The Rolling Stones
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The Rolling Stones (ローリング・ストーンズ) プロフィール

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The Rolling Stones

今更改めて言うことでもないけれど、 ローリング・ストーンズ は半世紀以上に亘って活動しているロックンロール・バンドだ(ロックンロールの部分に、ある人はブルースを入れてもいいし、R&Bあるいはポップだって構わない)。この事実が意味するところは、現在居る彼らのファンの半数以上にとって、ストーンズとは、物心ついた頃から既に在ったバンドだということだ。

そうしてみると現役では最もポピュラーな存在といっていい彼らが、様々なことが言われるのは当然のこと。曰く「ストーンズだから…」「やっぱストーンズだよな」「ストーンズじゃあねぇ…」等々。肯定的にしろ否定的にしろ、リスナーが基準にしているのはやはり”自分の中のストーンズ像”なのだ。出会った時期や周りの環境、時代背景などによって、リスナー各々が描くアーティスト像が違ってくるのは、ストーンズに限らず当然の事だが、前述したようにストーンズの場合は、リスナーの大半が”既に在った”バンドという所から入るし(しかも偉大な、とかいう冠も付いたりする)、時期によって表面的なサウンド・スタイルが変化するので(同時代の黒人音楽を視野に入れたアプローチ、という大枠に変化は無いが)、非常に捉え難いバンドともいえるのだ。逆に言うと、その捉え辛さや人によってイメージが微妙に違うという特質が、 ローリング・ストーンズを多くのリスナーの様々な幻想を許容できるバンドにしているのかもしれない。ここではストーンズの膨大な歴史を逐一、出来事を追って俯瞰したり、多様なストーンズの側面に様々な角度から焦点を当てる、ということはしない。筆者は立場上、レコード屋さんなので、ここでは現場的、実感的バイヤーズ・ガイド的なものにしていこうと考えている。その中で重要な出来事などにも触れる事で彼らの足跡が紹介できればいいと思う。

真偽のほどは判らないが、 ミック・ジャガーキース・リチャーズの出会いには、ロマンティックともいえるエピソードが残っている。米国産ブルースの好きだったキース・リチャーズが、ブルースのレコードを小脇に抱えていたミック・ジャガーに声を掛けた、というものだ。一方ストーンズを作った男、 ブライアン・ジョーンズは1962年、音楽新聞にメンバー募集の広告を出していた。それを見て連絡してきたのはイアン・スチュアートという男。続いてブライアンはロンドンの”イーリング・クラブ”でミック、キースの二人と出会い、グループの結成を決めた。バンド名はマディ・ウォーターズの作品からとって、ローリング・ストーンズと名付けられた。メンバーはやや流動的だったが’62年末〜’63年初頭に掛けてビル・ワイマンチャーリー・ワッツが加入。後の5人が揃った。クラブ出演によって人気を得ていった彼らは、アンドリュー・ルーグ・オールダムをマネージャーに迎え、’63年5月に英デッカと契約、10月にチャック・ベリーのカヴァー カム・オンでシングル・デビューした。

アルバム単位で言うと、初期ストーンズ(デッカ時代。 レット・イット・ブリードまでとする)の作品の内容は、大きく分けて二期にわけて考えることができる。簡単に言ってしまえば、最初期のアルバムはブルースやR&B、ロックンロールのカヴァーが大半を占め、後半に当たるアルバムアフターマス辺りから、デッカ/ロンドンでのライヴを除いた最後の作品レット・イット・ブリードまでは、オリジナル中心となってくる。

初期に限らないが、ストーンズの膨大な作品数を前にして立ち竦んでしまう音楽ファンも多いと思う。そんな方には、とりあえず興味を持ってもらう為にオススメしたいのが、この時期のシングル・ヒット等を収めた2枚のベスト盤 ビッグ・ヒッツ(ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)とアナログ時代は八角形のジャケで話題を呼んだ スルー・ザ・パスト・ダークリー 。 もう一つご紹介を。今のUKロック・ファン辺りにオススメなのが、モア・ホット・ロックス〜 。2枚組で少々値が張るが、これのデイスク[2]の選曲はそうしたファンに興味を持ってもらえるに違いない。’98〜’99年アップル・コンピューターのCFに使用された"シーズ・ア・レインボウ"はスルー・ザ・パスト・ダークリー モア・ホット・ロックス〜 に収録されているが(オリジナルは ゼア・サタニック・マジェスティーズ〜 )、後者のディスク[2]の前半はこの時期のキュート(?)ともいえるサイケ期のグルーヴィな名曲が並んでいるので、イメージとしてのストーンズのマッチョさを敬遠するリスナーは目から鱗、になるだろう。補足すると、 ブライアン・ジョーンズ在籍最後のアルバム ベガーズ・バンケットとその後の レット・イット・ブリード は単体で買うべき作品だ。また、ストーンズはやっぱ1stだよ、という声が聞こえそうだが、その人達は中級以上のファンなので、何も知らない初心者はとりあえず遠慮させて貰おう。その上で個々のアルバムを追っていけば問題ない。

初期ストーンズのサウンドを聴いて思うのは、彼らが黒人音楽の”良きリスナー”であった、ということで、またそれは’60年代初頭の英国では相当ヒッフ゜なことだったのだなということ。それはビートルズを始めとする同時代のバンドと比べても、群を抜いてマニアックなカヴァー・センスを持っていたことが物語る。ヒップといえば黒を基調としたジャケのシブさ、ピチカート・ファイヴの小西氏も言ってたがアルバムに 12x5と名付けるセンスにも注目。12曲入りの5人のアルバムくらいの意味だろうが、その作品に『トウェルヴ・バイ・ファイヴ』と名付けアート・ワークにも気を使うというセンスは、キレイメの不良という感じでカッコイイのだ。

