please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of つよしくん
Previous Page
Next Page
Showing 271 - 285 of 1958 items
%%header%%
%%message%%
3 people agree with this review 2012/05/27
本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが1967年にスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第1番と、ボッケリーニのチェロ協奏曲がおさめられている。いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさであると言える。本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、二度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言える。もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは、夫君のバレンボイムとその統率下にあったイギリス室内管弦楽団である。バレンボイムは、モーツァルトのピアノ協奏曲などにおいても名コンビぶりを見せたイギリス室内管弦楽団を巧みにドライブして、気心のしれたデュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、見事な名演を繰り広げているのが素晴らしい。音質については、1967年のスタジオ録音であるが、単独盤として手に入らない状況にあり、輸入によるセット盤の中で聴くしか方法がなかったところであるが、当該従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。とりわけ、デュ・プレのチェロ演奏の弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイム&イギリス室内管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
3 people agree with this review
Agree with this review
2 people agree with this review 2012/05/26
ボールトはホルストの組曲「惑星」の初演者である。初演者であるからと言って、その演奏が優れているとは限らないが、ボールトが遺した同曲の5種類にも及ぶ録音は、いずれも素晴らしい名演であると言える。その中でも、本演奏はボールトが89歳になった時に録音された最後のものであるが、私としては、ボールトによる同曲の演奏の中では最高峰の超名演と高く評価したい。冒頭の火星からして、畳み掛けていくような気迫と力強い生命力に圧倒されてしまう。そのエネルギッシュな力感は、とても89歳の老指揮者とは思えないような矍鑠ぶりであると言えるところであり、演奏の彫の深さにおいても他の指揮者を寄せ付けない凄みを湛えているとさえ言えるところだ。金星の抒情はいかにも英国紳士ならではの気品に満ち溢れているし、水星の変幻自在のテンポ設定による魔法のような表現の巧みさは、正に老巨匠ならではの圧巻の至芸と言えるだろう。そして、木星の悠揚迫らぬテンポによる崇高な演奏は、神々しいまでの威容を誇っているとさえ言える。土星の深遠さは底知れぬ神秘性を感じさせるし、海王星の繊細さは、ボールトとしても最晩年になって漸く表現し得た清澄な美しさを湛えていると言えるのではないだろうか。オーケストラの統率力からすれば、本演奏のひとつ前のニュー・フィルハーニア管弦楽団との演奏の方がより優れていると言えるが、演奏全体に漂う味わい深さにおいては、本演奏の方が数段上であると考えられる。オーケストラは、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルではあるが、ここではボールトの指揮に必死で喰らいつき、渾身の名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、ホルストの組曲「惑星」のあまた存在する名演の中でも、カラヤン&ウィーン・フィルによる演奏(1961年)、レヴァイン&シカゴ交響楽団による演奏(1989年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したいと考える。音質は、リマスタリングが行われたこともあって比較的良好な音質に生まれ変わったと言えるが、HQCD化されることもなく、高音質化の波に乗り遅れていたとも言えるところであった。しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところである。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。1960年代のスタジオ録音とは思えないような音質の劇的な変化は、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、ボールトによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
2 people agree with this review
3 people agree with this review 2012/05/26
英国の詩情ここに極めれりと言った表現が見事にあてはまる素晴らしい名SACDと言えるのではないだろうか。ボールトは、ホルストの組曲「惑星」を初演するなど、英国の指揮者の重鎮とも言うべき存在であったが、そのレパートリーは意外にも幅広く、例えばブラームスの交響曲全集など、ドイツ系の音楽にも少なからず名演奏の数々を遺しているところだ。もっとも、そうは言ってもそのレパートリーの中核をなしていたのは、エルガーやヴォーン・ウィリアムズをはじめとする英国音楽であったことは言うまでもない。本盤には、そうした英国の大作曲家であるエルガーとヴォーン・ウィリアムズの管弦楽曲の代表作がおさめられているが、英国音楽を自家薬篭中のものとしていたボールトによる演奏でもあり、演奏が悪かろうはずがない。本レビューの冒頭にも記したが、正に英国の詩情に満ち溢れた珠玉の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。ボールトのこれらの各楽曲に対するアプローチは、何か特別に奇を衒った解釈を施しているわけではない。