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Tchaikovsky (1840-1893)

SACD Tchaikovsky Symphonies Nos.4, 5, 6, Dvorak Symphony No.8 : Herbert von Karajan / Berlin Philharmonic (2SACD Single Layer)

Tchaikovsky Symphonies Nos.4, 5, 6, Dvorak Symphony No.8 : Herbert von Karajan / Berlin Philharmonic (2SACD Single Layer)

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Showing 1 - 15 of 18 items

  • ★★★★★ 

    jasmine  |  愛知県  |  不明  |  29/December/2023

     これは、カラヤンの最高傑作ではないか?  カラヤンにはピークが3回あった。1回目のピークは、恩師ウォルター・レッグと出逢い、EMIに続々とレコーディングを成したフィルハーモニア時代、2回目はベルリン・フィルの常任指揮者となりDGGと新たな契約を締結し、レッグとともに確立したレパートリーを再録音していった時代(この時期はウィーン国立歌劇場の音楽監督も兼任し、DECCAにも歴史的名盤を残している)、そして3回目は、最愛のウィーン国立歌劇場と訣別し、それでも理想のオペラ上演を目指して故郷のザルツブルグで復活祭音楽祭を創設した1967年から椎間板の手術を受ける75年までの10年間だ。  カラヤンが凄いのは1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と、ピークの山が加速度的に高まっていくところ。70年代に入り、カラヤンはEMIと新たな契約を結びミッシェル・グロッツとともに4CHの録音方式に挑戦するが、それらの諸作品は、カラヤンの長い盤歴の中でもひときわ異彩を放つ名作が並び立つ。  カラヤンは、共演する相手やプロデューサー、或いは、録音の会場や方式に応じて制作にあたってのコンセプトを変える。よくカラヤンのことを『商業的で、売れると思えば何度でも同じ演目を繰り返し収録するが、録音技術の進歩以外には何の変わり映えもしない作品ばかりだ』と批判する声を耳にするが、これは大きな間違いだ。もしそうなら、何故カラヤンは64年から77年までの僅か10年足らずの間にチャイコフスキーの後期交響曲集を3回も録音したのか? 他のものをリリースした方が余程セールスも期待できたであろうに、敢えてチャイコフスキーを取り上げている理由は如何に?  そのことは、これらの三作品を聴けばたちどころに分かる。60年代のものがベルリン・フィル常任指揮者としての「規範」を示さんという内容であったのに対して、71年のEMI盤は4CHという新たな可能性に挑んだ「挑戦的」なもの、そして、75年から77年にかけてのDGG盤は彫塑に彫塑を重ねた、この作品に対する「最終対」な結論ども言うべき演奏である。その違いは、レコードを実際に聴いた者なら誰でもハッキリと識別できる。カラヤンには、そうしなければならない明確な理由があったのだ。  71年盤の特徴は何といってもクォドラフォニックという録音方式にある。ここでのコンセプトは、この作品の立体的な再現にあって、収録にあたってのポリシーとして、@個々の楽器の音を拾うよりもオーケストラのサウンドをホール全体に鳴り響かせ、その空間の中に各楽器の音像を立体的に位置付けることを目指している。DGGの一連の録音が「ミクロ的」とすればEMIの方は「マクロ的」である。またA演奏のスタイルも、縦の線(アインザッツ)を揃えて譜面上の音符を正確に音化するよりも、音楽の流れや勢いを優先し、緩急やダイナミックスの巾を広くとって、ライヴ演奏のような臨場感を出そうとしている。カラヤンがDecca時代に体験したカルショウが開発した【ソニック・ステージ】を超える3次元的な空間再現の可能性を追求した画期的な取り組みだった。  75年から77年にかけてのDGG盤はまったく方向性が違って、個々の楽器の音をミクロ的に積み上げ、楽曲の各フレーズを克明に描き、彫塑に彫塑を重ねている。EMI盤がコンサートの実演のような臨場感を狙っているとすれば、DGG盤はレコード芸術としての究極の姿を模索したもの。それこそがカラヤンが再録音に踏み切った理由である。その結果は一聴瞭然、どう見ても(聴いても)録音の違いだけではない。  カラヤンはDGGに対しブルックナーの交響曲のセッションを要望していた。しかし、会社はヨッフムの全集を企画制作中だった為、それに応えることはなかった。ところが、カラヤンがEMIからブルックナーをリリースし、それを契機にブームが到来すると、今度は一度も演奏したこともない初期の交響曲までも録音させた。おそらく、カラヤンが演りたかったのは、後期の三曲とロマンティックくらいだっだろうに・・・。  商業的なのは(当たり前だが)会社側であって、カラヤンは純粋に芸術的な観点からレコーディングを考える。だから、たとえマーラー・ブームが起こったからといって、《復活》も《千人の交響曲》も録音しようとはならないし、逆に、会社がセールスに自信がないから新ウィーン楽派の管弦楽曲の企画に躊躇しているのに業を煮やし、セッションの費用を自身で負担してでもやり遂げたのだ。儲け主義の人間が、売れるかどうか分からないプロジェクトに自費を投入するだろうか? そして《ドン・ジョヴァンニ》も《ボリス・ゴドノフ》も《サロメ》も、主役となる歌手が見つかるまで、じっと時を待った。カラヤンはそうした誠実で忍耐強いアーティストだった。  そんなカラヤンが夢見たのは、ステレオの先を行くクォドラフォニックの世界を切り開くことだった。そして、その可能性に全身全霊を傾けたのである。その題材として取り上げたのがブルックナーであり,チャイコフスキー、R.シュトラウスだった。結局、クォドラフォニックは立ち消えになった。しかし、その試みは、カラヤンとベルリン・フィルにしか成し得ない、とてつもないスケール感と臨場感をともなった作品として結実した。本来は4CHで聴いて初めて真価が発揮されるということなのだろうが、ステレオ再生でもカラヤンが意図した世界は垣間見ることが出来る。  このチャイコフスキーは、全盛期のカラヤンが企てた革命的な挑戦の産物であり、その前人未到の世界に到達せんとするエネルギーが乗り移った、奇跡的な演奏なのである。  

