これっていったい何?
2024年06月10日 (月) 12:00 - HMV&BOOKS online - Classical
連載 許光俊の言いたい放題 第313回
生きている人間がいつか死ぬのは仕方がないことである。例外はない。
それにしても、ポリーニ、小澤征爾といった一時代を築いた人たちが死ねば、むろん何かしら思うところはある。女優の山本陽子、演劇の唐十郎、峰不二子の声優だった増山江威子、それにドイツ文学の中島悠爾先生、私がマゾッホの翻訳を出す際にお世話になった編集者。何となくテレビでなじんでいたり、あるいは個人的に会っていたり、仕事をしたり。みな、わずかの期間のうちにこの世から消えていった。
評論家の大事な仕事とは、言葉で墓銘碑を建てることだと私は常々思っている。しかし、死ぬ人が多すぎて、書き始めるときりがないし、私などよりよほど故人を知り愛している人たちがいるはずである。また、ここは思い出ばかり書く場所ではないから控える。
ただ、中島先生についてはちょっとだけ。先生は中世ドイツ文学の専門家で、私が授業を受けていたときには、『ニーベルンゲンの歌』を読んだ記憶がある。私が音楽好きということで選んでくださったのかとも思う。履修していた学生はほかに1人だけ。贅沢な時間だった。
先生はかつてドイツ・オペラの本をお書きになったこともあるくらいその方面に詳しい方だったが、べらべら自慢しない物知りだった。時折、「これを君にあげよう」とコピーをいただいた。マーラー「大地の歌」の歌詞であるハンス・ベトゲの詩集、初版本のコピー。「ボエーム」のもとになった小説の日本語訳コピー(大昔はそんなものまで日本で出版されていたのだ)。いろいろ知ったうえで、安易な断言や大言壮語をしないのだった。そういう慎重さや控えめがまだ美徳だった時代の人だった。私も還暦が近づいた今、また誰も彼もがあまりにも気楽にでたらめな意見を発信するようになった今、それがまぎれもなく「美徳」だったと痛感するのである。
もうほとんど四半世紀前になるが、いきなり分厚い本が送られてきてびっくりした。リヒャルト・シュトラウスとホーフマンスタールの往復書簡集の日本語訳(音楽之友社)。あっと思った。シュトラウスのオペラを語る上では、まぎれもない必読の書である。ではあるのに、邦訳はされていなかった。固有名詞がいっぱい出てくるうえに、当人たちしか知らない状況の中で書かれた手紙の訳は難しいのである。そうか、ひとことも聞いていなかったけど、中島先生はこれをコツコツと訳していたのか。これが先生のライフワーク(のひとつ)だったのか。
改めて開いてみると、本文は上下段で600ページになる。なのに、訳者のあとがきはわずか1ページである。訳者の私的な感慨めいたことなどほとんど書かれていない。なんと奥ゆかしいことよ。

さて、本題である。
演奏を聴いていて、「これっていったい何?」と面食らったと言おうか、肝をつぶしたというか、ほとほと圧倒されたというか、要するに未知のものに叩きのめされたことが何度かある。
たとえば、チェリビダッケの演奏がそうだった。私が彼の演奏を初めて聴いたのは1984年の2月か3月だったはずだ。場所はミュンヘンのドイツ博物館のホール。カーニヴァルの時期ならではの、ワルツ、ポルカ特集。初めてチェリビダッケを聴くのには、必ずしも理想的とは言えないプログラムだった。
あまりにも独特だった。もちろんすごいとしか言えない箇所もあったけれど、違和感も強烈だった。実はそれまでこの指揮者にまったく興味がなくて、この時期にミュンヘンに滞在していたのも、クライバーの「こうもり」のためだった。結局、私が心底チェリビダッケのすごさ、洞察力の深さに瞠目するには、あと7年が必要だった。
そのチェリビダッケがシュトゥットガルト放送響、当時の南ドイツ放送響を指揮したヨハン・シュトラウス集が発売された。
ん? ずいぶん客席ノイズが多いな。
