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14 people agree with this review 2012/07/08
バイロイトでは演出の前のパッパーノ指揮のプロダクションより、音楽的に見て優れていると思う。精緻で流麗なだけでないアンドリスの劇的変化に富んだ表現が光る。アンサンブルも引き締まりただ者ではない才気が漂う。出演は若手中堅の歌手陣だが、アンネッテ・ダッシュのエルザが出色。いわゆるヘルデンらしさのなさで好みの分かれるK.F.フォークトも最近はローエングリンが十八番となりつつある。ケント・ナガノとの共演DVDなどに比べれば、ここ数年で声質に重みとふくよかな広がりが出てきて、かつてに比べこの役柄への違和感は薄れてきている。あともう少し年輪を重ね声が太くなると、故ペーター・ホフマンのようなリリックなまろやかさと凛とした輝きを兼ね備えた現代的ヘルデンテノールに熟成するのでは、と勝手に期待するところである。どこかで彼を強く指弾したが、この成長振りをみると、不明であったと思う。国王とオルトルートは物足りない。新体制になり斬新な舞台が話題に上っている中で、この演出はかなり刺激的だ。BSで見て、大胆さの裏に隠れた意図に感心もして最初は面白いと思ったが、劇が進むにつれて、わずらわしさと後味の悪さに腹も立った。もともとメタファや異化に富んだ前衛的な演出が多いので、あまり驚きはないのだが、少なくともオペラ演出は音楽の邪魔にならない節度を持ってほしいと強く思った。何も考えず管理された大衆=鼠、「後継者」の王子=デフォルメされた胎児=救いの無い悲劇性…と自分なりに考えながら見るのは勿論一つの楽しみではあるが、今回の演出に関して言えば、それがいささかわずらわしいと思えるほど饒舌すぎるのである。特に群集の一人が台本にない奇声を上げて音楽の邪魔をするというのは、(ノイエンフェルスにしてはまだ大人しいのだろうが)必然性の低く節度を欠いた演出で、ワーグナーのオペラを見ているのかノイエンフェルスの現代的の舞台をみているのか分からなくなる瞬間が多かった。コンヴィチュニーやウォーナーでもこう押し付けがましく饒舌ではない。小生は保守的なのかも知れない。しかし、悪い例えで恐縮だが、「古代ギリシャ美術展」という名の展覧会で、古代ギリシャ出土の彫刻のトルソーに、マネキン人形の手足をくっつけ肌色や赤や青のペイントをして美術館で「これがギリシャ彫刻です」と展示するような所業は控えるべきではないのかと思う。それが「現代アート展」と銘打ったものなら誰しも許すだろうが、このような過激な歌劇演出がヨーロッパでは流行し、どんどん先鋭化している。例えば有名なP.シェローのバイロイトの「指輪」をはじめ最近の「サムソンとデリラ」や「ジュリアスシーザー」の舞台では、現代の国際政治に置き換える演出のものがあり、作品の読み替えで新たな生命を作品に吹き込む行為ではあるし、物議を醸すコンヴィチュニーやウォーナーにしても演劇手法やメタファー、異化へのこだわりは音楽の邪魔にならない一定の節度はみられる。演出家なり作品が観客を選ぶ意識は当然あってよいのだが、このノイエンフェルスの演出は、「ローエングリン」にしても「こうもり」(これは喜歌劇とはいえ作品の冒涜に等しい悪質な改竄だと小生は思う)にしても、演劇美の追求のために音楽美を犠牲にした部分を感じるのは否めず、オペラの舞台芸術という側面では本末転倒の感がある。もはや演出家の素材としてのオペラというべきか。そうした楽しみ方を小生も否定はしないが、音楽とのバランスをどう保つかという視点は忘れないでほしいと個人的には思う。そうした過激なオペラ演出のいまを考えるには良い素材で、そういう意味からも一見を勧める。この演出の斬新な世界観に入り込めたら「こうもり」も買い是非観ることをお勧めする。もしどうしても気に入らなければ、テレビモニターを消すなり映像コードを抜くなりして音だけ楽しめば良いのである。少なくとも演奏は質が高いのだから。昔、バイロイトは小生にとっては聖地で、子供の時から、いつか歳をとったら、小林秀雄も行った祝祭劇場の切符を取りたいと思って生きつづけてきたが、こういう饒舌すぎる演出と、指揮者や歌手の小粒化を考えると、もはやこれからは、往年のライヴ盤とネットラジオ中継か年末のFM放送で十分だなと思うようになった。世代交代して神々も黄昏てしまったのだ。新演出のDVDも良いが、我々保守的ファンとしては、むしろ60年代〜80年代の音源のCD化を切望したい。
