ブルックナー交響曲第9番(第4楽章付)
ラトル&ベルリン・フィルハーモニー
補筆完成版 最新改訂ヴァージョン
国内盤はハイブリッドSACD2枚組
ラトルとベルリン・フィルのブルックナーの9番といえば、2002年の公演の成功と、それをさらに上回った2008年の公演、そして震災後の日本での公演を重要なターゲットにした2011年後半の取り組みが知られています。
その日本公演の際の記者会見で演奏計画が発表され、話題となっていたのが、新たに登場するブルックナー第9番の第4楽章補筆完成版の話でした。
【ブルックナーの死去と楽譜の散逸】
ブルックナーは1896年10月11日、最晩年の住居であった、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿の管理人用宿舎で亡くなっています。その日は日曜日だったということと、場所が宮殿敷地内ということで、ブルックナーを知る人が多かったことから悲報が広まるのも早く、住居が封鎖される前に、多くの人々や業者が家の中に入ることとなってしまいました。
その結果、交響曲第9番に関わる楽譜も含む貴重な自筆譜の数々が、記念や想い出、あるいは転売のために持ち出されてしまい、後年、その一部が遠く離れたワシントンDCで発見されたりもしています。
【第4楽章演奏に向けての多様な試み】
ブルックナーのもとに残された第4楽章の自筆譜には、さまざまな段階のスケッチが存在しており、それを素材として、フラグメントとして演奏するか、あるいは補筆完成して演奏するかという二つの選択肢がありました。
フラグメント活用の最初の重要な試みは、そうした素材を元に、オーストリアの有名な作曲家、ゴットフリート・フォン・アイネム[1918-1996]が1971年に作曲した「ブルックナー・ディアローグ Op.39」ではないかと思われます。ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ウィーン交響楽団(1984)の録音で知られるこの作品は、ブルックナーの素材を元に自由に作曲したもので、補筆完成目的とは異なるアイネムの作品ではありますが、印象深いコラールなども含む興味深いものとなっています。
一方、補筆完成の最初の重要なものは、1981年から83年にかけて書かれたアメリカの音楽学者、ウィリアム・キャラガンによるヴァージョンで、ヨアフ・タルミ指揮オスロ・フィル(1985)によって録音され、フラグメント集も同時に収録されて話題となっていました。
そしてその次にあらわれたのが、イタリアの音楽学者ニコラ・サマーレとジュゼッペ・マッツーカにより1984年に書かれた補筆完成版で、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(1987)と、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ソ連国立文化省交響楽団(1988)によって録音され、メジャーからのリリースという事もあって前者は特に大きな話題となっています。
この2つのヴァージョンは、その後、何度か改訂がおこなわれてそれぞれの完成度を高めており、第4楽章補筆完成版の2大ブランドとしてすでにファンの間では定着した感があります。
これら以外では、メルツェンドルファーやヨゼフソン、レトカルトのものなどもありましたが、中では、ペーター=ヤン・マルテが2006年に作曲したものが興味深い聴きものとなっていたようです。
【ラトルによる第4楽章】
今回、ラトルがとりあげたヴァージョンは、ニコラ・サマーレとジュゼッペ・マッツーカによって始められ、後にジョン・アラン・フィリップスとベンヤミン=グンナー・コールスが加わって完成度を高め、1992年に刊行された「サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(SPCM版)」の最新版。
SPCM版の原型であるサマーレ&マッツーカ版が1984年に刊行された時点では発見されていなかった素材を反映するなどし、実に26年をかけて進化してきたこのヴァージョン、マッツーカは1987年には抜けてしまい、フィリップスもその後脱退してしまったため、2004年以降の改訂作業はコールスとサマーレの二人によっておこなわれてきました。
今回使用された最新の改訂版は、一連の作業の集大成として、これまでにない大幅な改訂を加えたものとなっているのが特徴。
1992年に刊行されたSPCM版としての初版の時点では少々懐疑的な部分があったラトルも、2007年改訂版をハーディングが指揮したコンサートが成功したこともあって、このSPCM版を評価するようになり、さらに純度を高めるべく改訂の進められた今回の新しいヴァージョンには深く満足したということです。