表記を見ると「南ドイツ放送舞踏会」とある。舞踏会と記したが、原語はドイツ語でBallである。たとえばウィーンでは特に謝肉祭のシーズンに多くのBallが催される。もっとも有名なのが、オペラ座舞踏会である。6月だから、夏休み前、シーズン最後のイベントだったのかもしれない。
まさか人々はチェリビダッケのワルツに合わせて踊ったのか? まるで人間の生理を無視したかのような厳格な音楽に合わせて? 驚いて、放送局のプレス窓口に質問を送ったが、まだ返事はない。早いもので、もう40年以上前のイベントである。当時のスタッフはもはや引退しているだろう。
ただし、記録を見ると、いわゆるダンス・オーケストラも同時に出演していたらしい。ええ、そんな楽団といっしょにチェリビダッケはイベントに出演したのか? ちなみに、このイベントは後年にも催され、一時注目された指揮者ジェルメッティも出ていたようである。
クライバーのあまりにも生き生きとした、生命がそのまま燃料となって燃え上がるような演奏に夢中だった若い私にとっては、チェリビダッケの人工的で彫塑的な美は、まだ心底堪能できるものではなかった。ことに同じ曲、たとえば「こうもり」序曲のはじける愉悦に満ちた、ということはつまり、不完全さをも内包するクライバーの演奏を聴いている耳にとっては、チェリビダッケの演奏は、ガラス瓶の中で静止している完璧な標本のような、冷たさと静けさの世界で完結してしまっているように思えた。あるいは、生身の人間のある瞬間を完全に固定化した彫刻のような。あらゆる音が完全に整理整頓されている。だけど、命って、人生って、世界って、整理整頓できるものなの? おそらくまだ十代だった私は今にして思えばそういうことを疑ったようである。
そして、へそ曲がりのチェリビダッケは、人々が浮かれて踊る、きわめて直接的な身体性を伴うワルツを、これでもかと氷結してみせたのだろう。
何が言いたいって? つまり、チェリビダッケのワルツ、ポルカ集は、万人に受け入れられるものではない。だが、これがまったく独特の、ほとんど反音楽的なまでの音楽美を実現していることを理解する者にとっては、感嘆するしかない演奏である。いささかの抵抗感を覚えつつ、圧倒される。
「アンネン・ポルカ」の嫌みなほどきっちりしたリズムと和声。子供の絵日記をアナウンサーがおおまじめに読み上げるような。ま、そりゃ、確かにそういう音符が書かれているのですけどね・・・。
最弱音から始まり、場違いなまでに壮大な「皇帝円舞曲」。でも、背景では食器の音も聞こえるような・・・。客はグラスを手にして立って聴いたのだろうか。とはいえ、あちこちで異様な美しさが感じられる。冷たい官能美である。死の気配がするコーダには、甘さはない。シューベルトの「未完成」さながら。おそらく会場では、このすごさを理解できる一部の人たちだけが感涙にむせんだことだろう。
「こうもり」は、今聴くと、整理整頓のはてににじみ出るユーモアが強烈だ。いいかげんに弾き飛ばさないから生まれる滑稽味。すごくまじめな人がおおまじめにおかしなことを言っている感じ。
「ピチカート・ポルカ」。私がミュンヘンで聴いたときに、若いコンサートマスターがタイミングが取れず弾き始められないのをチェリビダッケがおもしろそうに見ていたのが記憶に残っている。
「南国のばら」は、リヒャルト・シュトラウスみたいなゴージャス感。序奏が終わってワルツになると人々がざわめくのは何だろう。まさか踊り出したのか? そして明らかに聞こえるグラスの音。
いくら何でもチェリビダッケがウィーンの演奏様式を知らなかったわけがない。知ったうえでの確信犯。
今や必聴だの必読だのという言葉も死語になり果てたが、クラシックの愛好家を自認するならは、好きでも嫌いでもこの演奏くらいは聴いておくべきだろうと思う。

ヘンゲルブロックが「カヴァレリア・ルスティカーナ」を演奏するという情報を見たときには、目を疑った。バロックから徐々にレパートリーを広げてきた彼が、しかしあまりにも直接的な感情表現を特徴とするヴェリズモ・オペラを?