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2 people agree with this review 2012/06/17
両曲とも、このコンビのために作曲されたかと錯覚するような名演。特にオケコンには、この曲には列挙にいとまがないほど数多の名演があるが、その中でも代表的な1枚だ。鬼のような練習でシカゴ交響楽団という名人集団を鍛え上げ、精妙なアンサンブルの粋を聴かせている。LP末期の粗悪なLPに比べれば、SACDやXRCDでの音質改善は大きく、音の分離の良さが手にとるように分かるのが嬉しい。
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0 people agree with this review 2012/06/17
古いマニアには知られた渋い名演。交響曲第3番はクレンペラーのようにテンポを遅くとり、歌謡性より構成感、弦の美しい旋律より荘重な響きに比重を置いたもの。録音はあまり冴えず、指揮もクレンペラーの方がやはり一枚上だが、オーケストラの音色やアンサンブルの質の高さは特筆すべきだ。ヴァイオリン協奏曲はイーゴリ・オイストラフがソロ。自在な歌いまわしと美しい響きで、自在なテンポとスケールの大きい音楽作りは父譲りか、それ以上のものを感じさせる。オケもこちらのほうが好調だ。こちらの方が録音が古くモノラルなのだが、聴きやすいのが不思議である。ジャケットには演奏や録音の基礎情報が少ないが、廉価と装丁の美麗さは好ましい。
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1 people agree with this review 2012/06/15
80歳代後半、アンセルメのほぼ最後の録音。ともすると、理知的なだけで味気ない演奏も、たまにはあるこの巨匠だが、ここでは、ニューフィルハーモニア管弦楽団という順応性の高いオケを擁して、堂々としたスケール感や温かな鷹揚さを湛えた名盤を残している。勿論、ブーレーズ以降の現代音楽を得意にする指揮者たちに比べれば、緻密さや響きの純度は比べ物にはならないのだが、端正でモダンな造形の中に、今では聴けない懐かしい温もりのようなものが感じられる。録音も60年代後半のものとは思えない明晰なもので、ステレオLP時代のDeccaの技術力の高さを示している。オリジナルジャケットをあしらったデザインも好ましい。
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0 people agree with this review 2012/06/07
鬼才ハンス・ツェンダーの数少ない録音の一つ。ツェンダーは、最近メンデルスゾーンを何曲か録音しているが、聴くのは初めて。速めでストレートなテンポの運び方は、一見、ロジンスキーやドラティの演奏のようだが、それらと決定的に違うのは旋律や対旋律の表情付けの細かさと巧さ。作曲家としての視点なのか、特に弦楽器の表情付けはユニークだ。ひんやりした表面の中に、何かしら熱く燃焼するものを感じられる趣だ。小編成のオケは、指揮に機敏に反応しつつ、終楽章などでは規模を感じさせない力強いサウンドを聴かせる。
0 people agree with this review 2012/06/03
1953年ロンドンでのEMIのスタジオセッション録音を集めたもの。80歳近いコルトーの技術は衰え、特に葬送や謝肉祭で所々ミスタッチがあるが、それもまた味わいと受け止める度量が聴き手にあるか否かで評価が分かれるだろう。「コルトーの晩年は演奏技術がヨレヨレ」という先入観を刷り込まれていたため、長年敬遠してきたが、実際に聴いてみると意外に悪くない。LP初期にしては(EMIらしい?)さえない録音だが、コルトーの最盛期のSP時代に比べて録音技術が進歩したため、音色やタッチの美しさはしっかり記録されている。LP時代にしてはこもった音質だが、ギーゼキングのモーツアルトやドビュッシー、ラヴェルと同等かやや下で、同時期のDGや米コロンビアの録音水準に比べてやや劣るのは仕方ない。オバートソーンによる「板起こし」の復刻は、上出来とはいえないまでも、この値段やアルバムのコンセプトを考えれば、満足すべき水準だ。