むしろ、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くという正攻法のものであると言えるが、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々からは、いかにも英国の独特の自然を彷彿とさせるようなエレガントで詩情豊かな情感が滲み出しており、これぞまさしく英国音楽の粋と言えるだろう。とりわけエルガーのエニグマ演奏曲の各変奏曲を巧みに描き分けつつも、エレガントさをいささかも失うことがない風格の豊かな音楽は、大指揮者ボールトだけに可能な至高の表現であると言えるところであり、同曲の演奏の理想像の具現化と言ってもいいのではないだろうか。ロンドン交響楽団も、ボールトの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したいと考える。音質については、本盤におさめられた楽曲のうち、エニグマ変奏曲については、かの超名演として名高いホルストの組曲「惑星」とのカプリングにより数年前にリマスタリングが施されたところであり、比較的満足できる音質であったと言える。したがって、私としても、エニグマ変奏曲については、当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、1970年のスタジオ録音とは信じがたいような鮮明な音質に生まれ変わった言える。鮮明さ、音場の拡がり、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ボールト&ロンドン交響楽団による英国音楽の粋とも言うべき至高の超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
7 people agree with this review 2012/05/20
2年ほど前に発売されてベストセラーになったミュンシュ&パリ管弦楽団の発足コンサートの待望の完全収録版の登場だ。それは、以前、発売されていたCDに収録されていたベルリオーズの幻想交響曲、ドビュッシーの交響詩の「海」に加えて、あらたにストラヴィンスキーのレクイエム・カンティクルスがカプリングされているが、何と言っても本盤の売りは、新たなリマスタリングによって音質がより一層改善されたことにあると言える。以前発売のCDも、1960年代のライヴ録音とは思えないような鮮明さであると言えたが、録音レベルの調整などによって、いい意味でより聴きやすい音質に変貌したと言えるところだ。歴史的な超名演だけに、本盤のような高音質化の意味はより大きいと言わざるを得ないだろう。以前のCDでのレビューにおいて、「驚天動地の超名演の登場だ。ミュンシュの数ある名演の中でも間違いなく頂点に君臨するものと高く評価したい。まず海であるが、これはパリ管弦楽団と組んだ録音が遺されていないだけに、その意味でも貴重な録音と言える。ボストン交響楽団と組んだいささか大味な演奏とは別人のように緻密な表現を行っている。もちろん重厚さにも不足はなく、第1部の終結部などあまりのド迫力にミュンシュのうなり声が聴こえてくるではないか。第3部の冒頭では、嵐を予感させるような不気味な雰囲気が漂うなど、はじめて聴くような新鮮さを感じさせるし、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさ。実に感動的な名演と言えるだろう。そして、幻想交響曲。私は、ミュンシュ&パリ管弦楽団のスタジオ録音こそ同曲最高の名演と評価してきたが、本盤はそれを凌駕する。ということは、幻想交響曲の演奏史上最高の名演ということになる。第1楽章の冒頭は、スタジオ録音盤以上にゆったりとしたテンポで濃厚な表現を見せる。しかし、主部に入ると、テンポはめまぐるしく変化する。アッチェレランド、ゲネラルパウゼなどを効果的に駆使して、これ以上を望めないようなドラマティックな名演を繰り広げている。第2楽章も濃厚な表現であるが、終結部の猛烈なアッチェレランドは相変わらず凄まじい。第3楽章は、やや早めのテンポで緊迫感のある演奏を心がけている点が、あまりの遅いテンポによってもたれてしまいがちな他の演奏とはそもそも次元が異なる。ここぞという時の迫力にもいささかの不足はない。第4楽章の冒頭はゆったりとしたテンポで、断頭台に向かう死刑囚の内面を見透かすような不気味さを強調するかと思えば、主部に入ってからのダイナミックレンジの幅の広さ。終結部に向けてのアッチェレランドの凄まじさは、過去のどの演奏をも凌ぐド迫力だ。終楽章は、めまぐるしくテンポが変化する曲想であるが、ミュンシュはそれを殊更に大仰に強調することによって不気味さをより一層強調しているが、これは大正解。終結部に向けての猛烈なアッチェレランドはもはや狂気と裏腹であり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。パリ管弦楽団は管楽器も弦楽器も実に巧く、録音も60年代のライヴ録音とは思えないくらい鮮明だ。このような歴史的な超名演を製品化したアルトゥスレーベルに対して、心から敬意と感謝の念を表したい。」と記したが、本盤を聴いた後でも、その印象はいささかも変わるところはないと言える。新たにカプリングされたストラヴィンスキーの楽曲も、幻想交響曲や交響詩「海」に勝るとも劣らない素晴らしい名演であり、当日のコンサートがいかに圧倒的なものであったのかがよく理解できるところだ。ただ、これだけの超名演だけに、アルトゥスレーベルに対しては、シングルレイヤーによるSACDで発売して欲しかったと思っている聴き手は私だけではあるまい。
7 people agree with this review
8 people agree with this review 2012/05/20
本盤には、ドビュッシーの管弦楽曲全集がおさめられているが、夜想曲、交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲などの有名曲も含め、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。ラヴェルの管弦楽曲全集の至高の名演としてはクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏が掲げられるが、それに相当するドビュッシーの管弦楽曲全集の名演こそは、本盤におさめられたマルティノン&フランス国立放送局管弦楽団による演奏であると考えられる。マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代が不遇であったため(とは言っても、ラヴェルの管弦楽曲集などの名演を遺している点に留意しておくことが必要である。)、過小評価されているきらいがないわけではないが、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの悲愴の超名演を成し遂げるなど、その実力は折り紙つきであったと言える。