西村賢太とマーラー

2019年06月10日 (月) 14:00 - HMV&BOOKS online - Classical

連載 許光俊の言いたい放題 第270回


 私が愛読する現代日本の小説家で、西村賢太という人物がいる。芥川賞受賞の際に話題にもなったので、憶えておられる読者もいよう。
 そもそもこの特異で反時代的な作家の存在を教えてくれたのは、あるレコード会社の博識で鳴る社員の方。ふだん現代文学をあまり読まない私も、彼が勧めるならばと読んでみて一驚、当時発表されていた作品をほとんど全部読み漁った。その後も私の中では数年に一度西村賢太ブームが起き、まだ持っていないものをまとめて買いこんでは立て続けに読んでしまう。一冊読み終えると、また次のが読みたくなる、不思議な麻薬的魅力があるのだ。
 ひとことで言えば彼は私小説作家である。自分が経験したことを微細、精妙に描く。他人のことなどに興味はない。自分の内面を見つめれば、書くことはいくらでもある。それだけの不幸や負の気持ちを抱え込んでいるのだ。
 たとえば彼の生い立ち。西村はごく普通の家庭で生まれ育ったが、ある事件を境に人生が一変した。父親が犯罪事件を起こしたのだ。家族は崩壊。やがて母、姉と別れて一人暮らしを始めた。高校にも行かなかった。自分はいまどき中卒なのだとは西村が経歴において必ず強調する点だ。
 怠惰ゆえにアルバイトをきちんと続けることもできず、家賃も平気で踏み倒す若き西村には、ガールフレンドもできなかった。ようやくのこと実現した女との同棲生活は、彼の暴力が原因でじきに終わってしまう。
 だが、西村は馬鹿で鈍感で非社交的な人間ではない。作品を読めば、彼が頭もよければ繊細でひとづきあいの感覚もあることがわかる。いや、普通の人間よりよほど頭が回り、傷つきやすいほど敏感だからこそ、孤独にならざるを得ないのだ。ほんのわずか、まさしくボタン1個の掛け違いゆえに、彼は社会から孤立するしかないのだ。
 そんな彼が生きることができるのも、敬慕する作家がいればこそ。藤澤清造だ。戦前のマイナーな作家で、この人の全集を出すまでは死ねないと西村は言うのである。その藤澤の最期は悲惨だった。困窮の果て、ある冬の朝、都内の芝公園で凍死しているのを発見されたという。西村は、そうか、いよいよということになれば、自分も芝公園に行けばよいのだと記しているが、私はそれを読んだとき異様な感銘を受けた。
 西村の特に最近の作品では、滑稽味が増したようで、悲劇的であるとともに滑稽でもあるというまるでマーラーの音楽のような味わいが感じられる。
 マーラー? そういえば、マーラーも私小説的な作家だと私は常々思ってきた。もちろんどんな作曲家であれ、生活やら心理やらが作品におのずと映り込んでしまうことは避けられまい。マーラーの場合は特にそれがはなはだしいのではないか。
 だが、西村作品を読みながらふと思ったのだ。生き恥をさらすような西村文学に比べれば、マーラーはいかにも贅沢で、ゴージャスなのではないかと。私たちは、教えられてきた。マーラーはユダヤ人で、故郷喪失者で、妻に浮気され、ウィーンのオペラハウスで大げんかし、作品は理解されず、50歳で死んでしまったと。それは嘘ではない。マーラーの苦悩がインチキだったということはない。が、マーラーは誰よりも才能に恵まれ、精力的で、ウィーンのトップに上りつめ、名士になり、要するに社会的には成功者だったのだ。
 日雇い仕事でわずかばかりの金を稼ぎ、不潔な三畳間で、古本屋で手に入れた文庫本を読み返していた西村少年の悲惨とは比べられまい。もっとも、その西村少年も今では小説家として名も知られ、世に認知されているわけだけれども。