ラトルによる実際の演奏は、まず2011年10月に、ベルリンのユース・オケであるブンデス・ユーゲント管弦楽団を指揮しておこなわれています。これにはコールスも関わって入念な解釈の検討がおこなわれ、結果として、翌年のベルリン・フィルとの演奏を成功に導くことに繋がっています。
再現部の第3主題部まで、つまりコーダの部分を除き、大まかな構想はできていたといわれる第4楽章ですが、600小節を超えるこのヴァージョンのうち、三分の一ほどがブルックナー自身により完全に作曲された部分となっています。これを基本に、バラバラに残されていた弦楽パートや管楽器パートのスケッチが補筆して加えられており、研究者たちによる創作部分は、30小節前後となっているいうことです。
しかしながら、実際にその完成ヴァージョンを聴くと、ブルックナーらしさも感じられる一方で、違和感が感じられる部分もあります。ラトルはこれについて、こう語っています。
「このフィナーレで奇妙な個所は、すべてブルックナー自身の手によるものです。ここには、彼が当時体験した脅威、恐れ、感情のすべてが現われているのです」
また、2011年来日時の記者会見でも次のように述べて自信のほどを示してもいました。
「これまでに再構築を繰り返してきた第4楽章には、非常に多くの人の手が加えられていたと思われる。今回の完成版は今まで聴かれていたものとあまりに違うことに驚くでしょう。もっとワイルドで、奇異な感じがして、当時では考えられないようなたくさんの不協和音が用いられ、時代の先端をいっていたのです。」
実際、その言葉通り、これまでのヴァージョンで聴かれることの多かった薄味な響きとは大きく異なる迫力あるサウンドは説得力があり、「テ・デウム」や他の交響曲の引用なども含めて面白く聴くことができる仕上がりを示しています。
【第1楽章〜第3楽章】
肝心の交響曲第9番本体、第1楽章〜第3楽章についての演奏は、ここのところの集中的な取り組みを反映してか、細部まで徹底的に練り上げられた凄い完成度を示すものとなっており、ラトルの隙の無い解釈の精度と、オーケストラの実力の高さを改めて証明するものとなりました。音質も優秀です。(HMV)
【収録情報】
・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 WAB109(第4楽章補筆完成版) [82:18]
第1楽章:Feierlich: Misterioso [24:02]
第2楽章:Scherzo: Bewegt,lebhaft [10:59]
第3楽章:Adagio: Langsam [24:34]
第4楽章:Finale: Misterioso, nicht schnell [22:43]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
サイモン・ラトル(指揮)
録音時期:2012年2月
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
録音方式:デジタル(ライヴ)
【主な補筆完成版とフラグメント録音】
フラグメント
・タルミ&オスロ・フィル(1985)
・
アーノンクール&ウィーン・フィル(2002)
1971年 アイネム作品
・
マタチッチ&ウィーン交響楽団(1984)
1983年 キャラガン版
・タルミ&オスロ・フィル(1985)
1984年 サマーレ、マッツーカ版
・
インバル&フランクフルト放送交響楽団(1987)
・ロジェストヴェンスキー&ソ連国立文化賞交響楽団(1988)
1992年 サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版
・
アイヒホルン&リンツ・ブルックナー管弦楽団(1993)
1996年改訂 サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(フィリップス改訂)
・
ヴィルトナー&ヴェストファーレン・ノイエ・フィル(1998)
2005年改訂 サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ版(コールス&サマーレ改訂)
・
ボッシュ&アーヘン交響楽団(2007)
2006年 マルテ版
・
マルテ&ヨーロピアン・フィル(2006)
2006年改訂 キャラガン版
・
内藤&東京ニュー・シティ管弦楽団(2006)
2010年改訂 キャラガン版
・
シャラー&フィルハーモニア・フェスティヴァ(2010)