オリジナル曲を作るようになったストーンズは "サティスファクション" や "夜をぶっとばせ "等のヒットでアメリカ市場を制覇。その後、時代の流れでコンセプト・アルバムを作ったりしながら、アルバム単位での頂点を最初に迎えたのがベガーズ・バンケット(  アフターマス 辺りが最初の黄金期と言えようが、その時期は周辺リリースのシングルも込み、で言わないといけない気がする)。その頃、バンド内部でミック、キース側と初期ストーンズの牽引者ブライアン・ジョーンズは徐々に関係を悪化させ、結果’69年6月ブライアン脱退に至る(代わりに2代目ギタリスト、ミック・テイラー加入)。7月にブライアン死亡。同年12月、'オルタモントの悲劇'と呼ばれる米カリフォルニア州でのフリー・コンサートで死者が出る、という風に時代は節目を迎え、ストーンズも混沌とした様相を呈していた。 ブライアン・ジョーンズ脱退後、初のアルバムレット・イット・ブリード はこの年リリース。これも前作に続く傑作で、アーシーな情緒をたたえた曲や、パーカッシヴなグルーヴィ・チューン等が収録されていた。

’70年代以降のストーンズは現在東芝EMI/ヴァージン・レーベルから発売されている諸作で聴くことが出来る。その中ではまず’70年代初頭の2枚の名作を押さえて欲しい。’71年発表の スティッキー・フィンガーズ("ブラウン・シュガー"、"ワイルド・ホース"等収録。アンディ・ウォーホールによるGパンのジャケは当初ジッパーの所に本物が付いていた)、そして メイン・ストリートのならず者("ダイスを転がせ"、"ロックス・オフ"、"ハッピー"等収録。LP時代は2枚組)だ。もの凄く簡単に言ってしまうと、前者はストーンズの王道を感じるロック・アルバム、後者は米南部音楽の粘っこいテイストが印象的。

その後を掛け足で…ヒットした "悲しみのアンジー"を収めた 山羊の頭のスープ(’73年)、そのタイトルがキャッチーなストーンズ・イメージを決定した イッツ・オンリー・ロックン・ロール(’74年)、3代目ギタリスト、ロン・ウッドを迎えたアルバムで、当時流行のレゲエのリズム等も垣間見られる ブラック・アンド・ブルー(’76年)、3枚目のオフィシャル・ライヴ盤 ラヴ・ユー・ライヴを挟んで、ストーンズがディスコに接近! と話題となった ミス・ユー 含む 女たち(’78年)、ここまでが’70年代。

’80年代のストーンズは一般的に、という前提で話せばやや低迷した時期とも言えるだろう。ただ逆に言うとこの時期の危機を乗り越えた事や、ニュー・ウェイヴに対するオールド・ウェイヴとしての意地、みたいな部分が、現在のストーンズの活躍を可能にしたとも言えるのだ。’80年 エモーショナル・レスキュー、’81年 刺青の男、4枚目のライヴ作 スティル・ライフ デューク・エリントンの"A列車で行こう"で幕を開けるライヴ充実作)を挟んで、’83年 アンダー・カヴァー、’86年 ダーティー・ワークという作品をリリースしたこの時期は、やはりメンバー同士の関係も傍目にはチグハグそうに見えた。というか、メンバー達も長くバンドを続ける中で、自らにとってのストーンズの意味を見失っていたというべきかもしれない(特にミック、貴方ですよ!)。

’90年代のストーンズは充実した活動・作品を残した。’89年発表の快作 スティール・ホイールズ から現在までのストーンズを”’90年代のストーンズ”と定義してもいいだろう。日本のファンには事件だったスティール・ホイールズ に伴う”アーバン・ジャングル”ツアーでのストーンズ初来日(’70年代の公演は中止となりファンをガッカリさせた)。’91年には新曲ハイワイアー などを含むライヴ作 フラッシュ・ポイントを発表と、’90年代のストーンズは頭から勢いづいた。まぁ、この時期’93年初頭にビル・ワイマン正式脱退という出来事もあったのだが。現在ストーンズが所属するヴァージン・レーベルの音源からのベスト盤 ジャンプ・バック を経て、’94年に、これも快心作、ヴードゥー・ラウンジ 発表。通常のオリジナル・アルバムとは違うが、過去の名曲をアコースティックにリメイクして、’70年代の自らのグルーヴを再解釈した、とも言える優れた企画盤 ストリップド (’95年)もいい作品だ。そして’97年――’90年代ストーンズの有終の美を飾る、傑作 ブリッジズ・トゥ・バビロン 発表。そしてライヴ盤 ノー・セキュリティ を’98年に発表、節目にオフィシャル・ライヴ作あり、の印象をファンに与える作品だった。

2002年にはABCO時代の音源をリマスターしCDとしてもSACDとしても聴けるハイブリッドCDとして各種リリース。話題を集めた。そして同年レーベルの壁を越えたベスト盤フォーティー・リックスを発表。ストーンズを知らない若い世代にもその偉大なる存在の大きさを見せ付けた。2003年には12年ぶりの来日公演を行った。当然チケットは即日ソールドアウト。また同年ミックは遂にエリザベス女王からナイトの爵位を授与され、ポール・マッカートニーエルトン・ジョンらに続き「サー」の称号を手にした。

世界最大最古のロックンロール・バンド、 ローリング・ストーンズはいよいよ21世紀へ突入した。 キース・リチャーズ チャック・ベリーだって、B・B・キングだって現役でやってんだよ、って言うところだろうが、それを勘定に入れてもやはり、彼らの見せてくれるロックンロール・サーカスの壮大さを肩代わりできるバンドは居ないし、ストーンズが注目すべきバンドであることにも変わりはないのである。

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