そして、その実力を如何なく発揮し得た演奏こそが、本盤におさめられたドビュッシーの管弦楽曲全集の超名演であると言っても過言ではあるまい。マルティノンは、例えばブーレーズなどのように曲想を曖昧にせず(もちろん、ブーレーズの演奏も説得力があり名演と評価し得ると考える。)、むしろ明瞭に描き出すように努めていると言える。これによって、ドビュッシーの光彩陸離たる色彩感豊かなオーケストレーションが微塵の曇りもなく表現されているのが見事であると言えるだろう。また、各フレーズの端々からほのかに漂ってくるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽を鑑賞する醍醐味が存在していると言える。いずれの楽曲の演奏も素晴らしいが、とりわけ有名な牧神の午後への前奏曲のアラン・マリオンのフルートソロは、いかにもフランス人奏者だけにしか出し得ない洒落た味わいに満ち溢れていると言える。いずれにしても、本盤におさめられた全集の各演奏は、様々な指揮者による各楽曲の演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。音質は、従来CD盤でもリマスタリングを繰り返してきたこともあって比較的満足し得る音質であったが、現時点では数年前に発売された、有名曲だけを1枚におさめたHQCD盤がベストの高音質であると言える。したがって、私としても、当該HQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところである。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。1960年代のスタジオ録音とは思えないような音質の劇的な変化は、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、マルティノンによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
8 people agree with this review
12 people agree with this review 2012/05/19
ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲シリーズもついに第6弾、それも最もポピュラーな交響曲第4番の登場だ。ブロムシュテットによるブルックナーの交響曲第4番と言えば、何と言っても、1981年にシュターツカペレ・ドレスデンとともに行ったスタジオ録音が念頭に浮かぶ。当時のドレスデンは、今はなき東ドイツにあり、シュターツカペレ・ドレスデンも、現在ではすっかりと色褪せてしまったが、いぶし銀とも言うべき独特の魅力的な音色を誇っていた。ホルンのペーター・ダムをはじめとした伝説的なスター・プレイヤーもあまた在籍しており、特に、同曲はホルンが大活躍する交響曲だけに、当該演奏の魅力は絶大なるものがあった。ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンのコンビは、同時期に来日を果たして、同曲の演奏を披露し、NHKなどでも放映されたが、とにかく、シュターツカペレ・ドレスデンの音色に完全に魅了されてしまったことを鮮明に記憶しているところだ。ブロムシュテットの指揮も、自我を極力抑制して、シュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な演奏にすべてを委ねているとさえ言えるところであり、そのことが、当該演奏を独特の魅力のあるものとしていたのではないかとも思われるところである。本盤におさめられた同曲の演奏は、当該演奏から約30年も経った2010年のものであるが、ここで感じられるのは、今や、現代を代表する大指揮者となったブロムシュテットの円熟と言えるのではないだろうか。同曲演奏に対する基本的なアプローチには変わりがないと言えるが、楽想を描き出していく際の彫の深さ、懐の深さは、1981年の演奏をはるかに凌駕していると言える。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、正に理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、近年の同曲の演奏でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
12 people agree with this review
4 people agree with this review 2012/05/19
広範なレパートリーを誇ったカラヤンであるが、カラヤンは必ずしもシューベルトを得意とはしていなかった。カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられているところだ。実際に、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいても、シューベルトの交響曲第8番「未完成」や交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演として、カラヤン盤を掲げた著名な音楽評論家が皆無であるというのも、いかにカラヤンのシューベルトの評価が芳しいものでないかがよく理解できるところだ。しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いと言えるのであろうか。本盤におさめられた交響曲第9番「ザ・グレイト」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。そして、カラヤンは同曲をその後一度も録音しなかった。したがって、本演奏は、いずれもカラヤンによるこれら両曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。そしてその演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっていると言える。本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。また、両曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあると言えるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句は言えまい。なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1968年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、私としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである。)。いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。併録の劇音楽『ロザムンデ』からの抜粋であるバレエ音楽第2番及び第9番も、カラヤンの美学に貫かれた素晴らしい名演だ。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
