ジョージア州アトランタで、ラッパー兼ヴォーカリストのスピーチを中心に、楽器からダンスまでこなすラサ・ドン、ダンサー兼ヴォーカルのイーシー、スピリチュアル・アドヴァイザーのババ・オジェ等6人で結成されたA.D.は、ギャングスタ・ラップが猛威を振るっていた当時のシーンで、生楽器を多用したスムースなサウンドと根源的でポジティヴな歌詞が”オルタナティヴ・ヒップホップ”としてメディアに大きく取り上げられた。’92年4月、その衝撃的なデビュー・アルバム「3 Years 5 Months And 2In The Life Of...(テネシー〜遠い記憶)」(その意味はA.D.が結成してからレコード会社と契約を交わす日までに費やした日数らしい)から、後にソロ・デビューを果たすディオンヌ・ファリスをフィーチャーした1stシングル「Tennessee」がR&BチャートでいきなりNo.1を獲得(ポップ・チャート最高6位)、続く2ndシングル「People Everyday」も同2位というビッグ・ヒットとなり、アルバムも全世界で700万枚以上のセールスを記録するという、ヒップホップ史上類を見ない大成功を収める事となる。翌年のグラミー賞でもベスト・ニュー・アーティスト、ベスト・ラップ・パフォーマンスの2部門で受賞、同じくアメリカン・ミュージック・アワードでも同様の賞を獲得、一躍”時代の寵児”となった。
翌’94年には、スワヒリ語で”蜜蜂の巣のような文化”を意味する2ndアルバム「Zingalamaduni〜踊る大地」を発表。彼等のルーツでもある人間としての信念や民族の尊厳、女性の秘めた力といった精神性がより明確に表現されたアルバムで、そのメッセージ性とメロディアスなラップ・スタイルの融合は、彼等の最大の魅力として確実に浸透していった。シングル「Ease My Mind」を随えたワールド・ツアーで同年11月、始めて日本の土も踏み、その知名度は確固たるものとなるが、グループは翌’95年には活動を休止、突然の解散という道を辿る事となる。
ソロの道を歩み始めたスピーチは、まず、マーヴィン・ゲイの没後10周年に企画されたトリビュート・アルバム「Inner City Blues」に、マーヴィンの永遠の名曲のカヴァー「What's Going On」を取り上げ、これをサンプリングした「Like Marvin Gaye Says」である意味、グループの柵から解放されたそのソウル・マンぶりに新たな方向性を見出したかのようだった。時を置かずして’96年始めにはソロ第1弾となるアルバム「Speech」を発表する。生楽器とサンプリングの絶妙なバランスが生み出したこの傑作は、A.D.解散の衝撃を埋めるに充分なものだった。
ソロとしての成功も手中にしたスピーチが当時語っていたように、”僕たちが分裂してしまったのは、あの頃はまだみんな子供だったから、有名になってしまった事から明日が見えなくなってしまい、例えば近い未来=21世紀、僕らがどうあるべきか...なんて事はまるで見えていなかった”と....。そんな思いが自ずからアレステッド・ディヴェロップメント再結成への情熱に傾けられたのであろう。21世紀の完全復活を目指し、昨年9月、ミニ・アルバム「Da Feelin'」で遂にA.D.はオリジナル・メンバー4人で再スタートを切り、今年待望のフル・アルバム「The Heroes Of The Harvest」を日本先行でリリース。ファンの期待を遥かに超えた傑作、そう断言しても決して過言ではない。もう彼等には迷いはない。その固い絆がある限り。