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  • ★★★★☆ 

    トロ  |  不明  |  不明  |  03/March/2021

    カラヤンのチャイコフスキー3大交響曲の録音では、この録音が最も覇気に溢れ素晴らしい演奏だと思う。録音に難があることは長年言及されてきたが、SACD化である程度の改善はされているので、この演奏が好きな人は持っていても悪くはない。ドヴォルザーク8番の方は旧録デッカ盤の叙情的な演奏よりも劇的な表出が強くなっており、何度も再録音してもあまり解釈が変わらないカラヤンにしては珍しい。ただし、同社のSACD「新世界」の項にも書いたが、この曲は絶対に新世界の77年録音との組み合わせにするべきである。カップリングを変更して、更にグリーンコートレーベル音匠仕様にして再発すれば、好事家は皆買い直す筈なのに甚だ残念だ。

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  • ★★★☆☆ 

    ほんず内閣総理大臣  |  北海道  |  不明  |  29/December/2013

    演奏そのものには以前から親しんでいますし、定評あるところなので縷言の必要はないでしょう。当方もこの演奏がSACDになったというまさにそこのところに期待してこのアルバムを購入した次第です。で、問題の音質ですが、正直なところ期待したほどの改善や成果はなかったな、というところです。やはりもともとの録音に問題があるのでしょう。教会の中で大オーケストラが爆演を展開したせいで音響が飽和してしまって、かえって迫力を殺いでしまったような音です。混濁もあって細部もやや聴きとりにくいですな。また、セッションでのカラヤンによくあるスタイルですが、打楽器をやや抑えさせており(実演だと“やり過ぎ”なのに)、ティンパニもやや引っ込みがちだし、シンバルの鳴りも悪い。演奏自体は毎度のカラヤンのチャイコフスキーで、豪快でかつ強靭な抒情が特徴の立派なもので、もちろん充分に堪能できるものであります。但し、SACDとしての成果は期待したほどではないというのが感想であります。テンシュテットのマーラー交響曲第6番のような面目一新の快挙とはなりませんでした。甚だ残念。下の点もその反映であります。

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  • ★★★★★ 

    MUSAKONOKEN  |  東京都  |  不明  |  15/June/2013

    カラヤンはチャイコフスキーの後期交響曲を何回も録音していますが、ベルリンフィルとの相性が一番良い時代のこのEMI盤が一番傑出しているとも言われています。当時のベルリンフィルの木管群が最も充実していた頃で、金管や弦に圧倒されず独特の音色を保っています。ドイツグラモフォンの録音に比べるとやや細部が不明確に聞こえる感が否めなかったEMI録音ポリシーでしたが、SACDでそこのマイナス面が多少なりとも挽回されていると思います。