4 people agree with this review
本盤には、シューベルトの交響曲第8番「未完成」とハイドンの交響曲第104番がおさめられている。先ずは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」であるが、広範なレパートリーを誇ったカラヤンとしても、シューベルトは必ずしも得意とはしていなかった。カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられているところだ。実際に、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいても、シューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演として、カラヤン盤を掲げた著名な音楽評論家が皆無であるというのも、いかにカラヤンのシューベルトの評価が芳しいものでないかがよく理解できるところだ。しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いと言えるのであろうか。本盤におさめられたシューベルトの交響曲第8番「未完成」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。そして、カラヤンはこの両曲をその後一度も録音しなかった。実際には、カラヤンによる最後の録音となったブルックナーの交響曲第7番(1989年)に併せて同曲も録音する予定であったとのことであるが、それを果たすことなく鬼籍に入ってしまった。したがって、本演奏は、いずれもカラヤンによるこれら同曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。そして、その演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっていると言える。本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。また、同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあると言えるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句を言えまい。なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1964年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、私としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである。)。いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。一方、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、カラヤンが得意中の得意としていた楽曲だ。スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの演奏(1959年)、そして本盤のベルリン・フィルとの演奏(1975年)、更には、ベルリン・フィルとのロンドンセットの一環として録音だれた演奏(1980年)の3種を数えるところだ。これにザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの演奏(アンダンテ)なども含めると、現時点で4種もの録音が存在していると言える。いずれ劣らぬ演奏であるが、私としては、オーケストラの音色からしてウィーン・フィルとのスタジオ録音を随一の名演として掲げたいと考えている。もっとも、本盤の演奏も、全盛時代のカラヤン&ベルリン・フィルの凄さを感じさせるものとしては、ウィーン・フィルとの演奏に肉薄する極めて優れた名演と高く評価したいと考える。近年流行の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏とは大きく異なり、重厚でシンフォニックな演奏ではあるが、同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、現代においても十二分に通用する名演奏と言えるのではないだろうか。このような名演を聴いていると、近年において、ハイドンの交響曲の人気が今一つであるというのも、演奏のせいではないかと思われてならないところだ。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
17 people agree with this review 2012/05/13
ラトル&ベルリン・フィルの近年の好調ぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。ラトルと言えば、マーラーの交響曲を得意のレパートリーとしており、既にベルリン・フィルとともに複数の録音を行っているところであるが、ブルックナーの交響曲については、ベルリン・フィルとの間では、未だ第4番の録音(2006年)を行っているのみにとどまっている。当該第4番の演奏が、気負いだけが際立った当時のラトルの欠点が露わになった凡庸な演奏であり、その意味では、ラトルはこの6年間の間に、長足の進歩を遂げていると言っても過言ではあるまい。とにかく、ラトルがこれだけの進歩を遂げた要因として掲げられるのは、ラトルがベルリン・フィルを完全に掌握し、自らの意のままに統率することが可能になったことであると考えられる。したがって、ベルリン・フィルの芸術監督の就任後、数年間にわたって、意欲だけが空回りして凡庸な演奏を繰り返すという悪循環から抜け出し、自らの才能を、ベルリン・フィルという世界最高のオーケストラを完全に掌握して全面的に発揮することが可能になったと言えるのではないだろうか。本盤におさめられた演奏においても、そうしたラトルの類稀なる才能が全開であると言える。ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲演奏と言えば、最晩年のヴァントによる至高の超名演が名高いが、ラトルは、さすがにヴァントの至高の芸術の高峰には到達し得ていないものの、ベルリン・フィルの重厚な弦楽合奏や強靭なブラスセクションなどを効果的に活かした、圧倒的な名演を成し遂げていると評価したい。