けれど、直情的な表現という点では、実はマスカーニもバロック音楽も変わりはないのである。聴いてみて、それがわかった。
ヘンゲルブロックは、古楽で名声を高め、やがてモダン・オーケストラまで仕事を広げたが、残念ながら、必ずしもうまくいったとは言えないようである。やはり古楽畑の人は、なじみのメンバーと手作りするかのような音楽活動がよい。それはアーノンクールも、クリスティも、ヘレヴェッヘも、ミンコフスキも、そしてヘンゲルブロックも変わるところがない。
「カヴァレリア」がこれほど合唱を多く含んでいることの意味をわからせ、かつその音楽がこうも美しく聞こえる録音は、ほかにあるまい。あまりにも透き通っていて、それゆえに切実さが増す。ヘンゲルブロックとバルタザール・ノイマン・アンサンブルは、いつも12月にクリスマス曲集のプログラムでドイツ中を回る。どこも満員である。クリスマスの歌と言っても、知らないような曲ばかりが極上の合唱で聴けるから。そんなことを思い出させる。
ヴィブラート極少で奏されるオーケストラも、耳がぞわぞわする。ヴィブラートを減らすと、音程やハーモニーが明瞭になる。そういう弦楽合奏の、あるいはコントラバスのような各パートの効果的な響き。それ以外にも実に細かく調整されたアクセントや抑揚。確かに既存の大オーケストラを指揮棒だけで2,3日の練習でまとめあげるのは、ほぼ不可能だろう。
オケや合唱が明晰をきわめるから、異なる音色で入り込んでくるオルガンも映える。まもなく導き出される洗練され切った、だが素朴な感情を保った合唱。さらにそこにかぶさってくる激情がみなぎったソプラノ。
想像するに、マスカーニはここまで緻密な音響設計をしていたわけではあるまい。これこそが演奏家による再創造なのである。そして、こうして演奏されてみると、前回ここで記したムーティの「アイーダ」にも恐ろしく似てくるのである。
合唱が敬虔と静謐をきわめるからこそ、恐ろしく鮮やかに浮かび上がる個々人の愛憎、愚かさ、悲劇。ユニークな、かつ見事に的を射た演奏だ。

もうひとつ、最新の「これは何?」。ピション指揮のモンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」。
CDが鳴り出したとたんにぎょっとした。極彩色とはまさにこのこと。ピションの演奏が恐ろしく鮮烈な響きを持っていることは、ナマで聴けば誰でも一発でわかることだが、それを録音でもわからせる目下最高の逸品。
今やバロック名曲の定番としてほとんどあらゆる指揮者が手掛けるこの作品が、かつてない姿で鳴っている。ヘンゲルブロックの合唱団もすごいが、こちらもすさまじい。ヨーロッパの今のバロックの合唱は、こういうこと、やっているんですよ。問答無用に圧倒される美しさであり、力ですよ。透明感、清涼感があるのに官能的、繊細なニュアンスでに富み、単にハーモニーがきれいなだけじゃない。単に溶け合ってきれいというのではなくて、恐ろしく細やかなニュアンスがある。
たとえば2枚目の最初のトラック、まるでサン・マルコ広場のざわめきのような合唱のさえずりが、一転して塊のような荘厳な響きに姿を変える。そういう鳥肌ものの音楽表現があちこちにある。ヘンゲルブロックのほうが北方的な宗教性があるのに対して、こちらはもっとやさしげ。で、こういう合唱と楽器は、音色や感覚がぴたりと一致。考えてみたら当たり前だ、いっしょにひとつの曲をやっているのだもの。
そしてトラック16,ついに黄金の響きが溢れ出る。いのしえの人々は、こういう音を聴いて、神を見たと思ったに違いない。
宗教的恍惚まで追体験させる録音など、そうそうあるものではない。ピションは今年40歳、真に恐るべき才能である。
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生きている人間がいつか死ぬのは仕方がないことである。例外はない。
