カラヤンがクラシックを殺した 光文社新書
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umibouzu1964 | 山口県 | 不明 | 25/November/2014
現代が「絶望と悲嘆の時代」と書かれているが、何も現代が特別な時代とは思いません。そして、カラヤンの音楽を聞くことが時代に背を向けているとも思いません。資本主義の罪悪をカラヤンに代表させるのも無理があると思います。カラヤン批判に他のアーティストを対比させる方法論も素人の域を出ていません。哲学や社会学の言葉を並べ立てる書き方も、読み手には分かりにくいです。著者の言いたいことが最後まで分からなかったのは、私の知的読解力のなさによるものでしょうが、もう少し噛み砕いた書き方ならば、読者の支持ももう少し得られたかもしれません。それにしても、読後の印象は「先生、考えすぎ!」。0 people agree with this review
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つよしくん | 東京都 | 不明 | 19/June/2009
筆者は否定しているが、カラヤンの音楽を不当に貶めることに腐心している厚顔無恥な偏向的著作。特に気になったのは、カラヤンの音楽を好むファンを、音楽を耳の悦楽、感覚の歓びと考える者だと決めつけ、カラヤンのファンを一方的に見下している点。クレンペラーのファンがクラシックの本質を理解し、カラヤンのファンは理解していないなどと、何を根拠にして言えるのだろうか。筆者が、カラヤンの音楽に精神性が欠如していると主張するならば、その根拠を彼の経歴等の表層面から説明するのではなく、彼の音楽の内容等の本質面に踏み込んで説明すべきだろうが、筆者の偏向的な鑑賞力では困難だろう。13 people agree with this review
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カピバラさん | 四川省 | 不明 | 15/January/2009
まったくのダメ本。カラヤンの実演とレコードの区別をつけない。超個性的クレンペラーを基準として判断する。ケーゲルでは異端演奏だけを持ち上げ、彼の全体像を矮小化している。総じて演奏論は印象的感想の域に止まる。哲学用語・概念を列挙はするが、それらが生み出された背景を一切捨象した軽薄な用い方になっている。許光俊の言い回しをちりばめた亜流的表現。このようにどこをとっても質の低い劣等な本。学者だそうだが、学者失格。読んでまったく益なし。最悪。3 people agree with this review
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未聴ら〜 | 北海道美瑛町 | 不明 | 23/December/2008
私はカラヤンファンではないが、読後こんなに不愉快になる本はない。「世界苦」という仰々しい言葉を多用しながら言いたい事は「私はカラヤンの音楽は嫌いです。クレンペラーの重々しい音楽の方が好きです。」これだけ。クレンペラーも老人性頑固症?になる前はカラヤン以上に流暢な音楽をやってたではないか。自分の好みを人に押し付けるのは止めて欲しい。1 people agree with this review
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和愚音裡庵主人 | 西宮市 | 不明 | 08/December/2008
カラヤンを嫌うのはご自由だが、こんなイヤミな本はダメ! それにしても、著者や出版社は、一体誰に読ませようとて、こんな本を出したものか? フルトヴェングラーではありきたり、と思われたか、クレンペラーとケーゲルを比較の材料にしているが、書きっぷりも大袈裟だし、バカバカしいことこの上無し。 カラヤン拒否症候群患者が、お読みになっても、気分爽快になりません。0 people agree with this review
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