4 people agree with this review 2012/05/27
有名なウィーンフィルとのセッション録音も芳醇な響きとゆったりしたテンポが相まった至高の名演だが、この1枚はさらにライヴらしい熱気と即興性が加わり、バルビローリ最晩年の境地を伝える記録になっている。もしもっと長生きしたら音楽界の地図も変わっていただろう。発売されてだいぶたつが、未聴のファンにはぜひ手元におき併せてききくらべていただきたい。録音も思いの外良い。
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6 people agree with this review 2012/05/27
名匠カイルベルト最高の遺産の一つ。テレフンケンへのセッション録音も男性的で節度ある表現の中にドイツのロマン漂う趣がある名盤だが、ここではライヴだけに大胆な表現や熱気が聴かれ、興奮を禁じえない。N響やバンベルク交響楽団との来日公演の録音も同様の高揚感ある演奏ばかりだ。音楽家の芸風はライヴを聴かないと分からないということの証左である。発売から何年も経ち安売されているから、つい廃盤か、と心配になる。こうした文化遺産はカタログから消さずにいてほしいものである。
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3 people agree with this review 2012/05/22
F-ディースカウのピアノ伴奏によるドイツリートを集めたものだ。彼の広い芸域の中でも、特に基幹的レパートリであるシューベルトの三大歌曲「冬の旅」「水車屋の娘」「白鳥の歌」は、いずれも1961〜2年にジェラルド・ムーアの伴奏で録音されたものだ。声の若さ・艶と渋み、表現力の巧さのバランスからいって、このEMIのステレオ盤から、その数年後のDGの再録音にかけてが彼の芸術の一つのピークだったろう。冬の旅に関してはモノラル時代にも他に3度ほど録音が残っており、後年には薄れた声の若々しさや一途な情熱が感じられ、晩年の録音には言葉や解釈で聴かせる味わいもあり、いろいろ聴き比べるのも楽しいだろう。マーラーの歌曲集はフルヴェンらとの管弦楽伴奏ではなく、78年録音のバレンボイムのピアノ伴奏だ。同じ組み合わせの71年のライヴ録音がAuditeから出ているし、バレンボイムとは1989年に管弦楽伴奏版で再録音している(Sony−bmg)。アンチには理知が勝り説教臭い感じも抱かれただろうが、言葉の意味をメロディーに乗せてゆく巧緻さは私のような素人にもその一端を感じさせるほどだ。引退から約20年、氏はついこの間、86歳で永眠されたが、まさに「20世紀有数の名歌手」にふさわしい存在であった。その後のリートを歌うドイツ系のバリトン歌手は、大なり小なり、F-ディースカウの影響を受けているのは間違いなく、改めて存在の大きさを知る。この時期に、この優れたアンソロジーが出たのは偶然とは思うが、惜しくも期せずして墓碑銘となってしまった。
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0 people agree with this review 2012/05/21
この2000年の演奏会を実際に聴いた者だが、実に懐かしい。あまりソロリサイタルをしなくなった時期のもので、曲目は既にCD化されたものが多かったとはいえ、アルゲリッチらしいものばかりで、輝く音色と女豹のような荒々しく駆け抜ける演奏は忘れがたい一夜となった。チケットが手に入ったのが奇跡のように思える。特に後半のプロコフィエフには興奮させられ、演奏会後、演奏を反芻しながら高揚感を抱いたまま錦糸町の駅に向かったのを覚えている。当然、当夜は興奮で眠れなかった。アルゲリッチのソロライヴはコンセルトヘボウでのものなどが有名だが、比較的最近のものならばこれを一押しにしたい。この録音は翌年か翌々年に招聘元の音楽マネージメント会社が一部のチケット購入者に特典として限定配布したものを既に持っているが、大震災という忌むべき不幸な出来事がきっかけとはいえ、多くのファンが耳にする機会になったという点では歓迎すべきだろう。被災者支援にもつながるだろうから、皆様には一度聴いてみることを勧めたい。
