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「繰り返し聴きたくなる長唄交響曲」

Friday, November 10th 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第93回

「繰り返し聴きたくなる長唄交響曲」

 あいかわらず行ききれないほどコンサートやオペラが集中する東京の秋である。
 目下いちばんの話題は久しぶりに来日したアーノンクールだろうが、私も先日聴いてみた。そのうちちゃんとした文章を書かなくてはと思っているが、個々の演奏云々より何より、あの人が、カラヤン的な豪華で滑らかで上手で高級で国際的な行き方のアンチテーゼだということが、日本の聴衆にもよくわかったのではないだろうか。つまり、粗くて、荒々しくて、ダサくて、下手で、ローカルなのである。カラヤンがプロ中のプロなら、アーノンクールはスーパー・アマチュアである。そんな人が世界的に注目され、スターにされてしまった、なってしまったというのがすごいことだし、注目すべきことなのである。間違いなく現代を反映している。
 私個人としては、『世界最高のクラシック』でも書いたように、そうした彼の存在の意味深さを認める点では人後に落ちないけれど、ではあの音楽が大好きかと訊かれたら、うんとは言わない。ベートーヴェンの交響曲第7番では、怪しいおじさんが大騒ぎしているような指揮ぶりを見ながら、同じように熱気をはらみながらもカルロス・クライバーはなんと優雅で洗練されていたのだろうと懐かしくなってしまった。
 それにしても、川崎のホール、ミューザ川崎は音響がクリアなゆえ、演奏家のボロをも克明に聴かせてしまう点では残酷かもしれない。

 アーノンクールについて書きたいことは他にもあるが、実はその数日前に聴いた井上喜惟指揮ジャパン・シンフォニアの演奏会が、ちょっとすごすぎた。曲はシベリウスの交響曲第2番。井上にとってもオケにとっても、今まで最高の演奏だった。弦楽合奏は耳を疑うほどに重厚で、高級な木材のような重量感がある。しかも、濁っていないで、音の動きは実によくわかる。管楽器の音色もバランスもいい。日本のオーケストラにありがちな水っぽい、押せばへこむような頼りなさとは正反対。はっきり言って、アーノンクールが指揮するウィーン・フィルの響きよりずっとずっと立派である。そして、遅いテンポでじっくりと駒を進めていくような音楽作り。恐るべき重厚さ、雄大さ。安っぽい感情移入はゼロ。シベリウスの第2番というと、どうしても軽薄というか、ロマン主義に迎合した感じがするが、この演奏だと違う。5番や7番みたいに、シベリウスならではの個性が生々しく聞こえてくるのだ。ここのところ多忙で彼らのコンサートには行けなかったのだが、久しぶりに聴いて心底驚いた。まあ、ウィーン・フィルよりずっとよかったとか何とか、私がいくら褒めたところで、たぶん読者には信じられないだろう。それも当然だ。自分の耳で聴いてみないことには、あの充実した音楽は想像できない。
 地味なプログラムのせいか、客席はすいていた。こんな演奏がたった一回、これだけの客が聴いただけで終わってしまうなんて、もったいないとしか言いようがない。こんなにいいとわかっていれば、友人知人の首に縄を結びつけてでも連れていくべきだった。
 幸いドイツの大手製薬会社がジャパン・シンフォニアのスポンサーになってくれたらしい。有名なものにしか金を出したがらない日本のメセナは、まだまだレベルが低い宣伝活動にとどまっている。

 さて、最近聴いたCDのうちおもしろかったものをいくつか。
 ナクソスの日本作曲家シリーズの山田耕筰、「長唄交響曲〜鶴亀」。私は中学の時の音楽の教科書でこの作品の存在を知り、いったいどんな怪作かと思っていたのだが、ようやく聴けた。
 おもしろい。昔っぽいレトロな雰囲気が濃厚で、繰り返し聴きたくなる。たぶん、昔の東京を歩くとこういう音風景を体験できたのではないか。長唄や謡いといった習い事をしている家がある・・・蓄音機を聴いている家がある・・・芸者の声が聞こえる・・・そんなふうな。しかし、よけいなことながら、井上とジャパン・シンフォニアのあとで聴くと、ここでの都響は何ともチープに聞こえてしまうのだ。

 平林直哉復刻のフルトヴェングラー指揮ブルックナー8番。これは、フルトヴェングラーの演奏と言われなければわからないかもしれない。とにかく静かで淡々としている。最晩年ならではの、生命の炎が鎮まってしまった音楽だ。だから第3楽章が特にいい。もう過去を思い出すことすら止めてしまったかのような趣。音がゆっくりと上昇していっても、そこにもはやエクスタシーはない。ただ静かに、霧のように消えていくだけ。恐ろしいまでのはかなさだ。この曲の数ある演奏の中でもっとも異色のひとつ。音質も非常にいい。

 ヤンソンスとコンセルトヘボウのプーランク「グローリア」、オネゲル第3交響曲。この人が指揮すると、プーランクもオネゲルもメリハリがいっそうはっきりしてくる。この原色っぽい強さ、歯切れの良さは決して不快ではない。エンターテインメント的演奏ということになろうが、これはこれでいい。両曲ともこれほどおもしろく聴かせた例は他にないのではないかと思う。で、これに慣れたらもっと重苦しいオネゲル演奏を聴けばいい。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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