それにしても、ポリーニ、小澤征爾といった一時代を築いた人たちが死ねば、むろん何かしら思うところはある。女優の山本陽子、演劇の唐十郎、峰不二子の声優だった増山江威子、それにドイツ文学の中島悠爾先生、私がマゾッホの翻訳を出す際にお世話になった編集者。何となくテレビでなじんでいたり、あるいは個人的に会っていたり、仕事をしたり。みな、わずかの期間のうちにこの世から消えていった。
評論家の大事な仕事とは、言葉で墓銘碑を建てることだと私は常々思っている。しかし、死ぬ人が多すぎて、書き始めるときりがないし、私などよりよほど故人を知り愛している人たちがいるはずである。また、ここは思い出ばかり書く場所ではないから控える。
ただ、中島先生についてはちょっとだけ。先生は中世ドイツ文学の専門家で、私が授業を受けていたときには、『ニーベルンゲンの歌』を読んだ記憶がある。私が音楽好きということで選んでくださったのかとも思う。履修していた学生はほかに1人だけ。贅沢な時間だった。
先生はかつてドイツ・オペラの本をお書きになったこともあるくらいその方面に詳しい方だったが、べらべら自慢しない物知りだった。時折、「これを君にあげよう」とコピーをいただいた。マーラー「大地の歌」の歌詞であるハンス・ベトゲの詩集、初版本のコピー。「ボエーム」のもとになった小説の日本語訳コピー(大昔はそんなものまで日本で出版されていたのだ)。いろいろ知ったうえで、安易な断言や大言壮語をしないのだった。そういう慎重さや控えめがまだ美徳だった時代の人だった。私も還暦が近づいた今、また誰も彼もがあまりにも気楽にでたらめな意見を発信するようになった今、それがまぎれもなく「美徳」だったと痛感するのである。
もうほとんど四半世紀前になるが、いきなり分厚い本が送られてきてびっくりした。リヒャルト・シュトラウスとホーフマンスタールの往復書簡集の日本語訳(音楽之友社)。あっと思った。シュトラウスのオペラを語る上では、まぎれもない必読の書である。ではあるのに、邦訳はされていなかった。固有名詞がいっぱい出てくるうえに、当人たちしか知らない状況の中で書かれた手紙の訳は難しいのである。そうか、ひとことも聞いていなかったけど、中島先生はこれをコツコツと訳していたのか。これが先生のライフワーク(のひとつ)だったのか。
改めて開いてみると、本文は上下段で600ページになる。なのに、訳者のあとがきはわずか1ページである。訳者の私的な感慨めいたことなどほとんど書かれていない。なんと奥ゆかしいことよ。

さて、本題である。
演奏を聴いていて、「これっていったい何?」と面食らったと言おうか、肝をつぶしたというか、ほとほと圧倒されたというか、要するに未知のものに叩きのめされたことが何度かある。
たとえば、チェリビダッケの演奏がそうだった。私が彼の演奏を初めて聴いたのは1984年の2月か3月だったはずだ。場所はミュンヘンのドイツ博物館のホール。カーニヴァルの時期ならではの、ワルツ、ポルカ特集。初めてチェリビダッケを聴くのには、必ずしも理想的とは言えないプログラムだった。
あまりにも独特だった。もちろんすごいとしか言えない箇所もあったけれど、違和感も強烈だった。実はそれまでこの指揮者にまったく興味がなくて、この時期にミュンヘンに滞在していたのも、クライバーの「こうもり」のためだった。結局、私が心底チェリビダッケのすごさ、洞察力の深さに瞠目するには、あと7年が必要だった。
そのチェリビダッケがシュトゥットガルト放送響、当時の南ドイツ放送響を指揮したヨハン・シュトラウス集が発売された。
ん? ずいぶん客席ノイズが多いな。
表記を見ると「南ドイツ放送舞踏会」とある。舞踏会と記したが、原語はドイツ語でBallである。たとえばウィーンでは特に謝肉祭のシーズンに多くのBallが催される。もっとも有名なのが、オペラ座舞踏会である。6月だから、夏休み前、シーズン最後のイベントだったのかもしれない。
