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究極の「トスカ」

Tuesday, April 17th 2018

連載 許光俊の言いたい放題 第260回


 ここ何年か、春にはバーデン・バーデンの音楽祭やそれに続くベルリンでの演奏会形式上演で、ラトルとベルリン・フィルのオペラを楽しんできた。今年の演目は「パルジファル」。何せラトルがこの楽団を率いるのも今期限りだもの、実質1日半の滞在でベルリンに行ってきた。すばらしく水準が高い演奏だった。でも、まったく聖性を感じさせないのが、ラトルらしく、またベルリン・フィルらしかった。一番おもしろかったのは、第2幕のクンドリーとクリングゾールのやりとりかもしれない。まるで「ラインの黄金」か、いっそ「トスカ」みたい。俗っぽい欲望と悪意のぶつかりあい。
 そう「トスカ」。昨春、ラトルとベルリン・フィルが上演したのは「トスカ」だった。しかし、わざわざベルリン・フィルで「トスカ」をやらなくても・・・というのが、大方の意見ではないか。もちろん、演奏家はやりたいのだろうし、仕事の水準も高いだろうが、いささか見当はずれの方向へ行ってしまうのではないか。たとえば、オーケストラがぶあつすぎるとか。リズムが硬くて野暮だとか。わざとらしいとか。知っている人ほど、あれこれ推測してしまうだろう。そういえば、かつてカラヤンがベルリン・フィルと録音した「トスカ」があった。あれも高水準なのだけれど、イタリア・オペラ的な美や快楽とは程遠かった。カラヤン、ほんとにミラノで活躍していたんですか。イタリア人、こういう演奏でよかったんですか。そう思ってしまうほどにだ。
 ところが、ラトルとベルリン・フィルの「トスカ」はとんでもなくすごい演奏だったのだ。2時間弱、決して長くない作品だけれど、文字通りあっという間に終わってしまった。彼らの演奏はいろいろ聴いてきたが、その中でも特に圧倒的なもののひとつだった。ぐうの音も出ないというやつだ。
 どこがどうすごかったか。いやはや、それを言うのが簡単でないのである。とにかくオーケストラの能力が異常なまでに発揮され、耳のごちそうが次から次へとやってくるのを味わうので精一杯だったのだ。いちいち言語化していられないのである。いくらベルリン・フィルが超絶的な能力を持つオーケストラとて、これほどまでにそれがプラス方向で発揮されることはまれである。技術が上滑りしない。暴走しない。力があるほど、その力は賢く使わなければいけない。それは、人間も、車も、音楽も同じことである。が、賢く使ったときにはどういう結果が出るか。たいへんなものですよ。
 最近出たブルーレイディスクをさっそく見て、聴いて、そのすごさが伝わってくるのにすっかり嬉しくなってしまった。正直な話、演出はどうでもよい。現代のオペラハウスでよくある、大筋はオリジナルだが、見た目を今風、スタイリッシュにした舞台だ(なぜかスカルピアとその手下たちが、まるでカンブルランみたいなかっこうをしているのが可笑しい。彼はバーデン・バーデンやすぐそばのシュトゥットガルトあたりでよく仕事をしているのだが、演出家は何か含むところがあるのだろうか?)。
 ひとことで言えば、まるで交響詩のようなオーケストラ演奏だ。異様に緻密で精妙。「トスカ」は、一般大衆向けのおおげさで安っぽい作品だと思っていると、いや、思ってなくても、ショックを受ける。印象派だったり、現代音楽を予感させたり・・・。こんな音楽が、チャイコフスキーが死んで何年もしないうちに作られていたのだ。