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  • ★★★★★ 

    futa  |  愛媛県  |  不明  |  02/March/2013

    yamaさんが仰るとおり私も従来盤より音源が遠くに感じました。 しかし,いかに馬鹿耳の私でもこの木金管の美しさと,それを押し上げたり押しのけたりしながら押し寄せてくる弦楽器の分厚さ,全楽器が渾然一体となりながらも,一直線に心臓を打ち抜くよう鳴り響くティンパニーのもの凄さには総毛立ちました。 たしかにSACDには一杯情報が詰まっているようです。カラヤンとベルリンフィルのことはある程度分かったように勘違いしていました。それがいかに愚かなことであったか思い知りました。知れば知るほど私の理解を遙かに超えていきます。SACD盤を聴いて,この演奏は私のなかで絶対的価値を持ちました。 ありがとうカラヤンとベルリンフィル,そして多くの技術スタッフの人々。 感謝いたします。

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  • ★★★★★ 

    広島のパヴァンヌ  |  広島県  |  不明  |  29/October/2012

    このレビューにSACD発売以前もの物がたくさん載っていますが、担当の方、CDの方へ移動してもらえませんか。なぜならCDとSACDでは評価が変わりますから。4番の音質について他の方が触れておられますが、これはマスターテープによるもののようです。1970年代後半にLP2枚組で発売されたことがありますが、4番の音質の影響で発売日に間に合わず、発売が遅れたとの話があります。また、DiskyからCDとして発売されたときも4番のみ外されていました。しかし、SACDを聴いたときは多少の歪みはあっても問題には思われなかったなあ。それはともかく、このSACDは凄い!!!! あたかもうちのリビングにベルリンフィルが現れて、目の前で演奏してくれているように感じます。しかも、演奏の豪快さはもとより、微妙なところまで再現し尽くし、カラヤン/ベルリンフィルが表現していることをつぶさに分からせてくれるのです。「こんな所にポルタメントをかけていたのか」とか「このようにアクセントをつけているんだ」という風にです。しかもそれらのすさましい数の演出は、微に入り細に入り行われており、他の指揮者、楽団による演奏ではとうてい為し得ないであろうと考えられます。カラヤンによるリハーサル風景が思い起こされます。これらはこれまでLPやCDと言うメディアの中では埋もれてしまっていたのでしょう。今回、それらが明らかになり、あらためてベルリンフィルの実力のすごさと、カラヤンの曲づくりの大胆さをきめ細かさを思い知らされました。驚嘆し、大きな感動するひとときをもたらすこのSACDに、☆5つじゃ足りません。え〜い、10個でも20個でも、好きなだけ持ってけ......て感じですね。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  20/March/2012

    カラヤンは独墺系の指揮者としては広範なレパートリーを誇ったところであるが、その中でもチャイコフスキーの楽曲を自家薬篭中とも言うべき得意のレパートリーとしていた。特に、三大交響曲集と称される交響曲第4番〜第6番については、それこそ何度も繰り返し演奏・録音を行っているところだ。クレンペラーやフルトヴェングラー、ベーム、ザンデルリンク、ヴァントなど、チャイコフスキーの交響曲の録音を遺した独墺系の指揮者は多いが、その録音の量においてカラヤンの右に出る指揮者は皆無であったと言っても過言ではあるまい。そうしたカラヤンによる数多くのチャイコフスキーの交響曲の録音の中で、随一の名演は何かと言われれば、私は躊躇なく本盤におさめられた1971年にEMIにスタジオ録音を行った第4番〜第6番の演奏を掲げたい。確かに、最晩年にウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音した第4番〜第6番の演奏も、波乱に満ちた生涯を送ったカラヤンが自省の気持ちを込めてその生涯を顧みるという人生の諦観とも言うべき味わい深さが感じられるところであり、演奏の持つ深みにおいては至高の高みに聳え立つ名演と言えるところだ。しかしながら、カラヤンの演奏の美質の一つでもあった鉄壁のアンサンブルを駆使した音のドラマの構築と言った点においては、いささか物足りない面もあると言えるところであり、カラヤンらしさという意味においては異色の演奏と言えなくもない。1970年代後半に完成させたカラヤンによる唯一の交響曲全集は、正にカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最後の輝きを放った時期のものであり、演奏の完成度においては出色のものがあると言えるだろう。これに対して、本盤の演奏は、実演的な迫力に満ち満ちた凄みのある名演と言えるのではないだろうか。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは当然のことであるが、全盛期のベルリン・フィルとともに構築した音のドラマは圧巻の一言。ブリリアントなブラスセクションの響きや唸るような厚みのある低弦の重厚さ、そして雷鳴のようなティンパニの轟きは凄まじいほどのド迫力であり、演奏全体に漲る気迫はあたかもライヴ録音を思わせるほどの凄さと言える。どこをとっても凄まじさの限りと言えるが、とりわけ、第4番の第1楽章終結部における猛烈なアッチェレランドや、第6番の第1楽章の展開部における低弦の圧倒的な迫力は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに成し得た圧巻の至芸と言っても過言ではあるまい。チャイコフスキーの交響曲第4番〜第6番の名演としては、同時代に活躍した旧ソヴィエト連邦出身の巨匠ムラヴィンスキーの超名演(1960年)があまりにも名高いが、本盤の演奏は、それに唯一比肩し得る至高の超名演と高く評価したいと考える。音質については、1970年代のEMIによる録音ということで、従来CD盤の音質が必ずしも芳しいものではなく、それはHQCD化されてもあまり改善は見られなかったところだ。特に、第4番については、マスターテープが損傷しているということで、これ以上の高音質化については絶望的であると考えていたところであるが、今般のSACD化で大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、そして1970年代前半のEMIによる録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • ★★★★☆ 

