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Review List of にのしのろのやのと 

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  • 2 people agree with this review
     2015/10/30

    昔からあまり評価されていない…けれども、モーツァルトのデモーニッシュな、というか、真っすぐな感情が伝わってくる佳演だと思う。
    リヒターといえばバッハ、そのことが仇になって正しい評価を受けていないのかもしれない。
    確かに女声のソリストを除けば、超一流の布陣とも言いがたく、もう少しなところは散見される。ではあれど、バロックの余韻がまだモーツァルトの世代にも、かすかな残照として残っていることを、演奏で証明したことは、それをとても早い時期に証明したことは、もっと認められて良いに違いない。
    古楽が素晴らしい成果を築き、特殊なものでもなくなった今は、この演奏は古臭く聞こえるひともおられるだろう。
    しかしマリア・シュターダーがTe decetと初めて歌いだす瞬間、他の演奏には決して出会ったことのない、清々しさ、そして自らの心の中のざわめきを感じるのは私だけではないと思う。全てを突き抜けて、真っすぐに走る光の筋を見るひとは私だけではないと思う。
    それに続く合唱の熱さ、これこそデモーニッシュと言えないだろうか。
    私の友人がこの全曲を聞き終えて漏らしたことば…こころの中に刃がいくつもいくつも突き刺さるよう…何十年経っても忘れられない。

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  • 1 people agree with this review
     2010/06/21

    声楽メンバーは、声の質は一時期前のひと。(失礼ながら事実) なので、余り期待しないで勉強の気持ちで購入しました。でも、何でしょう、ささやかなのに、この心豊かな世界は…! 歌声の善し悪しを超えて、滋味深くて、バッハの音楽に共感に溢れた世界が広がって行きます。 演奏することや人の耳に訴えることへの力みはどこにもなく、ただただ「ああ、バッハのこの美しい世界に永く留まっていたい」という、声にならない声が伝わってくるようです。 見事な演奏、天に向かうような音楽を望む方には、きっと似合わないでしょう。 それより、共に演奏することの喜びや、何よりも生きて在ることの感謝を大切にされる方にこそ、ふさわしい録音と思います。

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  • 6 people agree with this review
     2010/05/22

    ピアノコンチェルトはさておき:
    このVnコンチェルトが好きな人はそれほど多くないはず。この曲ではVnの「歌う」特性は度外視されているし、きらびやかな高音を奏でることもほとんど放棄され、「歌曲の年」のシューマンの姿とは違うし。
    だからクラーラ夫人もブラームスも、シューマンの名を辱める曲と思っていたとあります。

    けれども私は、この演奏にはそうは思いません。シューマンが無意識に得意とした、小さなモティーフを反復しながら、大きな編成の曲を目指した成果をはっきり示していると思うから。

    構成を突き詰めた結果だから、歌う要素はとても少ないです。ヴィルティオーゾなところもないのは、どこかブラームスの2つ目のピアノコンチェルトの、ピアノとオーケストラの関係のようでもあり。言わば、足場が組まれたままの建物であれば、見た目なっていないと同じ。

    それでもシューマンが心に描いていた美しさ、夢のような瞬間が、あちらこちらで小さな輝きを煌めかせているのが、この演奏から見えてきます。そのように手に乗るような美しいものに仕上げようと意識と、新しい音楽・巨大な世界を作り上げようとする意識とが相反し、音楽のなかで別々に分離しようとする物凄いエネルギーに満ちあふれて、危うく移ろう姿を。この演奏だけが示しています。

    シューマンは精神病棟で治療していて、「天使の美しい歌声が聞こえてきて、それを何とか書き留めてみたんだよ」とクラーラ夫人に告げたのが、この2楽章らしいです。その正偽はともかく、夢のような瞬間を求めていた、あるいは辛い現実から逃れようとしたシューマンの想いが、演奏のなかから立ち上ってくるのを感じます。

    晩年のシューマンにとっては、音楽と接することが自らを人間の世界に留まっている、血の通った人間として存在しうる手段だったのでしょう。この演奏の3楽章を聴くと、シューマン自身がこの世から出ないように、この世に踏みとどまっていようともがきながら、筆を運んだのではないかと思えて仕方がないのです。気持ちのままに書けば乱れて行ってしまう音楽を、ひとつの型にまとめあげようと、シューマンが気力を振り絞り疲れ果てて行く姿が見えますが、それも人間のひとつの真実かもしれません。

    きっとそれをクラーラ夫人はこの曲から読み取り、彼と彼の音楽を愛するがゆえに直視できなかった、肯定できなかったのだと思います。

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