 プッチーニは、イタリアのマーラーである。私はある時からそう理解してきた。時として通俗的とも受け取られる感傷性と劇性とオーバーアクション。愛と憎しみ、聖と俗など異なる要素の同時的な併存。19世紀風ロマン主義とモダニズムの混在。だから実は、マーラーで大成功しているラトルとベルリン・フィルがプッチーニで大成功しても全然おかしくはないのだ。ついでに言うと、シュトラウス、シェーンベルクら、そのあたりの時代の作曲家たちみんなひっくるめて、射程に入ってくる。さらには、死に至るトスカとカヴァラドッシの二重唱からは、「トリスタン」のほのかな気配が感じられる。「悲愴」のような瞬間もある。ああ、これが19世紀から20世紀にかけてというものか。まるで音楽史をおさらいしているような・・・・。
 この恐ろしく美的な情報量が多い「トスカ」のオーケストラ演奏を知ってしまうと、ちょっと後戻りはできない。たとえば、ムーティとスカラのDVDは、十分すぐれている。スカラらしい甘美で劇的なオーケストラは、まず文句ない。弦楽器のあたたかみやしみじみ感、やわらかな伸縮は、実に見事なものだ。しかし、ラトルとベルリンを聴くと、それとは違ったルートで山頂を極める方法があったことに気づかされる。
 それにしても「トスカ」は、不思議な作品だ。このうえなく悲惨で、許しがたい物語である。なのに、見ていて、聴いていて、無性に楽しい。そもそもオペラは、あるいは悲劇は、悲しく理不尽なものを娯楽にしてしまうものではある。が、「トスカ」は特にそうなのだ。
 例を挙げるときりがないが、第1幕最後のほう、「神様は私を許してくださいます」とトスカが叫び、その嘆き悲しむ姿を見ながらスカルピアが情欲をよけいに募らせるところ。すごいぞ、これこそが音楽の表現力というものだ。
 第2幕、手下の報告をスカルピアが聴いている背景で暗くうごめく管弦楽。スカルピアを馬鹿にしきったカヴァラドッシ、その背後で流れる敬虔な宗教音楽の鮮烈な対比。そういう立体感がある書かれ方をしているところがまことに美しい。
 そのあとトスカが現れ、カヴァラドッシが拷問室へと連れていかれるところ。オーケストラはどれほど残虐なシーンでも、圧倒的に洗練されている。音色や響きの恐るべき雄弁さ、美しさ。わざわざ書かなくてもいいことだが、ところどころで、歌手たちの歌も演技もオーケストラに負けてしまっている。でも、仕方がない、こんな演奏をされたのでは。
 第3幕の冒頭、ここは先ほど触れたムーティとスカラのDVDが猛烈にきれいな箇所だ。まさにさわやかな朝の匂いがするようなのだ。そして、「星は光りぬ」の旋律が出てくるところのぞっとするような暗さ。さらには、アリアが終わっても、拍手に構わず先へ進むことで途切れない緊張感。そう、これでなくちゃ。さすがのラトルとベルリンも、ここの自然さでは一歩譲る。しかし、カヴァラドッシが牢番に指輪を与える場面での室内楽風音楽の異様なまでの濃厚さなど、これはこれで圧倒される。「星は光りぬ」は(悪い意味ではなく)クラリネット協奏曲のようだ。
 私は、すでに何度も書いたことだけれども、映像でオペラやオーケストラを鑑賞するのは本来好きではない。目から入ってくる情報と、耳から入ってくる情報が一致しないからだ。だが、これに関しては、ほとんど不快感を覚えなかった。すぐれた演奏が明快な音質で聞こえてくれば、目の情報は適当に処理ないし無視されるようである。
 ラトルはかつてよりも自由にテンポを伸縮させている。オーケストラがそれにぴったりついてくる。それを聴く何たる快楽。絶後かどうかはわからないが、空前の「トスカ」である。こんなにオーケストラが楽しい、おもしろい「トスカ」はほかにない。「トスカ」をすでに知っている人こそぜひ聴いてください。もしかしたら、「こんなのはアンドロイドみたいだ」と言うかもしれない。人間以上に人間らしく作られたアンドロイド。だが、だとしても究極のアンドロイドに違いない。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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