テンポの振幅なども最小限におさえるなど、近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くアプローチに徹しているのも素晴らしい。また、ラトルらしいのは、従来の第1楽章から第3楽章に加えて、最新の研究成果に基づく第4楽章補筆完成版を付加して録音している点であると言える。私としても、これまで様々な第4楽章の補筆版を聴いてきたところであるが、本盤におさめられた版ははじめて聴く版ではある。ライナー・ノーツにも詳細な解説が記載されているが、当該版は、ブルックナーが死の直前まで格闘して作曲をしていた原譜に限りなく近いものとして評価することも可能であると言える。このような第4楽章補筆版を付加すると、第1楽章から第3楽章の演奏がややなおざりになる可能性も無きにしも非ずであるが、第3楽章までの演奏も前述のように圧倒的な名演であり、第4楽章補筆版を付加したことによる演奏の綻びなども微塵も感じさせないのが見事である。いずれにしても、本演奏は、前述のように、ラトル&ベルリン・フィルの近年の充実ぶりを示すとともに、今後のブルックナーの他の交響曲の録音にも大いに期待を持つことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、SACDによる高音質録音であると言える。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
17 people agree with this review
6 people agree with this review 2012/05/12
現在、最も積極的にレコーディングに取り組んでいるパーヴォ・ヤルヴィであるが、楽曲によってオーケストラを巧みに使い分けているのが特色であると言える。その中でも、独墺系の作曲家による楽曲の演奏に際しては、原則としてフランクフルト放送交響楽団を起用することにしているようであり、ブルックナーの交響曲についても例外ではないと言えるところだ。パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団によるブルックナーの交響曲の演奏に関しては、既に第7番及び第9番が発売されているが、本盤におさめられた第5番は第3弾となるものであり、録音は2009年であるが、久しぶりの発売と言えるものだ。本演奏におけるパーヴォ・ヤルヴィによるアプローチは、第7番や第9番の演奏のように中庸のテンポをベースとして、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものとは少し様相が異なっていると言える。何か特別な個性を発揮して、奇を衒った解釈を施すなどということがないという点においては共通しているが、むしろ、テンポはやや早めで、楽章毎のテンポの緩急を際立たせている点も特徴的であると言えるところであり、1990年代に入って一般化したブルックナーの交響曲の演奏様式の王道を行くオーソドックスな演奏とは異なった演奏とも言えるところだ。もっとも、各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方には出色のものがあり、いかなるトゥッティに差し掛かっても無機的な響きを出すということはなく、常に壮麗で懐の深い音色に満たされているのが素晴らしい。また、緩徐楽章における旋律の数々もやや早めのテンポをとることによって、陳腐なロマンティシズムに陥ることを極力避けており、それでいて、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。ブルックナーの交響曲第5番のこれまでの名演としては、古くはヨッフム、そしてヴァントや朝比奈によって圧倒的な名演が成し遂げられてきており、これら大指揮者の深みのある演奏と比較して本演奏を云々するのは容易なことである。しかしながら、必ずしもブルックナー指揮者とは言い難いパーヴォ・ヤルヴィが、重厚長大な同曲の曲想を丁寧に紐解き、これだけの見事な演奏を成し遂げたことにむしろ思いを致すべきであり、私としては、同曲の魅力を十二分に満喫することができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、本盤でさらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。交響曲第7番や第9番でもそうであったが、パーヴォ・ヤルヴィによるアプローチ極上の高音質録音によって鮮明に再現されているのが見事であり、そうした音質の鮮明さといい、音圧の力強さといい、そして音場の拡がりといい、正に申し分のないものであると考えられる。いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の鮮明な高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。
6 people agree with this review
3 people agree with this review 2012/05/06
本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第3番及びゲーテの『ファウスト』からの情景からの序曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたインテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固であると言える。木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。両曲の緩徐楽章などにおける情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。両曲ともに名演であると言えるが、先ず交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であると言える。クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫の深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。ゲーテの『ファウスト』からの情景からの序曲も極めて優れた名演だ。同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、正にクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1969年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
2 people agree with this review 2012/05/06
