「冬はブルックナー」

Monday, December 6th 2010

連載　許光俊の言いたい放題　第187回

「冬はブルックナー」

　ある日、郵便受けをのぞくと、指揮者＆音楽評論家の金子建志氏から分厚い封筒が来ていた。はて？　会社名ならともかく、個人名で送られてくる郵便は、最近政治家の宣伝が多い。まさか、金子氏もどこかで立候補するのか？　それとも誰かの応援か？
　違った。１２月に開かれる自身のコンサートの案内だった。しかし、ただの案内にしては量が多すぎる。京都でブルックナーの交響曲第８番を指揮するが、その際に第１稿を用いることなどが縷々記されていたのだ。
　ブルックナーは、第１稿でもって第８交響曲を完成させたつもりになっていた。金子氏は、たとえ現在一般的になっている第２稿が存在しなかったとしても、この第１稿によって傑作とされたに違いないと断言する。そして、第１稿はたとえばエリアフ・インバルの実演や録音によって知られてはいるけれど、本当に深い解釈を極めた人はいないと言い、解釈のポイントをいろいろ挙げている。たとえばインバルの録音と自分の演奏では、おそらく自分のほうが全体で１３分ほど遅くなるだろうとも予想している。特にフィナーレでは約５分の違いが出るとも。堂々たる大演奏になるのか？

　思い起こせば、インバルのテルデック録音が登場して日本でも大きな話題になり、以後これも含めて版問題がさかんに言われるようになったのが、１９８０年代から９０年代にかけてだった。その動きは、本場であるオーストリアやドイツよりも先に行っていた。そうした趨勢のまんなかにいたのが金子氏であり今度の公演は、金子氏のブルックナー観の集大成とも言えるものなのかもしれない。熱意がこもった案内を読んで、そう思わされた。何しろ京都で行われるコンサートである。それなのにあえて東京近辺の人々に知らせるとは、よほどのことに違いあるまい。
　オーケストラは京都フィロムジカ管弦楽団というアマチュア団体だが、これまでマーラーの交響曲第１番（なんとハンブルク稿！）など、数々のマニアックな曲を演奏してきたという。１２月１２日午後２時、京都コンサートホール、関西在住のブルックナー・ファンは必聴だろう。

　実は私は、公共交通手段に乗るときのために（と、わざわざ書くのは、住んでいるのがバスもろくに通らぬ僻地なので、ふだんの足は車なのだ）、デジタル・ウォークマンを持っている。その中に常に入れてあるのが、インバル指揮フランクフルト放送響の第３、４，８番初稿なのである。なるほど、ブルックナーの作品が改稿されるたびにすっきりしたものになっていったことは事実としても、ブルックナーの本当の個性は初稿のほうにより鮮やかに表現されているのではないかと思われてならないのだ。
　最近は、ブルックナーの交響曲を通常とは異なる版で演奏する指揮者がポツポツ増えてきた。特にケント・ナガノ、シモーヌ・ヤングというミュンヘンとハンブルク、ドイツの南北の大都市の看板とも言える指揮者たちが積極的なのは、隔世の感がある。
　ことにナガノはいい指揮者だが、時間の問題でミュンヘンを去るのが惜しまれる。好景気のころだったら、彼とバイエルン州立歌劇場管弦楽団のブルックナー・チクルスなどが日本の招聘会社によって企画されただろうに。

　ブルックナーと言えば、ＣＤで発売されて絶賛されたヴァント指揮ミュンヘン・フィルのライヴ録音が、なんとＬＰ化される。なぜわざわざ時代に逆行するようなＬＰ化なのか？　そちらのほうが音がいいと考える人たちがいるからだ。本当のところどちらがいいかは、私もまだそのテスト盤を聴いていないので、わからない。それに、再生側の問題もある。ただ、私は昔から、ＬＰにはＣＤにないよさがあるとは考えていた。だから、今回のＬＰ化も大いに期待しており、何しろそのために新たなプレーヤーを買おうとまで思っているのだ。
　１１月３０日までに要予約ということだし、よほどこだわりのある人向けの製品だろうが、すでに聴いた人は大絶賛していた。この冬のひそかな楽しみである。

（きょみつとし　音楽評論家、慶応大学教授）　

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