    レオブルー  |  東京都  |  不明  |  21/February/2012

    オトのいいCDをさがしていて購入したのですが、驚きの演奏とサウンドで呆気にとられています。チャイコフスキーでこの演奏ではどう考えてみても理解の極点だとさえ感じます。又、なぜか聴き終えるまでの時間さえもが短く感じてしまいました。オトもレンジは広いのに妙に歪っぽいのも不思議です。カラヤンのストレートな気性と現実とのズレがいっぱい詰まった様なディスクで、クラシックの様式美の尺度ではあえてここはホシひとつおとさせていただきます。まぁ、個人的好みでは別時の別テイクがあるのだからそちらもぜひSACD化していただければ2つ並べて棚に置かせていただきたいので、よろしくお願いいたします。

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  • ★★★★★ 

    yama  |  山形県  |  不明  |  14/February/2012

    賛否両論の演奏だが、私にとってこれ以上の名盤はない。 今回のSACDの肝心の音質だが、従来盤に比べ最も鮮度が高く瑞々しい音がする。特に弦楽器は絹のようにきめ細かくてなめらかな肌触り。 各楽器の音も従来盤より太い。 音域のバランスは自然で、従来盤のように低音域の不自然な強調感は少ない。 第4番だけは今回も歪がちである。 残響はここまで入っていたかと驚くほど。私の再生装置では残響過多でお風呂場状態になる。 不思議と従来盤より音源が遠くに感じる。 トールボーイよりも大型スピーカーがいいかもしれない。 マスターテープを感じさせる見事な音質だが、私の好みはEMI GEMINI盤。 韓国EMI盤は入手できなかった。また第4番だけ1960年録音という初期の3枚組CDも意外と好きな音質だ。

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  • ★★★★★ 

    としちゃん  |  宮城県  |  不明  |  02/February/2012

    後期最高の3枚組だ。

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  • ★★★★★ 

    BCJのファン  |  静岡県  |  不明  |  30/January/2012

    私は5番が一番感動しました。特に第3楽章のリリシズムは素晴らしい。フィナーレはまるでライブのような熱気溢れる。僅かにノイズがあるが、演奏の素晴らしさの前では些細なことです。 もちろん第4番と悲愴も素晴らしい熱気溢れる演奏です。それにしてもベルリンフィルの合奏力は驚異的であります。 音質はSACD化によって、アナログを超えた!と断言します。4番の冒頭のホルンの合奏が本当に柔らかいです。 また、3大交響曲集は2枚組で発売される事が多く、5番が途中で切れてしまうことが多いですが、今回は3枚組で発売したことに敬意を表します。 3枚組6千円は安い!です。

