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「ヤンソンスは21世紀のショルティ?」

Tuesday, July 11th 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第82回

「ヤンソンスは21世紀のショルティ?」

 マリス・ヤンソンスは、いつの間にか、この世界でもっともまともな指揮者のひとりになってしまった。つまり、この人には、思わずうなるような考え抜かれた読みだとか、驚くような新しさやユニークさ、深い余情といった、われわれが長い間偉大な指揮者に求めてきた要素は、きれいさっぱり、何もない。しかし、これはヤンソンスだけがそうではなくて、安易でおっちょこちょいでコピーが得意なわれらが時代において、こんな美徳はとっくに古めかしくなってしまったようなのである。
 それどころか、昨今では、とうてい指揮者とは呼びたくないような者どもがもてはやされている。濁った音、バランスの悪さ、単調な音色、本質的な知性の欠落、とってつけたような元気のよさ・・・彼らの特徴はこうしたことで大方言い尽くせる。だいたい、見た目がそこらのお兄ちゃんみたいな指揮者が増えすぎたのだ。
 そんな悲惨な時代に、少なくともヤンソンスの音楽は、耳を傾ける価値がある。彼はオーケストラを統率する指揮のプロとしては、群を抜いてスマートなのである。硬軟や響きのメリハリが効いた演奏を楽々と繰り広げる様子は、かつてのロジェストヴェンスキーとかマゼールを思い出させる。これまたきわめて正直な話、適度な値段なら、聴きに行くのはやぶさかではない。
 コンセルトヘボウとのライヴ録音、ショスタコーヴィチ交響曲第7番は、ヤンソンスの長所がよく表れている演奏である。
 まず、最初の主題提示からしてメリハリが効いて、生き生きしている。いつもリズムが溌剌としているのもこの人の常だ。ちょっと躁状態みたいな妙な明るさがこの曲らしくなくておもしろい。それでいて、ただ威勢がいいだけではない。弦楽器が作り出す柔らかにして艶やかな響きは、実にいい。木管楽器も緻密な会話を見せる。24分からの柔らかい歌など、ほとんど甘美、陶酔的と言いたいくらいで、ブラームスもビックリである。
 いずれにしても、ショスタコは暗いというイメージとはまるで異なった音楽であることは確か。この第1楽章、とにかく楽しげなのだ。最後の盛り上がり方にしても、心理的な迫力はあまり感じられない。確かに鳴りっぷりはすばらしいのだが、あくまで物理的な問題なのだ。そのあたりが、かつてのショスタコ演奏とは決定的に違う。ラジオ体操にも使えそうなくらい(ちなみに、日本のラジオ体操は、歴史的に富国強兵と関係があるんですよ)。普通だと、表面的には明るいけど、裏では暗さがどんどん満ちてきている、そんな緊迫感がショスタコならではの個性なのだが、ヤンソンスの場合は明るさがずっと勝っている。だから、超深刻、超悲観的、超破壊的なインパクトが強いショスタコーヴィチを期待すると裏切られる。マゾヒスティックなショスタコ・ファンは肩すかしを食らうだろう。
 第3楽章ではコンセルトヘボウの弦のすごさが全開だ。濡れたような音色で叙情的な美しさが展開されるが、これもまた決して気持ちを重くさせるようなものではない。
 うまい指揮者にノリノリの名オーケストラというわけで、現代において聴くことができるおそらくは最高峰のショスタコ演奏であることは保証できる。ただし、その立派さや美しさに感心しつつ、ここまであっけらかんとショスタコが演奏されてしまうことに戸惑いというか不慣れな感じを抱かないではない。
 ちなみに、ヤンソンスは バイエルン放送響ともショスタコーヴィチの録音を行っているが、そっち、特に交響曲第2,3番はもっともっと深刻味が強い。どうしてまた、コンセルトヘボウとの演奏は、妙に陽気なのだろう。比べるのは一興である。なるほどヤンソンスらしいリズムの取り方など、共通点も多々あるが。オーケストラの音色の明るさも関係するだろう。あるは、ソロ楽器の表情の違い。バイエルンの場合は、木管楽器においてどことなく影が濃いのである。とはいっても、コンセルトヘボウがふだんからむやみと明るいオーケストラではまったくないことも事実。
 ともかくも、ヤンソンスは、21世紀のショルティなのかもしれない。ただ違うのは、ショルティが元気だった時代には、他にもちゃんとした指揮者がたくさんいた。だが、21世紀は違う。オーケストラの技量は上がっているのに、うまい指揮者は減る一方だ。
 この手の音楽家は、老齢になって何かが出てくるというタイプではない。むしろ、まだ若さがあってギラギラしているうちが華だろう。だから、今聴いておくに越したはない、そこまで言ってしまっては身も蓋もないかもしれないが。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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