まさか人々はチェリビダッケのワルツに合わせて踊ったのか? まるで人間の生理を無視したかのような厳格な音楽に合わせて? 驚いて、放送局のプレス窓口に質問を送ったが、まだ返事はない。早いもので、もう40年以上前のイベントである。当時のスタッフはもはや引退しているだろう。
ただし、記録を見ると、いわゆるダンス・オーケストラも同時に出演していたらしい。ええ、そんな楽団といっしょにチェリビダッケはイベントに出演したのか? ちなみに、このイベントは後年にも催され、一時注目された指揮者ジェルメッティも出ていたようである。
クライバーのあまりにも生き生きとした、生命がそのまま燃料となって燃え上がるような演奏に夢中だった若い私にとっては、チェリビダッケの人工的で彫塑的な美は、まだ心底堪能できるものではなかった。ことに同じ曲、たとえば「こうもり」序曲のはじける愉悦に満ちた、ということはつまり、不完全さをも内包するクライバーの演奏を聴いている耳にとっては、チェリビダッケの演奏は、ガラス瓶の中で静止している完璧な標本のような、冷たさと静けさの世界で完結してしまっているように思えた。あるいは、生身の人間のある瞬間を完全に固定化した彫刻のような。あらゆる音が完全に整理整頓されている。だけど、命って、人生って、世界って、整理整頓できるものなの? おそらくまだ十代だった私は今にして思えばそういうことを疑ったようである。
そして、へそ曲がりのチェリビダッケは、人々が浮かれて踊る、きわめて直接的な身体性を伴うワルツを、これでもかと氷結してみせたのだろう。
何が言いたいって? つまり、チェリビダッケのワルツ、ポルカ集は、万人に受け入れられるものではない。だが、これがまったく独特の、ほとんど反音楽的なまでの音楽美を実現していることを理解する者にとっては、感嘆するしかない演奏である。いささかの抵抗感を覚えつつ、圧倒される。
「アンネン・ポルカ」の嫌みなほどきっちりしたリズムと和声。子供の絵日記をアナウンサーがおおまじめに読み上げるような。ま、そりゃ、確かにそういう音符が書かれているのですけどね・・・。
最弱音から始まり、場違いなまでに壮大な「皇帝円舞曲」。でも、背景では食器の音も聞こえるような・・・。客はグラスを手にして立って聴いたのだろうか。とはいえ、あちこちで異様な美しさが感じられる。冷たい官能美である。死の気配がするコーダには、甘さはない。シューベルトの「未完成」さながら。おそらく会場では、このすごさを理解できる一部の人たちだけが感涙にむせんだことだろう。
「こうもり」は、今聴くと、整理整頓のはてににじみ出るユーモアが強烈だ。いいかげんに弾き飛ばさないから生まれる滑稽味。すごくまじめな人がおおまじめにおかしなことを言っている感じ。
「ピチカート・ポルカ」。私がミュンヘンで聴いたときに、若いコンサートマスターがタイミングが取れず弾き始められないのをチェリビダッケがおもしろそうに見ていたのが記憶に残っている。
「南国のばら」は、リヒャルト・シュトラウスみたいなゴージャス感。序奏が終わってワルツになると人々がざわめくのは何だろう。まさか踊り出したのか? そして明らかに聞こえるグラスの音。
いくら何でもチェリビダッケがウィーンの演奏様式を知らなかったわけがない。知ったうえでの確信犯。
今や必聴だの必読だのという言葉も死語になり果てたが、クラシックの愛好家を自認するならは、好きでも嫌いでもこの演奏くらいは聴いておくべきだろうと思う。

ヘンゲルブロックが「カヴァレリア・ルスティカーナ」を演奏するという情報を見たときには、目を疑った。バロックから徐々にレパートリーを広げてきた彼が、しかしあまりにも直接的な感情表現を特徴とするヴェリズモ・オペラを?