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  • ★★★★★ 

    masato  |  新潟県  |  不明  |  27/January/2012

     70年代のカラヤン&ベルリン・フィルにもってこいの言葉は“燦然”。特にEMIとの仕事は“燦然”の感が強い。ビロードのような弦の音色,重厚なバス,そして,燦然と輝く金管! これ以上,何が求められよう…!  自信をもって言える。最高のコンビは,このカラヤン&ベルリン・フィルとムラヴィンスキー&レニングラード・フィルだ。最高のメイクアップ美人と最高のスッピン美人。彼らの誘惑の前には,ただただうっとりするしかない。  ただ,私はどちらかというと80年代のウィーン・フィルとの演奏の方を好みます。チャイコフスキーの音楽(特にこの3曲の交響曲)は黄昏ていてほしい…。力強く鳴り響きながらも,どこかに黄昏色がほしい…。“燦然”さが後退し“黄昏”を感じる80年代の演奏こそ,私にとってのチャイコの4,5,6です。とはいえ,この演奏にも★は5つつけなければなりません。

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  22/January/2012

    以下はSACDハイブリッド盤についてのレビュー。私はオペラ以外のカラヤンの録音ではこのセットとワーグナー管弦楽曲集(1974年、EMI)がベストと考えてきた。しかし残念! 録音はSACD化によっても、そんなに劇的に改善されたとは言えない。エコーがかかったような響きで楽器の定位は不明瞭。強奏になると音のひずみ、高域のヒスノイズが盛大。やはりマスターテープにないものは、SACDにしようが取り出せないということか。SQ4チャンネル録音の失敗がつくづく恨めしい。しかし、ほとんど一発ライヴに近い感覚で録られたと思われる、この録音の凄まじい躁状態、マッシヴなエネルギーだけは今回、かつてないほど強烈に感じられた。演奏は5番のみ「不発」だという初発売時の印象は変わらないが(75年DG録音の方が遥かに良い)、4番と6番は全く壮絶。後のウィーン・フィルとの録音など寄せつけぬ高みに達している。6番の一糸乱れぬ第3楽章は、まぎれもなくこのコンピの頂点、ひいては20世紀オーケストラ演奏の頂点をしるすドキュメントだ。

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  • ★★★★★ 

    HARUKOU  |  埼玉県  |  不明  |  21/January/2012

    EMI CLASSICSの録音はカラヤン/ベルリン・フィルの数多い同曲録音の中でも異色と言えるものですが、そこから聴こえるライヴのように白熱した演奏は手に汗を握らされるもので、Deutsche Grammophonの音に慣れた耳にはとても新鮮に感じられます。これらの演奏が大好きで各種LPやCDをいろいろ買い続けてきましたが、今回のSACD化によりやっと最高の音質にたどり着くことができました。LP時から強音時の歪み(音割れ)が多かった第4番も、このSACDではあまり気になりません。それだけでも感涙ものです。各曲1枚に収録されているのも大変ありがたいですし、この高音質が定価6,000円で入手可能なら、けして高い買い物ではないと思います。

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  • ★★★★★ 

    ゆりぞう  |  兵庫県  |  不明  |  21/January/2012

    録音日時が集中していて、「一発録り」かと、発売当時評判を呼んだ演奏。実際、DG録音で慣れたカラヤンに比べ大変熱い演奏。例えば6番の第3楽章から終楽章、思わず手に汗握る熱血演奏だった。しかしそれもアナログレコードの話。もちろん東芝国内盤などではなく、英オリジナルかセカンド、あるいは米エンジェル盤で聴いた場合のことであった(この音源に関しては米エンジェル盤も大迫力で捨てがたいものがあった)。そしてCD時代になって、もうあの興奮は決して得られないだろうと思っていたところにこのSACDである。音量を上げても決して聴き疲れのないSACDの、アナログレコード同様の特徴がこの演奏を再び大名演にしてくれた。音量を上げてナンボの興奮世界である。昔、6番第3楽章でスピーカーを飛ばしたことをまざまざと思い出した。大方がご存知の通り、70年代のEMIの音質はマストーン重視に変わったので、50年代60年代の音質に愛着のある人やDECCAの音が好きな人にはコテンパンに批判される傾向があるが(実は私もその一人であるのだが)、この音源と、同じくカラヤンのワーグナー管弦楽曲集はこの音録りで本当に良かったように思う。作り物めいたハイファイでは決してない。そのような「音」の生々しさではなく、「演奏」の生々しさを、この「70年代EMI録音」は見事に伝えてくれるのである。だからこそ、この「演奏」の真の素晴らしさを知るためには「70年代EMI録音」が十全に再現されなければならんのである。このSACDは、その優れた音質により、この演奏の価値を見事に生き返らせてくれた。SACDは古いアナログ録音ほど、その真価を発揮するはずであるとの、私の考えを今回も一層確たるものにしてくれた。さあ、もう一度、6番第3楽章〜終楽章を聴こう。必ず、大音量で。

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