 こんなことを書いているときりがないので、このへんにしておくが、このところ聴いていて嬉しくなるようなマーラーのCDがいくつかあった。
 まずはシノーポリがドレスデンのオーケストラを指揮した交響曲第4番と第9番。マーラーを得意とする楽団というと、ベルリンやウィーンなどが連想され、シュターツカペレの名が挙がることはあまりないと思うのだが、いや、このオーケストラ、実はマーラーがすばらしいのである。この何年かチョン・ミュンフンが振った何曲かを現地で聴いて、毎回私は舌を巻いていた。
 さて、この第4番。簡単に言うと、重厚で、立派で、品格がある。第1楽章の弦のフレージングの端正なこと、リズムの明快なこと、いかにもこの楽団らしい。響きは常に堂々としていて、線が太い。
 そして、マーラーはオペラハウスで活躍した人だけに、彼の作品には劇場的感性が随所に見られる。第2楽章でちょっと転調したときの陰影、天上的な晴れやかさが交錯し、緊張感が高まる・・・そんな箇所が実にいい。まさしく音によるドラマだ。細部がよくわかる録音なので各楽器の様子が伝わる。
 ゆっくりした第3楽章は、甘美でありながらまったく軟弱でない。指揮者の棒が遅くなったときの追従の仕方も見事。12分あたりからいよいよカタストロフに到達するところの巨大さは異様。星雲の渦巻に呑み込まれるようだ。
 そして、その後の平安への回帰にもしびれる。この楽章の最後、20分あたりでは、ほんとに音が雲か霧のようになってまわりに広がっていくようだ。光が放射されていくと言ってもいい。私は生演奏が好きなので、録音を聴いていると、どうしても生を想像してしまうのだけれど、これはこのままで会場で聴いているがごとき臨場感を堪能した。なぜ、どうして? ただの音質の問題だけではない何かがあるのだろう。
 そして、この楽章からフィナーレへの続き方もいい。最弱音から沈黙。ゆっくりと流れはじめる天上の歌。ただ、この女声、いかなるわけか、残響が変に長い。いったいどうしたんでしょう。
 フィナーレは緩急のコントラストが激しい。それだけに、何か謎を残すような、暗みを帯びた終わりと感じられる。

 交響曲第9番は、聴きだしてすぐ、あ、昔のワルターとウィーン・フィルの演奏みたいな音がすると思った。戦前、1930年代のライヴ録音だ。厚みがある、響きの上に響きを載せていくような重量感。うねるようなダイナミックさ。息の長い歌。昔っぽい退廃の味わひ。
 第1楽章はゆっくりめでじっくり。よりシノーポリらしいのは第2楽章である。自由自在にルバートして、音楽の流れを歪ませる。意外な箇所で起きると、思わずずっこけそうになる。グロテスクな巨人の踊り。
 フィナーレはもちろん豊饒きわまりない弦楽合奏。そして、こくのあるドイツのホルンの朗々たる歌。まさにロマンティック。壮麗な悲しみの音の大伽藍。これは確かに西村賢太とは違う。違うが、どちらが上下という問題でもない。
 このあと、シノーポリの作品も3つ収録されている。ドレスデンのオーケストラが弾くと、何やら甘くて官能的な世紀末の匂いがしてくるようだ。

 もういい加減長くなってしまった。ロトのマーラーについてはまた次回。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
シノーポリ
シュターツカペレ・ドレスデン
西村賢太
Symphony No.4 : Giuseppe Sinopoli / Staatskapelle Dresden, Juliane Banse(S)

CDImport

Symphony No.4 : Giuseppe Sinopoli / Staatskapelle Dresden, Juliane Banse(S)

Mahler (1860-1911)

(4)

Price (tax incl.): ¥4,180

Member Price (tax incl.): ¥3,637

Multi Buy Price (tax incl.): ¥3,260

Release Date: 27 Apr 2019

Mahler Symphony No.9, Sinopoli : Giuseppe Sinopoli / Staatskapelle Dresden (2CD)

CDImport

Mahler Symphony No.9, Sinopoli : Giuseppe Sinopoli / Staatskapelle Dresden (2CD)

Mahler (1860-1911)

(1)

Price (tax incl.): ¥4,510

Member Price (tax incl.): ¥3,924

Multi Buy Price (tax incl.): ¥3,563

Release Date: 27 Apr 2019

Sym 4:Sinopoli/Skd Banse(S)

Vinyl

Sym 4:Sinopoli/Skd Banse(S)

Mahler (1860-1911)

(4)

Price (tax incl.): ¥15,400

Release Date: 27 Apr 2019

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Sym 9 :Sinopoli/Skd

Vinyl

Sym 9 :Sinopoli/Skd

Mahler (1860-1911)

Price (tax incl.): ¥15,400

Release Date: 27 Apr 2019

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