4 people agree with this review 2012/05/20
アファナシェフほどではないがとにかくテンポが遅い。田部京子もテンポは同傾向だが、リヒテルの表現は特にスケールが大きく劇的でもある。後年のライヴ盤ではさらにこの傾向が深まっていく。そうした意味ではまだこの演奏は広く受け入れられやすいものだ。大仰でものものしいという声も出そうだが、個人的には愛着の強い一枚。大仰なだけではなく、実は繊細なニュアンスに富んでいる。シューベルトの晩年のピアノ作品に漂う死神の影と欝に陥りそうな深いメランコリーに開眼させてくれた演奏の一つだ。この頃聴いたリヒテルやルプー、ブレンデル、アラウの演奏に(偏ったものかもしれないが)シューベルト観を育ててもらったといっても過言ではない。
8 people agree with this review 2012/05/17
アナログ録音・LP末期にこの曲といえばこの演奏というぐらい評価が高かった一枚。ウィーンフィルらしい薫り高い響きを保っていた時代の記録。アバドの指揮は迷いも衒いも解脱もなく、颯爽と芳醇な「黄金の響き」を駆使して、親しみやすく天上の世界を描きあげる。シュターデもこのコンセプトにぴったりで、当時のDGの企画力の高さには改めて驚く。ベルリンフィルやフレミングと後年再録音を残しており、高い機能美や作為なく作品をして語らしむ姿勢もまた素晴しいが、個人的には、なぜかこの録音の方に惹かれる。SHM-CDはオリジナルLPジャケットの美しいデザインが採用されており、懐かしい。
8 people agree with this review
1 people agree with this review 2012/05/17
1980年の録音。当時、47歳の上り坂のアバドの若々しい覇気と歌心に、ショルティが鍛えたシカゴ交響楽団の強靭なアンサンブルと奏者の妙技が結びついた名盤。特に金管や打楽器のパワーは最高だ。アバドは93年にベルリンフィルとも録音を残しているが、この最初の録音の方は、全曲の演奏時間が3分ほど遅く、表情が丁寧に描かれ、弦の歌いまわしや響きもきめ細やかだ。後者は幾分淡白な感じで、作品に語らしむという姿勢から小細工を弄しないという晩年のアバドらしい姿勢が感じられるが、素晴しい演奏であることは認めながらもあえていうと、何か物足りない。ルツェルンでのDVDも然りだ。その後、死に至る病を克服して独自の境地に至り、その枯淡の魅力はペルゴレージの録音などに端的に現れている。しかし、昔日の颯爽とした演奏を懐かしむ古いファンは多いだろう。アバドは、巨匠・円熟・大成という境地に達した代わりに、失ったもの(例えば若さ・情熱・覇気…)も大きいというのは、言葉が過ぎるだろうか。
3 people agree with this review 2012/05/16
なつかしの名盤。まだ覇気に満ち溢れていた若い俊英アバドをCSOの力技が支える。復活と同様、アバドとCSOの残したものでは最良の名盤だ。後年の録音もオケの自発性と技を尊重したもので美しいが、これほどまでの表現意欲と情熱が感じられない。ランチ一食分の700円足らずで買えるとは驚きである。
1 people agree with this review 2012/05/15
ひところは「未完成」の名盤といえばこの演奏が五指に入ったものだった。今聴いても素晴しい。第一楽章は比較的あっさり淡々と進むのだが、第二楽章は遅いテンポで情緒たっぷりに歌い上げる。ウィーンフィルとの1936年の録音の耽美的なサウンドも忘れがたいが、この(少しがさつだが)色彩感のあるNYPの演奏と、ホワイトノイズが目立つが明快なステレオ録音は、魅力的だ。シューベルトの5番は遅いテンポで歌心を重視した演奏で、この曲を語る上で忘れてはならない名盤だ。
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