[USED:Cond.AB] Sym.6: Dutoit / Osm
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meji | 神奈川県 | 不明 | 25/December/2015
Deccaのバランスエンジニア、ジョン・ダンカーリーによるデュトワ&モントリオール録音のスタイルは、第一弾となったダフニスとクロエ(1980年7月)から最後のセッションとなったピアソラ(2000年10月)に至る足掛け20年の間で、基本的な変化は見られずワイドなサウンドステージとスウィートなテイストは終始一貫して保たれているが、そんな中において1990年頃を境にオーケストラがややオフ気味になり、ホールレゾナンスの取り込みもさらに増加し、サウンドステージがより自然に再現されるようになる。この理由としてはコンソールやレコーダー等を始めとするデジタル機材の技術的進歩が大きく貢献していることは言うまでもないが、より微細なディテール情報まで克明に収録できるようになるにつれて補助マイクの数も減らしていったのではないかと推測される。 「1990年頃を境に」と書いたが、筆者は90年6月に録音されたこの「悲愴」がその転換期に位置していると考えているが、実際に無数あるダンカーリー録音の中でも少しばかり異質なサウンドと言える。「異質さ」とは、ほとんど補助マイクに頼ることなしにメインマイク5本(ツリー3本とアウトリッガス2本)の信号だけでミキシングされたかのような、いつにも増してナチュラルで継ぎ目の無いサウンドステージや、生演奏そのままのダイナミックレンジであり、多少のアウトフォーカスやリヴァーブコントロールの詰めの甘さも気にしない潔さである。 特にダイナミックレンジの大きさは、一般家庭での再生には向いておらず、通常のボリューム位置では第一楽章冒頭の低弦や提示部終わりのバスクラリネットは全く聞こえないし、展開部冒頭ですら音量不足を感じさせる。従ってこの録音の持つポテンシャルを全て開放させるには、序奏の主題を吹くファゴット奏者のブレスノイズが聴き取れるまでボリュームを上げることが不可欠であり、この際トゥッティの音量は、コンサートホールでの原音量となり、近所から苦情が来るのは必至だ。当然ながらアンプにもスピーカーにも高いSN比と解像度、さらには広大なダイナミックレンジが要求されるが、その条件が満たされた場合に得られるサウンドは恐怖感さえ感じさせるリアリティに満ちている。 ではなぜこのような録音が突然変異的に生まれたのか?新しいハイビットレコーダーが導入されその能力を試したのかもしれないし、ソロ奏者のミスやオーケストラの乱れが修正されていないことから「生演奏の勢いを尊重し・・・」というデュトワの意向が反映されたのかもしれない。或いは同時期に録音された「キージェ中尉」や「アレキサンドル・ネフスキー」が従来同様のサウンドに仕上がっていることから、誤ってマスタリング途中でリリースされてしまったのかもしれない。どんな理由があったにせよ、セッション時のダイナミックレンジをそのままCDで聴くことができるという点で、ダンカーリー録音の中でも唯一無二のディスクであることは間違いない。 余談になるが、このようなやっかいなノンリミッター録音に対して、ここではDeccaのミキサーになったつもりで、積極的にアンプのボリュームを操作しながら聴くというのはいかがだろうか?ショルティのリングのセッション映像でも、ミキサーがリアルタイムでコンソールのフェーダーを細かく操作していることがわかる。ちなみに筆者も時々やってみるが、曲と演奏が頭に入っていれば意外なほど違和感無く再生できることに我ながら驚く。しかしこれに本当にハマると、次はコンソールが欲しくなってくるので要注意だ。1 people agree with this review
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