ファウストで補完計画
2026年03月03日 (火) 19:55 - HMV&BOOKS online - Classical
連載 許光俊の言いたい放題 第318回

私はピンクが好きである。いかがわしい方面のことではないですよ。色です。だいたい、ピンクって言葉がなんかよくないですか。「ピン!」と跳ねて、「ク」と着地する。
しかし、大昔、つまり私が二十代だったころだが、「やさしい女性という印象を持ってもらうためよ」とお見合い時の服で多用された薄いピンクは嫌いである。やはり鮮烈な、その名もショッキング・ピンクがいい。
実はそういう色の本を以前から1冊作ってみたかったのである。そのささやかな願いがようやく実った。『クラシック名盤100』(イースト・プレス)という本だ。この書名でピンクの表紙。私としてはさらに鮮烈なピンクで、つるつるした光沢が出る紙で、文字は金色か銀色にしてもらいたかったが、さすがにそれでは、買うのをはばかる男性読者も出て来るかもしれない。何しろクラシック本なので。またつるつるする紙は、手に持って読むには、汗ばむのであまりよくない。結果として、ほのぼのした外見の本になった。内容はほのぼのしていませんが。
こういう名盤ガイドみたいなのって、いっぱい出ていなかったけ? 今更? 実はこの仕事を頼まれた時、そう思ったのである。ところが、盲点というものはあるもので、長年こういう仕事をしている私には類書はたくさんあると感じられるのに、クラシックまったく初心者の編集者が調べたら、近年そうでもないらしいと。ふーん、そんなものかね。そして、あまりにも情報が多すぎる現代だからこそ、こういう本が需要があるとも。
この本で私はあることを試してみた。これは決して最高の演奏を紹介した本ではないのだ。たとえば、このところすばらしい充実を示しているイザベル・ファウストは、今年も滋賀県と都内で圧巻のコンサートを聴いた。だが、そのあまりにも繊細かつ複雑な味わいは、そもそも曲をよく知らない人の耳には、情報量が多すぎるのではないか。味付けで言えば、シンプルで、めりはりが効いた味のほうが初心者にはおいしいと感じられやすいのではないか。よけいなおせっかいかもしれないが、そういう方向性で演奏を選んでみたのだ。よって、ふだん私の本にはあまり出てこないカラヤン、ショルティ、レヴァイン、ストコフスキー、ミュンシュなどが出て来る。むろん、選んだのには選んだだけの理由があって、つまらないものを押し売りしているわけではない。
しかし、そのような本を書いていたら、欲求不満にもなってきたのである。何しろ、ファウストも出てこないわけで。そこで今回はファウストについて。

ファウストは以前ここで、ムターが女王様ならファウストが王女様と書いたことがあるが、いやはや、ここしばらくですっかり本物の女王様になっておいでです。今回の来日プログラムでは、多種多様な無伴奏曲だけのプログラムがあった。この人は演奏会で協奏曲を弾いたおりのアンコールでは、無伴奏の曲を聴衆にサービスすることが多い。実はこの手の作品は想像以上にたくさん存在していて、われわれが知らなかっただけなのである。たとえばファウストの無伴奏曲集のCDを聴けば、魅力作がたくさん埋もれていたことを痛感させられる。
だが、ある意味それ以上に驚いたのは、三鷹で聴いたブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第2番が肝をつぶすほどロマンティックだったことだ。特に第1楽章。これまでは、無農薬や水にこだわった手打ちそばだった人が、濃厚チョコレートに化けた。実は以前、この人がメンデルスゾーンの協奏曲をロマンティックに弾いているのを聴いて、こういう音楽もやればできるのだなとは思っていたけれど、やればできるレベルではないことは、そもそもブゾーニをその夜のメインに据えたことからもわかる。もう耳にしみついて忘れられないような甘美で豊かであたたかい音色。明らかに以前より表現が鮮烈かつ堂々としていて、余裕しゃくしゃくという感じになってきた。もしかしたら今がピーク? そう前回来日から思っている。
ファウストは一般的な有名曲も当然レパートリーにしているが、それ以外にも貪欲である。とにかく短い周期で幅広い曲目を録音し続けている。バロックから20世紀音楽まで。たとえばブリテンの協奏曲が冷涼なエロティシズムがあって非常に美しい。一般的にはなじみがない曲だが、案外平易で、その分、ヴァイオリニストの技量や表現力がダイレクトにわかる。これをファウストは、まるでシベリウスかというほどロマンティックに弾くのだ。官能的なポルタメント、音程の揺らし、妖しい超高音域。
ところが、テレマンの協奏曲は全然違う。バッハと同じ時代にバッハよりも人気があったテレマンは、しかし今ではバッハの足元にも及ばない存在に堕ちた。私にしても、ときたまその作品を聴いてもつまらないと思うのが常だ。録音や放送がない時代には、ちょうどいいくらいのわかりやすさで書かれているとも。
ところが、ファウストの録音は、本当にこれがテレマンかと疑うほどにおもしろい。彼女がソロを弾くバロックの協奏曲は、私もあちこちでナマを聴いているが、その繊細な響きの交じり合いを聴くためには録音のほうがよいのではないかと思ったことが何度もある。ゆえに、このテレマンは録音で聴いてきわめて愉しい。トラック7,序曲ロ短調の終曲では、まるで「ルパン三世」の石川五右衛門の刀さばきみたいな弾きっぷりに言葉もなし。CDも高くなったけれど、このトラックを聴くためだけにこの盤を買って損はない。それにほとんど80分も入っていますよ。一気には聴き通せません。
2つのヴァイオリンのための組曲も、聴いていてついニヤニヤさせられるおもしろ音楽。詳細は自分の耳で確かめてください。