本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第2番及び歌劇『ゲノヴェーヴァ』序曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固であると言える。木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。交響曲第2番の緩徐箇所(特に第3楽章)等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫の深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したいと考える。一方、歌劇『ゲノヴェーヴァ』序曲も極めて優れた名演だ。同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、正にクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1968年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第1番及び「マンフレッド」序曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固であると言える。木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。交響曲第1番の緩徐楽章等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。全集の中でも交響曲第1番は最も優れた超名演として、これまで多くの音楽評論家によって絶賛されてきたところだ。「春」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であると言えるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫の深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。一方、「マンフレッド」序曲も極めて優れた名演奏だ。同曲には、フルトヴェングラーがベルリン・フィルとともに録音した超名演(1951年)が存在しており、それはいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな豪演であった。これに対して、クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄し得る素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1960年代半ばの録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
4 people agree with this review 2012/05/04
カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であったと言える。そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたと言えるが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重であると言える。カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟わたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。冒頭の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲の堂々たる進軍は、シュターツカペレ・ドレスデンとの全曲録音(1970年)よりもこちらの方の出来が上であるし、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲の緩急自在のテンポ設定を駆使した演奏は、いかにも演出巧者らしいカラヤンの真骨頂であると言える。楽劇「ローエングリン」の第3幕への前奏曲の力感溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。舞台神聖祝典劇「パルシファル」の両前奏曲については、さすがに後年の全曲録音(1980年)には及ばないが、それを除けば十分に感動的であり、その豊穣かつ官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える(数年前に、ESOTERICが、第1集及び第2集からいくつかの楽曲を抜粋してSACD化を行ったところであるが、当該ESOTERIC盤との優劣については議論が分かれるところだ。)いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
7 people agree with this review 2012/05/04
カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であったと言える。そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたと言えるが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重であると言える。カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟わたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲等の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。冒頭の歌劇「タンホイザー」序曲の壮麗にしてスケール雄大な演奏は、全盛期のこのコンビだけに可能な超名演であると言える。楽劇「ローエングリーン」の第1幕への前奏曲や楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死の官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したいと考える。音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える(数年前に、ESOTERICが、第1集及び第2集からいくつかの楽曲を抜粋してSACD化を行ったところであるが、当該ESOTERIC盤との優劣については議論が分かれるところだ。)いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
Back to Top