けれど、直情的な表現という点では、実はマスカーニもバロック音楽も変わりはないのである。聴いてみて、それがわかった。
ヘンゲルブロックは、古楽で名声を高め、やがてモダン・オーケストラまで仕事を広げたが、残念ながら、必ずしもうまくいったとは言えないようである。やはり古楽畑の人は、なじみのメンバーと手作りするかのような音楽活動がよい。それはアーノンクールも、クリスティも、ヘレヴェッヘも、ミンコフスキも、そしてヘンゲルブロックも変わるところがない。
「カヴァレリア」がこれほど合唱を多く含んでいることの意味をわからせ、かつその音楽がこうも美しく聞こえる録音は、ほかにあるまい。あまりにも透き通っていて、それゆえに切実さが増す。ヘンゲルブロックとバルタザール・ノイマン・アンサンブルは、いつも12月にクリスマス曲集のプログラムでドイツ中を回る。どこも満員である。クリスマスの歌と言っても、知らないような曲ばかりが極上の合唱で聴けるから。そんなことを思い出させる。
ヴィブラート極少で奏されるオーケストラも、耳がぞわぞわする。ヴィブラートを減らすと、音程やハーモニーが明瞭になる。そういう弦楽合奏の、あるいはコントラバスのような各パートの効果的な響き。それ以外にも実に細かく調整されたアクセントや抑揚。確かに既存の大オーケストラを指揮棒だけで2,3日の練習でまとめあげるのは、ほぼ不可能だろう。
オケや合唱が明晰をきわめるから、異なる音色で入り込んでくるオルガンも映える。まもなく導き出される洗練され切った、だが素朴な感情を保った合唱。さらにそこにかぶさってくる激情がみなぎったソプラノ。
想像するに、マスカーニはここまで緻密な音響設計をしていたわけではあるまい。これこそが演奏家による再創造なのである。そして、こうして演奏されてみると、前回ここで記したムーティの「アイーダ」にも恐ろしく似てくるのである。
合唱が敬虔と静謐をきわめるからこそ、恐ろしく鮮やかに浮かび上がる個々人の愛憎、愚かさ、悲劇。ユニークな、かつ見事に的を射た演奏だ。

もうひとつ、最新の「これは何?」。ピション指揮のモンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」。
CDが鳴り出したとたんにぎょっとした。極彩色とはまさにこのこと。ピションの演奏が恐ろしく鮮烈な響きを持っていることは、ナマで聴けば誰でも一発でわかることだが、それを録音でもわからせる目下最高の逸品。
今やバロック名曲の定番としてほとんどあらゆる指揮者が手掛けるこの作品が、かつてない姿で鳴っている。ヘンゲルブロックの合唱団もすごいが、こちらもすさまじい。ヨーロッパの今のバロックの合唱は、こういうこと、やっているんですよ。問答無用に圧倒される美しさであり、力ですよ。透明感、清涼感があるのに官能的、繊細なニュアンスでに富み、単にハーモニーがきれいなだけじゃない。単に溶け合ってきれいというのではなくて、恐ろしく細やかなニュアンスがある。
たとえば2枚目の最初のトラック、まるでサン・マルコ広場のざわめきのような合唱のさえずりが、一転して塊のような荘厳な響きに姿を変える。そういう鳥肌ものの音楽表現があちこちにある。ヘンゲルブロックのほうが北方的な宗教性があるのに対して、こちらはもっとやさしげ。で、こういう合唱と楽器は、音色や感覚がぴたりと一致。考えてみたら当たり前だ、いっしょにひとつの曲をやっているのだもの。
そしてトラック16,ついに黄金の響きが溢れ出る。いのしえの人々は、こういう音を聴いて、神を見たと思ったに違いない。
宗教的恍惚まで追体験させる録音など、そうそうあるものではない。ピションは今年40歳、真に恐るべき才能である。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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