リゲティやストラヴィンスキーの協奏曲は、近年いろいろな人が弾くようになってきた。前者はコパチンスカヤの18番で、時には野卑なほどの荒々しい、さながら麻の魅力で聴かせてくれるが、ファウストが弾くと、もうちょっと洗練された味で、綿である。これもよいものである。
ストラヴィンスキーは、機械的なところは全然なくて、細やかな音色や表情の変化の連続。芝居のような滑稽味を強く感じさせられる。軽妙さから粘っこさまで、表現の幅が広い。ほぼ独演会。ヴァイオリンが人の声でしゃべっているようだ。すごいものである。時に「ペトルーシュカ」を聴いているような気がしてくる。その一方で、次に入っている「 弦楽四重奏のための3つの小品」は、まるで民族音楽なのだ。短いが鮮烈。
当分、ファウストの新録音はすべて聴き、来日公演も可能な限り通うしかあるまい。
11月にはラトルとバイエルン放送響が来日するそうだが、何とファウストとベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏するそう。マジですか。ラトルとバイエルンのベルクは、今シーズンのミュンヘンでの「ヴォツェック」もすごかった。この作品はいろいろな指揮者でいろいろな場所で聴いて見たけれど、演奏という点では圧倒的だった。この曲、初めて聴く、みたいな斬新な音がした。こんな音が書かれていたの? こんなスコアを書いたベルクは天才すぎると、心底思った。なので、私にとっては秋のラトル来日時の一番の注目はファウストとのヴァイオリン協奏曲。
それまでに世界が平和になっているといいですね。
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私はピンクが好きである。いかがわしい方面のことではないですよ。色です。だいたい、ピンクって言葉がなんかよくないですか。「ピン!」と跳ねて、「ク」と着地する。
しかし、大昔、つまり私が二十代だったころだが、「やさしい女性という印象を持ってもらうためよ」とお見合い時の服で多用された薄いピンクは嫌いである。やはり鮮烈な、その名もショッキング・ピンクがいい。
実はそういう色の本を以前から1冊作ってみたかったのである。そのささやかな願いがようやく実った。『クラシック名盤100』(イースト・プレス)という本だ。この書名でピンクの表紙。私としてはさらに鮮烈なピンクで、つるつるした光沢が出る紙で、文字は金色か銀色にしてもらいたかったが、さすがにそれでは、買うのをはばかる男性読者も出て来るかもしれない。何しろクラシック本なので。またつるつるする紙は、手に持って読むには、汗ばむのであまりよくない。結果として、ほのぼのした外見の本になった。内容はほのぼのしていませんが。
こういう名盤ガイドみたいなのって、いっぱい出ていなかったけ? 今更? 実はこの仕事を頼まれた時、そう思ったのである。ところが、盲点というものはあるもので、長年こういう仕事をしている私には類書はたくさんあると感じられるのに、クラシックまったく初心者の編集者が調べたら、近年そうでもないらしいと。ふーん、そんなものかね。そして、あまりにも情報が多すぎる現代だからこそ、こういう本が需要があるとも。
この本で私はあることを試してみた。これは決して最高の演奏を紹介した本ではないのだ。たとえば、このところすばらしい充実を示しているイザベル・ファウストは、今年も滋賀県と都内で圧巻のコンサートを聴いた。だが、そのあまりにも繊細かつ複雑な味わいは、そもそも曲をよく知らない人の耳には、情報量が多すぎるのではないか。味付けで言えば、シンプルで、めりはりが効いた味のほうが初心者にはおいしいと感じられやすいのではないか。よけいなおせっかいかもしれないが、そういう方向性で演奏を選んでみたのだ。よって、ふだん私の本にはあまり出てこないカラヤン、ショルティ、レヴァイン、ストコフスキー、ミュンシュなどが出て来る。むろん、選んだのには選んだだけの理由があって、つまらないものを押し売りしているわけではない。
しかし、そのような本を書いていたら、欲求不満にもなってきたのである。何しろ、ファウストも出てこないわけで。そこで今回はファウストについて。

