。ユダヤ人であることからドイツを追われ、ウィーンに拠点を移して活動をしていたワルターとしても、身近に忍び寄りつつあるナチスの脅威を十分に感じていたはずであり、おそらくは同曲演奏史上最速のテンポが、そうしたワルターの心底に潜む焦燥感をあらわしているとも言える。同曲の本質は死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬であるが、当時の死と隣り合わせであった世相や、その中でのワルター、そしてウィーン・フィル、更には当日のコンサート会場における聴衆までもが同曲の本質を敏感に感じ取り、我々聴き手の肺腑を打つ至高の超名演を成し遂げることに繋がったのではないかとも考えられる。正に、本演奏は時代の象徴とさえ言える。また、当時のウィーン・フィルの音色の美しさには抗し難い魅力があり、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。本演奏は奇跡的に金属原盤が残っていたが、当初発売の国内EMI盤は良好な音質とは言えず、輸入盤(カナダプレス)も万全とは言えなかった。本ナクソス盤やDutton盤なども、比較的良好な音質の復刻盤と言えるが、やはり決定的とも言える復刻盤はオーパス盤ではないだろうか。針音を削除しなかっただけあって、音の生々しさには出色のものがあり、ワルター&ウィーン・フィルによる奇跡的な超名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという聴き手にはオーパス盤の購入をおすすめしたい。

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     2011/06/25

    ワルターはマーラーの交響曲第9番の初演者である。もっとも、初演者であるからと言って演奏が素晴らしいというわけではなく、晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音(1961年)は決して凡演とは言えないものの、バーンスタインなどの他の指揮者による名演に比肩し得る演奏とは言い難いものであった。しかしながら、本盤におさめられた1938年のウィーン・フィルとのライブ録音は素晴らしい名演だ。それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、バーンスタイン&COA盤(1985年)とともにトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。私としては、もちろんワルターの実力について疑うつもりは毛頭ないが、本演奏が超名演になった要因は、多分に当時の時代背景によるところが大きいのではないかと考えている。本演奏が行われたのは第二次大戦前夜、正にナチスドイツによるウィーン侵攻が開始される直前のものである。ユダヤ人であることからドイツを追われ、ウィーンに拠点を移して活動をしていたワルターとしても、身近に忍び寄りつつあるナチスの脅威を十分に感じていたはずであり、おそらくは同曲演奏史上最速のテンポが、そうしたワルターの心底に潜む焦燥感をあらわしているとも言える。同曲の本質は死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬であるが、当時の死と隣り合わせであった世相や、その中でのワルター、そしてウィーン・フィル、更には当日のコンサート会場における聴衆までもが同曲の本質を敏感に感じ取り、我々聴き手の肺腑を打つ至高の超名演を成し遂げることに繋がったのではないかとも考えられる。正に、本演奏は時代の象徴とさえ言える。また、当時のウィーン・フィルの音色の美しさには抗し難い魅力があり、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。本演奏は奇跡的に金属原盤が残っていたが、当初発売の国内EMI盤は良好な音質とは言えず、輸入盤(カナダプレス)も万全とは言えなかった。本Dutton盤やナクソス盤なども、比較的良好な音質の復刻盤と言えるが、やはり決定的とも言える復刻盤はオーパス盤ではないだろうか。針音を削除しなかっただけあって、音の生々しさには出色のものがあり、ワルター&ウィーン・フィルによる奇跡的な超名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという聴き手にはオーパス盤の購入をおすすめしたい。

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