■本当に自分が好きな音楽をアンダーグラウンドでやりたいと思っていくようになったんだ
――アルバムリリースおめでとう。リリースして今はどんな気持ち?
実はこの何ヶ月もの間、他の色々なプロダクションがすごく忙しくて、自分のアルバムのことを考える時間があまりなかったんだ。でも日本をはじめ、世界中
からすごくいい評価をもらってきはじめ、うれしいのとビックリしてるのが正直な気持ち。とにかくリリースできて嬉しいよ。
――まずは軽く自己紹介をお願いします。
どこから言ったらいいのか分からないけど、僕は日本人とドイツ人のハーフで20歳まで東京で育って、それからはベルリンに住んでるんだ。
音楽は11歳から。14歳でドラム初めて、もうその頃にはDJやラップもしてたな。その後19歳の時にはトラック制作を始めてたよ。その他ピアノとかハーモニーとか自分が出したいと思う音はひたすら自己流で勉強してたね。
――ドイツに移り住んだ後は?
ドイツにきてちょうど1年ぐらいした1995年にEMIとサインしたんだ。そのEMIに所属しているHip
Hop-Acidjazz-Funk-Rockなどクロスオーバー系のバンドのDJとして参加したら、自分でも驚くくらいあっと言う間にメジャーの世界
にはいちゃって、それこそヨーロッパ中のコンサート、Festivalに出演した。まー今から思えばこの頃はドイツや音楽業界の勉強の時期だったね。で
もその時からバンドのサウンドとメジャーの仕組みの中でやるより、本当に自分が好きなHip
Hop/Jazz/Soulサイドの音楽をアンダーグラウンドでやりたいと思っていくようになったんだ。
――あなたの名が広く知られるきっかけとなった、Till Bronerとの『Blue Eyed Soul』での共演のいきさつを教えてください。
上の質問の続きになるけど、ちょうどその時期にTillと知り合う機会があってね。彼がプロデュースしていたドイツではすごく有名なシンガーの
作品にターンテーブルとスクラッチでまず参加したんだ。その後すぐ彼のアルバム『Chattin With
Chet』にも呼ばれて、同じくターンテーブルで参加したんだ。そのことが縁でその後ずっと彼とツアーを回ってたんだけど、実はその時彼には一度も
僕がビートを作ったり、曲のプロデュースをしているとは言ってなかったんだ。でもその後1年ぐらいして次のアルバムの話になった時、「じゃー、ちょっ
と試してみようか、、、。」なんて話していたら『Blue Eyed Soul』ができちゃった。って感じかな。
僕の中ではけっこう最初からSlum Village の『Fantastic Vol.2』
やD'Angeloの『Voodoo』のようなダーティなサウンドのイメージがあったんだけど。やっぱりそれを二人で統一した音にするのはそう簡単
じゃないよね。でも3ヶ月ぐらいしたら、だんだんあのサウンドが出てきてその後はもう作業にとっかかるだけだったよ。それと、トランペット・プレイ
ヤーとして彼は本当に一流の人だよ。僕自身も本当にいろいろ勉強になったね。