ファウストは以前ここで、ムターが女王様ならファウストが王女様と書いたことがあるが、いやはや、ここしばらくですっかり本物の女王様になっておいでです。今回の来日プログラムでは、多種多様な無伴奏曲だけのプログラムがあった。この人は演奏会で協奏曲を弾いたおりのアンコールでは、無伴奏の曲を聴衆にサービスすることが多い。実はこの手の作品は想像以上にたくさん存在していて、われわれが知らなかっただけなのである。たとえばファウストの無伴奏曲集のCDを聴けば、魅力作がたくさん埋もれていたことを痛感させられる。
だが、ある意味それ以上に驚いたのは、三鷹で聴いたブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第2番が肝をつぶすほどロマンティックだったことだ。特に第1楽章。これまでは、無農薬や水にこだわった手打ちそばだった人が、濃厚チョコレートに化けた。実は以前、この人がメンデルスゾーンの協奏曲をロマンティックに弾いているのを聴いて、こういう音楽もやればできるのだなとは思っていたけれど、やればできるレベルではないことは、そもそもブゾーニをその夜のメインに据えたことからもわかる。もう耳にしみついて忘れられないような甘美で豊かであたたかい音色。明らかに以前より表現が鮮烈かつ堂々としていて、余裕しゃくしゃくという感じになってきた。もしかしたら今がピーク? そう前回来日から思っている。
ファウストは一般的な有名曲も当然レパートリーにしているが、それ以外にも貪欲である。とにかく短い周期で幅広い曲目を録音し続けている。バロックから20世紀音楽まで。たとえばブリテンの協奏曲が冷涼なエロティシズムがあって非常に美しい。一般的にはなじみがない曲だが、案外平易で、その分、ヴァイオリニストの技量や表現力がダイレクトにわかる。これをファウストは、まるでシベリウスかというほどロマンティックに弾くのだ。官能的なポルタメント、音程の揺らし、妖しい超高音域。
ところが、テレマンの協奏曲は全然違う。バッハと同じ時代にバッハよりも人気があったテレマンは、しかし今ではバッハの足元にも及ばない存在に堕ちた。私にしても、ときたまその作品を聴いてもつまらないと思うのが常だ。録音や放送がない時代には、ちょうどいいくらいのわかりやすさで書かれているとも。
ところが、ファウストの録音は、本当にこれがテレマンかと疑うほどにおもしろい。彼女がソロを弾くバロックの協奏曲は、私もあちこちでナマを聴いているが、その繊細な響きの交じり合いを聴くためには録音のほうがよいのではないかと思ったことが何度もある。ゆえに、このテレマンは録音で聴いてきわめて愉しい。トラック7,序曲ロ短調の終曲では、まるで「ルパン三世」の石川五右衛門の刀さばきみたいな弾きっぷりに言葉もなし。CDも高くなったけれど、このトラックを聴くためだけにこの盤を買って損はない。それにほとんど80分も入っていますよ。一気には聴き通せません。
2つのヴァイオリンのための組曲も、聴いていてついニヤニヤさせられるおもしろ音楽。詳細は自分の耳で確かめてください。

リゲティやストラヴィンスキーの協奏曲は、近年いろいろな人が弾くようになってきた。前者はコパチンスカヤの18番で、時には野卑なほどの荒々しい、さながら麻の魅力で聴かせてくれるが、ファウストが弾くと、もうちょっと洗練された味で、綿である。これもよいものである。
ストラヴィンスキーは、機械的なところは全然なくて、細やかな音色や表情の変化の連続。芝居のような滑稽味を強く感じさせられる。軽妙さから粘っこさまで、表現の幅が広い。ほぼ独演会。ヴァイオリンが人の声でしゃべっているようだ。すごいものである。時に「ペトルーシュカ」を聴いているような気がしてくる。その一方で、次に入っている「 弦楽四重奏のための3つの小品」は、まるで民族音楽なのだ。短いが鮮烈。
当分、ファウストの新録音はすべて聴き、来日公演も可能な限り通うしかあるまい。
11月にはラトルとバイエルン放送響が来日するそうだが、何とファウストとベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏するそう。マジですか。ラトルとバイエルンのベルクは、今シーズンのミュンヘンでの「ヴォツェック」もすごかった。この作品はいろいろな指揮者でいろいろな場所で聴いて見たけれど、演奏という点では圧倒的だった。この曲、初めて聴く、みたいな斬新な音がした。こんな音が書かれていたの? こんなスコアを書いたベルクは天才すぎると、心底思った。なので、私にとっては秋のラトル来日時の一番の注目はファウストとのヴァイオリン協奏曲。
それまでに世界が平和になっているといいですね。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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